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いよいよ樓外樓での注文である。
アタシ達夫婦を含めて、ウーくん、マル同僚、Jマル夫妻と7名位とのことなので、7品とスープを採ろうと決めてメニュー選定を行った。
選定委員はアタシとウーくんである。
メニューには日本語訳もついているのだが、どうにか漢字だけでも想像がつくし、何しろ日本語は字が小さいので見にくいので、漢字だよりで考えた。
実をいえば、店内に入ってきたときにキョロキョロして、先に食べているお客さんのテーブルを観察して、皆が注文しているものが名物だろうと見当をつけておいたので、割合にスムーズにメニュー選定は進んだ。
まあ、それを漢字でどう書くだろうというか、どう書かれているかを想像するだけで済んだ感じである。
選んだメニューをメモに書いておいて、そのメモを持って帰れば正式名称の記録になるという一石二鳥の作戦。
そこで選んだものをメモを頼りにここに記すので、ちょっと想像してみて下さい。
(お暇な方は、前々記事で樓外樓メニューを紹介したので、それを参考にしていただいてもよいですが)
叫化童鶏
龍井蝦(正しくは虫偏に下)仁
東坡燜肉
小龍包
西湖醋魚王
蝦爆鱔背
三鮮絵(正しくは火偏に会)圓
であるが、結局集合したのが10人にもなってしまったので、追加で二品注文した。
响油鱔鱸
筍と鶏肉と野菜のスープ卵とじ(これはメモを取り忘れました)
ということで、漢文の授業みたいになってもつまらないので、写真でご紹介いたします。
叫化童鶏
「乞食どり」とも云われる超有名な鶏の蓮の葉包み蒸し焼き
龍井蝦(正しくは虫偏に下)仁
川エビの龍井茶炒め
東坡燜肉
これが目的だった東坡肉
小龍包
マルくんとウーくんに敬意を表して上海名物
西湖醋魚王
西湖川魚の唐揚げ甘酢あんかけ
蝦爆鱔背
ウナギの唐揚げ川エビのせ甘酢ソース掛け
三鮮絵(正しくは火偏に会)圓
ハンペン葛煮
响油鱔鱸
田ウナギの炒め煮
筍と鶏肉と野菜の卵入りスープ(これは料理名メモを取り忘れました)
といった、昨夜の披露宴に負けずとも劣らずの豪華なメニュー。
こんなに豪華な食事が続いたことは生まれて初めて。
お味も大変に良く、歯ざわりだってサクサクあり、トロトロあり、プリプリありで飽きることを知りません。
これに少々のビールとということだったのですが、飲み物で感動したのがこれ。
なんとスイカのジュースであります。
アタシは子供の頃からスイカ好きで、毎年夏には幾つかに切ったスイカを大匙で頬張った挙句、皿に滴ったスイカのジュースを飲んで、マズイ!ということを一夏に一回はやってマズさの確認をしたものですが、このジュースの甘さたるや本体よりも甘いぐらい。
その割にさっぱりしていて、いくらでも飲めるジュースです。
これは驚きましたよ。
ということで、みんなで昨日・昨夜のネタで大盛り上がりして、楽しい時間を過ごしました。
Jさんだってこの通り。
でもさすがに疲れの色は隠せませんね。
と、トイレから戻ってみると知らない少年が・・・。
通りがかりで、ウーくんのスマホゲームを観戦しているとのことでした。
なんだかこんな不思議な光景がありつつ、楽しい昼食となったのでありました。
こんな杭州なら、だれだって蕩けてしまいますよね。
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Jマル結婚式の旅
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2018年4月27日〜30日にかけてジェイさんとマルくんの結婚式に行きました。行先は上海経由で杭州へ。その前後や結構式当日の様子など。
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さて、樓外樓である。
杭州第一の食堂なのだが、なんとも不思議な感じのする、意味を捕まえかねる屋号である。
そこで、昨夜Jさんに尋ねた。
「樓外樓 って、とんな意味なんでしょうか?」
すると暫く経って返事が来て、
「杭州の詩から名前を付けた」とのこと。
そして、調べてくれた百度(バイドウ)の記事がついていた。
簡字体という現在の中国での標準字体なのでちょっと読みづらいのだが、その詩にたどり着くことができて、日本語のサイトを発見した。
その結果がこの詩である。
(助けていただいたサイトはこちら→http://taweb.aichi-u.ac.jp/toyohiro/lin%20sheng.html 心から感謝します!)
