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絶滅!ウナギ返し

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いよいよ二ホンウナギもその数が減って、絶滅が危惧されるようになってきた。

昔、世田谷に環状八号線が開通する前、蘆花恒春園の下の辺りは小川が何本か流れていて、それが蛇行して湿地のようになっていた。現在は消滅した地名で『めぐりさわ』廻沢と呼ばれていた。

今となってはちょっと信じられない話だが、私はそこで、こどものころウナギを何回か捕まえたことがある。はるばる、海から遡上してきていたのだろう。

私がひのたまはちおうじに引っ越してきたころ、まだ、浅川や大栗川にはウナギがいた。捕まえている人を見たことがある。

それが、意味も無く、予算を使い切るそのためだけのために魚が遡上できないセメントのダムをつくり、わずか800mぐらいの距離に4つも5つもそうしたダムがある。魚や亀は絶対にそこを登ることはできない。

入りくんだ河岸であればそれによって川の水の流速度が落ちるが、セメントの直線で固めた一種のドブだから、雨ともなれば、すごい濁流となって一気に流れる。流れを阻むものはありませんから。

かくして、亀も魚もみんな雨が降ると流され、登ってこられない。ウナギはこうした河川を遡上してきて、川辺の泥のところや沼にまで入り込んで生活する。そうした場所をことごとく破壊して、アルカリの灰汁の流れ出るセメントで固めるわけだから、ウナギの生存環境に良いはずがない。

今日もすでに4つある『ウナギ返し』に5つ目をくわえる工事をやっていた。そこに札が立っていたのだが、『緑化工事』と書いてあった。

『はぁ?』偽善・欺瞞もきわまっている。、

下のほうでは流されたフナと亀が泳いでいました。

面倒な時代

長年人間をやってきて、『ずいぶん面倒な世の中になった』という印象がある。1970〜1980年代には、こんなに面倒ではなかった。

極端な話、ドアの郵便受けの裏を抜いて、そのまま8か月家を留守にしてヨーロッパに行っていて、なんの問題もなかった。帰って来ると郵便物が山になっているが、それでも今ほどの量はない。数分の一でしょう。

海外へ行くにしても、スマホ、タブレットのたぐいをもっていないとやっかいでしょう?昔ならチケットを買って、リファンダブル、エンドゥーサメントであるか確認して、出発日時を確認して、乗る前にシートの予約確認と予定通りかどうか、出発ゲートの確認を電話でして、それで終了。

それは公衆電話からでもホテルの固定電話からでも出来た。一度やったら、それでもう終わり。いまはスマホやタブレットを常時持ち歩かないといけないわけで、それは『荷物が増えている』。バッテリー切れにも注意を払わないといけない。

いまやスマホと組み合わせて顔認証で出入国の手続きもする方向性らしい。つまり、消費から交友、何を読み、何を検索したか、収入、使用銀行やカードの購買記録、どこで何を買うか、通話から出入国、顔、指紋、その人のすべてを一括情報として監視される時代が来たということだ。

いま、私は『ノートをひとつ持っている』のですが、そこにはさまざまなパスワードや番号が書かれている。アマゾンのパスワード、Yahooのパスワード、4種類のSNSのパスワード、パソコンのロック解除のパスワードが3つ。キャッシュカードなどの番号のさまざま。そのカードが8枚以上。

1990年代半ばまでは、キャッシュカードは、日本の銀行のものと英国のものと2枚だけ。あとは小切手帳ですべて用は足りた。

1990年代半ばまでは、誰かが古い自転車などを処分する時には,手書きの手紙が来た。部品などのリストが付いてきた。向こうから投函されて、こちらへ着くまでに1週間。来たところでまわりの仲間に、『こういうものが出たが、いるものはあるか?』と電話で訊く。そこでとりまとめ、わからないことは電話してみる。確認ののち、FAXでこれがいるということを伝えた。そのあとに送金した。昔は郵便局から為替で送金すると手数料が2000円ぐらいだったので、万事安かった。いまはそんな安くやってくれない。最近は銀行から電信送金すると手数料で6000円ほどとられる。


