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今年の冬至、12月21日に吉例にならって早稲田の穴八幡にお参りに行った。
おおよそ信仰心は薄いほうだが、なんだかここのお参りは好きなのだ。
たぶん、冬至から立春だか節分までという期間限定のお札をいただくことが好きなんだと思う。
季節限定、期間限定に弱いと云うことなのかも知れないが、神社・仏閣にしては珍しいような気がして、それで好きなのかも知れない。
思えば神様・仏様などというものは一年を通して効き目があるはずのもので、正確にはこの神社で頂けるお札のの神通力だって一年間有効なのだから、こちらの神様だって一年間有効ということ。
なのだが、ここで配るお札は、クドイようだが期間限定なのである。
そして、このお札は毎年決められた日時に貼らないと効き目が無い。
それも貼る向きが厳密に毎年決められていて、今年は巳午の方向の家庭内の高いところから、亥子の方向にお札の文字を向けて貼らなければダメで、また、冬至・大晦日・節分のいずれの日の夜中の12時にそれを行わなくてはならないという、大変に難しいご指示があるのだ。
方角と時間の指定がこれほど厳しいお札をアタシは知らない。
なので、毎年貼ろうとすれば大変である。
建築や土木の勉強をなさった方なら、または、その方面のお仕事の方ならそんなことは容易いのかも知れないが、一般人の手には大いに余る大仕事となる。
家の中に東西南北白發中の線でも引いてあればまだしも、そんなことはないのでボーイスカウトのように方位磁石を持って狭いながらも楽しい我が家をグルグル回ることになる。
しかも、夜中12時の30分ほど前からの時間帯である。
そうして、だんだんと頭の中がこんがらがって来るのであるが、それに輪をかけるように次の疑問が湧いてくる。
というのは、暦の問題である。
冬至だとか夏至だとかは太陽暦だろうが太陰太陽暦(つまり旧暦ね)だろうが、昼と夜の時間の一番長い・短いということでこの日であることが断定できるのであるが、問題は大晦日や節分である。
次の元日は、太陽暦なら「所謂」1月1日なのだが、旧暦なら次回は1月28日だそうで、そうであれば大晦日は1月27日となる。
江戸時代からのこの神社の風習ということであれば、旧暦に従うほうが順当であるような気もしてきて、新暦大晦日に方角が決められななると、そんな考えが頭をよぎり、先送りしたくなる。
すると、カミサンにまた怒られるわけで、これが我が家の怒り収め・怒られ収めとなったりする。
もう一回の貼付チャンスである節分というのも不思議で、本来は「節を分ける」日であり、つまり元旦の前日のような気もする。
ほら、平家物語の最初のほうの段(ひょっとすると教科書にも載っていたかな)、追難の夜(ついなのよる)の話があったでしょ。
とすれば、旧暦なら1月27日の夜中になるのか?
となれば、旧暦なら大晦日と節分は一緒ということになって、だったら実際のお札を貼るチャンスは冬至と大晦日の2回しかなかったのかと、シクジリは許されないような気になり、今度は不安になったりする。
と、本日もだんだんと実行日が迫って、気が重くなってきた。
ところで一句である。
お参りをする際のお賽銭とお願いのバランスの話なのだが、自分のことは棚に上げて、よその人のお願い時間が長いことが気になるのは、並んで順番が来ないとお願いができないから。
普通は賽銭箱にお賽銭を投げ入れてからお願いをするのが手順であって、ということは、あそこに紙幣を投げ入れるということはなかなか難しいのであるから、どんなにアレでも500円が最高額だと思うのだが、それにしては長時間お願いをなさっている方を散見する。
まあアタシが5円だとか10円だとしてこれで一言程度のお願いであれば、なら100倍・50倍のお願いをするのは当たり前の経済合理性なのだろうか。
それともそんなことに頭を使うことは、罰当たりなんだろうか。
暮れ参り 賽銭ほどの 願い事
てなことで、どっかで有り勝ちな一句でスイマセン。
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2016年12月23日
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