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釈尊降誕レリーフ ルンビニー マヤ堂 1965年仏滅2500年大祭を記念してネパールの仏教徒によって作られました 本来のものは四世紀グプタ朝のものでしたが、イスラム教徒によりおそらく13世紀ごろに表面が剥ぎ取らたので、新たに作ったものです 大陸では、いろいろな宗教と民俗が、たがいの文化や伝統を徹底して破壊する歴史がありますから、日本人のように、自分の宗教を意識しないですむということは、全く考えられません インドではもともと、ウパニシャッドやヴェーダといった高度な哲学や様々な宗教がありましたが、釈尊誕生から後、ほぼ仏教一色になり、空前絶後の発展を遂げます しかし、イスラムの侵入により、仏教徒は改宗するか殺されるかを迫られました インドの仏教徒は非暴力をつらぬき、抵抗せずに逃げました ブッダガヤの大塔は、逃げる時に埋めたのを、1880年にイギリス人のカニンガムが地中から発掘しました 涅槃会の準備をするチベット人の比丘尼 タージマハルはその時代の建造物です さて マヤ婦人が釈尊を右脇腹から出産したというのが仏伝ですが、これは実はヒンドゥー教の宗教観(つまり、コスモロジー)によって脚色されたものです ヒンドゥー教による、人々の宗教的義務や日常生活の規範が述べられている、マヌの法典(紀元前2世紀頃成立)にカースト制度がはっきり規定され、今日でも極めて強い影響をインド文化全般に及ぼしています 古事記が8世紀頃のものですから、マヌの法典はたいへんに古いものです マヌの法典に、バラモン(僧侶階級)は神様の頭から生まれ、クシャトリア(武士階級)は脇の下、バイシャ(商人階級)は腹、シュードラ(奴隷階級)は足から生まれたと、きちんと書かれてしまっています もし、こんなことが古事記や日本書紀に書かれていたら、日本文化がどうなったか、想像してみてください で、お釈迦様は王族で武士階級ですから、脇の下から生まれたことになったわけです 現在のインド社会の激烈な差別は、日本に住んでいたら全く想像できません 闇が、存在するのです 実際に聞いても信じられないような話がいくらでもあります 自分探しでノンキにインド旅行をされた方や、インドの神様や聖者を信奉される方もおありかと思いますが、ヒンドゥー教が基づいている法典に根拠を持つ、差別の凄さを知ってらっしゃいますか? そんな差別は、ヒンドゥー教やインドの聖者達とは関係無い、などと言ってられませんよ 日本で言えば、マヌの法典は古事記・日本書紀みたいなもんで、しかも、法典で生活規範ですからね インドの神様は、ミッキーマウスみたいなカワイイ存在じゃありませんよ インドには昔から、ずば抜けた聖者がいらっしゃいますし、今でも多数活躍されてますが、「マヌの法典を捨てろ」と言った人は、無いんじゃないですか いたら、是非お教えください インドの友人が喜びますよ 直に聞く、差別は、なんか、こういうBlogには書けないような凄惨なものですよ ちょいと、さわりを 婦人の識字率を高める国際プロジェクトがあったが、それに参加した女性が、眼をくり抜かれて殺された (眼で字を習ったからですかね) インドの乞食は先祖代々、長い間、乞食を続けているので、大人になっても子供のような体格をしてる (食い物が悪いんでしょう) よく手首や足首を切断した乞食の赤ん坊を見かける (その方が同情を引いて、施し物が多いという理屈らしい) 乞食の少女が赤ん坊を抱いているのもよく見るが、子守じゃなくて、13?14才になれば出産する (父親が誰だかわからないのがあたりまえ) 道を隔てたカーストが違う青年と少女が恋愛をしたが、二人とも屋根からロープで首を吊られて殺された (御両家とも、怒った親御さんがやりました) ナグプールですら、同じ学校に通えるようになっても、自転車には乗ることは禁じられ、いつも押して歩かなければならない (村人が決めるそうです) それで、インドでは、仏教こそ、根本から差別を終わらせ、インドを再生すると信じて、ニューブディストと呼ばれる人達が誕生しています 僕はインドで、ガンジー廟や記念館にも行ったことがありますが、ガンジーでさえもヒンドゥー教の差別感情から完全に抜け出してはいないのです