|
初めての見立富士山岳会で2009年5月に拝登した、入谷の小野照崎神社の境内にある入谷坂本富士に3年ぶりに訪れた。
あの朝顔市の流れである。
なにしろ鶯谷の駅から日比谷線の入谷の駅の間の道路が朝顔市の会場で、そこを千住の方に少し歩けばこの富士山でありますから、ファンとしては近くまで来て立ち寄らないわけにはいかないですね。
久しぶりに訪れた境内は前回同様、静かなのですがこんな日だったからでしょうか参拝者もちらほら。
だんだん人気がでてきたかなと思って本殿を伺うと
奥さんとお嬢ちゃんの浴衣姿。
いいですね日本の夏。
さあて、富士山なんですがこの詳しい紹介は第1次の遠征記録をご参照いただくとして、今回気が付いたのがこちら。
台東区教育委員会のご配慮でしょうか、それとも観光課の作戦でしょうか、英文の案内柱ができていました。
これがきっかけで見立富士が世界的は研究対象となるといいですね。
日本の宗教の一つで最近滅びたものですので、研究対象になるのではないかなと。
と、もう一つ、今回お勉強になりましたのがこれ。
これも滅んでしまった庚申信仰の庚申塚。
右側に少し写っているオトーサンのご解説で、ここは日本三大庚申塚の一つであることを教えていただきました。
あとの二つは、大阪天王寺境内と京都清水寺に向かう坂の途中の庚申塚だとか。
鉄飯碗などは庚申塚といえば真っ先に巣鴨の庚申塚が思い浮かぶ程度ですので、勉強になりました。
大阪・京都であれば、なんらかの機会に一度は行ってみたいですね。
てなことで、今回の拝登はあっさりと。
お腹が減ってきましたので、お昼ごはんにありつかないとね。 |
鉄飯碗見立山岳会
[ リスト | 詳細 ]
富士講・富士塚を巡る山岳会です。どなたでもご参加ください。ご入会希望のご連絡はゲスブにて!
|
6月30日の夏越の祓から一夜あければ7月1日である。
見立山岳会としては重要な山開きの日である。
本来ならば長躯遠征して、本当の富士山方面に出かけなければいけないのであろうが、万事多忙な鉄飯碗は身近な富士山に参拝することでお許し願った。
場所は文京区音羽、護国寺境内にある富士山である。
大きな山門をくぐり、二番目の門につながる階段の下を右手。
すぐに富士山への参拝道が見えてくる。
今や片隅に追いやられた感もあるが、どっこい鳥居をくぐって参道を入れば、江戸時代の信仰篤い様子がうかがえる参拝記念石碑で頂上までの道がつけられている。
登ること約2分。
頂上へと到達。
此花咲耶姫を祀った富士浅間神社の小社がある。
若々しい榊が上がり、まだまだ富士山信仰も見捨てられたいないことを確認。
ひょっとすると、富士山大爆発説の影響だろうか。
参拝をすませ、約1分30秒にて下山した。
さて、次の行事は7月7日、七夕の素麺食いである。
これも素麺を天の川に見立てた行事食であるが、こっちは胃袋に素麺が入るのでうれしい。
しかし思うに、こういった行事は旧暦(農暦)でやったほうが、季節感と合うのかなと。 |
|
本日は子供の日でした。
東京地方は久しぶりに良い天気でありまして、今年のGWの第4コーナーとしては本当によかったですね。
お子さま向けのイベントなんて、きっと沢山あったでしょうから。
しかし気をつけて見ていたものの、鯉のぼりを見かけることが随分と少なくなったような。
一戸建てからマンションへと、子持ち年代の住まい方が変わってきましたので、なかなかこれを揚げることも出来ず、お部屋の中に飾っているのでしょうか。
前ネタでも申し上げましたが、鍾馗さんなんてもうすっかり忘れられているのだろうね。
本日の鉄飯碗はおおよそ一年ぶりで見立富士山岳会を催してまいりました。
参加者は最低催行人数でありましたが、好天に恵まれて個人的な山開きは大成功でありました。
拝登いたしましたのは、東武練馬駅のすぐ近くにあります浅間神社の富士山であります。
まずは東武電車の東上線に池袋から乗りまして、各駅停車で15分ほど。
駅の南側におりましたら、線路と平行して昔の川越街道を戻るように進みます。
どうしても「ぎょうざの満洲」に目をうばわれるのですが、このお店の少し先の左側。
「富士亭 ラーメン」とくればもうすぐ富士山にご対面かと思って心ワクワク。
というまもなく、隣がお目当ての浅間神社でありました。
右手の案内板によれば、
本当の山開きは7月1日とのことでありますが(神社によっては6月30日のところも多いのですヨ)、鉄飯碗にとりましては、なんとなくGW中でもいいぢゃないかと。
早速に近づくと
練馬区教育委員会の「下練馬の富士塚」たる掲示柱がありまして期待できます。
左手の階段が登山口に続いておりまして、本当に拝登できる数少ない見立富士・富士塚のひとつで、なかなか立派な整備状況です。
さて登山口。
本物の富士山への講の拝登碑などが幾つもありまして、この辺りでの富士講全盛時代を偲ばせます。
またの富士塚で特徴的だなと思ったのはこれ。
おさるさんのお出迎えです。
このおさるさん達の招きに応えまして、いよいよ本格拝登。
六合目あたりには「お中道」といわれる、富士塚をぐるり一周できる道も付けられていてなかなか本格派ですよ。
ただ、烏帽子岩ですとかお胎内といわれる小物が見当たらなかったのが残念。
今度(8合目あたりでしょうか)では天狗に出迎えられまして、もう一息。
いよいよ山頂。
コノハナサクヤヒメの祠でありますが、ご神体は下の本殿の方に鎮座なさっているようでした。
