とわずがたり

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さまざまな覚悟2

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つい最近のこと、友人と話していて、『シューキョーからは出来る限り遠ざかっている』という一言を聞いた。あまりシューキョーの話をすると『変わった人』と思われるというのが理由らしい。

先日アップした、インド料理屋でウパニシャッドを読んでいて、店のオーナーに感心された話にしても、そうしたものを読んで考えたり、学んでいることはインドやネパールなどでは悪いことではない。むしろ尊敬される。

これはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなどでも、モンテーニュの随想録とパスカルのパンセを較べながら読んでいるとか、ダンテの神曲を読みながらボッティチェリのデッサンを見ているとか、ゲーテのファウストと旧約のヨブ記を比較して読んでいるとか言って、『変わった人だ』とか『ヘンな人だ』とか『近づかないようにしよう』(爆)とか思われることはない。

私が英国にいたとき、始めの頃住んでいた屋根裏の大家は、サイプロス(キプロス)から来た人で、熱心なギリシャ正教徒だった。その家はLISTED BUILDINGつまり歴史的保存建築に指定されていて、シャーロック・ホームズの映画の背景になりそうな、ヴイクトリア朝の長屋だった。ランド・レディのアンナはそこから50mほど離れた教会にかかさず行っていた。

そこが興味深いところで、ヴイクトリア朝の英国と云うのは、かたや産業の躍進と科学の進歩があった一方で、たいへんシューキョー的には敬虔で、厳格なモラルの時代でもあった。

日本で英国と言えば『紳士』と言われ、『アメリカ紳士』とか『ドイツ紳士』とか言われないのは、ヴイクトリア朝の厳格なシューキョー的なモラルと人格の影響が大きかったと、私は思っている。英国では『教会の鐘の音が魔を祓う』と言われて、必ず、どこかの鐘の音が聞こえるようになっていた。

1985年ぐらいまでは、日曜日は安息日なので、商店はお休み。レストランも一部が12時ぐらいから開き、美術館も午後からしか開かなかった。日曜日はまったく音がしなくて、午前中は通りに漏れてくるパイプオルガンの音だけ。私は、最初、ケンブリッジにあるパイプオルガンがどれもすばらしいのと、グレゴリオ聖歌やトマス・タリスやウィリアム・バード、オルランド・ギボンズなどの中世の音楽が素晴らしいので、あちこちの礼拝に、転々と出没していた。


彼らからして見ると、日本人が熱心にそういう場所にかよっている、ということで、さまざまな集まりや勉強会、討論会などに呼ばれた。欧米人からすると、日本からの学生の多くが『自分には宗教がありません』というのがかなり不思議なものと思えたらしい。『ではいったい何を信じているのか?』『やがては必ず来る自分の命の終わりにどうやって向き合うのか?その時の心の支えははどうしているのか?』というような質問をよく受けた。

日本では、明治時代に蒸気機関やらさまざまな科学技術を見せられて圧倒され、一方でシューキョーのほうはかなり堕落していたので、シューキョーを廃し、科学に『帰依』(笑)するのが進歩的と思われたのだろう、と答えていた。

私は、その中で、日本ではいつも『科学』と『科学技術』の混同があったと考えている。つまり、『科学に帰依する』つもりが、じつは『科学技術に帰依している』(笑)。

だから、病気も『科学技術で治る』と、技術的なところにもってゆくので、治療と言えば最新の薬と切った貼ったの手術。『名医』の記事を特集すると雑誌が売れる。つまり、『どこのメカニックにエンジンをチューンしてもらうと性能が上がる』と、人間の身体のことも『技術的に解決しよう』としているふしがある。

しかし、世の中には治らない病気もあるわけで、また歳をとって、老い、あるいは頭もボケて来ることは病気ではない。誰でも必ず迎え入れないといけない老化という宿命なわけです。それに向き合うのは『科学技術ではなく哲学の問題』なわけで、これは、その時が来た時にいきなりジタバタしても間に合わない。

私の知っている人のなかにも、医師に治らないと宣告されて、急に奇跡を期待してシンコーシューキョーに入った人がいる。そして、結局はどうにもならず。

ヨーロッパでは古代ギリシャの時代、科学と哲学、宗教は『並んでいるもの』だった。それが長年、科学とクライスト教が対立するものになり、ダ・ヴインチは彼の飛行機械を、教会からの迫害を怖れて封印した。高齢のガリレオ・ガリレイを徒歩でローマまで出頭するように命令して、あげく軟禁して、悲惨な晩年とSHIを与えたのはあまりに有名だ。もっとあとでも、教会はアメリカで、避雷針のせいで地震が起きる、と避雷針をはげしく非難していた。20世紀に入っても恐竜の化石を一切認めない、『つくりものだ』とする人は北米中西部には少なくない。