林升 (南宋)
林升、字は夢扉。平陽(浙江省)の人。おおよそ紹興(1131〜1162)から淳熙(1174〜1189)の間に在世。 題臨安邸 臨安の邸に題す 山外青山楼外楼 山外の青山 楼外の楼 西湖歌舞幾時休 西湖の歌舞 幾時か休まん 暖風薫得遊人酔 暖風 薫り得て 遊人 酔い 直把杭州作汴州 直ちに杭州を把りて汴州と作す とのこと。
林 升 (南)宋 がつくった詩
臨安(杭州)の邸(宿屋)に題す
山の外にはまた山ががあり、高楼の外には高楼が連なる
西湖での歌や踊りはいつになったら休むのだろう
温かい風が良い香りで吹き、アタシみたいな遊び人は酔っぱらう。
これで杭州を気に入って、(本来は取り戻すべき本来の都である))汴州(べんしゅう=今の開封)のつもりになっている
ということか。
アタシなりの大意は「宋が分裂し本来の王朝(南宋)は北宋によって今の開封から長江の南の地である杭州に追いやられたのに、その開封を奪還することも考えずに、王朝の家臣どもは今の杭州の山や高楼を楽しんでいるとは、なんてことだ!」
こんな当時の世相を悲憤慷慨する詩がその屋号の由来だとのこと。
実際の高楼たるこのお店、商売柄、歌舞音曲の中心となりそうなこのお店の屋号が、こんな詩からとられたとは意外である。
これはなにかの皮肉であろうか、それとも逆説的なユーモアであろうか。
なぞがナゾを呼び興味は尽きない。
こんなことを調べたり考えたりする文人趣味が、ここ杭州には横溢しているということなのか。
そして、そんな土地柄と美味しいもの、歌舞音曲には触れなかったが西湖=西施よりも美人と思われる方が多い(もちろんJさんもその一人)。
マルくんだけでなく、街と風景と人と料理・お酒にすっかり蕩けさせるのは、ここ杭州の伝統的なあり方だとみた。
早速調べてくれたJさんに特大の感謝をする。
親孝行の第二であった。
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さてお待ちかねの西湖第一の食堂である。
その名は樓外樓(ろうがいろう)。
日本にも同名のお店があるが、どこまでこの樓外樓と関係があるのかは知らぬ。
大きなお店で、杭州第一の人気店。
それはそのはず、このお店の前には西湖の絶景が広がる。
これが蘇堤だか白堤だか最早関係はない。
席取りのウーくんを訪ねて店に入る。
するとこんな看板が出ていた。
文明的な食事のためには、頼みすぎない(残すほど注文しない)、呑み過ぎない、タバコを吸わない とお達しがあった。
これは心して食事に臨まなければならない。
店に入れば、ウーくんがやっていた。
もちろんスマホゲームである。
本当に大きな店だ。
この店で、並ばなければならないような人が来るとは想像できないが、我等も人数が多くなるとのことであるので、ゲームをしたいだけではなくて席取りが必要だとのことである。
さすが杭州第一。
ところがそんな行楽シーズンの初日ということですでに渋滞がひどくなっているのか、マルくんの会社の同僚だとかその友達、Jマル夫妻ともまだ到着しない。
そこで、カミサンとウーくんと三人でとりあえずお茶を頼んで、ゆっくり注文の品を考えようということになった。
ウーくん曰く、中国人は食べることが命より大切だと考える人たちなので、ここで気が利いたものを注文することが重要だというのだ。
ご当地杭州でお茶といえば、西湖龍井(さいころんじん)。
中国茶の中でも日本茶に近い発酵程度の低いお茶であり、さわやかな感じがする。
食事と一緒でも邪魔にならず、ホッとした気持ちにさせてくれる。
そこで、いよいよ日本語併記に気を良くして、メニュー研究をすることとした。
重厚な菜単の表紙だけでもちょっとビビる。
ページを開けば
まずはお店紹介。
そうしていよいよ料理が並ぶ。
まずはこれも名物の鶏料理。
オードブルが並び
つぎはオススメの名物料理が並ぶ。
さすが西湖の畔、川魚系が名物の一番に出ているのですね。
そして、川エビの料理とあの鶏料理。
