今、貴方に伝えておきたい事

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次女へ

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2940グラムで生まれた貴方は本当に手のかからない子でした。
長女とは双子の様に育った貴方、いつしか私たちも貴方が2歳年下だと言う事を
忘れていました。姉と同じ事が何でも出来ましたし、身体も同じぐらいでしたから。
周りの人も貴方を姉と同じように扱っていましたね。
 
そのせいでしょうか、いつの間にか貴方は、甘えない頼らない、人一倍自立心の強い子になっていました。
私もそれが当たり前のように思ってしまいました。
有る日幼稚園の先生から
「何か、欲求不満が有るんでしょうか?いつも私の手を握りに来ますし、抱っこをせがみます。」
と言われました。元々、5歳児の中に1人4歳で入れて頂いていたので無理はないのですが
きっと寂しかったのですね。
背伸びをさせられて貴方が寂しい思いをしている事に気付かずにごめんなさいね。
 
その後も私に甘える事無く、相談する事無く自分で決める子になっていました。
高校3年の時の進学の3者懇談も、1人でさっさと決めて来ました。親はいないの?
 
理系を希望する貴方に「文系の方が良いんじゃないの?」と言った私に
「4年間学ぶのは私!だから、好きな学問を選ぶの」と宣言。
ごもっともですが、ちょっと相談をして欲しかった。
 
体育系以外は、なんでもこなしてしまう貴方、
ピアノ(絶対音感が有りましたね 母さんの自慢です)に勉強に本当に頑張りましたね。
塾にも行かず独学で本当に人一倍努力もしていましたね。
感心しています。
 
今、独立した貴方が帰って来る度に、ハグしてくれるのは、幼い頃の寂しさからですか?
でも、母はそれが嬉しいです。「あれが食べたい、これが食べたい。」と甘えてくれるのも嬉しい。
 
今はお互い忙しくて行けなくなりましたが、以前のように二人で旅行に行きましょうね。
お誘い、楽しみに待っていますよ。(登別のあの美味しかったホテルに泊まりたいよ〜)
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長女へ
貴方の育児は、私にとって
何もかもが初めてで、手探り状態でした。
妊娠中に貴方のおばあちゃんが倒れ、生死をさ迷っている最中の出産。
そんな時だからこそ、貴方が元気に産声を上げたとき、
この上ない喜びを感じました。
 
2740グラムの小さい貴方は、どこかに行ってしまいそうで、
心配で、新生児室を何度も、覗きにいきましたよ。
退院の前日、血液型不適合による、黄疸で
貴方だけ、退院できなくて、とても不安でした。
光線療法による網膜症を案じたり、
毎日数値を測るために、血液を採られて
「どんなに、痛い思いをしているだろうか」
家にいて、お乳が張ってくるたびに、
貴方を思い、涙が止まりませんでした。
母になると、子供の事でこんなにも、
涙もろくなるのだと、気付きました。
一週間遅れての、退院。
病院を出る時、雪がちらちら降っていました。
お父さんと、「いつか、この子が大きくなった時、
この日の、雪の話をしてあげよう。」と思っていました。
覚えているでしょう、何度も話してあげたから。
父さん、母さんはこんな思いで、貴方を育てていたのですよ。
 
貴方は、身体は小さいけれど、元気な子でした。
よく転んで、怪我もよくしました。
母から「小さいうちは、子供の怪我で傷を残すのは、親の責任だから
よく、気をつけなさい。」と言われていたのに。
おでこの傷。肘の骨折の手術跡。
今は、随分目立たなくなったけれど、見るたびに、親として責任を感じています。
 
覚えていますか?
幼稚園の頃、食が細く、食べるのが遅い貴方は、
先生に叱られて、お弁当をとても嫌がりました。
ある日、「お母さん、お弁当 スパゲッティにしてね。」
と、リクエスト。自分から言うなんて、珍しいと思ったら、
「2〜3本だけ入れて」と、言ってきかなかった時があります。
どれほど、お弁当の時間が苦痛だったのかと、思い知らされました。
 
そんな貴方も、小学校高学年には、どんどん皆に追いつき、
頑張り屋さんで、明るく、親に似ず 社交的でいい子に育ちました。
 
初めての挫折は高校入試でしたね。滑り止めに受けた私立は
絶対に行かないと言い、とても心配しましたが、
公立の二次募集で学区全体で定員12人の狭き門を見事突破して、
入学を果たしました。貴方を凄いと初めて思いましたよ。
 