しかし、私はそれは西洋シューキョーの『特殊事情であった』と考えている。本来、インドのシューキョーは哲学であり、その哲学はシューキョーでもある。それが、どこかで『迷信化』、『まじない化』して分化して行ったというところだろう。

意外なことに、法然さんは「祈祷やまじないで病気が治るのなら、病気でSHIぬ人など一人もいなくなるだろう」、と言った。ヨーロッパでそんなことを言った人はいない。


よくお寺の軒先に『おびんずるさん』が置いてあるが、あの像がお寺の中にではなく、表に置いてあるのは、このおびんづるさんは一種の不思議な力で病気が治せた。しかし、お釈迦様に『そうした力で、人を客のように呼びこみ集めるのはよろしくない』と諭され、『それでは、わたくしは中には入らず、表で、集まって来る方々のために奉仕いたしましょう』ということになり、以来、像は普通表や入り口に置かれる。


その英国の、アンナはたいへんな人格者だった。また、彼女の精神的なバックボーンはわかりやすかった。そういう背景で、私は100%彼女を信頼して、屋根裏を借りっぱなしにして、荷物を置いたまま日本へ帰ってきたりしていた。彼女は歩いて50mの教会に日曜日は行き、普段の買い物には400m離れた商店街と800m離れたマーケットへ行っていた。天気の良い日には裏手100mの緑の中へ犬を散歩させに行って、それが生活のすべてだったといってよい。それはうらやましいくらいの、充実して、ストレスのない晩年だったと、私には見えた。

彼女は病院に入院することも無く、最後はガンで、おだやかに自宅で終わりを迎えた。私がそこから移った友人の家は、家主がバートランド・ラッセルの友人だったくらいだから、宗教とは無縁の人だった。その人もまた対照的に立派だったが、バックボーンには強靭な意思と哲学があった。

この話、まだ続けます。

さまざまな覚悟 1

昨日、たまたま地域の集りで、近所の仲の良い人とお茶にしていたのですが、その中で、『家の前の土地が、地主の財産分与のために、3等分されて、こどもたち3人がそれぞれ2階建ての一軒家を建てることになったのだそうだ。その人の家からは正面に緑の山(丘陵)が見え、風通しが良い。庭にはミントや豆類、トマト、イチゴなどを育てている。その2階建てが建てば、山は見えず、風は通らず、陽はあたらず、家庭菜園もできなくなる。

『ここでSHIぬつもりだったのに、人生計画に最後の最後で余りが出た』と言っていた。

60、70、80で生活環境を変えるというのは容易ではないし、多くの場合住み慣れたところを離れるのは悔いが残ったり、うまくゆかないのを数多く見て来た。これはどんな立派なホームや高級な施設に入っても、半年を経ずして、問題が表面化する場合が少なくない。

また、そうした時、自分に若い頃のような気力も体力も残っていないのが、大きな問題としてのしかかってくる。

日本の場合、そうした環境変化がきわめて大きい。また生活様式もめまぐるしく変わる。うちのほうで、『おーとや』が一軒店を閉める。そこがなくなると、その地域で和食屋、定食屋は一軒も無くなる。蕎麦屋すらも一軒もない。うしのやと原点弁当、みやこ樽、牛の松竹梅屋、あとはドナルド・ハンバーガーと健太チキンなどばかり。あとはコンビニか?なんたる貧しさ。

そのような外食生活は『雑誌の編集者が得意とする食生活』で、そうした連中はみんな内臓を壊したり、40代、50代で発ガンしたり、その道筋をたどった人は知っているだけで両手の指で足りない。

その家の前に2階建ての風景ふさぎの3軒借家が建つ人が、『歩いて行けるところに食事の場所のある幸福』と言うことを言っていた。たしかにそう思う。私の場合『自転車で行けるところに、、』で置き換えられるが、これは『毎日の日常にはまる食事の場所、健康維持に即した食事の場所』ということだ。

英国にいたとき、ドイツにいた時、そういうことを思い悩むことはなかった。いや、インドや中東にいた時も悪くなかった。日本にいると、おそろしく不自由に感じる。

歳をとって、70代半ばを過ぎ、外食しようとすると、『電気コードのように芯のある偽物アルデンテ』のスパゲッティであるとか、どざえもん蕎麦であるとか、少しでも安くあげるために、スーパーは賞味期限が切れる直前で、そうした食材を揚げ物に変身させる、それらを食べるはめになるのは幸福には思えない。