かの高名なる東坡肉と川魚の熱いスープが続いた。
そうして、湯葉だとかポット入りの蒸しスープ。
それからは、アワビやフカヒレ、炒め物や点心類と続いているのですが、そろそろお退屈でありましょうから、最終コーナー。
お飲み物だって豊富である。
きっと李白だろうか、菊の時期に一杯やろうかという挿絵が心がくすぐる。
そうしてオオトリはナント!結婚式・披露宴のメニューであるようだ。
しかし、これだけのメニューから7人で囲むものを選ぶとなったというのは、こりゃ、大変なことである。
なので協議はつづき、この話も続くのである。
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前回の記事、「西湖概要」については、誠に分かったような分からないような話で失礼いたしました。
ですが、まあ、
①この西湖の大きさは.山手線の北半分くらいあること
②白堤という堤が、いうなれば池袋から新宿三丁目にかけての明治通りに匹敵するようにつくられていること
③その明治通りの戸山公園あたりが出島になっていて、博物館やら食堂があること
④その新宿又は代々木あたりから、靖国通りのように秋葉原に向かうのが、蘇堤といわれる堤であること
⑤どちらの堤も、唐代の大詩人であり大官僚であった、白居易と蘇軾に由来していること
⑥西湖湖の中に、ちょうど小石川後楽園のあたりに、田の字の島があること
あたりを御心得覚えいただきれば、以降の記事のご参考になるかと存じますので、よろしくお願いいたします。
ということで、10:30過ぎに迎えに来てくれたウーくんと一緒に、タクシーで浅草あたりにあるアタシ達が泊っているホテルから戸山公園の場所にありそうな出島に向かった。
正午ころにはマルJ夫妻と合流して、杭州第一の食堂で名物料理を食べようという。
今しがた朝食が終わったばかりで、さすがに昼食まで気が回らなかったのが、杭州第一と聞いてはお腹が空いてくる。
しかしこの日は5月1日のメーデーを控えた4月29日の土曜日。
本日から3連休になるので、中国屈指の観光地であるここ杭州・西湖は大混雑が予想されるという。
しばらく走って、どうにか西湖が見えてきたと思ったら、ちゃんと渋滞が始まった。
ので、しばし雑談タイムである。
上海人のウーくんも初めての杭州なので、本当はどのお店が杭州第一だか知らなかったのだが、Jさんが指定するなら第一のお店に違いないと思ってアタシ達に云っただけで、真偽の程は分からないという。
そこで、運転手さんに確認したところ、やはりそうだという。
特に蘇堤の由来となった蘇東坡は大変な食通でもあって、召し抱えのコックさんにつくらせた豚肉の角煮は、東坡肉と呼ばれるようになって杭州名物を超えて世界の豚肉料理の最高峰の一つとなったが、その一番のお店だという。
大いに楽しみになって、渋滞も気にせずバカ話を続けていたら、まあみんなで話せるとこということで中国のタクシー事情の話題になった。
ウーくんの通訳によれば、中国のタクシーには会社タクシーと個人タクシーがあるのだそうだ。
しかしその個人タクシーというのは日本と違って、タクシー運転の免許を持っていなくてもよいのだと云う。
日本で云うところの「白タク」という事が分かって、ちょっと愕く。
しかし、今まで散々乗ってしまったのでまあいいかと思う事にして詳しく訊けば、それを可能にしているのが、配車アプリであるという。
配車アプリに自分の都合が良い時間帯を登録しておくだけでお客さんから連絡が入るのでそこに迎えに行き、云われた目的地に行けばよいのだという。
道だって地図アプリで調べれば良いし、みんな「支付宝(アリペイ)」で払うので、つり銭の用意もいらないと自慢げである。
しかも、会社タクシーに対して「白タク」の料金は2分の1から4分の3なので、こちらの方が多くの人から支持されており、会社タクシーとは多少のライバル関係もあるが、なにしろ台数も多く便利なので、市民権を得ているということである。