そうすると、向うから知らせが来て、こちらで要るかいらないか声をかけて、送金するまでに2週間。その間にお金の予定をたてられた。いま、たとえば、英国からインターネットでものを買ったとする。そうすると、中一日で日本に着くデイタ・ポスト相当の国際急送便で、送料がちょっとしたものでも6000円とか、それよりはるかにかかる。『それ以外では送らない』というのも多く、たいへん面倒。

ネットの取引は待ったなし。パソコンが壊れた時も待ったなし。こうした『追われている感じ』は昔はなかった。

何でも、ロンドンではこのところカードでの支払いのパブが増殖中だという。世も末だ。昔は目の前にコインを積み上げて『今日はこれだけ』と決めて酒を飲む人がいた。音楽のない人の話し声だけのパブの中で、ダーツをやっている人たちがいる。チェスをやっている人たちがいる。それを、遠くからパイプをくゆらしてみている老人がいた。ラタキアの芳香を含むダンヒルのマイミクスチュア965だったり、バルカン・ソブラニーだったり。JTの臭いシガレットしか知らない人は可哀そうだ。

100歳近くでNAKUなったバーバラは、私が吸っていたパイプの香りを吸って、
『私は20歳ぐらいの時、結婚するならパイプを吸う人が良いと思っていたものよ。ところが、いざ、パイプを吸う人をいろいろ見てみると、アメリカのものは甘ったるくて嫌だった。アイルランドの黄色いパッケージのものもクセがあって好きになれなかった。貴方の吸ってるのは私が好きだと思ったパイプ・タバコだわ。』
そういう文化も絶える。シャロック・ホームズが屋根裏の隠棲者を訪ねて、煙草の紫煙を両手でかき集めるようにして、目をつぶり、
『う〜〜〜む。アレキサンドリア!素晴らしい煙草をお吸いで、、』というようなセリフは理解されなくうだろう。

木箱に入ったアレキサンドリアを含む、今はないラムセスとかは消滅し。150種類を超える薬物が足された、保存料、保湿剤、安息剤、PH調整剤、立ち消え防止の燃焼促進剤バッチリのシガレットを、カードをかざして自販機で買う時代だ。その臭い煙草をこそこそと歩道橋のものかげでこっそり吸う。

パブで濃厚なシェリーを上質の葉巻をすいながらのむと、葉巻の香気と香ばしさとシェリーのふくよかな香りと甘さで、上質のチョコレートもかなわない味わいになる。

『ピピピピピピ、ガッちゃん』で添加剤を燃やしているような紙巻を自販機で買うのでは、一生わからない世界がある。まあ、売っている場所を探すのも、吸う場所をみつけるのも面倒なので、私はやめた。面倒だ。

私も『年齢が深まって来た』ので、昨晩はいらない本を仕分けていた。かつては、『こんなおかしなことが書いてある』と、指摘する資料として、ダメな本も買って持っていた。今の歳となっては、そういうものは一切捨てる。見るのも鬱陶しい。オーストラリアの友人からもらったオーストラリアの詩人の本なども捨てる。『もらったものだから』ということで長年持っていたが、読んでみても3ページで『鳩頭』であきる(笑)。くだらないものを読んで貯め込んでいられるほど人生は長くない。

雑誌はやはり、くだらない変化の詳細を確認するのにいちおう買って目を通したが、それも面倒だ。まとめて月曜日に資源ごみ。

ブログの引っ越しも面倒(笑)。本や雑誌なら、『書いて、世に出て、』あとは私は忘れる。本音で書いているからタイムレスだが、それに縛られるのも面倒だ。禅でいう『自縄自縛』に陥らないように、つねに『手ぶら』が基本。

『手ぶら』、それは北欧や北米の一部でやっているような、親指と人差し指の皮膚のなかにチューブ状の認証チップをいれることではない(爆)。

デジャブのことなど

ここ2日ばかり、うちのブログへよく来る方のところでZEN-SEの話をけっこう書き込み、それにつられて他の人も書き込んでにぎわった(笑)。

つい2週間ほど前も、友人がダッハウで、『自分は昔ここにいた感じがする』と言っていた。その友人はクライスト教徒なのですが、彼らの聖てんにはZEN-SEとか輪廻の話はどこにも書いていない。