住む場所も危うく、食も危うく、移動もクルマもなく、バスも1時間に1本とか効率が悪いとなったら、動くこともままならない。事実、ニュータウンと言われる高度経済成長期の遺物では、外出しない高齢者が大量にいる。『商店街がなく、団地内ですら商店街が消滅したエリアはものすごく多い』。行く場所もコミュニティーも崩壊して行く。


商店街のシャッター街に入るのは、高齢者介護の会社の事務所ばかりだったりする。

その中で、ひたすら自らの最後を待つだけ、それまでの間、気晴らし、時間つぶしという人たちをけっこう見かけます。

この話題、しばらく続けようと思う。

威蘭のことなど

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どうもこのところ良いニュースを聞かない。親がこどもをKOROす、こどもが親をKOROす、老人施設で年寄りがKOROされる。

その昔、土耳古に行ったあるTVの出演者(どういう芸があるのかわからず)が、ZEN-RAで踊って、大ブーイング。明治時代からの『尊敬する国』のイメージをぶち壊したといってよい。


このあいだ、トランペットさんが来ていた時、仲睦まじく一緒の写真などを撮って、世界に発信していたわけだが、それは、果たして長期的な視点に立って、賢明なことだったのか?

今日の威蘭での会見で、持って行ったトランペット氏との話合いの件は、みごとに蹴っ飛ばされた。当然でしょうね。そういう時の『仲介者』に関する彼らのシューキョー法と、和解や話し合いに関する古ー覧の数節を読んだことがないのだろうな、とニュースを見ていて思った。

『貴方となら話し合うが、、』そこには、やんわりと、そういう話を持って行った彼にも、皮肉の意味合いをもって伝えられた。たぶん、その皮肉の意味も正確にはわかっていないのだろう。やれやれ。

ところで、私が威蘭にいたとき、まず、想像を絶するぐらいお金の使い道があった(笑)。使っても使ってもなくならない。中世の橋のアーチの下をお茶が飲める場所にした、風情のある喫茶店がお茶一杯が2〜4円とかそんなものだった。それでも超高級。軒にはウズラが籠に入れられて飼われていた。

宝石を『こういう形の銀の台座に付けてペンダントヘッドにしてくれ』とバザールの職人に特注した。砂漠の遺跡から掘り出したようなデザインで、800円だった。これ以上よい店はないという、もと王女の宮殿でコースの夕食を食べて150〜200円。だから、現地の人にはウズラ・カフェが200〜400円。ペンダントヘッドの細工が8万円、王女の宮殿のレストランが2万円とか4万円とかだったのだろう。

『1週間でこのぐらいはいるんじゃないか?』と15万円、両替を頼んだら、『おつりをごまかされるといけないと思って、出来るだけ小さい紙幣に両替しておきました』と紙袋に入れ、カバンに入れて持ってきた。『工場長の年収ぐらいだ』と言われたので、1500万円ぐらいだったのだろう。

土漠をランクルで走って、ちょっと離れたところにあるバザールへ行った。もう、平山郁夫のシルクロードの絵のような世界。泥の丸屋根が続く地下の道路のようなところを抜け、バザールの奥の方の、涼しい所に古ぼけた木の階段があって、そこの2階でなかなか味のある、素朴な感じのキリムを売っていた。

彼らは、まずお茶を出す。友達になって、断りにくくなってから商談(笑)。『貴方となら話すが、、』というのは、そういうことなのだ。それは、彼らは『世界の半分』と言われた大帝国を作り上げたひとたちだから、その駆け引きチェスの腕前ははんぱなものではない。彼らとインドで、チェスの元祖争いの議論がある。


そのバザールの一番奥の2階でいろいろ見せてもらって、価格を訊いたら安くない。ほとんど首都の大きい店と変わらないのだ。驚いたのは、そのつぎ。
『それはけっこう高いね。観光客向けの価格と大差ない。』
『しかしですよ、もし、貴方が東京へ戻って、六本木の◎ー□に行ってごらんなさい。500万円以下では買えないはずだ。』

威蘭の情報網恐るべし(爆)。土漠を走ってたどり着いた、数百年も変っていないようなバザールの、そのまた奥の穴倉で、東京の専門店での相場を聞かされた(笑)。

面白いものがけっこうありました。チュート―の文字のダイアルの、懐中時計で、日本ならテン・ミリオン円超えのものが、20万円ぐらいであった。誰も現地で買える人がいないのだろう。