そうして入った高校は、貴方にとって素晴らしい学校だったみたいですね。
家から電車を乗り継いで片道二時間。貴方は休むことなく、台風の日も
登校するほど、学校大好きな、三年間でした。よく頑張りました。
 
これから進む道は決して平坦ではないでしょう。
家庭を持ち、子育てをして行く時、自分で力強く
切り開いて行ってくれると、信じています。
 
お母さんは、おばあちゃんに自分の子供を見守ってもらえなかったのです。
だから、貴方の子供はしっかり見守っていける様に
健康で、長生きしなくてはと 思っています。
どんどん、綺麗になっていくあなたへ
どうか、健康で、幸せでありますように、祈っています。
素敵な大人になってくださいね。イメージ 1
お母さん貴方の愛は無限でしたね。
八人の子供に平等に愛を注いでくれました。
貴方がいるだけで、安心できました。
 
外で辛い事、心配事が有っても貴方の側に居ると
自然に、和らぎました。
 
十八歳で嫁いでから、育児に、教育にと本当に凄いと思いました。
私は三人の子育てでさえ、大変だと感じていたのですから。
 
しかも、貴方の凄い所は、すべて殆ど手作りだった事。
作ってもらった衣類は小さい時から、記憶の中に
残っています。折に触れ兄弟で、話題にしていますよ。
 
六歳の時・・モスグリーンの毛糸のワンピース襟と袖にレース模様が
        あって、可愛いぼんぼりが付いていた。
八歳の時・・妹とおそろいのお人形の模様のワンピース
       大きな白い襟が、お気に入りでした。
九歳の時・・白地に赤い大きな彼岸花の浴衣
       袖を少し長くて、自慢の浴衣でした。
等々、数えたら、キリがないほど。
何でも出来る母さんでした。
忙しくても、きちんと話を聞いてくれて、不安や心配事を解決してくれました。
野草摘みにも、よく行きましたね。
ヨモギ、野蒜、芹は、御餅や、ヌタ、巻き寿司にしてくれ、
たんぽぽや、レンゲの髪飾りも、作ってくれました。
どんなに、時間か有ったのだろうか、それは愛情の何者でもないと
今頃気付きました。
 
貴方が家に居るという安心感。
貴方が、背中を押してくれるだけで、前に進める力強さ。
貴方が、笑っていてくれるだけで、幸せだと思えること。
本当に無限のあいに包まれていたんだと、今感じています。
 
私が長女を、姉が二人目を妊娠している時に、様子を見に来る
途中の駅で倒れたのは、まだ四十九歳の時でしたね。
それから、長い闘病生活。
ある人が「若い時から、苦労しはったから神様がゆっくり休みなさいってゆうてはるんやわ。」
と言っていた。でも、「こんな形で休んでも楽や無い」と私は反発した。
ゆっくり休むとは、健康で居る事やと思うから。
でも、病気になってしまったから、しかたがない。
母が出来るだけ、楽な様にと心がけて看病したつもりだ。
看病の間はお母さんを独り占めできました。
 
旅行にも、食べ歩きにも、一緒に行きたかったです。
私の子供達も見て欲しかったです。
 
お母さん今、ゆっくり出来ていますか?
有難うございました。
お母さん 貴方に無性に会いたいです。イメージ 1
 
 
 
次に浮かんだのは、父。
厳格で、ただ厳しいだけの父と
思っていましたが、違っていました。
幼くして、両親を亡くしている父は、
人一倍、家族を欲していたのですね。
 
学生時代は、八人兄弟であることが、
ただただ、恥ずかしくて、自分から言う事は無かったです。
兄弟が多くても、きちんと躾けてくれたことを本当に
感謝しています。
躾といっても、暴力で教えられた事は、無かったです。
 
家族が多いことで、決められた事がありました。
必ずお手伝いをすること。
これは、幼くてもあたえられました。
掃除、風呂焚き、食事の用意、食器洗い、洗濯たたみ
年齢に応じて、毎日です。
弟妹が出来るように、教えるのも、上の兄姉の仕事です。
遊びに夢中になって、出来ていないと、上の者が
叱られ、遅くてもやらされた記憶が、あります。
 
あるとき、弟が、庭掃除を怠り、私と二人暗くなった
庭を掃除していると、父が仕事で疲れているにも関わらず
出てきて、掃除の仕方を教えてくれました。
掃き集めた枯れ葉は、手で救い上げて落とすと、
重い石や砂は先に落ち、その上に葉が落ちる。
上の葉は、植木の根元に置き、肥料や防寒になることを。
 
