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タイトルは私の偽らざる感想。いかに便利になろうとも、いかに物があふれかえり、権利やらなにやらが増大したと言おうと、その一方でものを持たない『自称、非即物的な人』が増えても、

『不幸度は確実に激増した』感じがする。

見ていると喰えない人がものすごく増えた。みたところ、けっこう裕福で時間的余裕がある人は公務員ぐらいだ。町工場主、食堂、問屋、職人、芸術関係者、技術者、すべて昔より貧しくなっている。

年に一回、英国にひと月ほどもバイクでツーリングに出かける公務員の人とか、ギターに入れ込んでいるひととかたくさん見ましたが、みなさん、しょせんは『アマチュアの遊び』なわけで、バイクを製造できるわけでもないし、それでムーヴメントを起こして市場を活性化することができるわけでもない。文化の担い手にはなれないという印象です。自分が遊んで、楽しんで終了。

いま、西洋美術館やブリジストン美術館にある西洋絵画、それと日本にあるジョルジオ・ルオーの絵は世界一の質と量ですが、両美術館のけっこうな数の絵が松方コレクションでした。ルオーの絵はやはり松方さんと福島夫妻が持って帰って来た。

松方さんは、『外遊できない若い芸術家が気の毒だ。ならば、みんな自分が一切合切買い上げて、日本へ持って帰る』という豪放磊落な作戦に出た。

彼は造船で財を成し、潜水艦の図面が欲しくて、美術愛好家のふりをして、ヨーロッパをウロウロしていたという説もあるが、彼が自分の美術館の名前に『ともにたのしむ』ということで『共楽美術館』というのを考えていたことを思うと、そうとも言えない気がする。ほんとうに好きだったのだろう。

画廊へ行くと、画商が絵を並べて待っている。そうすると、松方さんはステッキで『ここからここまで』と言って買ったという。そういう中にゴッホもセザンヌもルノアールもあったのだから舌を巻くよりほかはない。なかには、ずいぶん、ラファエル・コランのおともだちみたいな、つまらないサロン絵画の外光派のものが多くはいっているが、これは黒田清輝が、そういう『疑似印象派』をやっていて、帝室の美術関係の親玉にまでなっていたことを考えるとしかたがないだろう。

バロン薩摩もパリの貧乏芸術家に億単位で、経済の血液であるキャッシュを都合し、銀のボディのクライスラーでパリを闊歩して、最後はきれいに使い切って、浅草でカツ丼もって踊り子の部屋を訪ねるくらいになっていた。私は良い話だと思いますね。

いまの『激リッチ』(爆)『ギガ金持ち』(戯画?笑)の金の使いかたをみると、それに比べるとはるかにつまらない。

仕事屋スティーヴは、部下を罵倒しながら巨富をつくり、キズが付くとポーシュを買い替えていた。キズが付いた方を私にくれと娘に言われて、『オマエにはなにもやらない』と答えたそうだが(アメリカの番組で見た)、これは現代世界の縮図の感じがする。

持てる者はものすごく持ち、ノーブルサブレッジ(上流が果たすべき役割)を果たさない。バロン薩摩は『特注の銀のボディのクライスラーの男』で記憶されたわけだが、現代では、ブガッティ・シロンのオーナーは平均で42台のスーパーカーを所有しているという。これはまったく、違うカテゴリーの物になっている。

ファッション・デザイナーのイヴ・サンローランは『オリジナルの後輪駆動のビートル』一筋だった。彼は仮縫いで100回とも言われるほど果てしなく修正を加えて、『嫌味のある部分をみつけて、そこを消してゆく作業をする完全主義者』だったわけだが、恐るべき眼の持ち主だった。その彼からすると、実用的で、壊れず、どこと言って修正したくなる箇所のないビートルは意味があったのだろう。

それに触発されて、スーパーモデル何人かは(クラウディア・シーファーなど)、ビートルのモデストなスポーツタイプ、カルマンギアに乗っていたはず。私はそれがヨーロッパの趣味の良い人のボンサンスというものだと思いますね。

