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仙人クラウド病状

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このあいだ駐輪場で壊された仙人クラウドですが、忙しいのと、気分的にやる気喪失で、いじっていませんでした。

状況はこういう具合。変速器がひっかっていたのか、隣りに駐輪した人が入れる時に力まかせにがーーんと入れたか、出したかして、当方の変速器のストッパー部分が砕けた。

鋳物の鉄が砕けるには、どのくらいの力でぶつけたのか?物の扱いで育ちがわかる。

駐輪場に戻ってきて、変速器がおかしな位置になっているのに気が付いたのですが、1里以上を押して歩いて帰ると、病人の世話に間に合わない。だましだまし乗って帰ったわけです。

家まで目前でチェンが外れた。その時は簡単に治ると思ったのですが、なんと、チェンのピンがギアの肉抜き穴に噛んでいる。チェンが抜けない。『ああ、これはフリーを抜かないとダメだな』と、後輪を持ち上げて帰って来た。数百メートルと近くで良かった。


こんなことがあるのだな、と感心した。昔から不思議だったのですが、英国のサイクロやヴイリヤーズのフリーのローギアには軽めの穴がない。三光舎のフリーにも無い。考えてみるとアトムのフリーにも無い。カイミはやはり無い。みんな、こういうことを経験してやめたのではないかな?アメリカで作るようになったレジナは、サンツアーを見たせいなのか同じようなものがある。サンツアーの厚歯フリーはプロテクターディスクを使わないといけないかもしれない。それでも、やはり挟まったら今回と似たようなことになるだろうと思う。軽量穴が楕円にあいたローギアというのは始末が悪い。


これを機会に仙人クラウドは32/3のチェンに組み直します。

0011 ボル豚 ソロ

『デントン』というアイリッシュ系の名前を、日本で『田豚』と漢字をあてて名刺を刷っていた人の話を、いまから40年ほど前にジャック・スォードという人の本で読んだことがある。その例で行けば『ボル豚』という日本語表記もアリかと。

私はこのボル豚さんとか、そのお仲間の過去の発言をみると、病米利加のよろしくない頑迷さが凝り固まっているように見えて仕方がない。それは喋り方、声、風貌にも出ているように思えてなりません。

『ネオ根性』の顔というのがあるのかもしれない(笑)。荒々しいワイルド・ボアのような逞しい首のパワフルな感じ。スコッチテリアのようにボスに忠実で、喰いついたら離さないタイプ。そういう人たちのグループがいま活発に動いている。

昨日、タンカーのわきで工作している怪しいグループを映し出した夜間用暗視カメラの映像が公開されましたが、『あれは誰が撮ったのか?』、自分たちが撮ったと言うことは、かなりの至近距離にいたということ。映っている人たちも仲間だったのではないのか?と疑う人がいないのが不思議だ。

007の『2度死ぬ』の中で、ヘリコプターが巨大磁石でクラウンを吊り上げ、悪漢もろとも東京湾に捨てるシーンで、ボンドが2000GTの中のスクリーンで一部始終を見ている。丹波さん演じるタイガー田中が『タイガー式レセプションはどうだ?』と訊くシーンがありました。


今見ると、あの釣上げたクルマを海に落とすシーンがクルマのスクリーンに映し出されているからには、それを写す、もう一台の別のヘリがいるはず。


同じことをボル豚さんの『証拠映像』で感じてしまった(笑)。

何が何でもあの地域でもうひとつ争いを起こしたい人たちがいるのだろうな、と私などは考えてしまう。アフガニスタン、イラク、シリア、要するに、『全産油地域を戦乱地帯にして、繁栄と平和からは程遠い場所にして、過去の蓄積の富も破壊しつくす暗い野望』があるのだろう、『原子炉の廃棄物で作った劣化ウラン弾を使いまくって、その地域の人たちの末代までの影響などは考慮しない。あのあたりの戦いに駆り出された兵士たちはその影響でだるさがとれない』と証言している、戦車の外壁にも劣化ウランは使われている。しかも、その戦いの弾や道具はじゃんじゃん売れるわけですから。そうした利益を代表しているひとたちもいるということです。


