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神秘体験とか、霊感による普通の人より拡張した感覚、など心霊的体験ですね これは、結局だれとも分かち合うことの出来ない体験です 何を感じたかは、本人しか知りません 「きのうのサッカーの試合がどうたらこうたら・・」などと共通の話題にして気持ちを分かち合うことが、難しいのです 専門的には変成意識状態と言います ラリってる、神懸かり、禅定なども変成意識状態に含めるようです 神話的コスモロジーと深層意識のイメージとの一体化は、共同体が保持しているコスモロジーと深層意識の一体化であるから、「絶対的な私」の感覚を強烈に持ちながら、共同体とも絶対的なつながりを持っているという感覚へわれわれを開いていく。しかし、コスモロジーの行き先はあらかじめ決められているため、盲信へ閉じていく性格を持っている。 深層意識でのイメージはコスモロジーがあらかじめなければ、体験とならず、他者とも共有できない。 宗教体験の核心には、神話的コスモロジーが必要である。コスモロジーが宗教体験を可能にし、人間どうしの根元的なつながりを生み出すが、ひとつの限定された物語に収束されてしまうが故に、他の宗教や文化における根元的なつながりを理解できないのである。 つまり、自分の体験を、ある種のコスモロジー(世界観)の中の出来事として意義付けます たとえば 「恋人と別れなければならないのは、前世から自分で計画していた学びである」などと、意味のある行為として評価します これは、別のコスモロジーになれば 「恋人と別れなければならないのは、前世で人を裏切ったカルマがあるからだ」にもなれば 「恋人と別れなければならないのは、神の意志による人類覚醒計画の準備だ」にもなるし 「恋人と別れなければならないのは、彼にもっと素晴らしい人があらわれたので、私が捨てられた」に落ち着くこともある、と 各種宗教は、大元に開祖的人物がいるわけですが、時間とともにコスモロジーが発展していき、ややこしい物語、教理、哲学になります コスモロジー自体の辻褄あわせが必要になるのと、他の文脈のコスモロジーを包摂し取り込んで発展するからです 物理学の大統一理論のように、宇宙全てを一元的に説明するような考え方にたどり着こうとします それが、困るのは、狂信へと人々を導く可能性を秘めているからです 全ては神の思し召しである (この程度なら、かわいいのですが) 神の意志は、教祖様だけが知っている (あやしいぞ) 教祖様の命令には絶対服従しなければならない (あれれ) 教祖様が死を望めば、ためらわずに殺す (あらら) 僕は常々、不思議な経験を通じて支配し依存させようすることを、拝み屋的なやりかたで、警戒しなければならないと言っているのですが、とどのつまり、自分を失えば狂信的なカルトになるからです 占い師は、あなたの運命を好転させる方法を知っているのは自分だけだと言い ヒーラーは、自分だけが、治療方法を知っていると言い 教祖様は、自分だけが、悪因縁から解放される方法を知っていると言います 宇宙の真実を解き明かした (キリスト教やイスラムなどの一神教だけでなく、自分だけの神を信じる人も、他のコスモロジーとの対立は避けられません) 波動を見分ける (いかにも客観的な事実であるかのような表現ですが、なにがどう波で、それがどのように動くのかは、個人的な感覚なのです) 審神(さにわ) (真贋、優劣などを、自分がルールになって審判しますが、実体はまったくの独裁で主観なのです) 特定のコスモロジーの中でしか通用しない、個人的な感覚を、だれにでも通用する客観的な事実にしてしまいます これは、背後に、執着の強い霊あるいは霊団がいて、物質世界への通路として、彼らに憑依し手先として使役している場合もあります 多いのは、単純な詐欺ですけど 強い霊団が背後にあると、天使なら天使、天狗なら天狗、猫人間なら猫人間、など、同じイメージを見て、つまり、似通った神秘体験をします 占いは、当たります ヒーリングで病気が治ります それは、しかし、特定の霊団が自分たちに都合のいいように使役するため、仕組んでいる場合があるということです しろうとさんは、なにか客観的普遍的なものを神秘体験によって知り得たと思いこみます 特定のイメージは、ほとんど、特定の個人へ収斂します つまり、カルトの教祖へ行き着きます カルトの教祖の変成意識状態が、あなたの変成意識状態を再構築しているのです これを、洗脳ともいいます たとえば 教祖さんの目を見たら、ピカーっと光ったなんてのは、ま、キツネ系とか それはそれで不思議ですけど、だから教祖さんが神様より偉いってことにはなりませんよ どことは言いませんが、多いぞ 特に最近は、外国製が多い 心が繋がる感覚があるのですから、コスモロジーの共有が、当然あります ですが、独善や決めつけは慎まなければなりません 共同幻想、妄想、でもいいですが、心に快感のある物語ですから、おとぎ話のほうが近いでしょうね 言っておきますが 自分の運命を好転させるのは、自分の努力だけです 自分の病気を治すのは、最終的には本人の自然治癒力です 悪因縁から解放されるのは、自分の心がけ次第です 仏教は、冷たいようですが 自灯明、法灯明と言って 自分と、自然の法則をよりどころにしよう、と言ってます 助け合い、励ましあいはあっても、最後は自分です どんなに腹が減っても、教祖様が、かわりに飯を食ってくれるわけではありません 朝起きたとき、かわりに便所にいってくれるわけでもありません スピリチュアルにこだわるなら そこから始めましょうよ |

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