『平均42台』というのは、油小僧が馬を見せびらかすように、『うちの厩舎には42頭名馬がいて、、』みたいな態度を連想する。だからドバイでは捨ててある超車がたくさんあるのだろう。砂漠で息絶えた名馬に治療は不要というスタンスなのだと推察する。

今も作っているのかどうかしらないが、オランダの『スパイカ』(SPYKER)というクルマは、室内の装飾は、すべてVOGUEに載っているジュウェリーやベルトのバックルのようだった。すべては変わった。

TVをつけると、携帯のCMとクルマのCMばかりやっている。その一方で、その大メーカーのクルマの生産に欠かせない金型を製作している職人は、錆びだらけのスーパーの買い物自転車で、雨の日も合羽を着て、炎天下もクーラー無しの自転車通勤をしている。

そして、キャッシュレス時代?そのキャッシュカードの色で、収入が2秒でわかる。今の人権屋さんの考えから言うと、『それって差別を誘発し、ナンバー付きで人間を等級づけすること』にならないのか?(笑)嫌な時代になったものだ。

昔のように、自分の家で畳の上で、家族や友人に見守られて、、、ということは難しい。四角いセメントの白い部屋のなかで、時としては巨大な機械と密室の中で、はるかかなたにうごめく見も知らぬ医師やスタッフの中で意識が遠のくのか?

『100年の孤独』という言葉こそ、現代にふさわしい。

絶滅!ウナギ返し

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いよいよ二ホンウナギもその数が減って、絶滅が危惧されるようになってきた。

昔、世田谷に環状八号線が開通する前、蘆花恒春園の下の辺りは小川が何本か流れていて、それが蛇行して湿地のようになっていた。現在は消滅した地名で『めぐりさわ』廻沢と呼ばれていた。

今となってはちょっと信じられない話だが、私はそこで、こどものころウナギを何回か捕まえたことがある。はるばる、海から遡上してきていたのだろう。

私がひのたまはちおうじに引っ越してきたころ、まだ、浅川や大栗川にはウナギがいた。捕まえている人を見たことがある。

それが、意味も無く、予算を使い切るそのためだけのために魚が遡上できないセメントのダムをつくり、わずか800mぐらいの距離に4つも5つもそうしたダムがある。魚や亀は絶対にそこを登ることはできない。

入りくんだ河岸であればそれによって川の水の流速度が落ちるが、セメントの直線で固めた一種のドブだから、雨ともなれば、すごい濁流となって一気に流れる。流れを阻むものはありませんから。

かくして、亀も魚もみんな雨が降ると流され、登ってこられない。ウナギはこうした河川を遡上してきて、川辺の泥のところや沼にまで入り込んで生活する。そうした場所をことごとく破壊して、アルカリの灰汁の流れ出るセメントで固めるわけだから、ウナギの生存環境に良いはずがない。

今日もすでに4つある『ウナギ返し』に5つ目をくわえる工事をやっていた。そこに札が立っていたのだが、『緑化工事』と書いてあった。

『はぁ?』偽善・欺瞞もきわまっている。、

下のほうでは流されたフナと亀が泳いでいました。

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私が現代の大多数の人と違ったライフスタイルなのは今始まったことではありませんが、このところ、ますますコンビニを使わなくなっている。

まず、食べるものをコンビニで買わない。『じゃあ、自転車で恩方の先まで走って、川原で食事!』などと言った時、参加したロードレーサーの連中が手ぶらで来て、昼時にコンビニに寄って、白いビニール袋の中にペットボトルと食べ物を入れてくるのが信じられない。

川原でみんなで、旅先の食事をするということには特別の意味があるはずだ。

戦国時代には、米が貴重だったので、『めんつう』(面桶)という能面型の弁当箱に、各自炊いた米を入れ、館の主人が料理を準備して、持ち寄った御飯で、みんなで共通の料理を食べるのが当時のスタイルだった。

