さて何処へ行かう風が吹く

キチガイ博士の極論・暴言・妄語――自分の「修行」用の覚え書きです。関係者以外はお引き取りください。

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徴兵制のススメ

徴兵制――国民皆兵――のススメ

いやしくも我が國が「民主主義」を標榜する国家であるのならば、そして(今週内にも成立するとみられる)教育基本法改正案にもあるとおり、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」ことが肝要であるとするならば、(たとえば防衛庁を「防衛省」に格上げするなどといった)小手先の「策を弄する」のではなく「抜本的な改革」をおこない、自衛隊を「国民軍」に編成替えして「国民皆兵」とするのが当然であろう。むろんその場合、男女平等で「一切の免除・例外規定のない」徴兵制(男女平等普通参「軍」権)でなければならない――「一人一票」ならぬ「一人一兵」・・・。いまの「押し付け憲法」にかわる、きたるべき「自主憲法」には、男女平等普通参「軍」権(universal military share)ならびに「兵役」(military service)の「平等な義務」(equal duty)――軍に参加する平等な権利と義務を規定すべきである。。。

――あらかじめお断りしておきますが、今回は、いつもにも増して毒素の強い、「極論・暴言・妄語」の極みであります。何卒(なにとぞ)、「文字どおり」に受け止めないよう、お願いいたします。


◇拳銃を・・・

話は唐突だが、昨年から少しずつ丸山眞男(の著作・対談・日記・講義録・手紙類と関連資料)に目を通している。資料は膨大であり、(同時に他の仕事も抱えているため)作業は遅々として捗らない。じつは『丸山眞男集』ですら、まだ完全には読み切れていない。

だから以下はあくまでも「中間的な感想」なのだが、良くも悪くも丸山は「山の手の良家のお坊ちゃん」タイプであり、気障(きざ)で切れ者の「エリート知識人」であり、したがって、(個人的には)イケ好かない学者(東大教授!)であり、わたしはやっぱり吉本隆明タイプの「泥臭い思想家(?)」の方が好きなのであるが、それでもなおかつ「丸山眞男」に拘泥するのはなぜだろうか。――それはわたしが、死ぬ前に、いまや幻(まぼろし)と化した「戦後民主主義」をじぶんなりに総括しておきたい、と思ったからである。

言うまでもなく、丸山は「戦後民主主義」を代表する人物の一人である。しかも丸山は、圧倒的に誤解・誤読(曲解・曲読?)されている(と思われる)。今となっては、丸山の思想が「問題だらけ」「欠陥だらけ」なのは、むしろ当然であろう。時代は変わった。「ないものねだり」をしたらきりがない。しかし、わたしは、丸山の思想の中に「戦後民主主義」の失われた「幻像」を見出すのである。

丸山については、そのうち、改めてキジを書くつもりだが、本日のテーマは「徴兵制――国民皆兵――のススメ」であった。丸山は終戦直前、陸軍に「徴兵」されている(正確には「召集」という)。その丸山によれば、

「国民皆兵」の原則による徴兵制を基礎としていた旧陸軍は、「日本の社会集団の中で一番デモクラティックなもので・・・国民的な基礎を持っている・・・国民の軍隊」という性格を示していた(『丸山眞男座談』1、258頁)

さらに丸山は次のように主張している。(「拳銃を・・・」)

「ここで一つ思い切って、全国の各世帯にせめてピストルを一挺ずつ配給して、世帯主の責任において管理することにしたら・・・」。

これは、「60年安保」のただ中、1960年3月に発表された一文で、合衆国修正憲法第2条(規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない)を引きつつ、「どんな権力や暴力に対しても自分の自然権(「固有の」自衛権――引用者)を行使する用意がある」ことを日本国民が身をもって学ぶために、全国の各世帯にピストルを1挺配給することを提案した、という(『丸山真男集』第8巻所収)。

