Peaceful Castle

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『関ヶ原』

司馬遼太郎の同名小説を原作とした映画です。

『日本のいちばん長い日』と同じ原田眞人監督の作品で、そちらと同様にかなり長い作品だったと感じました。

2時間半という上映時間は、映画としてはかなり長い方です。

また、最大の見せ場である合戦に突入するまで2時間近くかかったので、余計長く感じました。

ある程度の予備知識がないと、展開についていけず合戦に入る前に眠ってしまうかもしれません。

ただ、個人的には、登場人物や大まかな流れを把握していたので、退屈せずに割りと楽しめました。


そもそも秀吉の死から数えて2年に渡る三成と家康の駆け引きを、わずか2時間半の作品に凝縮できたこと自体が偉業だともいえます。

しかし、去年の大河ドラマ『真田丸』と比較すると、駆け引きのスリルやわかりやすさといった点で、この作品は大きく劣るという印象を受けました。

『真田丸』で関ケ原の戦いと、そこに至る三成と家康の駆け引きを主に取り扱ったのは、次の3回です。


第32回「応酬」、第33回「動乱」、第34回「挙兵」

(なお、これに続く次の2回も、時系列的には関ヶ原の戦いが行われた時期に含まれます。

  第35回「犬伏」、第36回「勝負」

  ただ、この2回は昌幸・幸村と信之が東西両軍に別れる話と、上田合戦に重点が置かれているので、ここでは除外しています)


