英国文化

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このブログで何度かとりあげたマイケル・ファラージ氏のブレギジット党が結党から5週間で大躍進して、2大政党の保守党、労働党よりはるかに高い支持率だという。

私は当然だと思いますね。私はメイさんはあまりに無能、あまりに説得術、交渉術がなさすぎる。リーダーとしての未来・将来に対するヴイジョンが感じられない。

対するコービンさんは不遜というのか、『彼だけは絶対に嫌だ。まだ政治家としての手腕がないメイさんのほうがましだ』というところがある。彼は議場に女王陛下が入ってこられても席も立たないで、無視して、隣りの人と雑談を続けるような人だ。日本のメディアはマイケル・ファラージ氏に『極右』というレッテルをよく貼っているが、私はそうは思わない。それなら王制、立憲君主制をこころよく思わないで、信条的にかなり左のコービン氏をなぜ『極左』と言わないのか?英国は70年代組合のストつづきで経済的に立ち行かなくなった。その組合の側の中核にコービン氏はいたではないか。

英国の王制の対費用効果ははかりしれない。洋服から自動車、紅茶や陶磁器、デパートから食品、カバンのたぐいから観光に至るまで、英国王室のおかげをこうむっている産業がどれほどあるのか?また、ブリティッシュ・コモンウェルスの国々との外交で、どれほどの巨大な貢献があったか?たいへんなものであったはずだ。

EUの内部のパワーゲームというのは、いわば、EUという『モダン・ソヴイエト』のような巨大組織をつくりだし、そのなかの『EUのエリートたちが、EUメンバーの国の一般市民が選挙で選べない』という、『手の届かないところで『新しい支配階級が、地域の住民の意思に反してさまざまなことをやっている』のが問題なわけだ。

EUの大統領は誰(欧州理事会議長)?ユンカー氏(ユンケル)の信条はどういうもの?そういうことを何も知らせず、伝えず、一方で、日本のメディアはマイケル・ファラージ氏を『極右』とレッテルづけしてきた。

日本では『EUは2つの大戦の反省から、平和のためにつくられた』と流し続けてきた。そして、それを壊すブレギジットは悪だ、ブレギジットを推進しているファラージ氏は極右で悪だ、とこういう論理だ。それは違うだろう。

フランスとドイツが2度と大きい戦争をしないように、とEUが出来たのであれば、その2つの大国が、小さいヨーロッパ国から、虫が樹液を吸うように利益を吸い上げ、解体して、ソヴイエトの衛星国のようにそこから離れて独立して存在できないように、人の国に手をつっこんで、ドイツとフランスでEUの親玉になることを目指し、ある時は結託している状況はどう見るのか?イタリアなどでも、銀行はことごとく解体され、マクロン氏がかつて勤めていた銀行に呑み込ませていたではないか。それは、いまフランスが国営のルノーと一体になって、技術もろともNISSANを呑み込もうとしているのと、同じ構図がヨーロッパのいたるところで起こっていると考えるとわかりやすい。

『株さえ持ってしまえば、その会社は海外の勢力のもの』というのは、哲学的に考えて正しいことなのか?企業は誰のものか?あるいはイタリアで解体された地場銀行は、誰が育てたものなのか?EUの問題はそこのところを噴出させたと私はみている。

ベルギーという、もともとナポレオンの時代、一種の緩衝地帯として英国が作った国が、巨大な産業も先端技術もヨーロッパを牽引するファッションも無いのに、かつては鉄のカーテンの向こう側に対抗するのに西側ブロックの本拠として、ヨーロッパで最も高い方の所得水準にあった。そこがEUが出来て、アメリカのワシントンなみの、ロビイストの集結するセンターとなり、『主要産業は政治』(爆)みたいな、いびつな文化になっている。小便小僧の像がミケランジェロの彫刻(イタリア)や、ロダンの彫刻(フランス)、ヘンリー・ムーアの彫刻(英国)、ジャコメッティの彫刻(スイス)と互角の芸術性があるとは私は思わない。『ホームセンターにあるのと、たいして変わらないと思う』。

政治ですか?それではベルギーの思想家や哲学者は?ハイデッガー?(ドイツ)、サルトル?(フランス)、ウィトゲンシュタイン?(オーストリア)、バートランド・ラッセル(英国)?