今ならさしずめ、各世帯にテポドンを一台配給、というところだろうか。


◇アメリカの現実

『華氏911度』のマイケル・ムーア監督によれば、イラク攻撃に送られ、生命を危険にさらした米兵のなかに上下両院議員の子息はただの一人しか存在せず、戦死者の数もフリーランチプログラム(一日一食の無料給食)受給者の多い貧窮地域に偏っている。イラク攻撃の主力を担った空母キティホークの要員の三割がヒスパニック、アジア系移民の子弟だった。彼らは「十全なる市民権」を得るために志願兵になる(入隊経験と軍の推薦があれば市民権取得に要する期間を短縮できる)。ヴェトナム戦後、廃止された徴兵制度に代わる志願兵制度を支える基盤が、まさに「装置化された貧困」にあることが分かる。職業軍人を除き、ハイスクールの学生まで、なぜ軍のリクルートに応じ、苛烈な戦場に赴くのか。格差の仕組みが生み出す「貧困」と「市民権差別」が志願兵制度の根幹を支えている。すなわち、世界最強の軍事大国アメリカは、何よりも一部国民の「貧困化・貧窮化」を絶えず進行させる精緻な社会的装置のうえに成り立っているのだ。


◇東京に原発を

かつて、『東京に原発を!』(広瀬隆)という本があった。政府が言うように安全な原発ならば、東京に誘致すればいい。そうすれば送電ロスもないし、廃熱を利用して地域の冷暖房にも使える。いいことずくめではないか。なのに、山の迫った岬などに、天然の要塞のような地形を利用して建てるのは、やっぱり危険だからなのではないか?

最近では、『東京原発 TOKYO: LEVEL ONE』(2004年、監督・脚本:山川元、主演:役所広司、出演:段田安則、平田満、田山涼成、吉田日出子ほか)という「駄作」映画があった。

――財政破綻の縁にある東京都は、起死回生の策として、原発を東京に誘致する事を決めたい、と都知事が言い出す。原発を作らせてくれる地域には実に手厚い政策が用意されている。各種補助金に税金の優遇・・・。いいことずくめだ。それに地域冷暖房も出来るし、安価に電力を提供出来る。原発は安全だと言ってるんだから、その安全なものを東京に作って何が悪い。――実に明快な論旨だ。

どうせ東京に作るなら、霞ヶ関あたりが理想的である。国会議事堂の横に作ればベストではないか。むろん、首都機能(議会や行政府)は、けっして地方に移転してはならない。

これをガクモン的に言えば、都知事の試みは、原発問題において分離している「受益圏」と「受苦圏」を一致させようとする試みである。原発問題のように、「受益圏」と「受苦圏」が分離している問題においては、「受益圏」にいる人々を傍観者から当事者(ステークホールダー)にかえることが重要であり、そのためにはこうした荒療治も1つの有効な手段であろう。

そういうことならば、まだまだ提案はあるぞ。

皇居に米軍基地を。代々木公園に自衛隊基地を。臨海副都心に核燃料廃棄処理施設を。ついでに、核廃棄物は東京湾にじゃんじゃん捨てればいい。みんな東京から逃げ出して、首都圏の過密と一極集中が、地方の過疎問題が、ひょっとしたら一気に解消されるかも知れないぞ。基地のない沖縄なら、老後の生活を送る場所としては理想的だ。。。


◇徴兵制度のススメ

フランスでは2001年に徴兵制が廃止された。1995年の大統領選挙に当選した右派のシラク大統領が、翌年2月に「国防改革計画」を発表し、その中で、徴兵制の廃止と段階的な職業軍人制への移行を宣言したのである。なお、大統領選挙の際、社会党のジョスパン候補は、徴兵制廃止に否定的であった。

1997年2月、右派が多数を占める国民議会は、正式に徴兵制の廃止を可決した。この際も、社会党や共産党などの左派政党は、反対票を投じている。もちろん、徴兵制に反対ではなく、徴兵制廃止に反対である。