あきらかに紀元前とおぼしきブロンズの牛の小さい像がバケツにザラザラ入って置いてあった。

驚くべきは、私は勉津のSSKを見た。パフラヴイさんの父親はドイッチェ大好きで、屋敷もドイッチェ人の建築家に設計させていた。その関係でよそにないようなSSKが入っている。15億超級でしょう。

残念ながら自動車は輸出できないので、持ち出せない。彼らもそうした車両があることをよく承知している。ビックリしたのは、チネッリを目撃したこと(笑)。

たしかに東京オリンピックの時、『亜句バル・プーデー』という威蘭の選手はチネッリを持ち込んでいたので、かつてはディーラーがいたのだろう。

あれから30年以上。ずいぶん変わったのだろうなと思う。


『威蘭と特別に親しい関係を築くことは、我が国のエネルギー確保のためにきわめて重要で、ドイッチェランドと同盟を結ぶより重要だ、そもそも非虎のJIN-種ーセーサクは馬鹿げている、やがてはその内包する問題、彼の理論のデタラメさは時間によって明らかにされるだろう』と、WW2前夜、身の危険を顧みず本に書いたのは笠間大使であった。病米利加の長年のHA-KEN主義、ネイティブ亜眼利加をビッグ・ウェストでKOROSIまくり、制圧して西海岸まで到達した後、さらなるフロンティアを求めて、黒船を送って、大砲外交で、文化転覆をして、極東をSHI-HAI下におこうとした。そこに、反対して戦ったのが、日本というのが威蘭の歴史観だ。彼らは、国がそういう無料で配る本を出版しているくらいだ。

そういうところへ、ゴルフカートの上で恋人同士のように2ショットを撮った人が、トランペットさんの意向を伝えに来たわけだから、『ああ、この国も変ったな』と思われたに違いない。

KAKUへーきなどを威蘭が使おうとするはずがない。それは彼らのシューキョーからすると、人間がそういう使い方をしてはいけない種類のエネルギーの使い方だからだ。そう言うことは、彼らの手兵覧にある記念館に、はっきりと彼らのGEN-子―力や石油資源に対する考え方が『国是』として書いてある。

威蘭で広島・長崎のことを詳しく知っている人はものすごく多い。

そんなことを『成果』として自分の交渉の結果であるかのように語るなという気が私はしますね。

顔に書いてある

たぶん、人間というのは同じような生活をしていると、同じような顔になる。同じようなことを考えていると同じような顔になる。これは長年人間をやってきて、確信のようになってきています。

神主さんとお寺の住職が一目でわかる話はいつも書いている。しかし、自転車屋の店主も似たような顔の人はけっこういます。鳥山先生と太宰さんはちょっと似たところがあった。和菓子屋の店主にも似たようなタイプの顔があると私は思っている。ピアニストにもタイプがあり、見分けがつかないような人がいる。指揮者でもバーンスタインとカラヤンはちょっと似たところがある。

画家でもよく似た顔の人がいますね。

会社の中でも、私は密かに『経理部長の顔』というのがあると思っている(笑)。金持ちには金持ち顔というのがある。それも金持ちになった過程によって顔つきのタイプがある。

ここ3週間ばかり、ガンの手術をした方3人ばかりに会ったのですが、3人とも眉間に深いシワがあって、何かをこらえて来た、あるいは何かに怒り(それは義憤も含む)生きてきたような顔を感じました。

あまり『えびす顔』で笑みが絶えない人で、大病をしたりした人の例が思い浮かばない。陽気に笑って生活しているのは健康に良いのだなとぼんやり考えていた。


今日会った人が、2年半ぶり?ぐらいだったのだが、ずいぶん顔が良くなっていた。間があいているので、いっそうはっきりわかる。別人と言ってよいくらい。その顔つきの変化から、子育てで生活が充実しているのが見て取れた。

テレビをつけてみる、、、軽い内容そうな人物は軽い内容風の顔をしている。浮気しそうな人はそういう顔をしていると思った(笑)。何の職業かは言いませんが、何をやったらこういう顔になるのかな?という、陰謀をめぐらし、策略を仕掛け、2枚舌で建前で本音を隠し、苦虫を噛み潰したような顔で、気まずい質問をする人へ凄んでいる人が、他業種ではあまり見かけない顔つきをしていると思った。


昔、その業種の人はでっぷりと太りかえって、太鼓腹で豪快、快活に笑って、錦鯉にエサでもやりながらコソコソ蓄財していた。ある意味、明快でわかりやすい『山賊型』とでも言えるようなタイプが多かったと思う。