勉強もそうでした。一番憂鬱なのが、学期末です。
成績表をもらうと、その日は反省の日。
いくら、自分の成績が上がっても、弟妹の成績が芳しく
無い時は、兄姉が、面倒を良く見なかったと叱られました。
だけどそのお陰で、自分さえ良ければ良いと言う、考えは
今もありません。
 
ご多分に洩れず、兄弟喧嘩は有りますが、暴力を振るう事は
無かったです。父母が、手を上げることが無かったからだと思います。
 
今、思うこと。
八人の子供がいたのに、不自由を感じなかった事。
苦しい家計に、生活保護を進めてくださった方もいたけれど、
父は頑として受け入れず、自分の稼ぎだけで育ててくれました。
 
また、養子を望む人がいて話が来た時、
「誰として、手放せない。」と、断ってくれました。
高校生の時、母が「昔、こんな事もあったんよ。」
と話してくれました。
「誰をもらいに来たん。」 母は答えてくれませんでしたが、
養子の話が来た事自体、母には辛かったのだと
今はよく、わかります。
 
仕事を持って、たとえ五時間半のパートであっても、
こんなに、悩みが多く、辛い事が多い、「稼ぐ事。」
父は、私たちの食費、教育費を稼ぐために
どんな思いをしたのだろうかと、思うと
自分のちっぽけさに嫌気がさします。
 
経済的に苦しかった我が家でのもっとも
厳しくしつけられた事は、
「人様の物は、針の先も取ってはいけない。」と言う事。
(瓜田に履を納れず 李下に冠を正さず)
と言う故事を用いて小さい頃から、教えてくれました。
とかく人は、疑り深いこと。だから、疑われるような事はしない事
と、折に触れ、言い聞かせてくれました。
 
物質的、経済的には恵まれませんでしたが、
自立する事、兄弟が助け合う事、人に迷惑を掛けないこと、
何より、生まれて幸せと感じられた事を父に感謝しています。
「お父さん、大変だったでしょう。一人も欠ける事無く成人できた事、
きちんと教育していただいた事、本当に有難うございました。」
 
手遅れの癌で半年苦しんだ父。
最後は凄く苦しい顔をして唇をかんでいたお父さんに、
「心配せんでもいいよ。安心して」と言った私の言葉にフット顔が和らいで、
そのまま、逝ってしまった。
時々あの時の顔を思い出す。私は父を安心させているだろうか・・・。
 
あの世に行って会った時、天邪鬼な私は素直に言葉に出来ない気がする。
だから、今言っておきます。
「ありがとうございます。貴方の娘に生まれてしあわせでした。」イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
 

あなたへ

人が命を亡くす時・・・・。
 
命を全うできるのが、理想だけれど 今は、いろんな
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事故で
命を落としてしまう人が多くなってきた気がする。
交通事故。自然災害。殺人。病気。
 
私の命の終わる時、あの人に、きちんと感謝の気持ちを伝えていなかったと
悔やむ事の無いように、また、残された私の身近な人々が、
「こんな気持ちで、いてくれたんだ」と、安心してくれるように
今、この気持ちを残しておきたい。
パソコンの中で、気付いてもらえないかも知れないが、
残しておこう。
 
一番初めに、伝えたい人と考えた時に、浮かんだのはあなたでしたよ。
本当に、長いお付き合いを有難うございました。
 
私は、19歳で父を亡くしたとき、八人の子供を育て、苦労した母を
一生大切にして行こうと、決意しました。
そのためにも、結婚は絶対しないと思いました。
そんな私に、あなたは「君だけでなく、お母さんも、兄弟も一生大切にするから」と、
プロポーズしてくれましたね。
 
言葉通り、結婚して三年目に、駅で倒れて、寝たっきりになってしまった母の世話を
よく見てくれました。長い介護生活でししたが、本当にいやな顔しないで、
私をサポートしてくれました。お陰で、今も兄弟から感謝され、近所の人には、
孝行娘として、褒めてもらえました。
 
私たちの三人の子供達、あなたのお陰で、素直でいい子に成長してくれました。
何よりも、わがままで、お天気やで、意地っ張りで、可愛げのない私を
よく、我慢して、成長させてくれました。
本当に、心から「有難うございました。」と、感謝しています。
 
きっとあなたでなければ、結婚していなかったと、思いますし、
こんなに続いていなかったでしょうね。
私の人生、本当に幸せでした。
心から、「ありがとうございます」

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