私はこうしたことには、自分なりの合理的な考えがあって、『それはその場所に焼きこまれた、いわばVHSのヴィデオに録画されたようなものを、敏感に感じ取る繊細な人がいるのだと思う。その『場所』に焼きこまれている。

同様に、自分は古物や古い自転車、食器などでも、『昔は幸福な人によって使われていた』とか『これは陰気な人に使われていたな』というのがおぼろげにわかる。だから、自分は骨董品やヴインテージの乗り物をやる人には、『第一印象が暗いものには、どんなに物が良くても、安くても手を出すな』と言っている。

陰気なものには物凄いエネルギーをかけてもものにならない。同じことは神社仏閣にも言えて、同じ神様、佛様でも、『いつもどういう人が来て、誰が信奉していたか?』でパワーの質も個性も異なる。

昔、サトヘンの編集部で、編集員のまわりで事故などがあいついで、『これは何かうちもとばっちりがくるかもしれない』とサトヘンがみんなに、目黒不動尊へお祓いに行くというのをやった。私も1人で行ってみたのだが、同じ不動尊でも高幡のお不動さんとはまったく感じが違った。ちょっと周波数が違う感じがした。自転車のほうの編集部から戻る時、よく三軒茶屋の目青不動尊を抜けて電車に乗った。いまはゲートが出来て夜は通り抜け出来ません。あそこのお不動さんはもとは江戸城のもみじ山にあった。あそこのお不動さんは小さいながら高幡のお不動さんと似た同系統の感じがする。

そんな具合だから、いくら有名なところでも、京都などでは、『う〜〜ん、勘弁して。ここはスル〜♪』というところは少なくない(笑)。ダメなところはもう入り口でダメです(爆)。

人間は生きて生命活動をしているわけですが、その活動エネルギーは食物を消化する化学エネルギーで得ている。そこへ呼吸。神経というのは『電気信号』のようなもののわけですが、その神経がさらに複雑に発達すると脳になる。そこから神経へ信号を送っているわけですが、人間というのは『ラジオの発信機』のように機能しているのではないかな?と私は漠然と考えている。それはもちろん電波ではない。

じつは私の母は、一時期奇妙な能力があって、『あっ、いまNHKのラジオに誰それが出て話しているよ』と奇怪なことを言い出し(笑)、半信半疑でラジオをつけるとほんとうにやっていた。受信機なしでNHKを脳で受信(笑)。さあ、NHKどうする?(爆)。

そう考えてくると、渡り鳥が以心伝心で編隊を組む能力も、『虫の知らせ』とかテレパシーも、『第六感』も、まったく科学的な裏付けがないことではないと思う。

私はかつて、フィレンツエに行った時、なぜか、ものすごく懐かしい感じがした。それで、初めてのところを歩いていて、どこに何があって、どこを抜けると何が見える、、というのが、ほぼすべてわかって、迷わなかった。大聖堂の中でサボナローラの説教を聞いた時、よく聞こえなかった、、というような記憶のようなものが浮かんだ。それが、ZEN-SEのものなのか、はたまた、そのあたりにたちこめていた残留磁気(笑)を私が感知したのかわからない。

そのような人の発信するものを感知するちからの存在を考えると、同じようなこと、発明が、時を同じくして別の場所で現れることの説明もつきやすい。ライプニッツとニュートンは、場所を隔てて、同じ時期に同じようなことを考え付き、お互いが『アイツは真似をした』と思っていましたから。それも似たような精神の2人が感応したと考えれば自然だ。

前にも書きましたが、レオナルド・ダ・ヴインチには、ZEN-SEの記憶のことを書いた一節がマドリッド手稿にある。

さて、私はそれでは他のイタリアの都市で同じようなことが起きたか?というと起きなかった。焼きこまれたものを感知していたのなら、ほかの場所でも起きそうなものだが、フィレンツエでだけ。ローマでもダメでした。英国でもそうで、どんなに慣れ親しんでも、そういうものがない場所がほとんど。

