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昔の智慧

画像は時間がある時にアップしますが、このごろ江戸時代の汚い本をよく買う。字が読めない人が増えたようで、内容の説明もなく売られている場合が多い。

このあいだも天保14年に出た武士の心得を800円ほどで買った。なかなか面白いことが書いてある。

この本、有名な武士の家訓が集められている。古くは鎌倉時代の源の武将たちの言葉から家康を預かっていた今川家のひとびとの家訓まで。

たとえば、
『文道を知らずに、武道のみをやっているのでは勝利は得られない。』

やってはいけないことは、

『民をむさぼり、神社などの宝物をせしめて栄華を楽しむこと』

『先祖の山や墓のあるようなところを切り崩して,自らの私宅を荘園のごとく立派にすること』

『公務をかろんじ、私用を重んじて、天道を畏れぬこと。』

『臣下の善悪をわきまえず、賞罰を正しく与えぬこと。』

『親、恩ある人々への恩を忘れて忠孝をわきまえぬこと。』

『わざわいとなる乱を企て、他人が愁いている一方でみずからの繁栄を楽しむこと。』

こういうことが本一冊数百書いてある。

なかなか他にも、『自らのすこしばかりのまさっているところにおごり高ぶって、他者をあざけること』、『独りで良い思いをすることをして、人にわかちあう施しをせず、世の中から遠ざかること』、

何一つ無駄なところがない。現代日本では、山を切り崩し、土地を売って御殿を建てたり、みんな耳が痛い人が多いのではないか(笑)。

当時の武士の一般教養古典『武経七書』のひとつの『三略』には、「(君主、権力者のみが)身を楽しましむれば、久しからずことなくして滅ぶ」とあるのは、現代の様子や歴史をみてもあきらかだ。

乗り物系の人向けなのもある。『過分な武具や馬を持って、他人をうらやましがらせること』というのも出ていました(爆)。

奇妙なこと

母の点滴を外して1週間が経過。これはややむくみが見られたことなどで「もう、いらないと思うし、むしろ付けている方がマイナス面が大きい」と私が提案して、そのようになった。

看護師さんも医師も半信半疑だったのですが、水分が足りない様子はみられない。食事もけっこうな量食べられる。なによりも点滴の針や管を気にしないので、寝返りが自由にうてるので床ずれの気配はまったく消えた。いつも同じ姿勢だと、人によっては頭にまで床ずれが出来ますから。

なによりも、じつによく喋るようになって、また反応も良いので看護師の人たちが驚く。これは点滴が外れて良く寝られるようになったことと、血糖値があがりすぎてだるくなっていたのが消えたからだと私は考えている。

じつは、夏には朝の血糖値が低く、それを補正するのに点滴の糖分を増やし、さらにそれであがり過ぎた分を調整するのにインシュリンを打つようなことをやっていた。私はそれをみて、『90年間朝は血糖値が朝低いので生きてきたわけだから、それをあえて標準値に合わせるために多めにするというのはいかがなものか?』と意見した。その傾向には私も気がついていたので、それは朝のお茶とお菓子で調整していた。

もし、あの時点でイロウにしていたら喋れなくなっていたわけで、目でうったえるしかなかった。それで果たして「なんとかよくなろうという気力が続いたものか?」私は疑問に思う。

たまたま、あの時父母恩重経を読んでいて、『他人まかせにしてはいけない』という一節を読んでの決断だった。まさにタイムリーだったわけだが、縁を感じる。たまたま、ですが、ある掛軸を2本買っていたのですが、そのうちの一本の作者の関係で、平山郁夫の画集を病院のそばの古本屋で買っていた。『あれっ、高田好胤の墨書きの署名がある』とその時は、何気なく500円で買い求めましたが、その後、あるお寺の御住職に、『父母恩重経をたまたま読んでいて、その一節のとおりに決断して救われました。回復はうまく行っています』と話した。そうしたら『父母恩重経ですか、あれは一時期、薬師寺の高田好胤さんがずいぶん推奨されていましたね。』と言われて、またビックリ。

