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昨今のように新型流感が蔓延期に入りますと、人ごみは避けようということで暑さにもめげず今日も遠征に出発しました。 とは申せ、やっぱり暑いので近場にしようと近所の停留所から都電に乗り早稲田は甘泉園公園・水稲荷神社の地域にあります高田富士を目指しました。 ところが、地図でみるといとも簡単に発見できるとふんでいた高田富士はあまりに遠かったのであります。 まずは甘泉園公園へ そこを抜けると、水稲荷神社 セオリーどおり、神社裏手にまわれば 高田富士発見!と思いきや ここ「戸塚」の地名の由来となった「冨塚」だとか! これから約30分、探し回りましたよ。 東京近郊に数箇所あるという「大田道灌のやまぶきの里」にまつわる話しで、馬を繋いだとされる「松」 があったり(300年以上前の松のはずなのに貧弱) 高田馬場といえば堀部安兵衛の敵討ち(ご本人とオジサンと忠臣蔵の2件の仇討ちに関与している) の顕彰碑。それにしても解説は悪文だったな。 なんていうのの隈なく拝見してしまい、隊員は早くもしゃがみ込む始末であります。 そしてやっと見つけた高田富士! 江戸市中最大・最古のものだとか。 というなら、もっとキチンとわかるようにしなさい! 神社だか新宿区だか早稲田大学だかに文句を言いたい気分です。 こんな立派な富士山を大事にしないといずれバチが当たりますよ!
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鉄飯碗見立山岳会
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富士講・富士塚を巡る山岳会です。どなたでもご参加ください。ご入会希望のご連絡はゲスブにて!
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昨日は久しぶりのイイ天気。絶好の富士登山日和です。 今年初めての日焼け止めクリームなどを塗って、午前10時からの出発です。 そんなに早くから出かけたのは、直会(なおらえ:行事後の反省会)のお昼ご飯も楽しみだから・・・。 やってきたのは浜離宮恩賜庭園です。 今回は銀座から歩いたのですが、最寄り駅はJRや地下鉄の新橋駅か、大江戸線やゆりかもめの汐留駅となるのでしょうか。いずれにしても行きやすい都心の庭園です。 駅を降りて、汐留の近代ビル群の海側へ暫らく歩くといよいよです。 名建築の誉れが高い大手門橋を渡ると 大手門です。ここが正面入り口であります。 由緒書きがありますので、一応読んで 入園しましょう。 公園の全体はこのように広大なもので 園内は こんな風景が広がります。 徳川時代からの庭園で、所謂「大名庭園」中の大名庭園どころか「将軍庭園」であります。 ですので、日頃遠征している庶民派の神社とは大違い。 将軍・お殿様・お姫様のお楽しみだけでなく園遊会やら明治政府が接収後には外交の舞台としてすぐれて政治的な社交の場でもあったわけです。 また大変珍しい海岸の土地柄を活かした、海水を取り入れる方式の「潮入りの池」(しおいりのいけ)をもつ庭園ですので、こんな 内堀があったりします。 また潮入りの池には総ヒノキ作りの「お伝え橋」を渡ると中ノ島には「御茶屋」まで用意されています。 この御茶屋を過ぎて池を渡るといよいよお目当ての富士山。 こんな石段を登ります。 本当はこの山岳会で狙っている「富士山信仰」の見立富士ではなく、あくまで庭園中の見立富士であり、ひょっとするとここら辺がこんな「高層地域」になるまでは本当の富士山を眺めるための「富士見山」であったのかも知れません。 石段を登った先の山頂は すでに多数の登山者で混雑していましたが、その中には地域柄でしょうか外国からの遠征登山隊も含まれています。 山頂からの眺めはさすがです。 山頂で一休み後、汗がひいたらいよいよ下山。 麓からは海岸へ向かいます。 海には船も数多く浮かんでいて(大多数はボートでしたが) そんな海岸づたいを進むと、自動的に元来た入り口(兼出口)方面へ。 出口付近にはこの庭園を造園開始当時から見てきた立派な松が。 なんと 300年もの松だとか。 東京には歴史のあるものが少ない中(震災と空襲)、これは大変な生きた遺産でありますね。 |
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さあ今年の端午の節句・こどもの日でありますが、新型インフルエンザ騒ぎの中、また今日も遠征であります。 ところは地下鉄日比谷線の八丁堀駅から南東に7分ほどの鉄砲洲稲荷にあります鉄砲洲富士へ。 さすがに場所柄でしょう 銀座の各町内から提灯が奉納されています。が、ワタクシの大好きな8丁目がナイ!のはなんで? さてこの神社のイワレは、この写真をご参照ください。(手抜きでスンマセン) 境内に入れば、社殿はこのとおりサスガ立派なもの。 社務所のとなりには活花の展示もあったりしたのは今日がこの神社のご縁日だったからでしょうか。 また二宮金次郎の銅像やモダンな神輿殿も 社殿右手にまわると「力石」まで・・・。 神社にあるべき物が全て揃った感があるのは、やっぱりこの神社の実力を示しているのでしょうか。 いよいよ お目当ての鉄砲洲富士へ。期待が高まったところに目前に現れたお姿は 左からのショットです。 