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「存在理由」−5
柚月は時計をちらとみると慌てて帰り仕度をはじめた。
今日から1週間夫が出張の予定なので、
少し痴呆の気がある義母を迎えに行かなくてはいけないからだ。
珍しく産婦人科の仁科婦長が顔をのぞかせ
「柚月さん・・・ちょっといいかしら?」という。
「ちょっとなら・・・。今日から1週間お義母さんを看なきゃいけないのよ」
「あら、旦那さんまた?!」
「違うの、出張ですって」
「頼まれたの?お人よしねえ。私だったら関係ないって突っぱねるところだわ」
「そうもいかないわよ、まだ夫婦なのだし」
「はやく、結論ださないとそのうち、介護だけ押し付けられるんじゃない?」
「仕方ないのよ、いろいろね・・・で、何だったの?」
「あ、そうそう、あやうく用事のほうを忘れるところだった。
野々山さん退院されたの?」
「さっき、無事退院しました。なぜ?彼女を知っているの?」
「カルテをみていて気がついたのよ、彼女妊娠しているわ」
「えっ?!そんな検査していた?何カ月?」
「今回の入院で検査していたわけじゃないの。2カ月前に一度、診察に来ていたの。
妊娠初期と診断されて、妊婦健診に来るようにとなって以来、来院していないのだけれど、順調に育っていれば5カ月目に入っているわね」
「5か月。薬とか大丈夫だったかしら。結構強い薬を使ってしまったし困ったわ。もし子供に障害がでてしまったら私の落ち度だわ。
ご主人を亡くされていると聞いていたから、妊娠の可能性を考えなかった」
「そんなこと、本人は知っているのだし、
普通なら家族も知っているだろう話だもの、柚月のせいじゃないでしょ。
おかしいわね、なぜ家族は知らないの?おめでたい話じゃない?
誰にも彼女話していないの?」
確かにおかしい。
2か月前といえば、まだ夫が生きていた頃だろう。
話すタイミングをうかがっているうちに、夫がなくなってしまったのだろうか。
それでも、いくら仲が良くないとはいえ、義母に話すべきことではないだろうか?
実家の両親だっているのだ。その頃から彼女は不安定だったのだろうか・・・。
「話していないわ。今じゃ覚えているかどうか・・・」
「ご家族には早急に伝えた方がよさそうね」
「本当ね、ありがとう、気がついてくれて」
「また、時間できたら飲みに行きましょう」
「ええ、ええ是非。じゃお先に」
柚月は夫の実家へと車で向かっている。夕方のこの時間は自転車や歩行者が多く、全神経を運転に集中させながら、路地を20kmほどのスピードでのろのろと走る。後ろの車からクラクションを鳴らされ続けてもスピードをあげることはしない。息子が事故にあった、あの日以来、柚月にとって運転は容易なものではなくなっていた。
簡単に人の命を奪ってしまえる凶器を動かし、移動しているのだから慎重になるのが当然であるはずなのに、人は時に自在に操れる高速な手足のように感じてしまう。
運転していると全身の毛孔からいやな汗が噴き出してくる。
それでも、運転をやめようとは思わなかったのは、自分への挑戦だからだろう。
いや、罰だろうか・・・。
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