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若狭神宮寺は東大寺二月堂への『お水送り』行事が行われる寺で知られる。
2013.3.2この行事を見学したが、当日は本堂内には行事のため入ることはできず、神仏習合が色濃く残るという内陣を拝見できなかった。
前報の無悪地区・安楽寺の秘仏・聖観音像の御開帳に合わせて、神宮寺を訪れ、本堂内に入りましたので、紹介したい。神宮寺の紹介はブログを参照下さい。

また、鵜の瀬・白石神社跡や福井県立歴史博物館での特別展「若狭武田氏の誇り」を見学しましたので併せて報告したい。

若狭神宮寺境内絵図7堂伽藍25坊を有していた時代もあり、2003年からの発掘調査で、現本堂に近接する西南の地で神願寺(古代)期の塔跡・堂宇跡を検出した。
この図では、現本堂背後で一段高くなったところが神願寺金堂跡、その金堂跡の南隣が神願寺塔跡と記載される
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上図のA地点から、振り返って、北門方向の参道の景色。
左手に塔頭があります

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A地点にある拝観受付山門の奥に本堂が見えます

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室町時代に朝倉義景の寄進により再建された重文・本堂
屋根の勾配が鋭く、優美である。正面に、しめ縄が張られる
本堂内へは常時入場できるが、内陣への参拝は予約すれば、時間は指定されるが、住職の説明、説法を伺うことができます。
本日は10人ほどのご婦人集団と同席でした。ご住職は2013年「お水送り」の山八神事でお会いした方で、その折は口数が少なかったが、今回は雄弁で貴重なお話しを沢山聞くことができました。
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外陣の格子戸からも内陣の様子が見えますが、左側から入って、須弥壇前の畳敷きに座り、神仏習合が色濃く残る須弥壇を拝観しながら、ご住職のお話しを伺う。
神仏分離以後、ここまで神仏を共に祀ることの多難さを特に、強調されました。

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前後に架けた虹梁により中間の柱を省略しています。
左側の内陣とは格子戸と菱欄間で厳格に仕切ります

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屏風仕立の「当寺古圖再建」板絵が外陣・右奥に置かれているのが見えます。右には、ポストカードからコピーしたものです。幕末頃のものだそうですが、三重塔が現本堂の南に描かれています。金堂や三重塔の存在場所は創立時の神願寺当時とは変化しているようです。

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お堂の両隅を見上げると、象・獏の彫刻あり、お堂の内側につけられている飾りは珍しい。写真は暗闇で不明瞭ですが象だと思われます

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須弥壇は低く、左右対称ではない。 本堂内で二拍一礼。 
須弥壇中央には薬師三尊と左右に十二神将。残念ながら2体紛失で欠けている。向って左の段には千手観音と不動明王・毘沙門天像、そして向って右は神名が書かれた掛け軸が下がる。右に示した6柱の神様である。
最右端は少し前に出ているが薬師如来坐像が祀られ、以前は本尊が秘仏であったため、お前立であつた
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右側の壁面は、勧請座(影向座)といわれ神号掛軸3幅が掛かっている。

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()本尊薬師如来坐像(若狭彦本地仏)藤原時代
()千手観音薩菩坐像(若狭姫本地仏)伝奈良時代 (いずれもポストカードから)

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木造男神・女神坐像を収納する宝物殿
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木造男神・女神坐像 室町時代初期作。
若狭一の宮の神宮寺奥の院に伝わる神像とされる。衣冠束帯の男神像は像高49.1cm、小袿姿の女神像は像高50.9cm70年に一度ご開帳される秘仏。

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境内南面から見た本堂、静寂な木々と苔越しに建ちます

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市指定文化財天然記念物である椎の大木
周辺は苔むし、金堂跡、塔跡が残り雰囲気がある

若狭一の宮の元宮 白石神社
神宮寺から遠敷川を遡ると、清流が巨巌に突き当たり淵が出来た場所があり、「鵜の瀬」である。東大寺二月堂「お水取」行事に先立ち、ここで「お水送り」行事が行われる源泉である。
ここから、少し南へ歩き、「おにゆかわ」橋を渡ると正面に「白石神社」がある。
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白石は東大寺の初代別当・良弁上人の生誕地であり、左手に大きな石碑が見える。白石の地名も新羅からの転化であるといわれ、新羅系渡来人が多く住んでいたそうである。
境内地一帯は椿の群生林に包まれ、樹齢1000年以上のものも数本あるという。

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白石神社・本殿は小屋容の建物に覆われているので、異様な感じがするが、地方にはよくある建物である。建物の中には彫刻を施した鳥居や「白石大明神」の額が掲げてある立派な社殿である。
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苔に覆われた石造狛犬。天保拾?年の銘がある。


福井県立若狭歴史博物館
時間が少しあるので、JR東小浜駅の東にある博物館を覗いて見ました
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若狭武田氏は、室町時代後期に若狭守護を歴任した名門武家です。
本家の甲斐武田氏から安芸武田氏が分立し、さらに安芸武田氏から分立したそうです。
パンフレット説明によると「室町幕府を支えた文武両道に秀でた一族で、武家故実を伝え、文芸を保護し、優れた禅僧を輩出しました。今に伝わる武田氏ゆかりの文化財から、その歴史と文化をご紹介します」ということです。
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銅造如意輪観音半跏像 重文 小浜市太良庄・正林庵
像高33㎝ 8世紀 小浜市教育委員会資料から
中世、京都の東寺の荘園があった太良庄の山麓にある正林庵。
この地方での最古の金銅仏で、大ぶりの三面頭飾のある冠や、童顔童身の姿が印象的だ。武田氏被官粟屋氏の念持仏と伝わる観音像ということで、今回、特別展示されたようです。
 
常設展を駆け足で回って最後に、高浜町産の凝灰岩・「日引石」を知りました。
南北朝期以降、若狭地域西部の石塔は日引石製で、北は青森・十三湊から、南は長崎や鹿児島の坊津まで分布しているという。その理由の一つは、かつて、大型船運が栄え、遠く九州から渡来、小浜を出る大型船のバラスとして、石塔などが使用されたそうです。へえー、そうなんだと感心する。
 



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