いやいやさすがハイテク国家であると感心するとともに、規制好きの国家であると思えるこのお国で、一体政府がこれを野放しにしているとは何事なのだろうかと、不思議である。
きっとエライ人なら会社タクシーとのつながりもあって、当然その方々は「会社派」の肩を持つと思われるのだが・・・。
するとその背景には、物価の急上昇という経済学的な問題があるというのだ。
地代がバブル的に上がったのに、庶民の給料は上がらないので、副業をせねば生きられぬという。
なので、そこまで政府が規制すれば庶民の反発を招き・・・という大人しい日本人には考えられない具体的行動も起きかねないので、ここはオトナの対応だそうである。
なんて、本当かウソか分からない話をしながらその杭州第一の東坡肉店に到着。
話が興味深かったせいか、渋滞も気にならずにちょっと早目の11:15頃には到着して、暫しJマル夫妻待ちとなった。
ら、ウーくんは「アタシが先に行って席を取っておくので、ちょっと散歩でもしておいで」と云ってくれた。
さすがいい男だと感心しつつ、いや3人でお茶でも飲みながら待って居ようよと提案しても、かなり頑なに自分だけが席取り当番をするという。
あまりの強烈な親切感で云うので、最後はその言葉に甘えることでお礼を申し上げたが、実は彼は一人でスマホゲームがしたかったのが本音であったことを知って、さすが現代青年だと納得しつつ安心した。
さてその東坡肉店の隣にあるのが、今度はアタシが実は行きたかった西泠印社である。
清の光緒30年(1904年)設立の学術団体で、金石篆刻や書、中国絵といった文人方面で活躍する人を輩出しているところというので注目していた。
実は(さっきからこの「実は」が頻発してすいません)、ここ数年アタシは篆刻がしたくてしかたがないのだ。
目が悪くなって細かい作業はしづらくなっているものの、最近はナントカルーペというのも出て来たのでどうにかなりそうだし、アルコールに弱くなったかわりにこれをやれば多少時間もつぶれそうで老後の暇つぶしにもよさそうだし、なにしろこうした大人しい趣味はカミサンだって喜ぶに違いない。
と、本当に、心の底から思っていたところなので、うってつけの場所である。
Jマル夫妻の親孝行の第一である。
門を入れば幾つかの建物が裏山の頂に向かって建っていて、まさに南画の風景である。
こんな回廊も文人趣味をくすぐり
更に登れば書の展覧会をやっていた
ちょうど写真を撮った前庭には灰皿もあって、心がやすらぐ。
崖の石垣にはなにやら彫ってあった。
細かいことはさておて、頂上からは西湖の眺め。
ちょうど国内からの観光客だろうか。自撮りをしている女子なんて今風ですね。
と、気が付けばこの髪飾り
風車を回しながら歩ける可愛いモノで、子供からオネーサンまでここ杭州での女子はみんなが頭につけていた。
かつての我が国の文人達が夢見た地に来られて、とても清々しく充実した時間を過ごせたこと、一生の記念になりつつ、次は東坡肉である。
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結婚式・披露宴から一夜明け、反省会も兼ねた豪華朝食をホテルで済ませたところに丁度良いタイミングでウーくんから電話が入った。
なるほど中国はTI系の発達著しいところで、こと電話に関しては固定電話の時代を飛び越えて一足飛びに携帯電話に突入したと思ったら、国民ほぼ全員がスマホの時代になっている。
なので、通話ということだけでなく買い物の支払いもタクシーを呼ぶのもスマホがあれば事が足りて、もう財布もいらなければ、路上でキョロキョロと空車を探すこともいらない社会となっていた。
ホテル内のWiFiやマルくんが日本で手配してくれたポケットWiFi利用して通信し、中国版のLINEであろうかWeChatというアプリで連絡をとりあっていたのだが、このWechatの普及率が最早全国民的であるせいで、一旦緩急あれば・・・の場合、緩急があった方には都合が良いに違いない。