そういうところの議会が、たとえばドイツの意見で、アウトバーンのようなものを、フランスの農業地帯に勝手に作る。地元のフランス人は反対しているがEUが必要と判断する。破産状態のギリシャの地下鉄や空港設備などはドイツの企業が作り、ドイツは儲かり、ギリシャはこれからたぶん100年の桁で『借金奴隷』の地位に落とされた。あげく、ギリシャは財政破綻して、国の港の施設と土地を、日本の隣国に売った。

スペインで『飛行機が着陸していないような、まったく使われる見込みのない空港をスペインに作る』、それもEUが決める。誰の金で?英国の金が橋などの建設にも使われている。それはまったく英国に恩恵をもたらさない。

コービン氏もそうしたEUが悪だというのは重々承知で、そうした発言を彼自身何度もしている。しかし、彼は労働党のトップに立ってから、自分の反EUの本音を隠し、メイ氏に反対している。そこがまさに、気に入らないところで、『彼は国よりも政治ゲームを上に置くのか?』と私などは考えてしまう。

EUの議場でファラージ氏が議論するときの弁舌には、論敵のがわからも笑いが起こるくらいユーモアのセンスがあり、反論できない痛いところをつく鋭さがあった。そういう人に任せてみようと思う動きが出るのは予測できたことだと私は思いますね。

20年もすると?

Youtubeで英国の交通事情とかRoad rageを観ていましたが、『ああ、別の国になったな』と、ある意味『終了感覚』を持った。

どうでしょう?ギリギリ、1990年頃までは、英国のドライヴァーの運転マナーはたいへんよかった。古いRRなどは、運転手側の窓ガラスは、ワンタッチで手信号などのために降りるようになっていましたが、現実、窓から手を出して『前方に問題ありだ、速度を落とすぞ、後続のそっちも落とせ』というのをやる人がけっこういた。

横断歩道では、かならずクルマは停まる。ラウンダバウトでのマナーもしっかりしていた。しかもクルマはホコリだらけでも、こころは錦(笑)。鷹揚な人が多かった。

あるとき、友人のこどもをチャイルドシートに乗せた時、そのこが妙な感じにバランスをとるので、信号の手前で、クルマにこすったことがあった。

運転手が出てきた時、あきらかにこちらの落ち度だから『I am terribly sorry. I apologize.』と言った。多くの日本の英語の教科書では『英語圏では謝るな』と書いてあるが、それは訴訟好きのアメリカでの教訓だろう。『これはもめるかな?』と思ったら、キズをチェックして、
『汚いクルマだし、君は謝ったからもういい。オレは気にしない。オマエも気にするな』
と再び乗り込んで、走り去った。フツーのワーキング・クラスの40歳ぐらいの男性でした。英国の文化度高いな、とその時思った。同じことが起こったら、アメリカでも日本でも大騒ぎだっただろう。

ところが、私が特例というのではなく、まったく同じようなシーンを、別の自転車と自動車がやっていて、同じような会話を交わして別れるのを4〜5回私は目撃している。

あれから40数年ほど経っているので、おそらく大半のドライヴァーは入れ替わっているだろう。いまや、クルマを停めて殴り合いをやっているところが、たくさんYoutubeにアップされている。

3割強の人が、中東からの人のようだ。あと、圧倒的にハードウエアはドィッチェランドのエンジニアリングのものが多い。要するに、この40年で『英国的なものは薄まってしまった』のだろうなと思う。

今頃から夏にかけての季節、ロンドンではちゅー東からの油息子たちが、超車でバリバリ、パリパリやっていて、中にはクルマを見てもらおうと、道路にとめて、そのボンネットに寄り掛かっている油息子もたくさんいる。そのクルマへつばを吐く地元民。

かつてちゅー東に住んでいた時、夕方の混雑時になると、渋滞を追い越そうとして、のろのろと歩道へクルマをあげている奴がいたので、『乗り物文化程度の低さにあきれた』ことがある。

日本のすぐ近くの某国では、高速道路でクルマをとめてつかみ合いのケンカをやっているのをよく見かけた。もちろん、そのために河岸の高速道路は大渋滞する(笑)。当時、私は年に2回ぐらいその国へ行っていたので。そうすると、それをやめさせるのに、警官が180cmぐらいの樫の棒をもってくる。何をするのかとみていると、それで地面を思いっ切り叩いて、大きい音を出す。つかみ合っている2人を警官がそうやって『やめろ』とプレッシャーをかけるのだ。まるで、『カミナリが鳴っても離さないスッポンのようにしつこい』(笑)。最後は、2人の間に6尺棒をつっこんで、回転させて、2人の手をねじ切って引き離していた(笑)。