さらに、母は、奈良に行った時、高田好胤さんに会ったことがあるというので、もっとビックリ。

しかし、7か月ほど前、奇妙なことがあって、じつは魔除けに掛軸を一本ヤフオクで買っていた。それは母が寝言で『しっぽがたくさんあっておかしいね。そんな顔してもだめだよ』と言っていた。トイレに夜中に5回も6回も起きていた頃の話。

私は『しっぽがたくさんある???DAきNIのことかな?』と思って、ぞ〜〜っとした。そんなのがウロウロしているのか、と思った。母はそういうことは一切興味もないし知りません。そこで三面大黒天の掛け軸を買った。これは大黒さまがDAきNI天をかつて成敗して善神にかえたという説に基づいている。

秀吉はDAきNIと大黒天の両方を信奉していましたが、ある時、『眷属8万4千人』が味方になるという大黒様のお経の一節を読んで、大黒天の木像を壊している。『天下を取るのに8万4千人では足りない』ということです。しかし、それでやはり一族は衰運して、豊臣は2代で滅びた。平家もDAきNIを信奉していたが同じように衰退した。私はこういうことをけっこう興味深く眺める。

武田信玄と上杉謙信が何回いくさをしてもイーブンだったのは、双方が毘沙門天と不動明王という同じ佛尊を信奉していたからだと私は考える。

大竹先生の『平法』の中に、狐憑きを落とすのをやった経験談が出ています。大竹先生は県の無形重要文化財の方ですから、それはそのまま、実際にそういうことがあったと信じて良い。

R&Fはいったいこの科学の時代に何を言っているのか?と思う方もいるかもしれませんが、この歳になると、まわりで起こったことを眺め、「奇妙なこともあるな」と感じることが多い。素直にそれへの伝統的な対処法をとるようにしています。

たまたま、定期的にこのブログへ訪問される方のブログで『狐の森』のような写真がアップされていたので、記事に書いておくことにしました。

こころの滋養

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私はよく思うのだが、『人間はあまり悪いものは見せないほうがいい』ということだ。自分のこども時代の記憶をたどってみると、『うなされるような暗い童話』などがあった。『絵が嫌い』とか、こどもながらに、言い知れぬ嫌な怖さを感じるものがあった。

ヘンに思われるかもしれないが、私はひょっこりひょうたん島が大嫌いだった。何とも言えない説明不能な不気味さをを感じた。アンデルセンの鉛の兵隊とかも嫌いだった。

『こどもに教訓的なものを教えてやろう』というおとなの心理の中に、なんとなく人間の暗黒面が滲んでいる印象。その、おとなのこころの働きそのものに嫌なものを感じた。

「すっきりと、明るい中に漂う悲哀」ならよい。私は『泣いた赤鬼』などは好きでした。

これは、その後の映画の好みやいろいろな場面ではっきりと『傾向として出た』と思っている。サンダーバードは良いのだが、キャプテン・スカーレットはどうしても好きになれなかった。

007も、ダルトンのあたりから『モザイク』になってきて、クレイグの映画はまったく見たいとも思わないものが出て来た。ダルトン自身はじつに原作に近いと思うのだが。クレイグのなかには『まったく見たくない部分』が含まれるようになってきている。ブロスナンのボンドも同様。

トイ・ストーリーの中のおもちゃを壊して作り直しているこどもの部分なども実に猟奇的だ。あれほど神経を逆なでされるこども向け映画はいままでになかった。

私はかつての職業上の習慣で、月曜日にはすべての雑誌に目を通す。これは面白いのです。美男美女の傾向の変化、流行りの顔などもよくわかる。今まではやっていた顔が廃れて行くプロセスもわかる。

