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中国の政府系新聞の記事らしいです

普遍的に存在する警戒心・猜疑心はすでに社会の「精神疾患」となっており、偽者・偽物を信じない、ひいては真実をも信じない
ようになったのは

中国社会に蔓延する「拝金主義による騙し」

「反右派闘争、大躍進運動、文化大革命などを経て、多くの中国人は(身を守るために)本音を言わない、うそをつく、ということを学んだ」
せいだそうですが

人のせいにするのは、やはり、中国独特の理論展開ですね
まあ、日本人のせいだ、と言わないだけましですが

僕が、中国流のダマシに、最初に出会ったのは13年前のことです

中国最大の仏教聖地である五台山に参拝に行きました
五台山は、日本の高野山のように周りが山で囲まれた盆地ですが、大陸ですのでスーケルが大きく、その盆地の中に飛行場があって、囲んでいる山も、高野山は800m位の山ですが、2500m級の山々です
慈覚大師が念仏の作法を学んだ竹林寺や、不空がいた金閣寺、文革で破壊されなかった顕通寺(文革で破壊されなかったのは、他には天台山の真覚寺だけです)など、現在も50位の名刹があり1000人以上の出家僧が肉食妻帯せずに修業しています

その世界有数の聖地の五台山の真ん中に外国人用のホテルがあります
そのホテルの地下に土産物などを売る売店があります

その売店で、僕は一対の狛犬を記念に買いました
代金は2万円
中国の物価からすれば、非常に高価な買い物です
ずっしりと重く、中国にしかない紅色の石だという説明でした
ところが、次のホテルで宿泊した時にじっくり観察すると、石のはずなのに、重心が下にあって、微妙に歪んでいる
陶器で作った偽物なのでした
同じ団体でもう一人だまされた人がいました
まだ続きます
それから、大都市である西安に行き、国営のタックスフリーの土産物屋に行きました
そしたら、そこにも、全く同じ狛犬があるのです
店主を読んで抗議しましたが、頑として本物だと言い張るのです
次に行かなければならず、その場を去りました

毒ギョーザはうやむやになり
続々とパクリやダマシが報告されますが
ま、驚きませんね

理由は、拝金主義と共産党のせいだと言ってますが
拝金主義なら、どこの国にもあるしね
共産党員は、同じ中国人でしょ

ちょっと他の国では聞かないね
この調子では、本当に当分、「社会の精神疾患」は治らんですね


中国がここまで発展したのは、やはり努力の賜物だと思うし、素晴らしいことだとも思います
1割程の人が豊かになりましたが、ゼロよりはだいぶマシです

ただ、中国には14億の人が住んでるわけで、資源限界がありますし、この、相互の安心感の無い独特の人間性が災いするでしょうね
今はバブルの絶頂ですが、進む道は砂漠に続いているんじゃないかと思いますよ



パクリ考
http://chohoji.blogspot.com/2010/12/blog-post_28.html

偽ガンダム
http://chohoji.blogspot.com/2011/01/blog-post_15.html







中国人「何も信用しない、常に警戒心」=中国政府系紙
http://www.epochtimes.jp/jp/2011/01/html/d55375.html

--------------------------------------------------------------------------------

 【大紀元日本1月22日】中国の政府系紙・国際先駆導報は最近の報道で、中国国民は全般的に「すべてを疑う、常に警戒心を持つ」という心理状態に陥っているとし、このような普遍的な強い猜疑心はすでに社会の「精神疾患」となっていると警鐘を鳴らした。
 「昔の中国人はすべてを信用していた。最高指導者に対しても、革命に対しても、資本主義が必ず崩壊し共産主義が必ず明るい未来を迎えるとの教えに対しても...。しかし現在ではすべてを信用しなくなったようだ。地方政権の発表を信用しない、メディアの報道を信用しない、ひいては身辺の人をも信用しない」と同報道は指摘した。

