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ご贔屓にしていただいている角海老宝石ボクシングジムのマネージャーさんから「餃子ダイエット」という本があることを教わった。
なんでも港区のボクシングジムの会長さん(女性)書いた本である。
プロボクサーの栄養管理、体重管理をなさっている方のご本なだけに大いに説得力を持っている。
餃子は完全食であると「美味しんぼ」にあるとおり、肉のタンパク、野菜のビタミンと食物繊維、小麦粉のデンプンが三位一体となっておりますので、食べすぎなければ結構バランスのよい食品です。
ですので、そんな餃子を使ったダイエットって、本当に効き目がありそうですね。
なにしろ体重制限の一番厳しいプロボクサーのみなさんが実践されているのですからね。
ということろでこのご本
腰巻に「ビール1杯もOK」とあるところなんか、ホントにウレシクなります。
餃子ダイエット
ピューマ渡久地(とぐち)ボクシングジム会長 渡久地聡美
幻冬舎
2013年6月10日
1200円+税
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興味いろいろ
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鉄飯碗の「偏った」興味についてチョットご紹介いたします。興味は真理探究への入り口です。
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ここのところ鉄飯碗餃子本舗の話が続いている。
最近の鉄飯碗のトピックスなのでしかたがないのだが、読んで下さるみなさまだけでなく、書いている方の鉄飯碗にもいささかアキがきた。
「商売はアキナイ」ということで、飽きてはいけないのだが、育ちが良すぎたせいか、どうしても飽きてしまう。
しかしお店商売は「家内制手工業」といった部分が大きく、どうしても出歩く機会がないので、今までどおりにネタに当たることが少なくなった。
そんなおり、ちょうど髭剃りの替刃が無くなったので、新規の替刃を購入して気がついた。
替刃10個入りのものを買ったつもりなのに、9個しか入っていないのである。
思えば毎度9個入りであって、どうも空いている1個分の空間は「現在使用中の替刃の使用後はコチラにお納め下さい」といったために使うように出来ているらしい。
思えば大変な発想である。
本当は10個入りにして、髭剃りの替刃の交換時には新しいものを1個外してから使い終わりをその空間に収め、しかる後に新刃と交換すれば良いのであって、たいした手間がかかる作業ではないのである。
しかし、そこをあたかも親切のごとく、あたかもこうすると便利のごとく、9個入りにして替刃1個分を稼いでいるのである。
昔、化学調味料の売り上げ(つまり利用量)向上のために、あのキャップの穴を大きくすればよいと喝破した社員がいたそうであるが、なんだかあの話に似ているような気がしてヘンな気分になった。
この替刃でも1個減らしたことを発案したヒトはかなりエライと思う。
ような気もするが、なんだかセコイような気もするのである。
いったいどんなヒトが出したアイデアなんだか、そのアイデアを出した方のお顔を拝みたいように思う。
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かねてより興味をもって考えていることに、江戸と東京の境はどこかということがある。
東京は150年ほど前は江戸という徳川幕府の行政的な中心都市であったわけですが、それから東京市になったり、東京府になったりして現在の東京都になった。
そのたびに街は大きくなり、あたかもバームクーヘンのように年輪状の拡大を遂げてきた。
その境目はどこかというのが、テーマで研究にいそしんできたわけだ。
すると先日、12月11日の日経新聞「なんでも調査団」という記事で、その研究に役立つことが載っていた。
「環状1号〜6号はあるの」という見出しであります。
つまり、その時代ごとに東京の拡大に合わせて環状線が企画・建設されたのだろうから、それがわかればこの興味はケリがつくかとほくそ笑んだ次第。
記事によれば
環状1号線は皇居を囲む内堀通りや日比谷通り
環状2号線は外堀通り
環状3号線は外苑東通りや言問通り
環状4号線は不忍通りや外苑西通りなど
環状5号線は明治通り
環状6号線は山手通り
しかし、本当に環状になっているのは1号線だけであり、計画通り完成したのは1、6、7、8、号線だけであるとのこと。
ということは、他の環状線はいまだにどうにか完成させようとなんらかの努力が継続されているのだろうか。
また計画は環状5号線が関東大震災直後の1923年の発表で、6・7・8号線は1927の計画発表であったということで、鉄飯碗の母が1931の生まれであるから彼女が産まれる前、なんと戦前からの計画であって、東京の拡大にともなって順次企画されたものではなかったわけだ。
その上、1号線から4号線はいつの企画だったのかと思ったら、これは戦後復興計画の一部として1946年に発表されたとのことで、なんだか順序が逆のような印象であった。
(どうも計画は23年当時にはあったが、発表していなかったようである)
