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月輪寺(つきのわでら)は、京都盆地の北西にそびえる愛宕山(924m)東方の中腹にある山寺である。ここには重文の十一面観音像、千手観音像の他にも優れた平安期の仏像がある。白洲正子、丸山尚一などの書物に詳細に紹介されているが、拝観するには登山が必要で、とにかく大変なんだそうです。早朝7時、嵐山に到着、さあ登山、以下に紹介します。
阪急・嵐山駅から渡月橋を渡り、京福・嵐山駅前バス停から清滝方面バスで終着の清滝口まで行く。

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のんびりした嵯峨野の村を通り、化野念仏寺、愛宕念仏寺を窓外に見ながら、一方通行の清滝トンネルを抜けると、清滝である。渓流と山が迫る環境に一変します。ここ清滝は、愛宕参りの宿場町として開けたそうです。

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バス停にある清滝付近の案内板。

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朱色の猿渡橋の越えると、集落があり、かつては旅館などで栄えた風情が残っています。橋の上から見た清滝川の清流。今は早朝で人もいないが、帰路には大勢の人達が水浴びをしていました。

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橋を渡って宿場町の入口にあたる「幸福延命地蔵尊」を祀るお堂があります。村の入り口には必ずあったものでしょう。写真の左上に文献からコピーした。肉眼では見えます。大切に保管されています。上述した案内板の図中には国宝とありましたが・・・?。

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しばらく進むと、正面に丹朱の鳥居が出現します。江戸時代に「伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕山へは月参り」と歌われた愛宕参りの二ノ鳥居で愛宕山登山口になります。左の鳥居横の智楽庵は、古風なお食事処です。
月輪寺への道は右手に折れます。すぐに月輪寺への道標があります。

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細い林道が続き、右下は清滝川の清流杉の合間に見え隠れします。快適なウオーキングが楽しめます。

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歩くこと30分程で「月輪寺のぼりぐち」と書かれた目立つ標識に着きます。いよいよ急な山道になります。これから約1時間の予定。尚、左手の沢沿いに行くと民家と小さな祠が建ち、その奥に「空也ノ滝」がある。月輪寺の登山後、帰路に寄ったので後ほど報告します。

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急坂が続きます。平坦な部分はほとんど無く、一気に上へ上へといった具合の道で大変です。

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中間点付近にある身助地蔵(霊水奇蹟の跡)。丁度30分かかりました。標準的でいいペースと言い聞かせ、一息つきます。

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更に同じような坂が続きます。あの韋駄天オマサこと白洲正子が著書十一面観音巡礼でボヤいた一節は「愛宕山は砥石が出るところで、それがこまかく砕けているので、歩きにくいことおびただしい。途中で、何度も引返そうかと思ったが・・・」。右の写真の状態がそうであろうと思が、アチコチ続き、歩き難いことこの上なし。

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終盤近くにこの立て札あり。勇気付けられます。最後は比較的なだらかな歩きやすい道になります。

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見えました。山の中腹のわずかな平地に建てられています。左の崖の一部が崩れそうになり、丸太で補強され、また、本堂前の休憩室が立入り禁止となっていました。きびしい環境です。
中央奥が本堂。鹿6匹と猪が頻繁に出現し、鹿害には困っているそうです。右手は収蔵庫。中間点の身助地蔵から40分でした。最後は少し疲れペースダウンしたかな?

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お堂前からの眺めは抜群で嵯峨野、嵐山が見え、桂川の南への流れが確認できます。

<月輪寺>
704年白山信仰の開祖でもある泰澄大師の開山で、奈良末期に大安寺の慶俊が中興した。平安遷都以前に愛宕神社の周辺に5寺が建立されたが、現存するのは月輪寺と高雄山寺(神護寺)のみである。その後、空也上人が修行し、念仏を悟り、法然、親鸞達も続いた。また、九条兼実(藤原忠通の三男で九条家の祖)は帰依し、円澄と号し、当地に隠栖した。浄土信仰の祖師達が一堂に会した観があり、みんな叡山で修行し、そして叡山を捨てた人々である。山岳にこもって、独自の道を発見することが行なわれていた。