さて、ZEN-SEの話ですが、最近はかなりURANAIとかSINDANとか、いろいろあるらしい。めんどくさい人が来ると嫌なので、だからこの記事は伏字で書いている(笑)。私はこれは『意識』とは何か?という命題とからんでいると思っている。つい1〜2年前、光の性質を雑誌のニュートンが特集して、その中で『観測者の注意の向く先で、結果が変わる』というような話が出ていた。これは人間の意識が外界を変える、というような話で、ネットで『意識』『量子力学』でググれば、これがけっこう今ものすごくホットな話題であることがわかる。

また、宇宙というのは、じつは巨大な量子コンピューターではないのか?ということも、物理学者でいう人が少なからずいる。これもググればでてきます。そうした時、『意識はどこかに記憶されるのか?』というのも物理学、宗教、双方で考えるタネになっている。もしどこかに残るのであればアカシック・レコードなどというものもわかりやすい。そこへアクセスが容易な人は、そこから引いてきたことをZEN-SEと錯覚するのかもしれない。

このところ『時間というのは人間の頭の中にしかない』という問題もホットな議論。じつは私は2000回ほど、毎日お経を読んだことがあります(1日に2000回ではない。連続という意味)。高校時代、毎日15〜20分必ずヨガをやっていて、たしかに精神状態が変わった体験があるので、お経でやってみたら変わるかな?という実験の気持ちもあった。そうすると、やっているうちに頭の中の時間の流れと、外界の時間の流れがズレる不思議な感覚を得ました。

そうすると、ひとつのCDの円盤の中に交響曲の一曲が入っているように、ひとつの一生の意識の流れが、時空の中に雲のようにあることもあるのかな?などと空想した。

こう考えてくると、いつかZEN-SEも意識の永続性の問題も、デジャブも、量子物理学的に解明されるのかもしれないと思う。

さいきんNAKUなりましたが、私の親戚にIQが220というのがいた。彼は3乗の方程式でも、筆算なしで、じ〜〜〜っとみていて、いきなり結果の答えを書いた。なんかの時に、柔道や剣道で1本とられたように、『あっ!参りました』と頭の出来の差を感じたものですが、たまに彼と話していると、『こいつ2人分の人生というのか、ひらめきというのか入っているのではないか?』と感じた。『私が普通の道をたどっている間に、ワープするように先へすっと出る時』があった。いつも話している彼ではない別の部分が一瞬にして問題を解く印象。

そういうのはZEN-SEというよりも『宇宙の智慧の貯蔵庫に御出入り自由』な能力ではないのかな?とこのごろは考える。

野の花が隙間に咲く

この季節、電信柱とアスファルトの隙間にさまざま野草が生えているのを見る。

インターネット上のさまざまな写真を見ると、そういう花を写したものは少ない。圧倒的に、見渡す限りの同じ花とか、びっしり咲いたサクラとが多い。

昔は、『日本は一輪花を生ける文化』で『欧米は花束の文化』などと言われましたが、このごろは、どうもそうではないらしい。

『豪華なもの』『いま流行りのもの』へみんなが集まる。『流行りの騒ぎの外へ出ようとする人は少数派になった』。『今一番売れている』ものは、私にとってもっとも買わないもの(爆)。

そんな「ジンι」みたいなおそろいは絶対嫌だ。同じ服を着て、同じ靴を履き、同じスマホをもって、同じ中台ジテンシャに乗り、収容所のwardみたいなアパートに住んで、同じようなものを食べ、やがては建売の規格住宅に住み、似たような『必要悪型ファミリーカー』を持ち、似たような病気になって、『みんなと一緒だからしかたがない』とあきらめて、予防接種を受けるのに学校で列を作っていたように、SHIを待つ?