まあ、『自分が知らないうちに端役を演じる操り人形にならないように』気を付けたほうが良い。

威蘭のことなど

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どうもこのところ良いニュースを聞かない。親がこどもをKOROす、こどもが親をKOROす、老人施設で年寄りがKOROされる。

その昔、土耳古に行ったあるTVの出演者(どういう芸があるのかわからず)が、ZEN-RAで踊って、大ブーイング。明治時代からの『尊敬する国』のイメージをぶち壊したといってよい。


このあいだ、トランペットさんが来ていた時、仲睦まじく一緒の写真などを撮って、世界に発信していたわけだが、それは、果たして長期的な視点に立って、賢明なことだったのか?

今日の威蘭での会見で、持って行ったトランペット氏との話合いの件は、みごとに蹴っ飛ばされた。当然でしょうね。そういう時の『仲介者』に関する彼らのシューキョー法と、和解や話し合いに関する古ー覧の数節を読んだことがないのだろうな、とニュースを見ていて思った。

『貴方となら話し合うが、、』そこには、やんわりと、そういう話を持って行った彼にも、皮肉の意味合いをもって伝えられた。たぶん、その皮肉の意味も正確にはわかっていないのだろう。やれやれ。

ところで、私が威蘭にいたとき、まず、想像を絶するぐらいお金の使い道があった(笑)。使っても使ってもなくならない。中世の橋のアーチの下をお茶が飲める場所にした、風情のある喫茶店がお茶一杯が2〜4円とかそんなものだった。それでも超高級。軒にはウズラが籠に入れられて飼われていた。

宝石を『こういう形の銀の台座に付けてペンダントヘッドにしてくれ』とバザールの職人に特注した。砂漠の遺跡から掘り出したようなデザインで、800円だった。これ以上よい店はないという、もと王女の宮殿でコースの夕食を食べて150〜200円。だから、現地の人にはウズラ・カフェが200〜400円。ペンダントヘッドの細工が8万円、王女の宮殿のレストランが2万円とか4万円とかだったのだろう。

『1週間でこのぐらいはいるんじゃないか?』と15万円、両替を頼んだら、『おつりをごまかされるといけないと思って、出来るだけ小さい紙幣に両替しておきました』と紙袋に入れ、カバンに入れて持ってきた。『工場長の年収ぐらいだ』と言われたので、1500万円ぐらいだったのだろう。

土漠をランクルで走って、ちょっと離れたところにあるバザールへ行った。もう、平山郁夫のシルクロードの絵のような世界。泥の丸屋根が続く地下の道路のようなところを抜け、バザールの奥の方の、涼しい所に古ぼけた木の階段があって、そこの2階でなかなか味のある、素朴な感じのキリムを売っていた。

彼らは、まずお茶を出す。友達になって、断りにくくなってから商談(笑)。『貴方となら話すが、、』というのは、そういうことなのだ。それは、彼らは『世界の半分』と言われた大帝国を作り上げたひとたちだから、その駆け引きチェスの腕前ははんぱなものではない。彼らとインドで、チェスの元祖争いの議論がある。


そのバザールの一番奥の2階でいろいろ見せてもらって、価格を訊いたら安くない。ほとんど首都の大きい店と変わらないのだ。驚いたのは、そのつぎ。
『それはけっこう高いね。観光客向けの価格と大差ない。』
『しかしですよ、もし、貴方が東京へ戻って、六本木の◎ー□に行ってごらんなさい。500万円以下では買えないはずだ。』

威蘭の情報網恐るべし(爆)。土漠を走ってたどり着いた、数百年も変っていないようなバザールの、そのまた奥の穴倉で、東京の専門店での相場を聞かされた(笑)。

面白いものがけっこうありました。チュート―の文字のダイアルの、懐中時計で、日本ならテン・ミリオン円超えのものが、20万円ぐらいであった。誰も現地で買える人がいないのだろう。

あきらかに紀元前とおぼしきブロンズの牛の小さい像がバケツにザラザラ入って置いてあった。

驚くべきは、私は勉津のSSKを見た。パフラヴイさんの父親はドイッチェ大好きで、屋敷もドイッチェ人の建築家に設計させていた。その関係でよそにないようなSSKが入っている。15億超級でしょう。