こうした地味なことを重ねて行かないとトレンドは読めないだろう。

その中で、私が気になって仕方がないのが、『こころの膿で描いたようなMAN画がものすごく増えた』ことだ。人間の悪いところをドロドロのインクにして描いたようなシーンが実に多い。

脳という精緻なコンピューターに、どんどんよからぬソフトウェアをインストールしているに等しい。

そういうものを、いままで存在していなかったよろしくないものを量産して世にばらまいてどうしようというのか?私はZA魔の9人のJIKENの犯人もそうした『善なる他者の良い部分を吸収して育たずに、最悪のこころの膿』を吸って生まれ育ってきたように見えて仕方がない。

今の自分の歳になると、そういうニュースすらも聞きたくない。うなされるような話はまっぴらだ。

最近、ネットで『ボロボロなので、通読はできません』という、法然さんの全集を安く買った。製本は自分でやりなおした。寝る前にちょっと読んでみている。なぜか?というと、『法然さんの手紙がじつによい』と思ったから。手紙にはその人の良い部分が濃厚に出る。彼の教義にはさまざまな意見があるだろうが、私にとっては、思いやりのある書簡を読むだけでも全集を買う価値がある。

実は大きい書店を3軒見て歩いたのですが、一冊も置いてありませんでした。今でその状況なのだから、私の世代を最後に、日本の古典は読む人も、読める人もいなくなって、みんなパルプにつぶされるのではないか?と危惧する日々です。

私が若かった時、ダ・ヴインチの手稿がマドリッドの図書館から発見されて、大きな話題になった。

ファクシミリの完全版も発行されたが、とても手が出なかったのを覚えている。

これはけっこう今までも定期的に頭の中で考え直していたのですが、天才の手帳は興味深い。彼のノートの貼りつけられた裏側に、ダ・ヴィンチ以外の人間の描いた自転車の絵があって、それがダ・ヴィンチの弟子が描いたものなのか、あるいは、誰かがいたずらで描いたフェイクなのか、大きな話題になっていた。

その真偽の議論は友人のハンス・レッシング博士にまかせるとして、私が長年、ダ・ヴインチのマドリッド手稿で気になっているのは次の1文である。1章の最終ページにある。

『私は父より先に産まれた人間だ。人類の3分の1を殺して、ふたたび母の胎内に入った。』

これが気になって仕方がなかった。どこかの「むぅな奴」とか「と仮名の記事」ではなく、天下のレオナルドがノートに書いていた。

そのまま読めば、彼には前世の記憶があって、しかも「未来の記憶」があったかのようだ。あるいは我々の知っている歴史の前にもうひとつ文明があったかのような記述。

このダ・ヴインチの一言がまったく問題にされないのが不思議でならない。

江戸時代に程久保小僧というのがいて、日野のあたりにいた。ある時、遊んでいる時に『じつは自分はこの家の子ではない。ここから離れたある家のこどもだったのだが、夭折して、ここの家のこどもに生まれ変わった。このことは誰にも言ってはいけない』と兄弟に告げたという。ところがそれをこどもが親に話したために、おとなたちが調べに来て、ついに大名や天皇の耳にまで入った。

もし本当だとするなら、これは重大事件だと将軍が学者に命じて調べさせた。たしかにそのような家は存在し、家の様子もその程久保小僧の言う通りだったという。

それだけなら「ぜんせ」は関係なく、以前に書いた「つきもの」が離れた家で今何を食べているかわかったことでも、説明が付く。それをそのこどもが「ぜんせ」で起こったことだと感じたらそういうことも起こるだろう。

しかし、このダ・ヴインチの一言はどうなんでしょうね。また、ダ・ヴインチは肉食を嫌ったことが知られている。また、彼の岩窟の聖母やモナリザの背景が、東洋の墨絵のようで、掛軸か何かを見たのではないか?と言われている。岩窟の聖母の足元にある花は金色で、仏具の花のようだ。