海外からどんどん人が入ってきて、英国のクルマのマナーも、ちゅー東やパ期巣丹なみになってしまったように見える。同じ国の人でも、世代が変わるとマナーも変るだろうし、日本も気を付けないと他人ごとではない。

英国らしさ

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英国へ行く前から、『英国らしさ』に対する漠然としたイメージがありました。

ウェッジウッドのティーカップで紅茶を飲み、スコッチをたしなみ、クルマはブリティッシュ・グリーンのジャギュア、、、こういうイメージすべてが英国での生活中に覆された。

たぶん、立場を変えれば、日本もまったく同じでしょう。枯山水の庭のある平屋に住み、早朝は神棚に柏手をうって、それから稔侍仏にお経をあげ、それから抜刀術などしばらく練習し、井戸端で水を浴び、さっぱりしたら、一汁一菜の朝飯、、。

そんな日本人は絶滅危惧種だ(笑)。


しかし、英国のイメージの場合は根底から違っていた。まず紅茶はみんな『マグカップで飲む』。そして、英国でカップをいろいろとみてみると、ウェッジウッドは格が高くない。ウスターやダルトンのほうが格が上。酒はスコッチよりもむしろシェリーやルビーポートを上質の葉巻とたしなむ。クルマは、、これが問題で、ジャギュアはBOOKMAKER(賭け事師、馬券業者)、女たらし、成り上がりのフドーさん屋、悪党、そういう人たちの乗り物というイメージが強い。だから彼らは最近、それを逆手に取って『Oh, yes, it is good to be bad.』とテレビCMでやった。

このイメージの悪かったことはTop Gearのオリジナル・メンバーだったクィンティン・ウィルソンが言っている。


ポアロのドラマを見ても、ミスマープルをみても、悪人はジャギュアに乗り、警部はハンバーに乗っている。弁護士とか医者はローヴァ―。


それで、『色』ですが、私は『英国的なクルマの色はグリーンだと思っていた』。しかし、実際に英国に住んでみると、『英国的な色は、独特の濃いブルー、陶磁器のようなチューダー・ホワイト、あるいは白樺色の銀がかったシルヴァー・バーチ、マルーンではないのか?』という感じが強くする。


そして、乗り物と云うのは、『風景との産物』であるという要素がある。英国で見ると、ある種のクルマはじつに風景によく合っている。最近のクルマが面白くないのは、『世界中どこへでも輸出できるような単一マーケット向けの無個性なカタチをしている』ことにつきる。


ところで、不思議なもので、そうしたものを『数見ていると、これはデザイナーが何を見てこの形にしたのかな』、というのが見える。最近の日本の軽自動車Sでかつて存在したHONDA−Zによく似たテールゲートのものがある。サイドの4つのドアの形状はSUBARU レックス。

こうしたことは、昔もあった。豊太の最初の蔵雲、あるいは『限定仕様のオリジン』は、1954年のフォードのCRESTLINEのフロント・グリルにハンバーのスーパースナイプのリアヴュー、サイドヴューを合体させるとほぼ近いものが出来上がる(右端2枚目はハンバー)。セドリックの1962年の『横目4灯』もネタ元はハンバー(右から3枚目もハンバー)だ。

現代の勉トレーも、ミュル残ヌなども、私は最初に見た時は『ああ、P5のマーク1(左端)と、タービン・エンジンのJET-1(左から3枚目、4枚目)を元のイメージにしたな、と思った。

ローヴァ―はロールス・ロイスの航空機用タービン・エンジンを使ったクルマをつくり、BRMと組んでレースに出させたことがあった。まったく無敵で、日本のレースでもタービン・エンジンのクルマが走ったことがあった。あまりに差が歴然としていたので、ついにはレースでは禁止されるにいたりました。

それでもやっぱり現代の勉トレーはいったい世界のどこの風景としっくりくるのかな?と私などは思う。


昔、アレックスが『三島由紀夫が住んでいた家が見たい』というので、馬込のほうへ出居村ーのスーパーV8で連れて行った。三島邸でアレックスはピンポンダッシュをして、そののちそこを離れたのだが、スーパーV8のロングホイールベースでは路地から出るのに大変苦労した。ギリギリ。
『これは出られんじゃろう。』
というアレックスだったが、電柱をギリギリクリアして出られた。御大、
『ミラクルじゃ。』
のひとこと。それよりデカい『塗り壁亡霊(ファンタム)』や勉トレーでは身動きが取れない。日本では使い物にならないだろう。昔Top Gearでクラークソンとメイの二人が勉津とシャドーでロンドンの中でパーキングを探してうろうろすることをやりましたが、まったく停められず、ついにガス欠になった。ロンドンでは、そうした車はショーファードリヴンで、主人を降ろすと走り去るのが普通。