残念ながら自動車は輸出できないので、持ち出せない。彼らもそうした車両があることをよく承知している。ビックリしたのは、チネッリを目撃したこと(笑)。

たしかに東京オリンピックの時、『亜句バル・プーデー』という威蘭の選手はチネッリを持ち込んでいたので、かつてはディーラーがいたのだろう。

あれから30年以上。ずいぶん変わったのだろうなと思う。


『威蘭と特別に親しい関係を築くことは、我が国のエネルギー確保のためにきわめて重要で、ドイッチェランドと同盟を結ぶより重要だ、そもそも非虎のJIN-種ーセーサクは馬鹿げている、やがてはその内包する問題、彼の理論のデタラメさは時間によって明らかにされるだろう』と、WW2前夜、身の危険を顧みず本に書いたのは笠間大使であった。病米利加の長年のHA-KEN主義、ネイティブ亜眼利加をビッグ・ウェストでKOROSIまくり、制圧して西海岸まで到達した後、さらなるフロンティアを求めて、黒船を送って、大砲外交で、文化転覆をして、極東をSHI-HAI下におこうとした。そこに、反対して戦ったのが、日本というのが威蘭の歴史観だ。彼らは、国がそういう無料で配る本を出版しているくらいだ。

そういうところへ、ゴルフカートの上で恋人同士のように2ショットを撮った人が、トランペットさんの意向を伝えに来たわけだから、『ああ、この国も変ったな』と思われたに違いない。

KAKUへーきなどを威蘭が使おうとするはずがない。それは彼らのシューキョーからすると、人間がそういう使い方をしてはいけない種類のエネルギーの使い方だからだ。そう言うことは、彼らの手兵覧にある記念館に、はっきりと彼らのGEN-子―力や石油資源に対する考え方が『国是』として書いてある。

威蘭で広島・長崎のことを詳しく知っている人はものすごく多い。

そんなことを『成果』として自分の交渉の結果であるかのように語るなという気が私はしますね。

変化の影響

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しだいに自転車の規格が変わってきていて、ちょっとこの先が見えなくなってきていると思う。

ブレーキはしだいにディスクになってゆくだろうか?もし、ディスク・ブレーキ一辺倒になったら、古いフレームはけっこう難しいものが出てくるかもしれない。同じことはチューブレスのリムもそうで、700Cのタイヤで高級品がみんなチューブレスになって、クリンチャーが駅乗り捨て用の分厚いタイヤばかりになったら、700Cでツーリング車というのは困るだろう。低性能で旅に出ないといけない日がやがて来そうだ。26インチで、軽くてしなやかで、かつ太い良いタイヤがなくなってきている。フランスのタイヤを最近仙人クラウドに付けたら、下りで飛ばすと、タイヤがいびつなので、けっこう振動が出た。高性能ツーリング車向きではない印象。そうかといって替わりに何があるのか?

四国の山の中でチューブレスのエア漏れなどというのは考えたくない。朝まで徒歩?

かつて、夕方、室戸の辺りで、ブレーキが壊れ、自転車店がなかなか見つからなくて困った記憶がある。結局、モーターサイクルのショップへ飛び込んで、工具を借りて、自分でバイクの部品を作り替えて修理した。

ディスク・ブレーキはそういう旅先で、簡単に修理できるものなのか?私は難しいと思うが。


漠然とですが、しだいに『自転車で旅をする文化』というのが弱まって行くのではないか?という気がする。

否、そもそも『旅をする』ということ自体が、日本では廃れて来ているようにみえる。

昔、オーディオに凝っている人が、『コンサートには行かない。家でレコードを聴いているほうが、音が良いし、コンサート会場では、よく聞こえる場所をとれなかったらどうしようもない』というのを聞いて違和感があった。