これらの3回は、『真田丸』の中でも特に石田三成にスポットが当てられており、主人公であるはずの幸村は影が薄かったような印象です。

よって、1回の放送時間45分のうち、OPやEDを除いた約40分が、関ケ原の戦いに至る駆け引きの描写に使われていると考えます。

すると、40分×3回=120分=2時間で、ちょうど映画における駆け引きの描写時間と同程度になります。

ドラマと映画を単純に比較するのは無理があるかもしれませんが、『真田丸』の描写の方がわかりやすく、かつ面白いと感じました。


その理由を考えると、先ずは登場人物の絞り込みが重要だと思います。

『真田丸』の上記3回での主な登場人物は、以下のとおりです。


【東軍】

徳川家康、徳川秀忠、本田正信、本田忠勝、加藤清正、福島正則、細川忠興

【西軍】

石田三成、大谷吉継、 上杉景勝、直江兼続、小早川秀秋、宇喜多秀家

【その他】

寧(北政所)、茶々(淀君)、前田利家、毛利輝元


ウィキペディアを見ながら、放送当時の記憶と照らし合わせて拾ったので漏れがあるかもしれませんが、大体こんなところだと思います。

映画『関ケ原』では、上記の人物はほぼ全員登場しており、これに加えて以下の人物が登場します。


【東軍】

柳生宗厳ら親子3人、蛇白 、井伊直正、松平忠吉

【西軍】

初芽、赤耳、 島左近と妻子3人、妙善、安国寺恵瓊、小西行長、島津義弘、島津豊久


公式サイトを見ながら、印象に残った人物を挙げるとこんなところです。

個人的には、東軍の柳生宗厳ら親子3人と、西軍の島左近の妻子2人、赤耳あたりは出なくても良かったかなと感じます。

柳生宗厳らは、小早川秀秋の寝返りに大きく関与していますが、恐らく原作小説の創作に基づくエピソードでしょう。

従来の気弱な秀秋像とは異なり、武断派で義理堅い秀秋が、家康の計略によって裏切りに至ったというのは新鮮味があります。

ただ、創作として面白いかというとそうでもなく、徒に話を複雑にしているだけだという印象を受けました。

わかりやすさやテンポを重視して、従来通りの気弱な秀秋でも良かったのではないでしょうか。


島左近については、『真田丸』の方ではあまり目立たなかった印象です。

しかし、この映画では三成の腹心として登場しており、関ヶ原の戦いをメインに据える以上、準主役級の活躍を約束すること自体は問題ありません。

ただ、この映画では左近の妻子2人が登場しており、ともに余計だと感じました。

特に妻が医術に長けていて、戦場の真っただ中で敵味方関係なく負傷者を治療するという場面は、あまりにも現実味がなく不要だと考えます。


あと、赤耳というか、忍たちのシーンももっと削って良かったでしょう。

確かに、忍などによる諜報活動は勝敗を分ける重要な要素です。

初芽を演じる有村架純さんは可愛いですし、(失礼ながら)客寄せパンダとして十分機能していると考えられるので、必要だったと思います。

そのライバルである蛇白とかいうくの一も、必然的に舞台に上げる必要が出てくるでしょう。

しかし、この赤耳とかいう老人忍者は、物語上大した役割を果たしていないうえに、東軍・西軍を行ったり来たり裏切るので、話が非常にややこしくなりました。

初芽にしても、合戦の本筋と関係のない場面が多い割に、三成襲撃事件のときや関ケ原敗走時など、肝心なときに何もしていないのが残念です。

三成との愛人関係についても、今の世相とは相容れないので、単なる主従関係で良かったかと思われます。


最後に、最大の見せ場である合戦シーンについて、全体像がわかりにくかったという点も気になりました。

個々の部隊の戦闘は、大量の人馬や爆薬で迫力たっぷりに描かれていました。

しかし、ある程度知識がないと、今映っている部隊が東軍か西軍かすら判別がつかないのではないかと思われました。

作品のどこかで、関ヶ原合戦場全体の布陣図を観客に示す必要があったのではないでしょうか。

たとえば、明治時代に軍事教官として来日したドイツの軍人が、関ケ原の布陣図を見て「西軍の勝ちだ」と断じた俗説を冒頭で紹介すれば、引きが強いかもしれません。

このエピソードが原作小説の中にもあるのかどうかわかりませんが、少なくとも司馬遼太郎の『日本史探訪』にはあるようです。


以上まとめると、個人的には楽しめましたが、長すぎるという欠点が目立つ作品でした。

その原因は、多すぎる登場人物と、そこから生じる本筋と関係のないエピソードにあると考えます。

もっと登場人物を絞れば、わかりやすくテンポの良い作品になったと思われます。

『何者』 朝井リョウ

直木賞を受賞した小説です。

受賞時にほしいものリストに入れて、そのままになっていましたが、今回の映画化に合わせてようやく読んでみました。

内容としては、就職活動中の若者たちの、心理や葛藤に焦点をあてています。

読みやすい文体で、話の筋も面白く、 短期間で一気に読めました。


先ず引き込まれたのは、登場人物が就職活動中の典型的な学生をそれぞれ表している点です。

主人公は、就職活動を行いながらも、自分自身やほかの就活生を一歩引いた立場から観察しているタイプ。

ルームメイトの光太郎は、コミュニケーション能力が高く、複数の会社から内定をもらえるタイプ。

