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十八羅漢図 双幅左部分 絹本著色 室町前期(15世紀) 長保寺蔵 今、信仰と言えば、仏様を礼拝する、お寺参りをする、という形がすぐに思い浮かべられるんですが これ、平安時代の密教からの形です 仏像、仏画を礼拝する お線香を立てて、花を飾って、と これ、鎌倉時代に、 「他の宗派が仏様の前に線香立てを置いたり、花を飾って拝むのは、密教の作法の勝手な模倣だ」 と言って、比叡山の坊さんが暴れたりしたこともあるくらいです もともとは、密教の専売特許でした で、その、あまりにわかりやすい作法が、大きな勘違いも生んでるわけです どうも、その、仏像とか、仏様と繋がるんじゃないんです 仏様の心、慈悲心そのものと繋がるんです カッコや、名前と繋がるんじゃありません イスラムは、そこんとこが明確で、偶像崇拝を否定してます ですが、これもまた、メッカの方角を向いて礼拝するとか、ある程度の縛りがないとケジメがつかないようですね さて、どう考えるか、ということですが 今、携帯電話使ってますよね 買うときは、かなり、いろいろ考えたり悩んだりします dokomoにするかAUかSoftbankか 機種はどうするか 友達に聞いたり、お店で相談したり 自分で調べたり 当然、買ったら、大事にします なくしたら大変です 大事にするんですが、目的は、通話であり、コミュニケーションです そんなこと、僕に言われなくても皆さんわかってます dokomoやAUは宗派で 携帯電話が仏像で コミュニケーションが、宗教の目標なのです 「慈愛」と繋がることです 適切な表現がありませんが、厳密に言うと「慈愛」という言葉と繋がるんでもありません その心そのもの、実感と繋がるでんです 電話機がないと、遠くの人とは話が出来ませんが、繋がり方がわかってくると、電話機なしでも間に合うようになるのが、ちょっと違うところです まあ、携帯も、番号そのままで会社を替えることが出来るようになったり、国を越えて繋がるようになってきてるわけで、宗教も、そっちの方向に進まないといけませんね 宗教の否定、破壊はどうかと思いますが、まあ、改善かな 僕とこの本堂は国宝ですけど、やっぱり、威儀を正して拝むと、繋がり方が違います これは、歴然とした事実です ですが、どこと繋がるか、間違えてたら、さっぱり繋がりませんよ 仏像や建造物は大事ですが、本質をまちがえちゃいけません |

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