私には、そういう人生は無理だ。

今の日本のマルチ・ミリオネアは、ほぼ、すべてそうした分野、商売のひとでしょう。

ヨーロッパだと『地の塩』とか『ブラック・シープ』という。つまり、塩は人間に絶対に必要。『塩が塩辛くなくなったら役に立たない』とクライスト教徒は言います。ブラック・シープが1頭いるとその群れは栄えると英国では言う。

みんながアリンコのように一糸乱れず行動すると、名知巣や恐産主義の国のように、『均質化したへーたいマインドの国』になる。地の塩、ブラック・シープ、隙間に生える雑草がないと、たぶん、その集団は壊滅的なところまで行くのではないか?という気がする。

スマホにいつも相談しているという人の多くは、その均質化集団の中で『後れを取るまい』としているのではないか?

ジテンシャの駐輪場へ行って、アップハンドルの形状に何種類あるか、リアの反射鏡に何種類あるか、調べてみると面白いと思います。場所によりますが、ひどいところではハンドルで3〜4種類。テールの反射鏡に3種類。1960〜1970年代には、メーカーごとに自転車のテールはオリジナルのものだった。フジと宮田ではまったく違うテールライトが付いていた。BSやセキネ、ゼブラも違うデザインだった。また、同じ会社でも車種が違うとデザインが変わった。何十種類もあった。

この均質化はあらゆる分野でいま進行しているようにみえる。


タクシー車両などでも背戸りっくなどのサルーン型はもはや製造していません。

いままでは、9800円ぐらいで安売りジテンシャがガンガン売られ、パンク修理をするより新しく買い替える人が多く、多くの町の自転車店が息絶えた。そして、メーカーの工場は操業をやめ、輸入。巨大な静電塗装の施設が、それを使える技術者の首を斬ったために、使えないでいる老舗メーカーがある。

しかし、いまや、その自転車も、輸出してくれるところが値上げしてきて、かつての日本製とあまり変わらない価格になってきている。ならば、あの安売り合戦は日本の生産拠点を壊滅させるためだったのか?

使える技術者も社内にいないのだから、その機械を設計できる人はもっといない。やがて、どこかのメーカーのように身売りして、工場の機械は中古品として売りに出され、それをまた隣国が大量に買って持って帰る。人も技術もものもすべて消滅。

ジテンシャの売り場で訊いてみると面白いと思いますが、『この自転車のスポークは何ミリですか?』まあ、ほとんどのひとは組めないんだから知らない。『この塗装はメラニンですか?』輸入ではまずないですね。じゃあ、その下地の防錆処理はどうなっていますか?などなど。

いまや、新聞の折り込み広告をみると、電動アシストの自転車が6万円ちょっとになっている。それで、家賃と光熱費を月に20数万円出して、自分の生活費を出して、公立小学校へ、年間15〜20万円のさまざまな諸雑費を払って、こども2人を行かせ、さらに、毎月数万円の塾や習い事に行かせて、いったい一台6万円ちょっとの自転車を月に何台売れば、商売が成立するのか?一日1台以上売るペースが何年続けられるのか?

6万円ちょっとの『中身の振り分け』を考えてしまう。店舗の売り上げ手数料3万円?ジテンシャの納入率50%〜55%のところは実際あります。個人商店が同じものを同じ価格で月に20台売っても従業員一人をいれてかつかつ。アシスト自転車一台製造して海を越えて持ってきて、原価に送料、船から降ろす手数料、倉庫料、通関料払って、3万円ちょっと?工場原価はいくらなのか?誰が儲かるのか?という話です。

そうして廃業した店の店主を大規模店がパートで安く雇う。私は実際に、関東の自転車マニアの間でよく知られている人が、その流れでスーパーの自転車コーナーで、時給1000円ほどでパンクを貼っているのを知っています。こどももいるのに。

そういう経済は多くの若者を奴隷化すると私は思いますね。

それはまた、壊れたら修理するより買い替えるでしょう。そのとき、駆動部分のプラスチック・カバーや電池など、有害物質が大量に出る。果たして、安売りは良いことなのか?


それは結局、最終的に自分が『安売り労働を強いられる』ことに帰って来る。

私は『すごろくでほぼ上がり』の人だから関係ないが、今の若い人たちは、その流れに反逆しないで、中年以降平気なのかな?と思います。転々と職変わりして、その時々の職場に暫定的に腰を据えて、、、それでは一生余裕が出来ないのではないか?

