再放送:8月16日(日)11:00〜 BS日テレ
一部だけ
8月9日
日テレ
NNNドキュメント「極秘裏に中絶すべし」
ナレ
腕の中の赤ちゃんを優しく見つめるお地蔵様
福岡で年に一度行われる水子供養
それは、地元の医師が始めた特別なものです
70年前、日本は戦争に敗れ600万人を超える人が祖国に引き揚げてきました
その中には、性暴力の犠牲になり子供を身籠ってしまった女性が、数多くいました
これは、当時行われた帝王切開の写真
違法だった人工妊娠中絶が行われていました
中絶手術に立ち会った元助産師
法を冒してまで行われた人工妊娠中絶
知られる事のなかった、女性達の叫びです
古くから海外との交流拠点だった福岡市の博多港
戦時中、日本が進出し外地と呼んだアジア太平洋地域には
終戦時660万人の日本人がいました
博多港には139万人が旧満州や朝鮮半島から引き揚げてきました
喜びや安堵感に包まれる引き揚げ船
祖国の島影が徐々に大きく見えてくる中、不安を募らせる女性達がいました
医師の相馬広明さん
当時、引揚げ船に乗り込み医療活動に携わっていましたが、ある光景を目にしました
(引き揚げ船で)いろいろ悲惨なことがあった
妊娠している人が博多を見て海に飛び込む
祖国に帰って来たと言ってみんな喜んでいた
(暴行されて)妊娠したことが分かってそれで海に飛び込む
終戦の直前、ソ連軍は日ソ中立条約を破棄し旧満州などに侵攻
これを機に外地の様子は一変しました
11歳の時、家族と海を渡り旧満州で終戦を迎えた加来和江(かくかずえ)さん
当時15歳、危うく暴行されそうになったあの時の恐怖が、今でも蘇ると言います
「いきなりソ連兵が2人連れで入ってきましてね、で、母がそれを察知してあたしを押入れの中に隠したんです
そして父と母が押入れの前に立ってね、私を庇うつもりでね立ってたんですけど
一番底に隠れてたんですけど、一枚一枚布団剥いでくんです
もう最後の一枚になった時ね、母がね和ちゃん逃げなさい!って言うもんだから
飛び降りてね、見たら父と母が銃つきつけられてるんです
それでも自分が怖かったもんだから飛び出してね、窓から飛んで逃げて
本当に恐ろしかったです、あの時は
でも私はお蔭で助かったですけども、犠牲になった同級生もいましたし」
ソ連兵が3人位ずつ、懐中電灯蝋燭などを持ってきて、一晩に10人位の女を連れて行き暴行を加え、朝帰っておりました
これは、引き揚げてきた女性達から聞き取りをした相談員達の日誌です
ソ連軍の侵攻後、無法地帯と化した外地の様子が記録されています
当時22歳女性の証言
声を出せばピストルを頬につけて脅し、声が枯れればすぐ体を摺り寄せてくる
当時27歳女性の証言
16歳の女学生がソ連の司令の所へ連れて行かれ、あやうく凌辱を受けるところ
私が見るに見かねて身代わりとなりました
性被害は別の形でも
ある女性は集団で引き揚げる途中、生贄として犠牲なったと告白していました
引き揚げ女性の支援者
「(ある女性は)朝鮮をずっと歩いてきた時にところどころ町を通ると
そこで何かあげないと通せないっていう
その何かが女をあげる、それでその時にどうして選ぶかっていうと
独身の女で、旦那が出征していないとか、そういう事でもって選ばれたと
(女性は)悔しがって泣いてたよ」
敗戦後、祖国に引き揚げる途中で性被害にあった女性達が、博多港から向かった場所があります
車でおよそ40分、現在の福岡県筑紫野市にあった二日市保養所
終戦翌年の3月末から1年半だけ存在した中絶手術を行う為の医療施設です
これは開設からわずか2か月後にまとめられた報告書
外地で性暴力を受けた女性達の妊娠は、不法妊娠と呼ばれました
暴行したとされる相手は、朝鮮ソ連中国などと記されています
そして、2か月の間に妊娠3か月から10か月まで合わせて47人が保養所に入ったと記録されています
(鮮人二八 ソ連人八 支那人六 米人三 台湾人一 比島人一)
―略―
長崎県佐世保市のハウステンボス、多くの観光客が訪れる大型リゾートです
ここには終戦直後引き揚げ者を管理する国の出先機関がありました
佐世保には博多と同じ139万人が上陸し、15〜50歳の女性には必ず外地での性被害を尋ねました
終戦翌年の5月から1年間で中絶が必要な女性は214人だったと記録に残っています
8月16日(日曜日)11:00〜BS日テレで再放送予定だそうです。
二日市保養所
>1947年の施設閉鎖までに500件の堕胎手術をおこなった
竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記