 この種の「信用しない」心理状況はもはや、大多数の中国人の日常生活の隅々にまで浸透しているという。

 例えば、「住」について最近、楼倒倒(倒壊しやすい建物)、楼脆脆(ポキっと折れる建物)、楼歪歪(傾いている建物)、楼薄薄(壁が極端に薄い建物)ということばをよく耳にする。

 「食」については、偽タバコ、偽酒、偽卵、偽牛乳、下水道から汲み取った廃棄油、人造脂肪、カビ米、化学薬品につけて作られたモヤシ、避妊薬で育てられた魚、洗剤入りの油で作られたふっくらした揚げパン、などが氾濫している。

 一歩家を出れば、街角で横行する「サクラ商法」に引きずり込まれないよう、常に身を構えていなければならない。

 病院に行けば、偽薬、無免許の偽医者、不必要な診査と医療費の水増し請求をどうしても心配してしまう。

 司法訴訟になると、裁判所は公正に裁いてくれるのかと心配になる。

 そのほか、偽公文書、偽証明書、偽宝くじ、銀行の詐欺行為、偽ニュースなどにも中国人は日常的に直面する。

 このような普遍的に存在する警戒心・猜疑心はすでに社会の「精神疾患」となっており、偽者・偽物を信じない、ひいては真実をも信じない。「すべてを疑うという心理状態が社会全体に浸透してしまうと、中国人の幸せはどこにあるのか」と同報道は疑問を提起した。

 また、同報道は最近の2つの事例を挙げて、中国人が地方政権の発表を信じない現状を説明した。

 <事例1>

 昨年12月25日、浙江省温州市楽清の元村幹部・銭雲会さんが村付近の国道で大型トラックに引かれ死亡していた。地元政府と警察当局は銭さんの死因は交通事故であると相次いで公表した。銭さんはそれまで農地の強制収用問題に抗議するため、村民を率いて陳情を繰り返しており、合わせて3回投獄もされていた。そのため、地元の村民やインターネット利用者は銭雲会さんの死は謀殺だと信じており、地元政府や警察当局の発表を信用しようとしない。

 <事例2>

 昨年11月、北京市の小学生・張皓くんは、父母と専門家の指導のもとで様々な実験を行い、北京の市場で流通するキノコの9割は漂白され、蛍光漂白剤を含んでいるとの調査結果を出した。

 それを受け、北京市政府機関はその後の検査結果として、「北京市場の食用キノコの合格率は97.73%」と公表した。中国の食用キノコ協会もメディアを通じて、「小学生の実験結果を信じない」と発表した。

 しかし、あるインターネットサイトが行った投票調査では、1100人以上の回答者が「小学生の調査結果を信じる」と答え、「政府機関の調査結果を信じる」と答えたのはわずか8人だった。

 中国人のこの心理状態は、現在の中国社会に蔓延する「拝金主義による騙し」に由来するだけでなく、現政権以来の「反右派闘争、大躍進運動、文化大革命などを経て、多くの中国人は(身を守るために)本音を言わない、うそをつく、ということを学んだ」と報道は指摘した。特に地方政府やメディアなど、「国のため」という大義名分のもとで、嘘も正当化されているという。

(翻訳編集・叶子)

活路

仏菩薩を尊敬し
八百万の神を尊敬し
イエスキリストを尊敬し
アラーの神を尊敬し
自分を信じる



世界のどこに行っても、これで誰とでも友達になれます

さまざまな宗教に、それぞれ異なった教義がありますが、それは理屈にすぎません
どこが優れ、どこが間違っているかを決めるのは自分です
正月に神社に初詣をし、結婚式は教会で、葬式は寺
これで、全然オッケーということです