この背景には、米が命をつなぐものだから、それを自分で確保するのは当然の務め、そこから先の料理は、贅沢に主君がふるまおう、という思想があったと思う。

私のまわりは、長年『不健康な生活を締め切りに追われている編集達』がたくさんいたので、彼らの末路をたくさんみた。コンビニで買った『油で揚げたもの』と『カップ麺』を長年食べ、夜はつきあい酒。『そろそろ、出版の仕事から足を洗うか、、』という頃には内臓ボロボロで病院行きという人が、私のまわりだけで10人を超える。

これはネットで調べれば出て来ることですが、小麦粉は麺類でもパンでもパスタでもいたるところで使われていますが、その9割は輸入です。小麦は食糧戦略物資なので、大量に輸入され、しばらく貯蔵される。そこへガ〜〜〜〜ッツと防カビ剤、防虫剤などをかけていると言われている。そのあとに小麦粉にするわけですが、どうやっても、すべてはとりきれず、小麦粉と一緒に体内に入るだろう。

だから、私はパンは国産小麦のものしか食べていない。パスタはイタリアのオーガニックのもの、蕎麦も『国内産小麦粉』のものしか食べていない。最近は輸入品を国内で加工したということで『国内製造』というひっかけ問題も存在する。ひねくれたR&Fは『それは国際製造小麦粉だろう?日本語は正しく使え!』と思う(笑)。

そうすると、コンビニで弁当は買わない、揚げ物は買わない、袋菓子は買わない、用があるのはキャッシュポイントと『かんたん決済』とガリガリ君を買うぐらいである。

これから先は、自分で水筒を持ち歩くし、飲み物の用もない。

お寺に散歩に行き、屋台で元祖金太郎飴を袋で買う。キャンディーのたぐいもコンビニで買う必要がない。喫茶店は行きつけが決まっていて、無農薬の珈琲しか飲まない。

朝は4時起き、4時半起きなので、自分で握り飯を作ってお茶を淹れるか、蕎麦を食べるか。無農薬米に添加物なしの梅干しに有機の黒ゴマとか、薬品処理なしの海苔。朝宮の無農薬茶。

こうした生活を続けていると、外で食べる握り飯やペットボトルの日本茶には、食べた瞬間に違和感がある。『ん?米に何か足してる?』という感じ。

たぶん、私の母が90歳をはるかに過ぎて、内臓にどこにも悪いところがなく、私もこの歳まで一切、入院もせず、薬も飲んでいないのは、そうした蓄積ではないか?と考えている。遺伝子的にほぼ同じ近い親類で、内臓や血管系をかなり悪くしたのは何人もいる。分かれ道は食習慣などしか考えられない。

生活習慣というのは、ほんとうに重要だと思う。

AMラジオがなくなる?

ニュースを読んでいたら、なんでもAMラジオがなくなってゆくらしい。FMに順次切り替えてゆくつもりらしいが、うちのあたりではFMは入らない。もっと地方の人や山間部の人たちはさらに苦労するに違いない。山へ登る人や農作業の人たちは、AMラジオがなくなったら困るだろう。

退屈するだろうと、老母にラジオを付けておくと、『く〜だらない。く〜だらない。もう、消していいよ』と言う。たしかにくだらない。

昔は『話芸』とか『話術』などと言ったものですが、ただ、身内の面白くもない話を『元気いっぱいにキャーキャー,嬌声をあげていれば、みんなも面白がると錯覚している』。話芸などと言うのは感じられない。

たとえば、『良いクルマに乗って、ラジオをつけていて、高級感を感じさせる番組はないですから。彼らの身内の騒ぎとCMばかり。そんなものを誰が好んで聴くのか?