ということで、なんとなくケリがついたような気分になるのだが、この地図をみていると年輪ピックのような気がしてきた。
環状1号と2号線は江戸時代ですね。特に1号線は江戸開闢時代で、2号線が江戸中期かな。
環状3号線となると幕末から明治の東京の範囲という感じ。まだまだ都内は歩いていける範囲という印象。
4号線が東京市と云う時代でしょうか。なにしろ市電の範囲という様子です。
5号線が東京府時代でしょうか。(この期間は短かったようですが)
6号線になりますと戦前とは申せ、東京都になったように思われます。
そして7号線が高度経済成長期
8号線に至ってバブル期というように思えてなりません。
てな、まったくどうでも良いことなんですが、概ねそんなことかと考えていたら昨日12月14日は忠臣蔵討ち入りの日であったことに気がついた。
最近はドタバタしていて、こんな有名な日を忘れていたとは情けない。
本日15日は同窓会の集まりで、帰ってくれば反省会の予定。
16日には選挙投票日であるが、こっちも忘れないようにしないといけない。
あ、そうだ、昨夜というか13日の23時半頃になんとか流星群の破片らしき流れ星を東南の空に見た。
これはちょっとうれしかったのは、なにかイイコトがありそうな気がしたから。
どうも寝つけないときの記事は話がバラバラだなあ。
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いよいよ開国も近づいてまいりましたが、という事はクリスマスも近づいてきた。
いや、話が逆転していて、クリスマスが近づいたということは開国も近づいたという事か。
そんな時期に「しっかり開国せよ」との応援の気持ちを込めて、一足先にクリスマスプレゼントが届いた。
80歳も半ばの叔母が編んでくれた毛糸のマフラーである。
この色合いがいいのと、マフラーの真ん中にスリットが入っていて、そこに反対側の端を入れ込むことによって、このようにクロスする工夫があって、大のお気に入りとなった。
寒い季節となってきたが、これを首に巻いてでかけるのが楽しみになるようなマフラーです。
が、開国ともなればこれを巻いて出かける機会が減りそうなので、それが悔しいような気分であります。
そこで、これを自慢する場所もないので記事にして自慢しようと思った次第。
と、これほどステキなマフラーなので、叔母をそそのかして通販で販売しようかなとも考えた。
80歳も過ぎれば働く場所なっどはなくて当たり前なのだが、これだけの作品をつくる力を眠らせておくのも残念でありますし、それで彼女にいくらかでも入れば生きる励みになるだろう。
売れるということは世間に認められるという証ですから、本人もまだまだ自分は元気であると自覚できるだろう。
開国直前に余計なことを考えたりしていますが、せっかく通販部の仕組みもあるのでどうにかならないかなと。
引き続き考えましょう。
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子供の頃のテレビ番組に「ちろりん村とくるみの木」というものがあった。
名作「ひょっこりひょうたん島」の直前までやっていた番組で、人形劇であった。
もちろん白黒の時代であって、さすがに筋だとか声優などの記憶はない。
楠としえがだれかの声をやっていたような記憶もあるのだが、怪しい記憶である。
こんなことを思い出したのは、合羽橋の帰りに通った鶯谷のガード下のこのお店
で、見かけた看板。
金宮焼酎のマークにめを奪われたのがとっかかりでしたが、そののちにはこの看板が目にとまった。
元祖 チンチロリンハイボール とある。
デザインもなんだかサントリーの角瓶を思い出させる色使いで、一杯呑んでみたくなった。
が、この日の場合は「健康生活友の会」の日だったかで、行こうとは云いだせずに写真だけ撮った。
博打方面には全く疎い鉄飯碗なのでありますが、チンチロリン位はそのルールは知らなくても名前位は知っている。
しかし、チンチロリンはたしか3つのサイコロでやるゲームのはずなのだが、この看板のサイコロは2つ。
「さて、どうなんでしょう」と思い、美味しいので呑み過ぎて最終的には乗り越したりケータイ電話をなくしたりして、チンチロリンといったことになりそうだという惹句なのだろうかとも思った。
これではキケンな飲み物の印象が強くなって、注文する人がいるのだろうか、それとも天邪鬼やら肝臓自慢がそれこそ得意になって沢山呑むのだろうか。
と考えていたらその下に看板が出ていた。
よく読むと、チンチロリンの特徴である「ぞろ目の役」を使ってのゲーム感覚の呑ませ方のようである。
味の工夫ではなくて、盛り上げ方の工夫であったのだ。
効果のほどは分からないが、結構盛り上がるかもしれないこんなゲームは、この不況の切り札になるのだろうか。
そういえば、カジノ構想というのもあったがどうなったのだろう。
競馬場・競輪場・ボートレース場・オートレース場なども立派なカジノだと思うのだが、ではそこでは大量のハイボールが消費されるのであろうか。
健康生活をおくると、こんな余計な事ばかり考えてしまう。
これでは一杯呑んで酔っぱらっているのと同じことのようにも思える。
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