信じるに値する自分になる努力が必要だ、ということでもあります

難しく言うと、天台本覚思想です

一切衆生悉有仏性(涅槃経)
いっさいしゅじょうしつうぶっしょう

一切衆生に悉く仏性有り

生きとし生ける者に、すべて、仏となる性質がそなわっています

朝起きて、誰かが代わりに便所に行ってくれるわけではありません
腹が減って、誰かが代わりに飯を食ってくれるわけでもありません
生きていくのは自分なのです

自分を信じられない人は、他になにかを信じることはできませんよ
最後まで自分を見捨てないでください
今の行いは、来世でも役に立つのですから

仏教の基礎知識



なのですが、悪い奴もいれば、話の通じないヤカラや、確信犯など、敵意と悪意に満ち満ちているのが世の現実です

仏性など無い奴もいるのではないかとさえ思えるのです、が

イメージ 1
つまりは、目に見える前の、感じる前の世界には、一切のエゴイズムはありません
それでいて、静かに均衡を保っています
それを「寂にして照らす」とも表現します
空、法界、本覚、神力、仏性、真如、大慈悲、などなど、感じられる前の世界の属性の一部を取り出して言葉で表現したにすぎません

見る前の世界だから、数を数えることはできませんから、一でも多でもなく
感じる前の世界だから、同じでも違うでもなく
来るでも行くでもなく
有るでも無いでもなく
好きでも嫌いでもなく
善でも悪でもなく
正しいでも間違いでもなく
表でも裏でもなく
楽でも苦でもなく
愛でも憎しみでもなく
戦争も平和もなく
損も得もなく
生も死もなく
生じるでも滅するでもなく
増すでも減るでもなく
綺麗でも汚いでもなく
均衡を保ち続けています

その感じる前の世界を、感覚器官を通じて脳内に再構成して、今、我々は生きています
今、パッと眼をつぶっても、眼の前のモニターはそこにあります
眼を開いたら、モニターの姿が脳内に構成されます

眼をつぶった時に、眼の前にあるモニターの姿はわかりませんよね
眼をつぶってるんだから、見てないわけですから
でも、眼の前のモニターは、映像を映しています(見てないから、わからないのですが)
見えてないモニターに、何が写っていても、評価のしようがありません
見ることが出来るからこそ、好きとか嫌いとか、評価できます
まあ、当たり前の話なんですけど

それで、眼を開いてモニターを見た時に感じることは、各人、千差万別、十人十色、それぞれ違います
意見が一致することもありますが、確認しなければわかりませんよね

それを、感じる前の世界を、自分なりに脚色して再構成して感じている、と言うこともできます
歪みもあれば、妄想も、誤解も、間違いも、思い込みも、見落としも、あると

人間には自由がありますから、各自勝手に、脳内世界を構築してるのです


自分を信じると言ったところで、歪んだ脳内世界を信じてもしょうがないのです
ですが、脳内世界を生きるしか、我々には生きる方法がありません
各人、今まで受けた教育や、経験、学習などを駆使して、生きていくしかありません
脱線、紛争、いさかい、衝突、誤解など、不可避です

 
たとえば、これから益々複雑化する国際関係を例にとれば

中国、台湾、韓国、北朝鮮、日本は、飛行機で飛べば、2,3時間で行けるところにあります
益々近くはなっても、遠くなることはありません
付き合っていくしかないのです
その時、各国は、自国を信じて、国益を追求して諸外国と付き合うしかない

で、その、自国を信じるわけですが、自分勝手な妄想を信じてたら、まあ、少なくとも嫌われます
戦争になるかもしれない
むしろ、戦争したい奴がいるかもしれない
だとしても、自国を信じるしかない
いったいどこに活路があるのか?


それを、仏教はどのように解決するのか?


