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7月19日
読売テレビ
そこまで言って委員会
長いので略
全共闘と70年安保
ナレ
1968年、全国の大学で学園紛争が拡大し
当時の佐藤栄作総理をはじめ、自民党主流派は60年安保闘争の再現を警戒 1970年6月23日、日米安全保障条約は10年間の固定期間を満了し自動延長された
運動の結果が政治改革と結びつかなかった事で、敗北感挫折感を味わった学生運動家達は分裂し混迷を極め、異様なテロ集団へと変貌を遂げていく 中でも60年安保闘争で勢力を拡大した共産主義者同盟は、闘争方針を巡って分裂
そこから生まれたのが赤軍派で、直ちに世界同時革命のために立ち上がるべきだ、と主張し日本で武力革命を起こす準備を開始 主力部隊は山梨県の大菩薩峠で軍事訓練をしていた所を警察に見つかり逮捕され
組織は壊滅状態になるが、残されたメンバーは別の形で世界同時革命を模索 北朝鮮に渡り軍事訓練を受け、武器を持って日本に帰還する計画を立てる
1970年3月、赤軍派の9人が日本航空機よど号を乗っ取り、北朝鮮に向かう
彼らは犯行の前日、当時の人気漫画から我々は明日のジョーであるという宣言を纏めていた
9人は北朝鮮に渡った後、残されたメンバーの一部は世界同時革命の拠点として 中東のパレスチナを選んだ 1972年5月、3人の日本人がイスラエルのテルアビブ空港で銃を乱射し、26人が死亡 パレスチナに渡った彼らは、日本から来た赤軍派という意味で、日本赤軍と呼ばれるようになる 一方日本に残された赤軍派メンバーは、京浜安保共闘という組織と合流して連合赤軍を結成 群馬県の妙義山中で、軍事訓練を行っている所を警察に見つかり逃走 1972年2月、山を越え長野県の軽井沢に入った5人は、保養所あさま山荘に逃げ込み、管理人の妻を人質に包囲した警察と10日間の攻防戦を繰り広げる 事件解決後、彼らは妙義山潜伏中に仲間達をリンチし、殺害していた事が判明 その被害者は14人にのぼった
この余りにも凄惨な事件が日本社会に与えた衝撃は大きく、革命運動に一部同情的だった世論は急速に冷め
これ以降、日本の学生運動は低迷していく事になる ―略―
須田慎一郎
私の周りもね、やっぱり元闘士とかね、活動家とかねゴロゴロいた
右翼じゃなくて、左翼 フリーランスになってまだ20代の頃かな、あるメディアのっていうのかな ジャーナリスト達が集まった集団の事務所、入るんですよ その時は学生運動なんか終わってるし、彼等も革命とか闘争とか諦めてるんだろうと思った
1980年代ですからね それで飯かなんか食いに行くと、このワイン何年物なんだよねとか、元闘士が ステーキなんか食ってる訳、俺はボルドーのワインが好きだとか話をしてる訳 もう一軒行くかっていうんで、新宿のゴールデン街の店だとかね 銀座のバーだとか行くと、元活動家の溜まり場になってる これからの日本は革命を起こさなければならないから始まって、インターナショナル歌いだす訳ですよ すげー世界だなと 長谷川 そういう所に民主党の菅さんなんかは出入りしてた訳ですよ 須田 総理大臣の時に首相官邸日誌に出てきますよ、銀座のバーに 拠点となって 革命起こそうじゃないかーって 長谷川幸洋 そこに菅ご夫妻がしょっちゅう飲んだくれて、酔いつぶれていたんだ 加藤清隆
菅直人はそういう意味では革命を起こしたのよ 日本を駄目にしたんだから |

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