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     本堂と前の「時雨桜」(三代目)。左は三祖師堂(回廊でつながっている)。

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(文献コピー)親鸞聖人が植えたとされていて、5月頃になると雨も降らないのに葉に雫が溜まるそうです。この姿が、親鸞聖人が涙を流しているように例えられるようになり、しぐれ桜と呼ばれています。

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天然記念物日本石楠花と元愛宕権現堂。4月下旬に咲く京都市の登録天然記念物本石楠花は明智光秀が植えたとも言われています。明智光秀が本能寺の変を起こす前、この愛宕山に本隊をおいていて、本能寺に攻め入る前に、月輪寺で攻めるべきかどうかみくじを引いて決めたという伝説が残っているそうです。
石楠花の南に空也上人が龍神から授かったと伝える霊水「龍奇水」が湧き出ている。寺の貴重な生活水、また愛宕詣や登山者のお助け水として使われている。たっぷりいただき、流れ出た汗を拭き、気分爽快として、いよいよ仏像拝観です。人の住む山里には必ず湧き水があります。生きるにはまず水があることです。

<収蔵庫>

原則として何時でも電話予約で拝観可能であるが、雨天時はだめだそうで、突然の山の天気の変更に左右される拝観である。付近は湿気が強く、保存に気を使っておられが、かなりカビぽっくなっているそうです。先代の住職さんが亡くなられた後、娘さんの尼僧が一人守っておられ敬服します。収蔵庫に案内されて、まず、月輪寺御詠歌「月影の至らぬ里は なけれども 眺むる人の心にぞすむ」を独特の声明で詠われた後、丁寧に一体づつ説明いただいた。

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(文献コピー)十一面観音菩薩立像。像高169僉J唇遜藉。重文。一木造。頭部の化仏は3像のみ残る。ガンダーラ風の大ぶりな頬の張った面長の表情です(尼僧のお話)。白洲正子が訪れた頃は本堂に祀つられていたので、女史は仏像はお堂で見るにかぎると…」。残念ながら、今ではそのことはかなわず、冷たい収蔵庫で見るしか術がないが、苦労して登ってきたご褒美なのか感動的でした。

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(文献コピー)千手観音菩薩立像。像高154僉J唇遜藉。重文。一木造。

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(文献コピー)空也上人像。像高119僉3倉時代。重文。口から南無阿弥陀仏を表す六尊の小佛を発する。非常にきびしい表情である。空也の彫像といえば、六波羅蜜寺の立像が、最も有名であるが、当寺、浄土寺(松山市)、荘厳寺(近江八幡市)などが代表的である。いずれも鎌倉時代の作で、重文である。

その他、ご本尊の阿弥陀如来坐像(平安中期・恵心僧都源信作)・聖観世音菩薩立像(平安初期)・伝龍王像(平安初期)・善哉童子像(平安初期)・・九条兼実坐像(鎌倉時代)・弘法大師像などの重文を拝見した。

一度でも山火事に遭えばこの地での消火は不可能であり、住職は尼僧ながら覚悟の守りを続けていると語ってくれた。元気のよい犬と気丈夫な尼僧に見送られ、下山、途中にある「空也の滝」をめざす。


<空也の滝>

登り口の小屋の前に流れる沢沿いに10分ほど行くと民家と小さな祠が建ち並ぶ狭い道となるが、更に進むと「空也ノ滝」がある。空也ノ滝は、空也上人(醍醐天皇第二皇)が修業をした滝とされ、またそれ以前には役小角や泰澄上人も修行したとも伝える聖域である。

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苔むした山道を登る。清流が心地よい。落差14mとさほど高くないが、周辺環境からパワースポットの霊気がある。たまたま修行者が来られ、業を行い始めました。


仏像拝観と登山。白洲正子はじめ多くの著名人が訪れ感動した場所に訪問できたことはうれしい。この後、再び仏像巡りの意欲が湧いてきた。そんな月輪寺でした。汗だくの小生と最後まで読みきっていただいた方々に“ごくろうさん”。 

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