そして山頂からの眺めは
なかなかの絶景でありましたよ。
さて、今回の拝登ではもう一つ楽しかったことが。
同好の先輩と立ち話をする機会に巡り合いました。
なんだか富士塚にご興味をお持ちになったとのことで、東京近郊の富士塚を写真に撮っていらっしゃるとのこと。
あそこの富士山がいいとか、ここは登れなくてつまらないなど同好同志でなければ通じないような「富士さん」のお話を暫くいたしました。
またどこかの富士山でおめにかかれると嬉しいでしょうね。
ということで、お天気良し、出会い良しの楽しい鉄飯碗見立山岳会の山開きでありました。 |
|
梅雨も真盛り。
冷え冷えとした日が続きますが、だんだんと湿気が高くなってきましたね。
とはいえ、この梅雨が多くの植物を育てるのでしょうか。
街の中にも緑や色とりどりの花が咲き始めましたね。
5月ゴールデンウイークの頃とは違う季節に入りました。
さて、そんな梅雨の時期に盛りを迎える花のひとつに紫陽花がありますが、ご近所では
文京あじさいまつりが開催されておりました。
そしてその場所が、コチラ
文京区は白山の白山神社であります。
お花好きなカミサンにこの情報を提供しまして、ウマイコト白山富士を再訪しました。
前回の初遠征時(第3次遠征)の時に情報を収集しまして、いよいよアタックの時が来たのです。
その情報とは、この告知
つまり、あじさいまつりの期間だけこの白山富士は解放されるのでした。
ですので、この人気。
並んで山頂をめざすのですが、どうも「拝登」という気持ちではなく、あくまでも紫陽花めあて。
多少高い所に登れば、もっと見えるのではないかというわけで、信仰心ナシ。
せっかくの鳥居なんですが、
気づく人はいませんね。 それもそのはず、確かにお山一面、紫陽花づくしでありまして、
見立富士たる各アイテムは発見不可能。
どうにか「お中道」といわれる、お山をぐるりとまわる道の痕跡を発見したのですが・・・
ということで、これ以上は進めず。
本当にグルリとお山のまわりを通るみちがあるのか、最終確認はできませんでした。
で山頂に到着(約3分)
コノハナサクヤヒメにお供え物が上がっているには、一安心しました。
山頂からの眺めは
と紫陽花・紫陽花。
なんだかへんな感じの拝登でありました。
それに、前回も指摘しましたが、神社も富士山を「紫陽花の寄せ植え場」としか考えていないようで、
拝登石碑などが、バラバラに置かれています。
(この写真の背景の鉄柵のうしろが白山富士のエリアです)
確かに今や絶滅の富士講ですが、あるときはこの近所の大切なコミュニティであったはず。
文京区の教育委員会や、白山神社には地域文化の証拠として、キチンとした保存をお願いしたいですね。 |
|
前回ご報告いたしました、24次遠征についで25次遠征の報告です。
前回の氷川神社に続いての縦走というか、ハシゴというか同日中二つ目の富士山です。
しかし、この高島平のあたりは富士山が多いですね〜。
良く残っているというべきか、ここ赤塚といえば東京大仏ですが、それより北側にこの氷川神社の富士山はあります。
写真ではかなり分かりづらいのですが、左側の工事幕の後ろがそのめざす富士山です。
どうも(勝手な想像では)3.11の大地震により鳥居が壊れてしまったのか、補修中の様子で発見にかなり手間取りました。
この氷川神社の富士山は不思議な感じで、右側の朱色の鳥居から進む境内とは明確に一線を画しているようで、由緒書にも富士山について触れられていません。
それにしても明治27年の6月の地震で被害を被ったとありますので、今回の富士山の鳥居といい、この辺りは地盤が弱い地域なのでしょうか?
川からは離れた高台なのに、チョイト不思議な印象をもちました。
さて、お山ですが、こんな工事中のため外側から観察するだけ、拝登は出来ずでしたが、
頂きにはお社(コノハナサクヤヒメ)があたり、富士浅間大社の石板があったり、
この辺りの富士講でしょうか、拝登33回記念の石碑があったりしまして、見立富士に間違いなし。
なのですが、保存状態は誠に残念ながら大変に悪化していますね。
江戸から明治にかけて大変に普及しました富士山信仰でありますが、関東大震災以降急速に衰えたようで、戦後は壊滅状態。
富士山を信仰の山とは見ずに、観光の山と化したあたりから大切にされなくなったということなのでしょう。
宗教上の富士講のありかたも、いかにも通俗的な道徳観に裏打ちされた程度のものだったので、家庭から神棚が無くなった感じで、すたれてしまったのでしょう。
しかしそれにしても・・・と思ったのがこの拝殿・神楽殿
の裏にある、富士山モドキ。
こちらにも富士講の石碑が置かれたりしていまして
なんだか無残な感じ。
とくにヒドイのは
欠かれたこの石碑の上の部分が、ここのお社の台座に・・・・
お賽銭の1円も悲しいものがありますが、拝殿・神楽殿の立派さに比べてこちらや富士山の扱いが、いかにもゾンザイ過ぎやしませんか?
他宗教ということなのかも知れませんが、他宗教への寛容や尊敬は神道の特徴というか、いいところというか、だから仏教とも併存していたわけですので、ご当代もしっかりして欲しいですね。
ご近所コミュニティーの研究からでしょうか?
新宿区も渋谷区も富士講の展覧会をやっているご時世ですので、板橋区ももう少し熱を入れてほしいものです。
だってこの近所に「郷土資料館」なつハコがあるのですから・・・・。
よろしくお願いしますヨ〜。 |




