自民党の改憲草案には「法律と同一の効力を持つ政令」の制定が可能とされている。国会による立法により、その範囲で行政が行われる原則がなくなり、国を相手に訴訟を起こしても、国民の基本的人権が優先される余地はなくなる。

面白い話がある。「GHQに押し付けられた」と言われることの多い日本国憲法だが、憲法制定の際には、GHQから「緊急事態条項」を盛り込む提案があったそうだ。これを日本側は拒否している。憲法制定議会で金森徳次郎・憲法担当大臣は「緊急勅令及び財政上の緊急処分は、行政当局者にとりましては実に重宝なものであります。しかしながら重宝という裏面におきましては、国民の意思をある期間有力に無視しうる制度であるということがいえるのであります。」「過去何十年の日本の、この立憲政治の経験に徴しまして、間髪を待てないというほどの急務はないのでありまして、そういう場合は何らかの臨機応変の措置をとることができます」と述べている。

昨年成立した安法法制(戦争法制)と今後狙われている「緊急事態条項」を憲法に加えることで、日本の法体系は立憲民主制から完全に離脱する可能性が大きい。これら有事法制が一たび発動されると、憲法の民主的諸原理は一時的に停止もしくは棚上げされることになるが、それらを元どおりに復元することはおそらく絶望的に難しいだろう。さらにkの種の制度は、現実の発動に至らない段階でも、非常態勢の準備そのものによって、憲法秩序に相当の変質を生ずることに注意すべきである。

そして、すでにこの国には秘密保護法が制定されており、マスコミは萎縮している。有事法制の完成によって真実が国民に知らされることはなくなり、選挙で代表を選ぶ材料が奪われる。とりわけ、軍の不正などに切り込むマスコミは皆無になり、内部告発も激減する。自衛隊や米軍に関するニュースは今でも少ないが、ますます聖域化されるていくだろう。

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一般に、通常兵器による戦争の場合でも、自衛隊は本格的な「侵略」を支える力がないとされる。ある軍事評論家によれば、旧ソ連相手の場合、「航空自衛隊は開栓後1時間で全滅、海上自衛隊も、陸上自衛隊も組織的戦闘は、3・4日しかできない」と推定されていた。これでは米軍支援を待つ間もなく、軍事抵抗の主軸はなくなってしまうであろう。仮に米軍の積極的支援によって、戦争がもっと長続きできたとしても、太平洋沿岸の工業ベルト地帯が無事で済むと考えるのは、全く幻想的である。原水爆を用いなくても、潜水艦や航空機でこの工業地帯を掃滅することは、そう難事ではないはずである。百歩を譲って、何ヶ月にわたる戦争を軍事的に持ちこたえたとしても、石油・食料その他の重要資源を海外に仰いでいる日本が、海上輸送を寸断された場合、国民はどうやって生きてゆけるのだろうか。年間「10万トン級の船で万隻以上も必要という輸入の通路は長く、米海軍の全面支援があっても、安全な護送は何分の位置も期待できないであろう。しかも、アメリカの援助への過剰期待は、ベトナム戦争の実例が示す通り、絶対に禁物である。仮にアメリカが「誠意」を持って数十万の軍隊を送って戦ったとしても、戦場とされた日本の国土と国民を守れないことは、これまたベトナムの教訓が如実に示しているところである。

少し古い話だが、1967年に北海道で行われた「菊演習」(陸自始まって以来の大演習と言われた)をとってみよう。それは、「北海道を原住民(?)しかいない島に見立てて、本土から送り込まれた上陸軍が、進行軍の撃滅に当たるという奇妙な想定」の下で行われた。「国民を戦火に巻き込まないための早期撃滅」が「陸の戦略の基本構想」だというけれども、そううまく「早期撃滅」されるような敵が、無形さんに上陸してくるという考え方自体、問題であろう。もっと問題なのは「戦場と化した国土で国民の安全をどう守るか」については考えられていないことにある。「事前に避難させる」(どこへ?どのように?)ことぐらいで、「それが間に合わなかったらどうするのか、というような明確な方針は練り上げていないようだ」(毎日新聞社編『安保と自衛隊』)と評されたが、実はそれはしようと思っても出来ない相談でしかないであろう。同様に「三矢」のような図上作戦にしてもそうであったし、80年代の諸演習も、海上・航空自衛隊の演習にしても、アメリカ軍との合同演習でも、本質的には変わりがない。

国防論者が強化しようとする自衛隊の問題は、国民を守らないという点だけにとどまらない。ある状況のもとで、国民が軍事作戦に邪魔になると、軍は彼らを見捨てるか、さらには切り捨てもする。もっとひどくなると、国民を「的」と見なして攻撃するという場合も生じうる。手近な例では、第二次大戦で「皇軍」がたくさん示している。精強を誇っていた関東軍(特に将官たち)が、ソ連の参戦と同時に、何十万の民間人を置き去りにして潰走したのは、大掛かりな典型例である。沖縄戦でも「皇軍」は、住民を砲煙弾雨の中に追い出して、軍人たちで安全な洞窟島を占拠し、所によっては「足手まとい」の住民に自決を強制したり、敵軍に囚われたものをスパイ扱いにして殺した、というひどい例もあった。

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仮に日本の主要基地や大都市に、多核弾頭を持つミサイルが20発だけ投下されたとして、生き残りる者はどれだけあるだろうか。