右派が徴兵制廃止を主張した理由は、かなり単純なものであった。ハイテク兵器の取り扱いやテロ対策への対応などを考えた場合、適性も希望も無視して頭数だけを集めた軍隊では訓練コストがかかり過ぎ、しかも結局はうまく対応できないと判断したのだ。

この点に関しては、左派も認めざるを得ない。それでも、左派政党が徴兵制にこだわったのは、国防を、「国民全員が平等に担うべき任務だ」と考えたからである。

この論理は、アメリカの場合と比較すればよく分る。2005年8月12日付の『朝日新聞』朝刊紙上で、「非暴力資料センター」のボブ・フィッチ氏という人が、ブッシュ政権の徴兵政策について、以下のように批判している。

「ブッシュ大統領は昨年の選挙で『徴兵制は導入しない』と約束した。『皆さんの子どもは戦場に送らない』という中産階級に向けたメッセージだったと思う。だれが戦争に行くのか。状況を一番よく言い表す言葉は『貧乏人の徴兵制』だ。進学や就職などの選択肢がなく、金と仕事に困っている若者が標的になる」

これは、金持ちがカネ(税金)を出して兵隊を雇うという図式である。フランスの左派は、それを嫌った。国民軍は、出身地、出身階級、宗教、民族などを超えたすべてのフランス国民によって、共通の祖国を守る集団として組織されなければならないというわけである。要するに、すべての国民の平等と、平等な国民としての国家統合を求めたのである。

さいきん、憲法学者の樋口陽一氏は、次のように「極論」している。

私は日本の憲法改正には反対だけど、九条改正をするなら当然、徴兵制を採用すべきだというのが私の主張ですから。人民が軍隊を掌握すべきだという論理です。かつては軍隊が人民を掌握しちゃって、とんでもない皇軍をつくったんだけど、今度は人民が軍隊を掌握する。そのくらいの覚悟がなければ憲法改正をしてはいけない。犠牲になることを覚悟しなくちゃいけないというのがレピュブリカンの主張ですから、軍の存在を前提とする限り戦没者を弔うのは当然です。自分たちがつくった社会契約によって編み上げてきた公共物としてのレス・プブリカを守るために最終的には命も惜しまないというのが、レピュブリカン(共和主義者)です。レピュブリック(共和国)が必ず軍隊を作るということには私はならないと思うけど、作る以上は全員が等しく犠牲を甘受しなければないけない。俺には関係ない、貧乏人が大学に行くために軍隊に行って、俺たちや俺たちの息子には関係ないとは思っちゃいかぬ、ということです。(レジス・ドゥブレ、樋口陽一、三浦信孝、水林章『思想としての「共和国」』2006年、みすず書房、180-183頁)


◇おまけ。「世襲制」の廃止を!!

たとえば、1990年以降に誕生した内閣総理大臣を見れば、小川平吉の孫にして宮澤裕の息子、近衛文麿の孫にして細川護貞侯爵の息子、羽田武嗣郎の息子、橋本龍伍の息子、小渕光平の息子、森茂喜根上(ねあがり)町(現・能美市)長の息子、小泉又次郎の孫にして小泉純也の息子、岸信介の孫にして安倍晋太郎の息子といった顔ぶれが並ぶ。この間の総理大臣で政治や選挙と無縁の家系の出身者は、猟師(正しくは漁師でした、ゴメンナサイ)の息子に生まれた村山富市だけなのだ。(村山は、就任のぎりぎり直前まで、まさか自分が総理大臣に担ぎ出されるとは思ってもいなかったであろう。)

――そういえば、自由の国アメリカでも、大統領の地位が世襲された。北朝鮮も似たようなものだったと思う。きたるべき「自主憲法」においては、いっさいの「世襲制」の廃止が求められる。。。

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これは見事な「極論」ですぞ。道理とすれば、これは正しい。正しいけれど、それだけに困るなぁ(笑)

2006/12/5(火) 午後 2:35 single40


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