また、ジョルジョ・ヴァザーリによると、『神のごときレオナルド』は市場で鳥が売られているのを見ると、必ずそれを買い求め、放してやっていたという。それは仏教徒の間にもそういう習慣があった。

古本のマドリッド手稿の本をめくりながら、そんなことを考えるのもなかなか面白い。

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ロンドンではだいたいノッティングヒルゲイトに住んでいた。友人のアンティックの本を書いていたレィチェルのところに行く途中に、ジョージ・オーウェルの住んでいたフラットがあった。

リチャード・バートンが出ている1984の映画の中に、骨董屋に主人公が立ち寄る場面がある。

主人公が自問する、
「こんなものがかつてはあったんだ。知らなかった。これはなんだろう?」
「わかりません。なにかとても古いものです。」
主人公は密かに買って家へ持って帰る。

骨董品が、彼の目が醒めるきっかけになっている。

ジョージ・オーウェルの小説の中のことは、けっこうリアルな現実になりつつある気がする。インターネット上の情報は書き換えられ、常に揺らいでいる。1984と同じだ。そのうちに真実がわからなくなってくる。

眼ル蹴ルさんは歴史上稀な国民監視システム、シュタージのあった東独で育ち、彼女は青年団にいたはずだ。そこが彼女を判断するうえで見落とされているのではないか?

10代に受けた影響と言うのはけっこう一生を通じて残りますから。そこから自分が抜けたつもりでいてもかなり思考に似たものを残す。

私はこの前、ある仏教経典を読んでいた時、「あれぇ、このところはツアラトゥストラにそっくりだな」と思った。もう、ニーチェは40年以上読んでいない。それでもピンとくる。調べてみたら翻訳をギリギリ、ニーチェが読んでいる可能性があった。

これは、『人間のこころ』は、膨大な情報をどうやって体系づけて記憶し、必要なものを残し、すぐに必要でないものは意識の下へ沈殿させ、使わないものは忘れる、、という脳の機能と深くかかわっている。

オーウェルの小説には、そこを利用して、どう大衆をコントロールするかという恐ろしいやり方が示されているが、これは現代ではよく似たことがすでに行われている。

強い感情とともに焼きこまれたメッセージは深く残る。1984の中の『怒りの時間』というのは、なかなか意味深だ。

ナチスは一方できわめて禁欲的なことを言っていた反面、絵画やポスターに関してはかなり煽情的なものが多かった。禁欲的にして、すべてのエネルギーを党のメッセージに向かわせる作戦であっただろう。

総統の部屋にあった大きい油絵の作者名は忘れましたが、三美神だったと思います。それはギリシャの古典彫刻のようではまったくなく、かなり現実的でエロい、当時としては珍しく体毛まで描いてあった。19世紀にも、20世紀の初めですら体毛をヴイ―ナスに描くことはなかった。女神ですから。

ところが、21世紀になって、ほぼ同様のメッセージはいたるところにある。それはたぶん、伝統的なモラルや道徳を崩したい人たちがいるのだと思う。アメリカの映画には特に顕著だ。また音楽のミュージック・クリップにも多い。

そういうところの行き着く先は?ものすごく大人数の極めて限定された知性の、伝統的な道徳観を持たない、扇動しやすい大衆と、それらを共倒れさせ、自分たちのエリート階級だけが生き残ろうとする人と、2極分化するのではないか?

それはまさにオーウェルの中に描かれている。小説はたいへんなので、まずは映画で観たらどうだろう。

つい最近まで、書店で山積みになっていた「奇志段帖」なんとかいうのが、大失敗らしく、潮がひくように店頭から消えた。オーウェルにあやかろうと、「IQが84」とウンベルト・エコの手法で読み違えさせようと付けたタイトルの作者である。現実は小説よりはるかに複雑で、先を行っている。

そこで、現実になかなか追い越されないのが傑作で古典だろう。その意味で「1984」は後出しのものよりはるかに普遍的なところを突いている。

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