この『言葉を使ってなにか高度なコミニュケーションをとる』ということは、この25年でかなり劣化・退化したと思う。

ビールのCMで脚のきれいな女性が斜めに立って『うっま〜〜〜い!』というだけ。ビールの美味さに女優は関係ないし、『説得話術の貧困さ』だけが際立つ。

かくして、何の話術も無いラジオ番組がのさばる。ヨーロッパなどでは、国によって若者のラジオへの回帰が目立っているのに、日本は先進国中でラジオ離れが進んでいる珍しい少数派になるといえる。

スポンサーも『誰も聴かない番組に広告を出すほどお人よしではない』ので、広告収入は減って当然。

羽月ルーペがCMを作ろうと代理店に頼んだら、どこそこへロケに行くとか、有名人を連れて来るとか、無駄なことばかり言っているので、自分たちで作ったという。正解でしょう。伝わるべきところは良く伝わっていますから。

まず雑誌がダメになった。春だというのに、自転車雑誌もまったくパッとしない。新製品がこれといってないと、古い変速器の特集をやったりする。それって、消滅したネオ・サイクリングの轍ではないのか?(笑)

それについで、AMラジオがダメになり、つぎはテレビでしょうね。最高に高画質のテレビで、つまらない番組ばかりで見る人がいなくなる日は目前ではないのか?

昔は夜の9時〜10時〜11時のニュースには、磯村キャスターのような、フランス語、英語を母国語と同様に操る人がいて、海外の有名人や政治家とニュースの状況分析を議論していた。そんな人、いまや見かけません。

よくわからないのは、10時台のニュースで、驚くほど『コメント力の弱い人』がアンカーウーマンをやっていたりする。なんだか学級会の発言のようだ。自分でも、それでよいのか?疑問に思っているのか、コメントをした後で、自分で『う〜〜〜〜ん』というのが、その方の口癖。誰も納得してくれないから、自分で納得しているのか?その番組が、やたらにブチブチ、CMで細切れになる。『昔はこんなにCM多くなかったよな』と思う。

宮崎アニメの少女が、そのまま40歳代に突入したような感じが一部でウケるのかもしれないが、ニュース番組でルックスはどうでもいい。中身を充実させて、CM減らしてくれと思う。


すでに、雑誌が瀕死となり、やがてはAMラジオが消え、そのつぎはテレビではないのかな?とぼんやり考える。


私は会社員時代、出荷が間に合わなくなると、工場へ行って組み立てや検定を手伝っていた。そのとき、かけっぱなしにしておいて、邪魔にならないAMラジオの番組があった。

さらに小学校時代、ゲルマニウム・ラジオを作ったり、スーパーヘテロダインのラジオを手製して、入試の頃は、それで深夜番組を聞いていた。

ハードはどんどん進歩して、ソフトはどんどん劣化して行く、それが昭和〜平成の私のイメージです。

いくら持っても同じ

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片付けていたら、『つん読』の山のなかに江戸時代の仕事の一覧があった。いろいろな専門職があって面白い。

たとえば、昔はのれんをぶら下げたり、蕎麦やうどんを伸ばしたり、物を担いだりするのに、棒をよく使った。その木の棒を火であぶって力をかけ、真直ぐにする仕事などがあった。それだけで食べてて行けた。

私は道具屋などで、そうしたコネ棒であるとか、のれんをぶら下げる棒を見ると、『いい味だな〜』と感心して、うちにも買ってきたものがあります。その背景を知ると、ますます尊い。

宮崎アニメの『ハウルの城』は、そのことを言っているのだと思うが、現在はなんでも巨大になり過ぎた。経済自体も巨大化し、もはや、地球そのものが耐えきれないところまできている。

たとえば、従業員2000人のメーカーの工場の社員食堂で、毎日、どのくらいの食事を用意されなければならないのか?生産規模が大きくなればコストが下がるというのは原則だが、その利益がどう分配されるのか?はあまり問題にされないように見える。なんらかの状況変化があって、中長期に売り上げが落ちれば、その社員食堂の維持だけでも負担になるだろう。