ピアノの鍵盤をひとつ叩くと、他のすべての弦も震えている。それをレコ―デイングでとらえるとしたら、ピアノのあちこちに、いくつもマイクを付ける必要があるだろう。

私は現在、音楽は9割は生演奏を聴く。スピーカーから音楽を鳴らして聴くことはほとんどない。

私は『旅』も生演奏に似たところがあると思う。そこから、すべてがインプロヴァイゼィションで始まる。それが、いまや、しだいにAからBへの移動を出来る限り早く、という風になってきている。ネットで調べ、それを確認に行く。『初めてのインプロヴァイゼイションよりも、ナビに案内されて、周囲のオススメの場所を知り』、、、そこにはネットで調べて知ってしまったことの確認の旅になる。

これは、やがては『ほんとうに体験したこと』と『ネットで聞いたり知ったこと』が記憶の中で混乱してくるのではないか?そこへコンピューターと組み合わさった『仮想現実ゴーグル』が発達して来たら、その人を成り立たせている体験・経験がゆらぎ、人格は崩壊してくるのではないか?とすら思える。

旅がなくなり、『高速移動』だけになり、また、旅に出るに値する非日常が、行った先にないとしたら?

いまや、昔のように、キャンピング自転車で、神社の床下で野宿とか、1960年代のようにはゆかない。野宿をしているとすぐ警官が来て『ちゃんとホテルに泊まりなさい』と指導が入る。

日本では、しだいに、キャンピング自転車に乗ることが、一種のコスプレに近くなってくるのかもしれない。

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海外からの調べものの頼まれごとで、ちょっとお祭りに。午後の2時から5時までの3時間ほどでしたが、けっこうな気晴らしになった。

巫女さんが舞を披露。格調高い。絶壁の上にあるその神社は、眺めが良い。こどもはさらにそこにある人工の山の上へ登る。

商店街では車の乗り入れ禁止。コインパーキングにシートを広げて、家族でピクニック。

ふと昼飯を抜いていることに気が付き、何かを食べようと思うが、商店街に古い店があるのでそこで調達。金銭感覚が狂ってしまう。赤飯弁当が300円。胡麻が白いのが変わっているな、と思ったのが、『ああ、白い胡麻と赤飯で紅白なんだな』と納得。焼き鳥を2串買う。240円。さて、飲み物。

江戸時代からやっている雰囲気のお茶の店が、店頭でマグカップ大のアイス緑茶をサーバーに入れて売っていた。50円!それがなかなか美味い。つまり、そこでたいしたことなかったらお客が付かないと、気合を入れているのだろう。

こどもたちは地面に丸を描いて石けりをしている。

詩人のジャン・コクトーが80日間世界一周の途中に日本へ立ち寄り、堀口大学が案内して歩いていた時、こどもの描いた円がたいそう気に入り、日本を離れる時のインタヴューで、『日本から持って帰りたいものは?』と新聞記者に訊かれ『北斎や宗達の末裔を感じさせる、こどもの描いた地面の円を地面ごと持って帰りたい』と答えた。

たしかに、こういうものは欧米では見ない。

お囃子の前に立って、一心不乱に聴き、踊り始めるこども。

ここには、一切のお金のやり取りがない。昔はひとつ何かを手に入れると、それの『変化』でいつまでも遊んだ。虫眼鏡をもらうと、アリや虫を見て、それに飽きると、虫眼鏡で太陽の光を集めて、火をつけて遊んだ。それにも飽きると、障子紙を貼ったピンホール・カメラの前に虫眼鏡を付けて、カメラごっこ。

お囃子で踊っていたこどもは、大きくなったら舞を舞う。

私はそうした育ち方が、日本の底ぢからであったと思う。

いまや、すべて金。対価を払う。そしてエンターテイメントをやってもらう。ゲームが出来ると、機械を買う。そして、今度はソフトを買い、勝てば点数、遊べば金がかかる。そして、ネズミ―ランドのようなところへ行き、乗り物に乗って金を支払う。

昔の日本なら、竹馬を自分で作り、お祭りとなれば山車に乗せてもらい、それらが娯楽だった。山車について行けば、お菓子をくれた。すべてタダだ。『Trick or treat ?』とか、2者択一で脅さなくても、おとなはお菓子をくれた。そういうことすべてが、日本人の穏やかで、ガツガツしていない気性を育てていたのではなかったか?

久しぶりに、昔ながらの日本を感じて、妙にホッとした。

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