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日本人には本音と建前があって、いっていることと思っていることが違うと日本人は思い込んでいるような気がする。
一面では正しいが、では外国人には本音と建前がないかというとそんなことはないと思う。
そもそも欧米では、言葉は真意と同じになることはないと信じられているという。(児島譲「誤算の論理」)言語でどのようにつたえようと真意は表現することはできない。真意が伝わるとすれば受け取り手が、相手の真意を言葉の間から読み取るときである、という考え方だ。
たとえば、安全保障理事会が「必要なあらゆる手段を用いてよい」といえば、武力行使容認の意味である。ある国が他国に国交の断絶を告げれば次はいつ戦争になってもおかしくないという意味になる。
言葉で伝えられる情報は真意の30%にしかならないとする言語学者もいる。
そのためか欧米では暗号が発達した。言葉によるコミュニケーションそのものが、相手の発する言葉の「解読」にほかならず、暗号-解読の日常的な訓練(つまりコミュニケーションの訓練)を子供のころからしているというのだ。
日本は逆に言霊思想があって、言葉を発すればそのまま実現すると考える思想がある。(井沢元彦「逆説の日本史」ほか)たとえば、「今日あなたの乗る飛行機は落ちる」というような発言は欧米人とは不快に思う度合いが相当違うらしい。発言したから落ちるわけでもないのに、いった人は相当の恨みを買うことは間違いない。
このように日本人こそことばの絶対性、いいかえれば言葉=真意と考えているのではないだろうか。
本音と建前というのは、言葉の絶対性を信じるからこそ、禁忌の言葉を避けて無難に包む工夫をしているような気がする。
このことは実は外交において深刻な意味を持つことがある。
相手国の政府高官が公式に発する言葉には、暗号としてのメッセージがこめられていると考えなくてはならない。
逆に日本の発する言葉や行動は何らかのメッセージと捉えられているのだ。
中国の報道官や駐日大使が反日デモによる破壊活動にたいして「中国側に何の落ち度もない、反省するのは日本のほうである」といったとしてもその暗号はおそらく「ジュネーブ条約で保護された外交施設に無法な破壊活動をしておいて、反省しないわけがないじゃないか、でも政府が市民に足元をみられたくないんだ」ぐらいの意味はあるはずだ。でもこのメッセージはわかりにくいため、欧米各誌の反発を招いた。
過去の日本の外交でもずいぶん損をした、暗号ー解読についていずれ触れていきたい。
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