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ノートルダム炎上

私はちょっと、我が耳を疑いました。YoutubeでBBCの画像を見て、なんともやりきれない気分になった。

昔、チャールズ・ロートン主演のノートルダムのせむし男を見て以来、あれは『中世の石の森』として、『そこにあるだけで安心』というヨーロッパ美術・文明の礎石の一つだった。

これは『油断』という話ではない。850年間、誰ひとりそんな失態をしなかったことをやったわけですから。しかもイースターの直前に。たるんでいたとしか思えない。

あそこは一日では正直見きれなかった。行くたびに新たな発見があって、ひとつの中世の宇宙を形作っていた。ガーゴイルなども実に面白いものがあった。聖も俗も、善も悪も両方描かれて宇宙を作っていた。

そうした『宇宙観』はたとえばヴァティカンのサンピエトロにはない。一方的な絵巻物になっている。これは東方正教会の巨大ドームも同じでしょう。


尖塔が焼けて崩れ落ちる様子は、なにやら象徴的ですらあった。多くの人があの場面でトラウマになるのではないか?

さんざん、イタリアもフランスも、CYU-東からのIMINを受け入れ、路上でのそうした人たちのれーはい者を出し、安い労働力確保に躍起になり、金儲けを追いかけ、もと銀行員の真っ黒論大棟梁はカソリックの禁止している自由盟尊で眼玉△の前で就任をした。ベルギーなどはやがては伊須羅武教徒が過半数を占めるようになると言われている。

もはや、今のフランスに180年かけて建設するだけの、思想的バックボーンは残っていないでしょう。

すべての意味で象徴的な悲劇だったと思う。

これは誰か責任者が判明するのでしょうかね?わかったら、さらに大きい事件になるような気がします。

使い切り世代

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前に当ブログで、塩のビンがコロコロコロっところがってきて、棚から落ちて急須に命中。パカッと取っ手が折れた話は書きました。

そのとき、『寿命かな』とあきらめた話はすでにご存じだろうと思う。

新しいのをちょっと見てみたのですが、あまりピンとくるものがない。まあ、自分もこれから50年とか生きるはずもないし(爆)、新調しなくても良いのではないか?という気分になった。

金継ぎ屋に相談したところ、けっこう重いし、中にお湯が入るとさらに重くなり、くわえて温度差もあるから、直してももたないかもしれないという。

そうですか。かなり厚い1.2mmの銅板を叩いて変形させて、中にピッタリ密着するように作った。一切接着が無くても差し込んだだけでも持ちこたえる。そこをさらに接着した。2か月ほど朝晩2回、毎日使っているが問題はない。

取っ手の穴のところから、内側に張り付くような形状の銅板の様子が見えるのがよくない。ここを錫でふさいでしまえばよい。あとは、継いだ線の部分に金箔を置けば完成でしょう。


これを捨ててしまって、ゴミにするのは惜しい。自転車の部品などでも、最近はすべてそのスタンスで無駄を出さないようにしている。

祝大会賞受賞

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たまたま、ここ数日、『じゃん』さんのブログでボテッキアのレストアに関して論争していたのですが、これ以上は同じ主張の繰り返しになるので、議論離脱しました。この歳になると議論するのも煩わしく、無駄なことに思える。相手が議論してくる場合、ほとんどの場合、説得は出来ませんから。

そうしたところ、たまたま本日、友人がミラノの古い自転車の集会に3人組で出て、ミラネーゼたちがうなって、写真を撮られまくり、みごと表彰式で大会賞をいただいたとの知らせ(左端の写真)。

ずっと私のレストアの仕事を西暦2000年から見ている方なので、私の考えはツーカーでわかる。


手前の白いタイヤの車両は、うちのサンビームの『パーマーの白タイヤ』のイメージでやったなとわかる。

『油微塵流の免状をいただきたく、、』ということなので、『ミラノ支部、宗家代理』の印可を授けたいと思います(笑)。おめでとうございました。


古い自転車の前では、先人の仕事を見て、我(が)を離れ、謙虚になることが重要だと私は考えています。それは私より寿命の長い器械ですから。左から2枚目のBATES(ベイツ)はほぼフレームだけが残されていました。部品は売られてしまっていた。英語で『とさつ解体』と言われます。右端のラウッターウェイトも、『設計者、ジャック・ラウッターワーサーその人に会うまで、元にもどせなかった』。それはひどい組み直しがされていました。

BATESに関してはその時代にはBATESが使っていなかったGBのステムが入っていましたが、どうにもフレームとの強度バランスが悪かった。当時BATESが使っていたスチール・ステムをようやく見つけ、色は赤だったので、フレームと同じ色を作って塗った。

フレームとステムにも『適正な剛性バランスが存在する』。

ウーゴもピナ例路も彼らのフォークが出る前に、このベイツの写真(この車両そのもの)を見ていますから、最新のフロントフォークの『2段曲げ』の源流はこの車両だと思います。

そうして、当時の写真やカタログとすり合わせて、ようやく『corect』な乗り味になった。ほんとうはそのいきさつや部品寸法などをすべてノートにつけてHISTORYブックとして車両とともに伝世させるべきだと思います。