なにしろFb系のサービスやLINE系のサービスは使えなくて、これ一本なのが高普及率を支えているのだろう。
日本でも使えるのは便利であるが、アタシの行動までバレているようでいささか気恥しいような気もする。
ということで、ウーくんからの連絡は本日の予定についてであった。
西湖を中心とした杭州の良い所をマルJ夫妻が案内してくれるという。
いささか申し訳ないようなオモテナシ企画なのだが、そうしてくれるというので甘えて一緒に楽しむこととした。
杭州はその昔(日本では平安時代らしい)「臨安」と呼ばれていて、宋が分裂して金(北宋)と南宋に分かれた時の南宋の首都であったとのこと。
その以前、唐の時代から詩に詠まれた風光明媚の地であり、マルコポーロが来た時には「天に天国があれば、地上には杭蘇(杭州と蘇州)あり」と、蘇州と並べて褒め称えたとか。
もう35年近く前に新婚旅行で蘇州にはいったことがあって、山に囲まれた街中にいくつもの庭園があり、それは昔の貴族の作った庭園であったものにもかかわらず、文化大革命が終わってまだそんなに時間が経っていなかったのによく手入れがされていて感心したものだが、ここ杭州は蘇州に比べて明らかに大きい(広い)街のようである。
それは、西湖という大きな湖が街の中心をなしているからで、その後Jさんのお父様から伺ったところによると、周囲が22㎞もあるという。
周囲22㎞といわれてもなかなかピント来ないので東京に帰ってから調べたところ、東京の秋葉原から池袋・新宿と山手線に乗って代々木で中央・総武線に乗り換え、四谷・飯田橋・御茶ノ水を通って秋葉原に戻るコースで23.7kmだそうだから、おおよそ山手線北部に匹敵する面積である。
Jさんに買ってもらった地図によると
このように緑の多い街をなしている。
しかしこの地図にはちょっとした勘違いを行わせる仕掛けが施してあり、それがアタシ達の常識である「北が上」ではなくて、「西が上」であったことだ。
そこで、これを90度向き替えしたものがこれ。
一番上が池袋あたりなら一番下が秋葉原。
湖の右岸が山手線で、秋葉原・上野・池袋ラインになり、そこから左に池袋・新宿・代々木となって、、左岸伝いに四谷・飯田橋・御茶ノ水と進んで秋葉原に戻る感じである。
その西湖には二つの堤が横切っていて、蘇堤・白堤と名付けられているのは蘇東坡と白居易(白楽天)にちなんでいるのは彼らは唐の時代の大詩人であったとともに当時の文人らしく大官僚・地方長官として、この地の担当であった時代に治水も兼ねた工事としてこの両堤を造営したとの伝による。
その堤のうち白堤は、いわば池袋から新宿にかけての明治通りにあたる感じで、新宿の手前の戸山公園に当たるあたりに出島があり、博物館があったり料理屋があったりする。
また、西湖の中には有名な「田の字」の形の島があって、その「田の字」の空間には水が湛えられているのはわざと溜めているのかどうかナゾだが、ちょうど小石川後楽園あたりになる。
一方、蘇堤は長い堤で、新宿から秋葉原に直線的に伸びる靖国通りといった趣をなしている。
ちょっとダラダラ話となってしまったのだが、実はこの大きさ感・広さ感がわからないと昨日までの結婚式での各場所間の距離感も、今後の記事の場所感もピント来ないので、今回はこの街の概要を紹介した。
この例に倣えば、アタシ達の泊まっていたホテルは上野の東の稲荷町・浅草あたりだったし、Jさんのご実家は亀戸あたり。
マルくんのホテルで披露宴会場は赤羽あたりだろうし、記念写真の杭州花園は初台あたりということになろうかと思う。
嫁取り行列のための出発時間も朝のラッシュを考慮して早朝だったのは、浅草から赤羽経由で亀戸まで移動したわけだから仕方がないし、その後嫁入りのため赤羽に引き返してから昼食後初台へ行ったのだから移動時間だけでたっぷりとかかったはずだった。
そんな西湖を中心にして、さてここから遊覧が始まるのである。
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