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信・行・力

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私にとって関係している若者たちに伝えるすべが11日にプッツリと途切れてしまいました。10日以上過ぎ、顔を合わせることも出来ず、このままでは何だか年度末・年度初めを迎えられない気がし手紙を。全文手書きで伝えたかったのですが、数が多いのと・読みにくかったら、不向きと判断しこの内容を送りました。手書き部分は“三字”のみで。

やらなければならない ものすごく ちぃっちゃな ことを昨日済ませました。

今回の大震災で「・・何 が 自 分 に 出 来 る か・・?」という自分に問うているのか、他者に問うているのか、何だかよくわからない 意見を 多く見聞きします。私は大袈裟にとらえるのではなく、今気になることを一つ一つクリアーしていきたいと思います。働きかけは人それぞれです。

勤務先が浦安海沿いのため被害が大きく、今日現在も市内の多くの地域で断水中。
画像は、11日からの様子を撮影しながら 「何だか 違うだろう よせよ」という声がどこからか聞こえたのと 他の人が鮮明に撮影していますので 控えます。

11日は一晩だけですみましたが、近所の小学校へ避難。夕食は午後11時にビスケット5枚とスープ(市の炊き出し)と経験しました。毛布1枚、一晩ですが寒かった。

浦安の現状は結構知らされていません。同じ千葉県でも同様の地域があることをラジオで初めて確認することもあります。県内でも こうなんだから、それが東北地方では・・日本では・・・。

「喉元すぎても熱さを忘れてはいけません」 
 決して他人ごとではないことを実感。

日曜日まで遠くに出掛けてきます。

法隆寺 釈迦造像銘

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ももさんが第59回独立書展で臨書されました。
http://blogs.yahoo.co.jp/momomail9292/1289138.html
私も87年10月の秋季展に書いていたことを思い出し初公開します。
サイズは忘れてしまいましたが、おそらくももさんと同じくらいだと。

行頭・行末・中心から右左の行の傾き等、出品し始めでまったく出来ず
全体をまとめるのに大変苦労した記憶が・・。

伊勢志摩漁火食品

昨日は10日木曜に手術をした母の様子を見に千葉県から埼玉県に。
臓器を二つ摘出する6時間にも及ぶ大きな手術だったが、
表情と口調は術前とまったく変わらず先ずは一安心。

自宅から武蔵野線、埼京線、高崎線と乗り継ぎ、
乗り継ぎの武蔵浦和駅で 偶 然 “たねのねた”のたねさんのデザインされた
伊勢志摩漁火食品の商品に出会う。
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今週出店にて本日最終日、20時には三重県に帰られるとのこと。
酒の肴に、いかあぶり・いわし漁火焼・炙りますを購入。もっと欲しかったのだが、多くは持てないのでこれ位で。最終日にて端数はおまけ。
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たねさんとは、約一年前こうした出会いがあり、
http://blogs.yahoo.co.jp/pro_seed_design/6500655.html
先週お互いにコメントしあったばかり。


この字もたねさんの手によるもの?
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こうした貴重な偶然のあった日には何かがある、と普段買わない宝くじを買う。
今月二回目。

追加に埼玉県銘菓十万石を。
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十万石は棟方志功と関わりがあり、その内容はこちらから。
http://www.jumangoku.co.jp/deai/deai.html
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変わらない味でいくつでも食べられる。

『 米 山 』 石文

三輪田米山(みわだべいざん)は松山の生まれ。1821(文政4)年、伊予松山の日尾八幡神社神主三輪田清敏の長男として生まれた伊予の神主である。明治維新を境に幕末と明治の激動の時代をすごした。王羲之を初めとする書の古典を深く学び、独自の書風を形成し、大胆な表現を展開した。
1908(明治41)年に没し、2008(平成20)年は、没後100年にあたり、NHK日曜美術館で取り上げられ、「米山没後百年展」が愛媛県美術館で開かれた

戦前に佐伯祐三や墨蹟などのコレクションで知られる実業家・山本発次郎が米山書を積極的に世に出し、その魅力が広く知られるようになった。山本発次郎コレクションは現在、大阪市立近代美術館建設準備室に保管されている。


松山は何度も訪れていますが、講習会場とホテル往復だけで、自由時間がなかなか取れず、今回は13日の午後少々時間が。そこで米山の石文を観に。

黒住神社  愛媛県美術館近く  松山市松前町
     養無・一誠 1895年12月 明治28 75才
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 客天満宮   松山市水泥町
神名石 1901年3月 明治34 81才
神名額 1879年5月 明治12 59才
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木額(客天満宮)の下で遊ぶ小学生の子供たち。自転車で10人集合。
神社、お寺はいつの世も子供たちの遊び場。40年前の昭和の子供たちは、ベーゴマ、メンコ(埼玉ではブツケと言っていた)ビー玉、缶けり、陣取りと大騒ぎ。
平成の小学生たちは、木額の下で静かに流行のカードゲームに興じていた。

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日尾八幡神社  松山市南久米町
鳥舞・魚躍 1880年10月 明治13 60才
上善・如水      ?
百度石     1890年12月 明治23 70才
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参考ホームページ(多数の石文が紹介されています)
きまぐれ“あぶる”さんの http://blogs.yahoo.co.jp/luka_mtht
『三輪田米山の石文を歩く』 http://beizan-madonna-orange.rakurakuhp.net/

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先週の土日と愛媛県松山市に行ってきました。第20回記念 独立書人団愛媛支部展 併催:西原清繁書展 を観に。会場・愛媛県美術館
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夜の祝賀会で西原清繁氏は自分の「本然(ほんねん)」がわかった、というような話をされていました。
『「本然」とは、もとからその通りであること。うまれつき。人が理として先天的に賦与(天から賦与された才)されている純粋至善の性。』

人は自分自身を探すために、その人の出来る何かを行い続ける。おそらく大半の人はきっかけだけ手に入れることは出来ても、なかなかその先には進めず、自分自身がわからず終えるのでは。
私の想像を超えた氏の仕事ぶり(試みの書)から、氏の「本然」がわかったという言葉は、中途半端な私にも納得のいくものであり、それを裏付ける個展らしい書展であった。

西原清繁書展 テーマその二【試みの書】よりほんの一部
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毎日新聞の記事
http://www.mainichi.jp/enta/art/news/20090604dde018070068000c.html

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