法華経の破地獄偈ですが

毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身
まいじさぜねん いがりょうしゅじょう とくにゅうむじょうどう そくじょうじゅぶっしん

つねに自ら(お釈迦様が)この念をなす 「何をもってか衆生をして 無上道に入らしめ 速やかに仏身を成就するか」と

毎自というところがポイントです

これは、お釈迦様が、つねに、今この時も、自分で自発的に、無上道に導こうと念じている、ということです

「救って欲しい」とお願いされたからでは無い
一方的に無条件に念じている
だから、地獄にいて、なにも為すすべが無くても救われる
救われて仏身を成就する

ただし
お釈迦様が正義のヒーロのスパイダーマンのように現れて、どっこいしょと助けてくれるのとは違います

無上道に入らしめ」で、道に導くのです
進むのは、自分です
まあ、ですから、仏教というのは誤解を招く表現で、仏道が適切ですね
進むのは自分ですが、だからその、ホトケの導きで感じる前の世界の真実に基づいて進むと、、
奇跡的な自然治癒など、無いとは言いませんが、それでも、それなりの養生節制は必要です

わかりやすく言うと
一度無心になって、相手の立場に立って考えて、解決策を見出す
自分の都合が、相手から見たらどう見えるか考える
なにが「本当の利益」なのか、素直に考える
など
冷静な状況判断から、活路を見出す
ということでしょうか

落ち着いてよく考える、ということが、仏道の基本である、と


それで戦争なら、覚悟を決めて戦うしかないのです
まあ、冷静に、どう終わらせるか考える必要はありますが

平和も慈悲も、脳内世界の産物です
感情を離れ、冷静に情勢を分析して、戦う時は戦い、慈悲が必要なら慈悲を行うのです

こういうことを書くと、戦争賛美、残酷趣味とうつるかもしれません
ですが、僕はチベット仏教の末路を思うのですよ
観念的な平和主義では、残虐な攻撃を避けることができません

楽ではないですが、活路はあります
その活路を進むしかないのです

舎利礼 2

 
2.(舎利の)本地である法身の法界塔婆を我ら礼し敬って、我が現身をもって(法界塔婆に)入我我入し、仏の加持の故に我は菩提を証して
法身の法界塔婆」というのは、理念として想定されるものです
ですから、眼の前に、これは法身の法界塔婆である、と規定されたものが存在すれば、それが「(舎利の)本地である法身の法界塔婆」ということになります

ですから、多宝塔や、お墓にある卒塔婆、祈祷札、など、塔の形をしているものは、すべて法界塔婆として礼拝することができることになります
簡単に言えば、木の棒を地面に立てても、砂の山を作っても、それが法界塔婆だと言えば法界塔婆です
密教では、いちおうのけじめをつけるため、開眼作法などをして、一般の塔と法界塔婆を分けます

それで、「仏の加持の故に」という部分が必要になってくるわけで、どんな立派な塔であっても、作法どおりに拝んでも、仏の加持がなければ、ただの物質です

「入我我入」というのは、密教の瞑想法のひとつです
(ホトケが)我に入り、(ホトケに)我が入る
のですが、眼の前の、物質としての塔に我が入ってもしょうがないのです
それで、「仏の加持の故に」という一節がなければ、魂が入りません

「加持」は、弘法大師が「加持とは、如来の大悲と衆生の信心とを表す。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名づく」と明確に定義しています
天台も密教ですが、別にこれといった定義はないですから、弘法大師の定義を密教の定説としていいと思います
日の光が水面に映る様子を加持にたとえたのですね

で、どうすれば加持が得られるか
これ大問題です

仏舎利のお経ですから、ここはお釈迦様の加持の話になるのですが
結論を言えば、一方的に無条件に加持してくれています

法華経如来寿量品の最後の部分に破地獄偈というのがあります
これを唱えると地獄も破れるという偈文です

毎自作是念 如何令衆生 得入無上道 速成就仏身
まいじさぜねん いがりょうしゅじょう とくにゅうむじょうどう そくじょうじゅぶっしん

つねに自らこの念をなす 何をもってか衆生をして 無上道に入らしめ 速やかに仏身を成就するかと

これは、お釈迦様が、つねに、今この時も、自分で自発的に、あなたを無上道に導こうと念じている、ということです
「救って欲しい」とお願いされたからではありません 
なんの条件もありません