今は、独特の仮面アバターで、『人間離れする』人と、『とぼけて、しらをきる、無色顔』のタイプがいるように思う。

しかし、人間は誰でも表情や声のトーン、筆跡や文章そのもの、そういったものに敏感にその人の本質をみますから、中身が誠実に努力している人は、必ずや、ある段階で、他人の支持を獲得できるのではないかな?とこのごろはそう思う。それは一朝一夕で得られない、本物の福分でしょうね。

世の中には、普通の人とは違った発想で研究をしている人がずいぶんいる。1970年代末から1980年代初頭には、英国で『航空考古学』というようなものをやっている人がずいぶん増えた。今でこそ、人工衛星の画像から何か遺跡を発見したりするのは普通になったが、当時は一般人のGPSはまだ普及していなかった。

この頃では、化石や過去の堆積物などから、生物がどのように繁栄して、滅びて行くのか?そのパターンを研究する人たちが英国にはけっこういる。


そこで、あきらかになったのは絶滅には一つのパターンがあるということ。ただ一つの種類が繁栄し、最大数になり、他のものを根絶やしにやっつけ、多様性が消えたところで、そのやっつけた当の本人の種全体も大絶滅するというのが法則らしい。あとは、細々と小さい集団がかろうじて生き延びる。

最近言われているのは、人間がどうもこのところ、そのパターンにあてはまっているのみならず、ほ乳類全体が危険な水域になっているという説だ。実際のところ、ここ200年間で地球上から消え去った哺乳類と鳥類の数を考えてみると良い。

同様に、植物の変遷をみても、最初は小さい草から灌木が生えて、その植物が岩やら砂やらを分解し、そこへ鳥が来て糞を落としたり、虫があらわれて、そこで生活してSHIんだりして、徐々に土が出来る。その土にバクテリアなどの微生物が住み、それと植物が共生して、さらに具合が良くなる。

植物は、最終的に、一つの種類が最も具合がよくなったところで、他の種類にとってかわられて、滅びることが知られている。最終的に大樹が生えるのは最後の段階なわけだが、逆回しをすると、森林で最初に枯れるのも大樹からということになる。メタセコイアもバオバブも大きいものは現在どんどん枯れてきている。

環境悪化で、大鷹などの最終捕食者が最初に危うくなってくるのと似ている。


人間はここ30年でずいぶん、便利になるような進歩を重ねてきたが、私の実感では、まったく住みよくなった気がしない。むしろ、あまりに変化が早く、『衰退速度』も早くなっている。月まで行くほどの上り調子の人が、いまやKABU-KAが下がって、キャッシュの流れがうまくなく、自慢の絵画を売ったりしていると聞く。1年?2年?でそれほど変わる。

いたるところに『驕る平家の花盛り』(爆)を見ます。

動物には『オレが、オレが』という感情はありそうで、ない。というよりも、彼らには動物的な『自己保存』の自我は強いが、人間のような『オレ』はあまりない。

昔の人は、『自然が人間にインプットしたと思われる、ここまでやったらまずいだろうな』という、自分をはるかに超えた自然や、他の生物や植物との共存にかかわるものへの配慮のブレーキがかかった、と私は見ている。それがいまや危うい。人類からその種の『リミッター』が壊れてきている気がしてならない。

たまに現代日本で耳にする『信じるものは金だけ』という一言は、その人のまわりには『オレ』のまわりに渦巻く金と、『仮想の理性』が動物的な欲望の上を上塗りしているように見える。自分でその欺瞞の仮面がみえていない。裏返して言うと『その人には自分しかない』。他人を信じていないのだから。あるいは人間の生存環境を決定づけている巨大な地球環境の制御システムを信じていないのだから。

いまや、ここまで科学技術がすすみ、経済が巨大化して、そこに科学の暴走、経済の制御不能の巨大化をみると、ほんとうに知的な人や、自然とともに生きる純粋・純朴なひとは、そうした『理性の見せかけの仮想仮面をかぶった金銭獣性のひと』には嫌悪しか感じないのではないか?『もっと儲けたい、もっと成功したい』とこの世におさらばして『持ち物がゼロになる日』まで金銭獣性に突き動かされているのは、第三者から見て、亡者に見える。それは換金できないゲームのポイントを貯めるのに一生を費やしているのとあまりかわらない。

昨今、さめた目で仮想仮面のひとを見る傾向が強まったのは、みんな本能的に、そうした『似非理性の経済欲望・自己顕示』が人類の未来を危うくしていることを感じているからだろうと思う。

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