その他、海外留学やインターンを武器に就活に挑む意識高い系や、就活自体を馬鹿にして否定する逃避タイプも出てきます。

それぞれの登場人物が、互いに影響を与え合い、ときには衝突する様子が非常に興味深かったです。


特に印象に残ったのは、コミュニケーション能力が高く、複数の会社から内定をもらった光太郎が、就活後の内定者懇親会で挫折を味わうシーンです。

自分とは異なり、緻密な業界研究をもとに業界の将来について語ることができる同期たちを目にして、彼は言います。

「俺、思ったんだよね。俺って、ただ就活が得意なだけだったんだって」

コミュニケーション能力が高い学生は、周りから羨ましがられることが多いと思いますが、こういう挫折を抱えている人も中にはいるのかもしれません。

そのことに、改めて気づかされました。

ただ、何だかんだ言いながら、このタイプは適応能力が高いので、入社後も上手くやっていく気もします。


ほかには、意識高い系で留学やインターンを積極的にアピールしている女子が、筆記試験で大企業に軒並み落とされている描写は、正直「ざまあ」と思いました。

この作品のテーマの一つにもなっていますが、本当の「がんばっている」様子はSNSに載せられるようなものではありません。

また、就職活動では、約20年間積み上げたものが試されるので、就活直前の1, 2年で行った活動など、その一部にすぎません。

世の中の意識高い系就活生も、それまで何もしてこなかったからこそ、焦って色々な武器を集め出しているのでしょう。

この作品では、そうした心理描写が緻密に描かれていて、なかなか面白かったです。

『聲の形』

同名の漫画を原作とした映画です。

映画館で視聴しました。


原作の方は、話題になったときに1巻だけ読みました。

主人公の小学生時代の話ですが、非常に内容が濃く、面白かったのを覚えています。

映画では最初の20分から30分ぐらいに相当しますが、やはりこの辺りが面白さとしてはピークでした。

しかしその後のシーンも十分に面白く、かつ考えさせられる内容でした。

話題の『君の名は。』も先日映画館で見て、全編通したときの面白さはそちらの方が上だったと思います。

『聲の形』は上映時間が長く、途中少し中だるみもありましたが、『君の名は。』は最後までまったく退屈せずに見ることができました。

しかし、あまりテーマ性がないので、「面白かった」とか「三葉ちゃん可愛かった」ぐらいしか感想がありません。

一方『聲の形』は、色々と考えるところがあるのでここで書いてみます。


先ず、小学生時代、石田母が西宮母に謝罪しに行く場面で、石田母の耳からピアスがなくなって出血していたのが気になりました。

原作を読んだときは気づきませんでしたが、この描写は原作にもあるようです。

そして、私も疑問に思ったのですが、これは

①石田母が自ら謝罪の意味を込めてピアスを引きちぎったのか

②西宮母が復讐のためにピアスを引きちぎったのか

議論があるところのようです。

作者のインタビューによると、

「将也が気づいていないことは取りあげない」

「読者の方にいろいろと想像してもらえれば、と思います」


とのことなので、正解はなく読者の解釈に委ねられています。

個人的には、上記の①②の折衷案のような感じで、「西宮母が石田母の同意を得て引きちぎった」ような印象を受けました。

石田母が最初から、自分の耳を傷つけて詫びを入れるというような、極道的なけじめのつけ方で事態を丸く収めようとしていたとは考えにくいです。

西宮母としても、最初から暴力的な手段で復讐してやろうと思っていたのではないでしょう。

少し前に2人が口論しているシーンがありましたが、

西宮母「お金だけで解決できると思っているのか」

石田母「思っていない。どんな罰でも受ける」

みたいなやり取りがあって、お互いに引っ込みがつかなくなったのではないかと推測されます。


どちらにせよ、個人的な道徳観に基づけば、この場面で第一に罰を受けるべきは石田母ではなく、将也本人だと思います。

将也本人の耳を傷つけるのさえ構わないと思いますし、せめて自分の行為で傷ついた母親の姿をはっきりと認識させるべきです。

少年法さえなければ、将也が硝子にした行為は、強盗致傷として警察沙汰にすべき内容だと思います。


あと、気になったのは、将也以外のいじめ加害者である、植野と川井の心境です。

植野は自分が加害者であることをはっきりと認めていますが、川井は消極的だった分、関与を否定しています。

そして多くの視聴者にとって、川井の方が道徳的に強い非難に値すると考えられている気がします。

自覚のない加害者がいちばん始末に負えないからでしょう。

ただ、実際に自分のクラスでいじめが起こった場合、川井に似たポジションでやり過ごすという人が大半を占めるのではないでしょうか。

植野のように積極的にいじめに加担する人も、佐原のように止めようとする人も、数の上では少数派であるように思います。

私は幸いにもいじめとは無縁のクラスにいましたが、もしいじめが起こった場合、確率的にも性格的にも川井のような自称傍観者、実質加害者のような位置に収まるような気がします。