眠っているような?

実際の生活感というのが、人々の日常生活の中から、どんどん薄れているのかな?とこのところよく思う。

人の話を聞いていると、『目の前の事柄だけにとらわれている』と感じることがすごく多い。別の言葉でいうなら、生活に追われている。仕事から帰って、テレビをつける?インターネットをサーフィンする?テレビは驚くほど単調で、またレヴェルもずいぶん下がっている。

昼飯時、珍しくイヌアッチイケーの連続DORAMAを見たが、いやはや。つっこみどころ満載。手紙をこどもが読むのだが、あの時代の人たちの書簡集を、いったい脚本家は読んだことがあるのだろうか?あのような文章はデタラメだし、あの内容を送れるはずがない。戦況などを漏らさないかどうか検閲が入りましたから。

カメラワークも稚拙で、昔、お隣の国の『あちょッ、あちョ〜〜〜〜っ映画』で登場人物が一列に並んで、同じ方向を見て、みんなで指差し『そうだ、りゃんさん。アンタが悪い』みたいな、素人カメラワークで失笑したものですが、いまの我が国のテレビのカメラワークはそれぐらいのところを低迷しているように見える。

私の父の母親、つまり、私の父方の祖母は若くしてNAKUなりましたが、重篤になったとき、『アイスクリームが食べたい』というので、私の父が奔走した。結局どこにも売っていなくて、最後の手段とアイスクリームを作る機械を父が買った。そんなことは、祖父に金があって、オースチンに乗っていて、父が『オレも欲しい』と言ったら、同じオースチンを買ってもらったというぐらいだから、出来た話だ。当時のものは、いまのようなものではなく、ブリキの回転ドラムの中に氷と触媒(塩など)をいれて、牛乳と甘味をいれたところで回転させ、その周りに凍り付いたものをかきとる、いわばミルクみぞれのようなものだったと聞いた。家族みんなで「おしながき」に「かすてら」とか書いてある小さい甘味処でアイスクリーム?空想でしょう?とちょっと考えてしまう。昭和30年代でもアイスクリームはかなりハードルの高い話だった。私は浅草や銀座、新宿の名店でしか、ほんとうのソフトアイスクリームが出てきた記憶がない。カップにはいった固いもの、あとは紙の箱に入った高級な3色アイス。


そうしたちょっと検証が必要な怪しいものを見聞きして、目の前の課題に追いかけられ、ノルマ、ノルマ。やがて、健康や寿命が尽きようとするとき、何か方向転換をしようとしても、時すでに遅し、だろう。

1年ほど前、ある健康と身体能力が売り物の方が、ガンになった話が、ある対談集にでていた。そこで、突然、しゅーきょーに入り、そこの宗旨にしたがって、アルコールもコーヒーも紅茶もお茶も絶った。KISEKIを期待したのかもしれないが、そのかいなくほどなくしてTAKAIされた。

これは、多少違ったかたちでも、同じような道筋をたどる人はいるはずだ。野菜の皮のスープが利くと言って、『それで助かった!』とブームになって、しばらくして、『そういえばあの方は?』とみんなが気になった頃、すでにNAKUなっていた。

『自分の背骨になる思想や生き方』は数十年計画でつちかわないといけない、と私はこの歳になって考える。

また、『生活習慣』も、ほんの短い間の油断でも悪くなる。植物など、『水やりが3日抜けたら枯れることも珍しくない』。これは、高齢者の健康なども、老母をみているとよくわかる。1日失敗すると、数日間かけて元へ戻る。私は昨日、足りない部品を急遽とりに、問屋へ行ったのだが、駅から3kmぐらいのところを歩いて、3月中に杖を突いていた影響で、あちこちがバリバリに固くなっているのを感じた。さらに歳をとって、1か月〜2か月〜3か月寝込んだら、元に戻らないこともあり得るな、と痛感した。


身体はまだ、そういうことをきっかけとしてわかるが、こころや精神の方は、みんな気が付きにくいのではないか?眠っているような人生時間をなくすようにしないといけないと思う。

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