この鉄砲洲富士、なんといっても嬉しいのは、いままでの3次に亘る遠征では柵や土手や大きさにより達成できなかった登頂が可能なこと。早速初登頂に向けて出発です。 写真をとることも出来ぬ急峻を登り、8合目あたりから山頂のお社のお姿を拝んだショット。 当然浅間神社。 汗ダクダクになりながら頂上のお社に。 初登頂大成功です! この達成感はなにものにも代えられません。 一休み後、いよいよ下山。 9合目からの下界の眺め 5合目付近からの下界のの眺め とやはり景色がちがいますね。 下山後落着いてお山の裾野を逍遥すると、ここにも見立風景が・・・。 富士五湖の見立でしょう お池や風穴も さて境内に戻るとオット忘れていました。神楽殿では この日の縁日に向けて、居合いだか剣舞だかのお稽古が行われていました。 それからちょっと恵比寿に行って一イベントを行ったのち、
最後は初登頂の成功を祝し、この鉄砲洲あたりの名物にちなんで、 もんじゃ焼きにて反省会となりました。 |
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この「見立富士巡り」は付近もグルグル回ったりして楽しかったので、調子にのって連日で遠征したのであります。 今日は自宅からいきなり縦走で、地下鉄都営三田線の白山駅のほど近い白山神社にある白山富士をめざします。 出発からただ今大ブレイク中のマスクを捜して2店程まわって約45分、白山神社に到着です。 立派な大鳥居が出迎えてくれました。 鳥居をくぐって左にまわると社殿です。 境内はあまり広くありませんので、探索は割愛して早速富士山探しに入ります。 社殿の左手からグルリと時計まわりに進むと社殿の真後ろあたりにミニ公園が これからが季節となる紫陽花が随分植わっておりました。 そのミニ公園を過ぎるといよいよ! 鳥居が見えて来ました。 この扁額には「浅間神社」の文字があるところを見ると、やっぱりここが富士山です。 鉄柵で仕切られていますものの 紫陽花の開花観賞時期(「あじさいまつり」でもあるのでしょうか)には登山が可能であるとの掲示ではありませんか。 なるほど登山道らしき手すりが、緑のなかに確認できます。 富士山脇を戻ろうとすると、社殿と住居をつなぐ渡り廊下でしょうか こんな低い廊下をくぐって、もと来たところに戻ります。 で左後ろへ「行き止まり」の看板方向へ富士山の裾野づたいに進む(というか戻るというか)と、ありましたよ!富士講の石碑が。 やっぱり富士山マークがついていますね。 さて、富士山とわかれて帰ろうと来た参道ではない参道をすすむと、そこには早くも杜若(かきつばた)が、咲いていました。 道にまかせて階段を降りると あれ?やっぱりコチラが正面でしたか? |
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第1次遠征を無事終えた鉄飯碗見立山岳会は、同日09年05月02日のうちに、スカサズ第2次遠征に出発しました。 ところは入谷駅から日比谷線で2駅北へ、南千住駅にほど近い素盞神社(すさのおじんじゃ)にある南千住富士です。 地下鉄日比谷線の南口(上野方面の改札口)を出て右手北方向にチョコット進むとこんな看板が! この「コツ通り商店街」というのがスゴイですね。漢字でかけば「骨通り商店街」ですからね。 というのもここの通り、現在の南千住駅を含む東側にあった、江戸時代の刑場(小塚原の刑場)と 日光街道を結ぶ通りだったんですね。それで、コツ通り。 力強い商店街です。 さて、このあたりの文化的名物?といえばコレ。 そうです。松尾芭蕉の名作「奥の細道」の出発点であり、この句もこのあたりで詠まれたとか。 そういえば芭蕉さん、カナで書くと「はせお」当然当時は旧かなですから濁点(”)という記号はなく、「しょう」は「せお」と書きました。そこで「はせお」。結構いろんな石碑なんそにでてきますので、今回覚えておきましょうネ。 ちなみに芭蕉とは「バナナ」。吉本ばななより何百年も早く「バナナ」を名乗っていたのです。 お勉強はさておいて、おまわりさんに守られたご門から入りました。 この辺のいわれはこの看板で・・・。 境内・社殿はかなり広く大きい神社です。 神楽殿もかなり立派です。ご近所から随分信仰されているのでしょうね。 また、はせお「奥の細道」にちなんだこんなミニュチュアも さてさて、お目当ての南千住富士はというと どうもいくつかの神物がご一緒におわすようで、詳しくは(また看板ですいません) また詳しい写真は 浅間神社と瑞光石がご同居のご様子です。 浅間神社といえば富士山ですのでココが南千住富士と断定し裏手にまわれば なにやら曰くありげな石碑があります。 良く見れば ヤマに「冨」の字の彫り物を発見! まさに南千住富士の証拠ですね。 これにて第2次遠征も大成功でした。 最後に素盞神社(すさのおじんじゃ)らしい灯篭を紹介します。 ここに彫られている 蘇民将来についてはスサノオにまつわる伝承があり、なにしろあるとき蘇民将来というひとがスサノオをおもてなししたので、疫病で困った時に恩返しに助けてもらえたということです。 で、こう書いておくとその子孫ということでワタクシ達もそのご恩にあずかれるということです。厄除けですね。ハイ。 と帰路、振り返れば
また、正面ではない門から入ってしまっていたようです。 |





