天狗の巻物

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本が出ました

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マサチューセッツ工科大学より出た自転車の本に拙文とイラストが出ています。やっと届きました。

完全に学術書ですので、内容が論文として耐えうるものか?他からの引き写しはないか?引用文献、資料に誤りはないか?信用するに値する1時資料であるか?すべてチェックされました。

そこから先に、論文としての独自の視点があるか?が問われる。

世界的な自転車の学術世界において、『3輪車・4輪車は自転車と認められない』。これは国際常識です。3輪車は中世ヨーロッパで脚を失った人も使っていた。英国では『バースチェア』という手回し式の人力3輪車も存在した。人力4輪車に至っては、古代ギリシャで敵の城の壁をよじのぼる装置を運ぶ車両が存在した。

それでは、我が国でつくられた人力車両をどういう切り口で国際的に認めさせるのか?そこが最大の論点でした。私の視点は過去の紹介論文とは全く違う視点に立っている。

この本自体、全体がじつに目からウロコの技術史的な視点で自転車をとらえていてすばらしい。さすがはハイデルベルグ大学のレッシング教授が中核に入っただけのことはある。

2輪の人力車両が旋回時に『内側に傾く』という3輪や4輪と真逆の挙動が、なぜ自転車という独特の機械を発達させたか?また下り坂、登坂での2輪人力車両の機械としての特質が、同時代の馬車などとくらべて、どういう本質的な差があるのか?そういう視点からとらえている。

人間の乗り物史として、こういう切り口の書物はほかにありません。

なかにはドライジーネがかなりの坂を脚に負担をかけずに降りられたことなど説明している個所もある。

ハンスは、フォン・ドライスが自転車が2輪で平気だ、3輪とか4輪は必要ないと考えた道筋のはじめは当時ドイツにもたらされた手押し一輪の「もっこ」だろうと考えている。

その考証と論理的組み立ては論文のお手本のような感じです。

「どんな乗車姿勢で乗ったと思うか、君の考えで図を描いてデジカメで送ってくれ」と言われたので、大急ぎで適当に略図を描いて送ったら、そのまま載せられてしまいました(笑)。悪筆だし、となりに数百年前の精緻なエッチングが載っているし、これは恥かいた。後の祭り。

日本のブランド化

このところずいぶん行っていませんが、東京に朝倉彫塑館というのがあります。これは明治大正に銅像ブームがあったのにのっかって、巨富を得た彫刻家のアトリエ屋敷あとで、現在は美術館になっている。

昔は若者を大量に寄宿させていたそうです。なかなか味わい深い場所なのですが、唯一私が苦手なのは、上の階にある「中国風の間」なのです。

青銅のまっ黒くなった壺のようなものがやたらにある。たしかに緻密な鋳造で、技法的にはたししたものなのですが、どうしても好きになれない。骨董屋がいうところの「作ゆきはいいけど、ちょっとね」というものです。

私には「黒いムカデやヤスデが大量にダンゴになったようにしか見えない」。

「同じようなものをただでくれる」と言われたら、値打ちものですから即座にもらいます(笑)。そして即座にオークションで売って換金して、1日たりとも自宅に置かない(爆)。

もう、かすかに視界にはいっているだけでも我慢できない。

同様に、私は唐物は嫌いなのです。昔、青木繁の親友だった今東光だったか加藤唐九郎だったかが、お茶の話をどこかでしていて、お茶のほうの一番格式が上の輸入物の道具を使った台子は「全然よくねぇナ。なんで日本のいい物を使わないで、あんなもので海外の賓客をもてなしたり、フランスくんだりまでわざわざ他国の道具を持って行って、日本のお茶をやらなけりゃならないんだ。」と言っていました。