東京都の中心部に投下された1発の5メガトン水爆で、霞が関や皇居はもちろん、旧市内の大部分は全滅し、火災範囲は千葉、木更津、横浜、立川、川越等に及ぶと計算される。一瞬にして、国の立法・行政・司法の中枢部は壊滅し、数百万人が死亡することになろう。このような事態の中で、誰が「国」を支えていけるだろうか。しかも、被害は全国に拡がっているはずだ。運良く人口の半分ぐらいが生き残れたとしても、工業地帯や都市部を一掃され生活の基盤を失った後、彼らは汚染された国土の上にどうやって生きてゆくことができるだろうか。また、ほとんど瞬時にそうした事態が生じたあと、仮に米軍が駆けつけたとしても(多分全面戦争になれば不可能だろうが)何の意味があろう。

このように核戦争を予定したら、人口過密の狭小な島国の日本では、防衛はおよそ成り立たなくなる。だからこそ、政府や軍事当局者にしてみれば、無理にでも目をつむって「起きないはずだ」ということにしておきたいのであろう。しかし、こちらに都合の良いシナリオだけ書いて、向こう側の現実の対応を考えないのは、防衛論としてナンセンスである。中国が大船団を仕立てて日本占領に来るという架空の物語よりも、アメリカと組んで軍事対立をしている日本の基地や都市に核ミサイルが飛ばされる可能性を十分に考慮に入れて、現実的な対応策を立てるのが、防衛論のイロハではないだろうか。

もっとも、こういう想定は水掛け論になるから、仮に核戦争は起こらないとして、話を先に進めてみよう。

世界地図を出して日本の地理上の位置を確かめ、一方でわが国の経済構造や産業立地の諸条件を考え、他方で仮想敵の軍事能力を計算してみればいい。細長い沿岸に展開している巨大な産業ベルト地帯、特に石油工業や原子力発電所等を、海空からの攻撃から有効に守れると空想できる者がいるとすれば、それは前大戦時に火たたきやバケツで空爆から年を守れると空想しえた連中に劣らず、非現実的な呑気者だろう。自衛隊を今の10倍に増強しても、都市や工業地帯等の有効な防衛ができないことに変わりはない。米軍が駆けつけるまで1、2ヶ月を持たせれば良いといった古典的な戦争観などは、現代の戦争や生活様式についての無知と、想像力の欠如をさらけ出した好例である。

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日本の国防論は致命的な欠陥を抱えている。

(1)自衛隊は大国と戦って、日本の国土をも国民の生命や生活をも「防衛」する能力はない。自衛隊の戦力を今の数倍にしてもである。そんなことは兵員充足率や財政力から見て不可能だが。また、アメリカ軍の援助が十分あるとしても、根本の事態に変わりはない。日本の地理的・経済的諸条件を考えれば、この国は現代戦に最も脆弱かつ不適当な状態にあるから、軍事力で有効に国民を防衛することは不可能である。この点の認識の不足が、威勢のいい軍事力増強論を生み出す元になっているが、それこそ国民を死地に導く幻想というべきである。

(2)軍事力による防衛の不可能さは、とくに核戦争の場合には決定的である。ところが、わが国の防衛計画や自衛隊の作戦訓練などで、核攻撃に対して国民をどう守るかは、何一つ考えられていない。日本の防衛計画や国防論の虚偽性は、この点に最も端的に現れている。核戦争の可能性は今日ますます高まっており、第三次世界大戦が発生した場合、核抜きで戦争が終結すると見るのは、戦略論としても甘すぎて、問題にならない。アメリカとの「同盟」関係で、日本が引きずり込まれるかもしれない大規模戦争について、この点を検討してみよう。

(3)米中両国が全面的軍事対決を余儀なくされる時、核を使用しないことはまず考えられない。通常兵器をもってしては勝てないと判断する側は当然、核を使う誘惑にかられるだろう。核兵器が小型化し、その命中率も高まった今日、いわゆる戦域核を用いる可能性は大きくなりつつある。一方が「限定的に」せよ核兵器を用いたら、他方が自己抑制をするはずがないから、双方でとめどなく拡がっていくであろう。とりわけ、最終的な局面で、戦争に敗れたら自分たちの体制を維持することが難しいと覚悟を決めた指導層が、核の使用を最後まで自重することも、また考えられない。

日本の国防論者のシナリオは呑気なもので、核使用の可能性は、アメリカの核抑止が効いているので全くないと見るのが普通である。一方で北朝鮮を「信用できない」と極悪者扱いしながら、他方では「核だけは使うまい」という奇妙な信頼をしているのはひどい矛盾だ。

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中国にとって、
(1)帝国主義的な侵略の第一の欲望対象となった天然資源を求めて、最も資源に乏しい日本列島を占領することは、全く無意味である。

(2)過剰人口の解決が問題となっている今日、人的資源を得るために侵略してくると考えることも、およそ馬鹿げた話である(技術者等は自国でみな十分に養成されている)。

(3)日本の高度の工業力は魅力的であるかもしれないが、友好的な経済交流等で既に目的は達成されている。侵略戦争を仕掛ける方のマイナスがより大きい。

(4)軍事基地としての日本列島は、占拠して使えるならば多少は有用であるかもしれないが、核弾頭を多数保有する中国が、大戦争の危険を冒して、国際世論や日本国民の大きな反感を買ってまで、日本を占領しなければならないほどの必要はないだろう。戦略上はるかに重要な場所は他に多数ある。

中国が日本に軍事力を行使する危険があるとすれば、それは中国にとって日本が明らかな敵性国家として、現実の脅威になる場合である。すなわち、中国が日本にある敵性基地や軍事力を叩かなければ自国の安全が脅かされるという理由から、対米戦争のような大緊急時に日本の軍事要点を攻撃する可能性は、かなりありうると見ておくべきである。とくに原潜基地・飛行場・ミサイル基地等は、場合によっては核攻撃の対象ともなろう。この意味での「侵略」の蓋然性は、まさに日本が日米安保条約により、攻撃能力のある基地体制を有するが故であって、それを防ぐ最良の方法は、米軍基地や攻撃兵器を廃棄することではないだろうか。

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