塔を作って礼拝すると、自動的にお釈迦様の加持が得られ、菩提を証する、ということです

 
それで
3.の神力によって、「衆生を利益し、菩提心を発し、菩薩の行を修す」と

密教に三平等観という瞑想法があるのですが

我とホトケと平等
ホトケと衆生と平等
ゆえに、我と衆生と平等

ホトケが我を無条件に加持するのと同じように、ホトケは衆生を加持しています

我<----ホトケ---->衆生 =  我<----神力---->衆生

ですから、塔を礼拝すると、自分ばかりでなく、縁ある衆生にも利益がある、ということになります


4.塔を礼拝することによって「円寂なる平等大智に同入」するので「今まさに頂礼す」ということですね

もちろん、一番効果が期待できるのは、本物の仏舎利ですが、法界塔婆を礼拝することで、無条件にお釈迦様の加持を得て、選択的に利益を得ることができます

で、これ、どんな利益かというと、お釈迦様からくる神力ですから、お釈迦様の都合なのであって、我々が願っていることとは違います
お釈迦様は、我々が「仏身を成就する」ことを願っているのですから、当然、その目的に合った利益になります
そこを、勘違いしてる人が多いですね
拝む人に霊能力がある、とか、チャクラとかは関係ありません
無条件に、ホトケからくる神力です


偈文にホトケの力が込められていますから、きちんと拝めば、強力な神力が発動します
それで、平安時代から今日にいたるまで、宗派を問わず唱えられてきました
なかなか、こうして各宗派で用いられるというのはありません
普遍的な真実がある、ということですね

舎利礼

舎利礼 しゃりらい

一心頂礼 万徳円満 釈迦如来 真身舎利 
いっしんちょうらい まんとくえんまん しゃかにょらい しんじんしゃり

本地法身 法界塔婆 我等礼敬
ほんぢほっしん ほうかいとうば がとうらいきょう

為我現身 入我我入 仏加持故 我証菩提
いがげんしん にゅうががにゅう ぶつかじこ がしょうぼだい 

以仏神力 利益衆生 発菩提心 修菩薩行
いぶつじんりき りやくしゅじょう ほつぼだいしん しゅうぼさつぎょう

同入円寂 平等大智 今将頂礼
どうにゅうえんじゃく びょうどうだいち こんじょうちょうらい 


 真言宗、天台宗、禅宗、浄土宗など、ひろく日本仏教各宗派でつかわれるお経です
短くて、リズムもよく頻繁に唱えられます

中国のお坊さんが作ったもので、お釈迦様がこう言ったというのがお経だという厳密な意味では、お経ではなく創作された偈文です
作ったのは諸説あるようですが、「入我我入」「加持」といった密教独特の概念が盛り込まれていますから、不空とするのが妥当でしょう
不空の生まれ変わりが空海ということですから、密教的解釈が正統派ということになりそうです
禅、浄土など、密教意外でも唱えられるのは、比叡山からの密教の流れがあるからでしょう

ネットで検索しますと、いろいろな人が、様々な解釈をしているようで、僕も、こういう解釈が本質に近いんじゃないか、という説を書いてみたくなりました
お経の解釈は、何十回、何百回と唱えているうちに、自然と会得する部分もありますが、大雑把な意味は知っておく必要がありますので、大まかに意味を書いておくことにします


舎利とは、お釈迦様の遺骨のことです



インドのデリー国立博物館にある仏舎利


前のケースに入っているのが、お釈迦様の遺骨で、後ろの丸い形の物がソープストーン製の舎利容器です
実はこれ15年前の画像で、1997年からは、下のように仏舎利だけを綺麗な塔に御祭りして展示しています
このケースはタイからの寄贈品です