そうかといって、社員食堂があると言うことは、工場のある地元の商店街には貢献せず、会社が与えた給料は社食を通じて、また同じところへ吸い上げるシステムになっている。

ところで、官僚機構の人たちが『決して取りっぱぐれないように』カード決済をこれからの主流にしてゆくという動きを見ていて、どうも『病米利加というきわめて歪んだ文明』をお手本にする傾向が我が国では強いようだ。

うちのブログでは何度も取り上げている『キャリントン事象』ですが、これが数年前にもあわや地球を直撃しそうになったことがNASAの発表で明らかになっている。もし起こっていたら、携帯電話の中継局の機械はすべて壊れ、変電設備はすべて壊れ、PCも、マイクロプロセッサー付きの家電もクルマもすべて動かなくなります。キャッシュマシーンも壊れ、サーバーも壊れる。

そうした時、AIなどがマルファンクションしたら(誤作動)どうするのか?

その手の『キャリントン事象』級の太陽嵐は2〜3百年に一度必ず地球に届くことがわかっている。それで、発電設備、制御コンピューターがゲンパツでうまく作動しなくなったら、つぎからつぎへ爆発でしょう。それを制御する連絡の手段がない。


それでもAI万歳、ゲンパツ万歳、キャッシュレス万歳、自動運転万歳なのか?もっと根底から経済と社会を組み立て直すべきところへ文明はさしかかっているのではないか?

猿の惑星のラストシーンでチャールトン・ヘストンが馬から降りて、
『オーマイ、ガッド! I am back. I am home. I damn you all to hell ! You really finally did it. You blew it up ! You maniacs !!!』
という叫びを思い出してしまう。

最近は英国へ行っても、日本の味わい深い昔ながらの通りに行っても,老舗が消えて、ケバい安売り屋とユンボ色の携帯屋に変わっていると、地面を叩いて『You finally did it !! You maniacs !! I damn you all to hell !!!』と叫びたくなる(爆).


実際のところ、たくさん金を持っても、超高級なものを持っても、幸福感が増すわけではありません。1脚10万円超級のドイツのコーヒーカップでも、20万超級のセーブルでも、使い心地でナルミや東陶に負けたりする。これは食べ物も同じ。

伊蘭にいた時、『これは葡萄の原種に近いのかな?』と思った房の密なものが出されて、ものすごく繊細で複雑なうまさがあったのが忘れられない。改良されて、なんでも大きくするばかりが方向ではない。

『金を電子的に動かす、その元の金は誰が振り込んで、誰が額を決めているのか?』それが商店街やフリマなら、額もやりとりも相手との1対一だ。そこには『交換の自由がある』。

カード化がすすみ、人間味が薄れ、経済が進み、情報まみれになって、みんなが甘いものにむらがるアリのように行動し、これは幸福度下がると思う。

これは、『道具をいくらたくさん、あるいは最高級のものを集めても、ほんとうのところは変わらない』。

『その人の幸福度以上にはなれない』のが普通。だから、だいたい私の観察だと、金持ちはニヒル、虚無的な人が多い。幸福でないから、最高級のもので強い刺激を受けようと思っているのではないか?


私の中学の時の担任の先生の一人は数学の先生でしたが、学校の休みの時、家へ遊びに行くと、チョコレート色のAIWAのカセットデッキでヨーロッパの合唱曲をかけていた。音質は現代の物とは比較にならない。カセットのザーザーいうノイズも入る。それでも、スイッチョが庭のヘチマのつるを跳んでいるようなところで音楽を聴いている彼は幸福そうでした。クーラーもなかった。

それがもし、クーラーが入って、窓を閉め切って、もっと良い音質で音楽が聴かれたら、幸福感は増しただろうか?私は麦わら帽子をかぶって、自転車で仲間と訪ねて行って、氷の入ったカルピスをご馳走になっただけで、幸福感は充分完結していたと思う。


このごろ、手でちぎれない食品のビニールの梱包が増えてきている。それは進歩なのか?うちのほうのパン屋さんはメロンパンを紙の袋に入れてくれるので、ベチャベチャにならず、いつもカリカリ。進歩で失われるものは意外に多い。

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