インドの友人は最近、インドでの孤児院とか教育普及の実績を認められて正力松太郎賞を受賞しましたが、その時聞いた話ですけど、日本のバックアップがなかったら、彼はとっくに殺されていただろうということでした まあ、イスラムとか、ヒンドゥー教系地元名士、南方仏教諸大徳などの妬み恨みを買ってますから イスラムはヒンドゥー寺院を破壊して、その石で同じ場所にモスクを建てるようなことを平気でします 首都のデリーにもありますよ 向こうでは、イスラムはヒンドゥー教寺院でもぶっ壊したりするんですから論外ですが、南方仏教は孤児院とか教育振興とか関係ありませんから 反論される方もあると思いますが スリランカの仏教には、幼稚園を経営するなどの考え方がないので、日本仏教を学びたいということでした タイなんか、坊さんがバスに乗ると、回りの人が周囲を囲んで、俗人に坊さんの肌がふれないようにします それだけ、まあ、ちょっと考え方が違います、日本とは インドでは、タイとかミャンマーの坊さん達は、バスで、国境を越えてやってきます だから日本仏教よりも身近でしょうね そりゃ、聖者みたいな人が多いですよ はるばるインドの仏教徒の為にいらしゃるんですから インドの仏教は復興していくのでしょうね それで、日本的な考え方も必要になると思いますよ ナグプールという町ですが、アンベートカルによって集団改宗した、インドで最も仏教徒の多い地域なので、まあ、南方仏教の人達がお寺建てて拝んでればいちおうお布施はもらえますけど、あの方たちは福祉活動はしないです ヒンドゥー教系の人達はナグプールの中では手出しできませんが、そこは、大陸ですので、日本みたいに無防備でボンヤリしてればどうなるかわかりません それで、ヒンドゥー教的には、この人生で低いカーストに生まれるのは、前世の行いが悪いせいです なんか、そうかも、ですけど だから、死ぬまでずっと低いカーストのままで、来世に良いカーストに生まれるように我慢して努力しながら死ぬのを待たなければなりません なんで、そうなのって、マヌの法典で決められてるから ひっくり返せって言っても、人口の九割は上のカーストですから、一番下は一割で、そんな少なくちゃ無理 仏教でも輪廻はありますが、このような苦難にあっても、そこから努力して抜け出すのが、そもそも仏教の目的で、「諦めて死ぬまで我慢せい」にはなりません 法華経などに「人非人」と書かれていたりしますが、「人」が市民で「非人」が被征服民など市民権のない人をさしていたようです 神が最初から、別々に作ったなどという神話はありません キリスト教もイスラムも輪廻は考慮していません 人間の救済に、前世の知識は不要だということですね 日本の差別を考える方もあると思います 差別戒名などの問題、江戸時代の士農工商とそれより下の階層化ですね、これは、政治的に作られてたもので、徳川の殿様が悪いということに特に反論はありませんが、よろしければこちらを読んでみてください もちろん、宗教聖典による差別では、ありません |

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お久しぶりです。
この記事に書かれていること、やりきれないものを感じますね。現実はひどいものですね。
2007/10/1(月) 午後 3:45 [ yok*h*mala*dma*k ]
インドの憲法で差別は禁止されています。大学には優先入学枠もあります。しかし、差別は無くなりません。
輪廻思想の極めて危険な一面です
2007/10/2(火) 午後 5:19
はじめまして 勉強になりました 低いカーストの人たちがイスラームに改宗していると聞いていますが、みんな改宗しちゃったらどうなるのでしょうか それとカップルを殺した親族は殺人罪にならないのでしょうか
2007/10/16(火) 午後 4:51
ヒロシさん はじめまして
イスラム改宗は知りませんでした
差別とは別の、ヒンドゥーとの宗教対立になりそうな感じですね
差別の理由はヒンドゥーの教義の中にありますから、ヒンドゥーが変わる必要があると思いますよ
明るみに出た事件は、法によって罰せられます
そんなこと気にしてないようですね
2007/10/16(火) 午後 8:55