中央部分を拡大すると





この舎利はネパールのルンビニーの近くのピプラワというところで発掘されたものです
実際の舎利の実物は、こちらと、あとコルタカの博物館にあるらしいです
コルタカは何回か行きますが、まだ実物は拝観していません

お釈迦様を荼毘にした時の灰も貴重だとされ、パトナ博物館にはバイシャリから発掘されたものが展示されています
バイシャリの灰はクシナガラから分けられたものです

仏遺灰と容器 パトナ博物館
 
こんな感じで展示されています

きわめて厳重に管理されていて、特別に依頼して、責任者に鍵をあけてもらわないと拝観できません
写真は特別な許可をもらって撮影したもので、おそらく写真は日本ではこれだけです


お釈迦様の舎利は、アショカ大王によって88000に分骨され、インド全土に塔をたてて御祭りされました
その塔をアショカピラーと言い、サールナートにあるアショカピラーの飾りが現在のインドの紋章です


仏舎利を礼拝供養することには絶大な功徳があり、その功徳をインド全土に広めるため88000もの数に分骨して立派な塔を建てて礼拝できるようにしました
その塔は今でもインド全土にかなりの数が残されていますが、実際に仏舎利が確認できた塔は数か所だけです

お釈迦さまへの信仰の歴史の筋道を考えると

実際に生きて説教している釈尊--仏滅--涅槃--経典結集--舎利--舎利塔--塔そのもの--理念としての塔--(大日如来、仏像への信仰など)

具体的なものから、抽象的なものへと変遷していきます
仏滅後もホトケとしての本質が失われないなら、礼拝の対象としてのホトケが求められることになり、それが、舎利への信仰の始まりで、舎利を祭った塔になり、塔そのものになり、理念のしての塔になり、神格化された大日如来になる、と

経典を読誦するだけでは、宗教感情は満たされない、ということですね
仏舎利塔が起源ですから、塔への信仰は、仏像への信仰よりも古くからあります

舎利を拝むとどうして絶大な功徳があるのか、ということが舎利礼に書かれています

四つに分解出来ます
一心頂礼 万徳円満 釈迦如来 真身舎利

いっしんちょうらい まんとくえんまん しゃかにょらい しんじんしゃり

一心に頂礼す、万徳円満なる釈迦如来の真身舎利を
本地法身 法界塔婆 我等礼敬
ほんぢほっしん ほうかいとうば がとうらいきょう 

本地である法身の法界塔婆を、我ら礼し敬って


為我現身 入我我入 仏加持故 我証菩提
いがげんしん にゅうががにゅう ぶつかじこ がしょうぼだい 

我が現身をもって入我我入し、仏の加持の故に、我は菩提を証す
以仏神力 利益衆生 発菩提心 修菩薩行 いぶつじんりきりやくしゅじょう ほつぼだいしん しゅうぼさつぎょう 

仏の神力をもって衆生を利益し、菩提心を発し、菩薩の行を修す
同入円寂 平等大智 今将頂礼
どうにゅうえんじゃく びょうどうだいち こんじょうちょうらい

円寂なる平等大智に同入し、今まさに頂礼す



  1. 一心に頂礼す、万徳円満なる釈迦如来の真の身である舎利を
  2. (舎利の)本地である法身の法界塔婆を我ら礼し敬って、我が現身をもって(法界塔婆に)入我我入し、仏の加持の故に我は菩提を証して
  3. 仏の神力をもって衆生を利益し、菩提心を発し、菩薩の行を修す
  4. 円寂なる平等大智に同入し、今まさに頂礼す

 偈文の意味を明らかにするのに、学問的に言えば、サンスクリットとチベット訳を探し出し、比較するのが普通ですが、この舎利礼は元々が漢文ですから漢字の意味を考えることしかできません
「入我我入」「加持」と、密教独特の言葉がある以上は、密教的な解釈をしなければならないのであって、あんまり独創的なのは、わかっているようで、わかっていない、ということになります
「神力」という言葉もありますが、これは、法華経神力品にもある言葉で、大乗仏教全般にある概念です