その加藤唐九郎が、面白いことを言っていた。いい志野の茶碗にはデザインとしてローマ字が2つ書いてあるのがけっこうあるというのです。それははじめてヨーロッパ文化に触れて、面白いと思った感覚がそのまま素直に現れているので、当然だと言う。それを商工会議所の会頭がそういうものを持って来て、日本伝統の茶碗に西洋の文字があるのはよくないから、うわぐすりをかけて焼きなおして消してくれ、と唐九郎のところへ持ってきたのだそうです。彼はそういうものだからそれでいいんだ、そのまま持っていなさい、と説得したのだが、わかってもらえなかった。結局、ほかの陶工のところへ持って行っていじりこわしてしまったらしい。

考えてみれば、安土城で信長はセミナリオの学生などに西洋音楽を演奏させていたくらいですから、あの時代にはイタリアルネッサンスの文化が、そのまま「じかに」入ってきていたと考えるべきで、しかも、信長に当時の最新の発明であった時計まで献上品として持って来ています。

しかも、当時の宣教師の日記を読むと、日本の城や離宮はヨーロッパの最高のものと較べても見劣りしない、と最上級の賛辞が述べられています(フロイスやザビエルの日記)。

日本のユニークさは、そうしたヨーロッパ文明とほぼ対等の立場で尊敬を受けつつ、日本文化が出会ったことにルーツがあると言ってよいと私は考える。

ザビエルの日記を見ても、他の当時のアジア諸国の記述をみても、日本は突出した存在として描かれています。「日本には他のアジア諸国で見られような真の、悲惨な貧困は無い」とまで言い切っている。

桃山時代の文化はある意味イタリア・ルネッサンスとつながっていたわけで、そういうなかで、美術・工芸を生み出した国はほかにない。江戸初期の彦根屏風なども、ボッティチェリにも通じるものが感じられる。実際、その構図やポーズはもたらされたエッチングにインスピレーションを受けていると言われています。

ほかの国がどう騒いでも、あの時代に宗達やその後追いの琳派に匹敵するものもも、「ひょうげもの」も、浮世絵も、作っていなかった事実はくつがえせない。着物が呉服で「呉」の時代の服だと言っても、日本ほどのデザインのキモノや帯がかの国に一枚でも残っているのか?

しかも、利休、織部の二人の茶人は、当時の絶対権力者に反抗した文人であり、織部も一族全滅しています。そういう反骨の文人が文化の中心部分を形成した国は、ヨーロッパに於いてもほとんどない。

桃山時代にイタリア、スペイン、ポルトガルの南欧、南蛮文化(ラテン文化)を吸収し、江戸にはいると蘭学でオランダを通して紅毛文化、北ヨーロッパのゲルマン文化を吸収し、言うまでもなく産業革命は北ヨーロッパの産物です。それが明治以後急速な近代化と産業革命にアジアで唯一日本が成功した理由であったと私は考える。

台湾やタイ王国、イランの人たちと話していると、台湾の若者は「日治」時代の建築や文化に「ちゅー華」ならざる独自性を感じ、現在そういう建築での喫茶店が流行っている。タイにおいては、アジアの最上の洗練は日本にあり、と言う人は多い。イランにおいても、トルコにおいても、「西洋化、特にアメリカ化せずに近代化するやりかた」の参考として日本への関心は高い。

その意味で、アメリカの文物にあこがれまくって、アメリカの映画やらアニメだのにどっぷりひたって、、というのは「時流に遅れてる」と私は思います。タイでも古いランドクルーザーなどは世界最高の4輪駆動車の扱いで、中古でも1千万円手前する。

イランの土漠でロングホイールベースのランクルが水タンクとシャベルをつけて走っている姿は実に泣けるくらい凛々しかった。近くのムバラギ製鉄所のイタリア人技師たちはランボルギーニでなく、ましてやハマーでなく、英国の4駆でした。運転手のイラン人は、並走すると、にやっと笑って、
「こっちのほうがいいさ。」
そういってアクセルを踏み込んだ。

日本もそういう具合にアクセルを踏み込むべきでしょう。足をひっぱってるのが政治だという観はありますが。

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