Youtubeで、以下の『アウトランダー』からの抜粋をみてみると興味深いと思います。

QUEEN ELIZABETH PRIVATELY OWENED A SIMILAR ROVER P5 AS SHOWN IN THIS VIDEO

同様に、日本の乗り物にも『日本の風景としっくりくるカタチ』があったはずだが、日本では風景もクルマも同時に双方が壊されて個性を失くしたと思う。私はじつは1990年代以降の(2000年からの)蔵雲を認めていません。

アップしたJGY280という車両をヴィデオで見つけてハッとしました。それはホーム・オフィスのクルマ、つまり女王陛下が乗られていた車両そのものです。

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ショーファー・ドリヴンとは『運転手付きでクルマに乗ること』。私は不思議でならないのは、先日の事故でも80代後半にもなって、身体も脚に問題があり通院、しかもたいそうなお金持ちが、どうして自分で運転していたのか?ということ。

私は『60歳過ぎたら運転手付き』が本来だろうと思う。

かつて、RRと勉トレイの差は、RRはショーファードリヴンが基本。勉トレイは自分でハンドルを握るのが基本。だから、『バークにまかせろ』のジーン・バリーも彼のロイスを自分で運転しない。クラブもRRは『オーナーズ・クラブ』で、勉トレイは『ドライヴァーズ・クラブ』。両者をひとつのクラブにしているのは日本とアメリカだけという話をオーナーから聞いたことがある。


昔のクルマとその事情を知っている人は、もはや60歳以上のなかの、そのまた少数派だろうが、たとえば、ヒルマンミンクスなどでも、『ショーファー・ドリヴンの可能性が大きいので、後席の方が高くなっていて見晴らしがよいように設計されていた』。

私はヒルマン・ミンクスのコラムシフトで運転を練習したので、よく知っている。あの後席に座った感じは何とも言えなくよいものだ。私がP5を買ったのも、あれは後席がじつに良いのだ。

ヒース、キャラハン、サッチャー、歴代の首相はみんなP5の後席に座っていた。それより上はアームストロング・シドレー、そしてランドーレかRRになるのが英国の格付けだ。エリザベス女王陛下はいまだにP5を2台お持ちです。

日本でも蔵雲の後ろの席というのは、昔はそういう性格を帯びていた。現在では自分で気持ちをカリカリさせて飛ばして運転するという、独逸の悪習が日本にも沁み込み、後ろの席にクオリティーを感じさせるのは豊太世紀ぐらいだろう。

かつての山村總の時代の蔵雲にはぎりぎり、その感じがあった。それでもそれはヒルマンの後席より正統性を感じなかった。P5とはまったく比較にならない。その『ショーファードリヴン文化においては独逸も日本も後進国であった』と思う。

独逸の有名な『600』(あるいはW100)はオーナーに中米、南米、東欧、アジア、アフリカの悪名高い毒祭者が名前を連ねていた。『反抗的な部下を冷蔵庫に貯蔵して食べていたアミン大統領』も600を持っていた。それより古い物には、運転手のシートは屋根やサイドウィンドーすらなく、人間扱いされていなかった。

レディ・ペネロープにパーカーがいつも運転手としてそばにいるというのは、実に英国的な話だ。

運転手を使う資力がないなら、タクシーに乗ればよい。それでも貧しくて難しいなら、高齢者や身体の弱い人が免許を返上して、タクシー使用に切り替えるなら、タクシー券の優遇制度を整備すればよい。

私は30代のころ、『歳をとったら、ブラックキャブを買って、運転手にハンチングと紺色のコーヂュロイのジャンバーを着せて、乗り放題のタクシーにしたら面白いだろう』と真剣に『ウケ狙い』でやってみようと思っていたことがあった。

まずは、運転手に正しい英語から、、『ゲット・アウトオヴイッ!』『アイ・アヴン、ゴッ・パイド、イェッテ!』。『ウワッタ ダィアボリカル リバティ!did you see that ?』『I am quite pissed off !!!』『 Bloody hell ! Look at that road rage ! He is trying to show off his mental level is very low !』