1.で、お釈迦様の舎利を頂礼する、と言っているのですが、舎利礼は本物の仏舎利がなくても、お墓とか、斎場とか、骨のある場合に使われることが多いです
あと、御札の祈祷などにも使われます
それは
2.で、舎利が、その本地である法身の法界塔婆に普遍化して、それを礼敬するからです
本地というのは、実体とか本質とかの意味で使われ、密教では本地垂迹説として、日本古来の神様の本体は仏や菩薩であるという意味でも使われます
その本地が法身だということなんですが

法身とは
仏陀としての本質が法身(ほっしん)
修行の成果として仏陀となったのが報身(ほうしん)
衆生の願いに応じて現れた釈尊が応身(おうじん)
で、同じ仏陀であっても、その性格を、本質・自利・利他と三種類に分けることができるという見方を三身説と言い、その法身ですね

法身が法界塔婆だと定義するのですが、こういうところから、塔婆の開眼や、御札の開眼の時に使われるようになってきたわけです
法界塔婆は、密教的に言えば、大日如来の標識(三摩耶)です

法界塔婆の具体的な形はこうなります
長保寺  国宝 多宝塔


これは代表例で、木札や紙の塔婆は、この塔を簡略化したものです

お釈迦様が入滅して、火葬され、骨が残ったのですが、その骨の持つ意味の本質がお釈迦様の意味の不滅の本質であり、それが、時間や空間を超えた概念として抽象化され深化していきます
密教は、お釈迦様の意味を抽出して深化し、仏像や標識や真言として再編成します
そのことによって、お釈迦様は普遍化され、時代を超えた存在になります

お釈迦様の存在感が感じられるから、密教が必要とされた、ということになると思います


ちょっと長くなったので、次回に続きます

偽ガンダム

中国の偽ガンダム 産経新聞ニュース

海外メディアが騒いだので撤去したらしいですよ
まあ、特異なメンタリティーではあります

僕は、メイスン君の二重パクリを食らってますから、別に驚きませんが

フランスのルノーの産業スパイ事件で、やっとヨーロッパも大陸の中国人の特異性に注意を払うようになったんでしょうね

思うに、中国人は箸を使って飯を食いますから、手先は器用です
韓国、台湾など箸を使う文化圏の人たちは、皆器用です

で、器用だから野放図にパクリをするかというと、日本以上の電子機器製品を作るようになった韓国や台湾が大々的なパクリをした、というのは聞かないです
いくらなんでも節度があります
普通の国なら

これから、新興国が工場を誘致するケースが増えますが、たとえば、インドではパクリは無理だと思いますね
インド人は不器用なんです、やはり、箸を使いませんから
で、これから先も、パクリが問題視される国は、中国に限定されるのではないかと考えてます

 
僕は今、日本の仏具屋さんを通じて、仏具を中国で作ってもらっていますが、実は作っている工場の社長は台湾人です
日本の仏具屋さんも、相手を選んで付き合っているのです

それで、その台湾人の仏具屋さんに、せっかく高度な技術があるんだから下請ばかりでなく、オリジナルブランドの物を作ったらどうかと言ったら、「すぐマネされるので、無駄」といわれてしまいました
まあ、中国では、パクリを根絶しなければ創意工夫など馬鹿馬鹿しくてする人はいないでしょうね

だから、今の調子では、中国は先進国に追いつくことはできても、追い抜くことはできないと思いますよ
先進国は、次から次へと最先端の物を作り出す総合的な力を持っています
一言で言えば、一番を目指して実現する創造的技術力でしょうか
自由な発想と、それを正当に評価し保護するしくみなど、社会全体の問題です
これこそが、強さなのであって、盗まれることのない財産です

それが、パクリ文化には無い、と
本質的に間違った世界、ですね
早く気がついて、やり直したほうがいいです

  
 


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