レストアという言葉があまりに安易に日本では使われている。だから、ヨーロッパのEbayでもアメリカやオーストラリア、フランス、イタリア、ドイツ、英国のSellerの8割以上が『May not ship to Japan』と書いているのをみると、なんとも心が痛む。

そういう中で、イタリアのマニアに認められたミラノ支部の大会賞は快挙だったと思います。

若いうちのものでしょ

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私が高校1年の時の机のまわりの写真が出て来た。古い横浜洋家具の両袖の机をもらって、上に切り抜いたベートーベンの肖像画を貼り、チャーリーブラウンのシュレーダーの雰囲気。

擦れ剥げたセラックを、なんとか磨きこみ、きれいにしようとしていた。ボッティチェリの絵をかけようと思ったのだが、適当なものがなく自分で鉛筆で模写した。

なんだか、昔から古い物を直したり、ものを好みのものに作り直したりというのをやっていた。おとなになってからは、『お金の節約にもなるので自分で全部やった』。

昔、ボッティチェリの伝記を読んでいて、晩年は大きい絵がほとんど描けなくなっていたのを知った。
「それは誰でもそうだ。目も悪くなるし、なにより気力や集中力が続かなくなってくる。」
と絵の師に言われた。

自転車のレストアなんぞも、歳をとってやるものではありません。英国時代は朝4時に起きて、4時半に出かけ、まだ表に積み上げられた自転車に白い霜がついているころに到着して『これはオレが買う!』などと雄たけびを上げて(笑)、また抜かりなくスペアの部品もチェックする。

この写真に出ている自転車とモペッドはすべてただ一人の男が直そうと思って集めた。しかし、寿命が尽きて、後に残ったこうしたベース車両は親族もどうしようもなくなって、古い自転車の専門家に買ってもらえるものは引き取ってもらおうと、こういう具合になった。

中にはルイ・ボべの乗っていたエリエと同じラグが入っているロードもあって、フロントをリジッド・ロッド式FDにして、リアはテンションレバー付きにした。デュラルフォージのブレーキを入れて、まったく同じに仕上げた。写真にはアレックスのFフレームも見えている。左から2枚目の写真のヘッドセットなどは、日本のAIKOKUのヘッドセットの元になったマジストローニだが、そんな部品の新品未使用はいまやどこを探してもない。時代がよかった。

ゴミから砂金を搾る(笑)。

もう出来ませんね。人は半世紀以上生きたら、自分の時間の使い方を考えるべきだ。他人のために古部品をピカールで磨くなどというのはまっぴらだし、それを頼んだり期待する人間も非常識だと思う。

金がなく時間と根気はある若い者が、価値逆転のためにやるのがそういう作業の本来だ。

おもちゃから本物へ

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最近見かけなくなったのが、小さいおもちゃの獅子頭です。私のこども時代、あれはごく普通にどこでも売っていた。だいたい握りこぶしより一回り大きいぐらいで、中に弓なりの竹が入っていて、緑色の『ゆたん』(獅子舞でかぶる布)までついて、手が隠れるようになっていた。

中の竹のU字型のところを掴むと、あごがカパカパ開いた。何がそんなに気入ったのか知らないが、こども時代いったいいくつ買って壊したか知らない。

そのせいかどうか、大人になっても獅子頭が気になって仕方がない。

獅子頭はひとつの桐の木とかさわらの木から刳り抜くので、たいへん本物は高価です。また、私の性格からして、『神秘感のない真新しい獅子頭は欲しくない』。

獅子頭は獅子舞の人たちは神が宿ると言って、地面に置いたりはしない。丁寧に持ち運んでいる。やはり、そういう風に作られたものが欲しいわけです。芸能用にとりあえず作ったような魂のない物は欲しくない。

また獅子頭にもずいぶん顔に地域色があって、自分のイメージする獅子頭はけっこう限られる。

私は加賀のほうの、白木で角が一本生えていて、アンディ・ウォーホールのような髪型の獅子頭は、どうもこどものころからのイメージに合わない。これは東北の耳が上へ向いて、四角ばった龍のような黒い顔の獅子頭も、こども時代からのイメージと違う。

数年前にかなり古い獅子頭をジャンク扱いで手に入れた。残念ながら耳はないし、顎も割れていて、舌も折れてなくなっている。たてがみもない。

しかし、顔は私がこども時代から持っている獅子頭のイメージそのものだったので、迷わず買った。現代のものには無い、ある種の神々しさがある。その古道具屋に神社の社の名の彫られた扁額があったので、多分、過疎化で氏子がいなくなり取り壊された神社にあったのではないか?と思っている。いくつかあるうち、コンディションの良いものは売れて、あごの壊れた耳のない物は残って、うちへ来た。

友人に仏像の修復家がいるので、あごの割れたところは漆か膠で修理してもらう約束になっている。漆は接着剤のように使える。漆の色合わせは、彼は博物館の仏像を修復するぐらいですからお手の物。舌と耳は私が自分で桐を削って作り、彼に漆で仕上げてもらおうと思っている。

漆だから年中から拭きしていると、曇りがとれて透き通ってくる。うちへ来てからずいぶんてりがよくなった。たてがみは7000円ぐらいで馬の尻尾で作ったものが買えるので、それも問題はない。

すこ〜〜しづつ、気長にやる。なんだかセントバーナードのようで、獣医になったような気がする(笑)。

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