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もう30数年も前の話。私と仲の良かった女友達の母上が英国へ旅行へ行くという。『貴女、R&Fさんは英国にお詳しいんだから、お薦めのところを聞いていらっしゃい』と言われたそうな。

何か所かお教えしたのですが、その中にバースが入っていました。ところが、バースはピンと来なかったらしい。帰ってこられてから、

『お母さんの旅行どうだった?』
『うん。すごく良かったって喜んでいたんだけど、バースだけはピンと来なかったみたい。バースって何があるの?って言ってた。』


そのとき、私は『ああ、そうか、失敗した』と思った。たしかに日本の海外旅行的な意味で言えば、バースには何もありませんから。賑やかなショッピング・モールがあるわけでなし、観光客向けのパビリオンがあるわけでなし。場所によっては『ここでは観光客は歓迎されていない日常生活エリアです』という立て札すら立っている。

バースの地は古代ローマ人も住みよいと思ったらしく、彼らも大浴場をはじめとして都市を作っている。18世紀にはボー・ナッシュが貴族が社交のために集まる別荘地として開発し、普段は自分の領地の宮殿や城で孤独な生活をしている貴族たちが、季節の良い時にバースに集結してゴシップに、情報交換に、社交に、と集まった場所となった。


そこは都市型生活の場と貴族の生活の場が、うまく融合している。何とも言えない『一種独特のひらけた、愁いがふっ飛ぶ解放感のある街づくりになっている』。

バースのパンプルームに行くと、いまだにライヴの音楽が流れ、紅茶のコースが楽しめるが、さて、日本で250年前の建物で、250年前の音楽が生演奏され、伝統的なスタイルでお茶が出来る場所が何か所あるだろうか?

あるとき、私のかつての彼女が仕事の谷間で、何ごともうまくゆかず、節約のためにロンドンのブリクストンに引っ越した。教会の敷地の建物の屋根裏に移り住み、昼間は教会の中で楽器を練習してよいという合意ができた。しかし、ブリクストンはKAN獄があり、ロンドンでもかなり治安が悪い。年中パトカーがサイレンを鳴らして走っているのを見かけるような感じだった。彼女もしだいに外出をひかえるようになり、鬱気味になった。

『合力するから、すぐ引っ越せ!』とハッパをかけ、ロザリンヒルの辺り(18世紀には決闘、果し合いで有名なエリア、「10歩歩いて振り返って撃つ。弾は2発のみ!ジェントルメン、それでは背中を合わせ !」爆)に次なる場所を見つけ、下準備ができたところで、彼女をバースに連れて行った。

音楽家ですから、着くや否や、そこがモーツアルト、ハイドンなどの時代の空気を漂わせていることはわかる。午前中にパンプルームに入り、生演奏に良いお茶、タイムズの文芸欄をすみからすみまで目を通す。至福の時間。

いまはなくなってしまいましたが、当時は18世紀からやっているポップジョイというレストランがあって、バースの周辺で捕れたキジやコーンウォールの新鮮な魚(じつはフランス、イタリアの超高級レストランはコーンウォールから魚を買っている店が多い)などのメニューがあった。そこで昼飯、夜飯。


50ポンド紙幣がバカスカ飛んでゆくので、『さぁ〜仕事もあるし、we shall push back to London』と宣言(笑)。


『え〜っ!、やっとここに生活している気分になれはじめたのに。あと2週間ぐらいいたいわ。貴方、ここに家を買うべきよ。私、ここに一生住んでもいいわ。』
そら来た、という感じである。ちなみにバースの住人の半分以上は、英国政府の重要な仕事についていたリタイヤした人たちだと言われている。家も安くはない。


それは、そこに一生住んでもいいというのは、18世紀の建築、絵画、文学、音楽が好きだからそう思うので、そのあたりに興味関心のない人には、地味な、見るところのあまりない小さい都市で終わりだろう。

これは日本の古都にも同じことが言えると思う。それがappreciate出来るかどうかは、それを受け止める人のがわのこころにある。

旅人として年輪を重ねるというのは、その部分を一生がかりで、どこへ行っても楽しめる教養をはぐくむことではないかと思う。裏返して言うと、まったく観光地らしいものがない所こそが、最高の旅の目的地になるということだと私は考える。


ここに出したパターソンの絵はサマセット、ウィルトシャー、ハンプシャーなどのバースから遠くないエリアの絵です。

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