川井に対する嫌悪感は、少なからずそうした自己分析に基づくところから生じているのではないかと思いました。


最後に、植野については、観覧車の中で硝子に対して小学校時代のいじめを釈明する場面が印象的でした。

①硝子という異質な存在の転入によって、それまでのクラスの平穏が壊されてしまった

②植野は硝子のことを理解しようとしなかったが、硝子の方でも植野をはじめとしたクラスメイトを理解しようとしていなかった

というのが主な内容です。

その場面を見た瞬間は、「加害者のくせに被害者面するな」とも思いましたが、後からよくよく考えると、そんなに単純ではないとも思えます。


いじめを大きく2つに分けると、暴力をふるう積極的なものと、関わりを避けて無視をするという消極的なものがあります。

前者は将也が硝子に対して行っていたもので、当然許されるものではありませんが、植野がしていたのはどちらかといえば後者の消極的なものです。

そしてその理由について、植野は硝子が空気を読まず、自分やクラスの皆の負担になっていたことを挙げます。

ここで疑問に思いますが、小学生はクラスの全員と仲良くしなければならないのでしょうか。

進学していくにつれて、また社会人になれば、合わない人間とは関わらなくてもよくなります。

小学生にもコミュニティがあり、そのコミュニティにだれを入れてだれを入れないかを選ぶ権利は、当然あるはずです。

また、無視はよくないと道徳的には考えられますが、一方で「こいつとは関わり合いたくない」と思う自由もあるでしょう。

子どもは学校を選べませんし、クラスも選べません。

その狭い範囲の中で、せめて自分が関わるコミュニティの範囲ぐらい、決める自由があってよいのではないかと思います。

特にこの作中の例では、硝子という異質な存在が転入してきたことは、植野たちクラスメイトにとってまったく管理不能な事態でした。

もし自分の子どもがあのクラスにいたら、願わくば佐原のような優しい子であってほしいという親も中にはいるかもしれません。

しかしそれが原因で今度は子ども自身が傷つけられ、不登校になってしまうぐらいなら、川井や名前すら紹介されない第三者であってほしいと願う親が多数を占めるのではないでしょうか。

そして、将也のように積極的に危害を加える子どもは弁明の余地もありませんが、もし自分の子どもが植野のような消極的な「いじめ」の中心にいた場合、まったく弁明の余地はないでしょうか。

多様性教育の目標は、硝子の転校という最悪の結果からもわかるように失敗に終わってしまいましたが、その責任を特定の生徒に押しつけるのは酷だと考えます。
同名小説を原作とした映画です。

劇場で見ました。


何かの広告を見て興味をもったので、先ず原作小説から読んでみました。

上下巻で分量が多かったですが、内容が面白いのでスラスラ読み進めることができ、上映日までに間に合いました。

ヒトラーがもし現代に蘇ったらという、いかにも使い古されていそうなネタですが、史実を絡めたコメディの完成度が非常に高いと感じました。

ドイツでもマニアしか知らなそうなヒトラー関連の細かな情報や、現代ドイツの世相を伺い知ることができ、興味深かったです。


映画の方は、原作と同じなのは設定ぐらいで、話の流れはかなり違う部分がありました。

ヒトラーが現代に蘇り、テレビ番組を通じて人気者になっていくという点は同じですが、その過程に映画オリジナルのエピソードがふんだんに盛り込まれています。

また、ヒトラー以外の登場人物(特にザヴァツキ青年) の役割がまったく異なり、結末も全然違います。

原作のラストは映像化したときにぼんやりとしそうなので、映画版という意味ではこの改変は成功したと言って良いと思います。

ただ、原作も映画も終わり方が特殊で、原作は「これで終わり?」という感じ、映画の方は「これで終わりでいいの?」という感じです。

どちらかと言うと、映画版の結末の方が見る方にとってわかりやすいというか、「正しい」という印象でした。

どう「正しい」かというと、見る側がヒトラーに感情移入することの危険性を明確に伝えてくれるということです。

この作品は、原作でも映画でも、どうしても主人公であるヒトラーに感情移入してしまうつくりになっています。

原作がヒトラーの一人称視点の小説で、映画はヒトラーが無名な芸人から人気者になるというサクセスストーリーだからです。

しかも、自国の歴史教育が徹底しているドイツと異なり、日本の場合、ヒトラーが絶対悪であるという認識はドイツほど強くありません。

そんな中で、現代社会に対する鋭い問題提起をしたかと思えば、一転して時代錯誤によるお茶目な行動をするヒトラーを見ていると、つい応援したくなってしまう瞬間があります。

しかし映画は親切で、あのわかりやすいラストのお陰で、劇場を出る観客のだれもがヒトラーから一歩距離を置くことができています。

また、動物愛護団体が抗議しそうな中盤のあのシーンでも、「やっぱりこいつは怪物なのだ」とふと我に返ることができました。

そういった意味で、映画の演出方が原作よりも「正しい」という印象を受けました。


ただ、映画の演出で一つ残念だったのは、ヒトラーが人気者になる過程でのユーチューブの役割が、原作とも現実世界とも異なっていたことです。

原作では、ヒトラーが出演した番組がユーチューブに(恐らく違法に)アップロードされたことで、100万回の再生回数をたたき出し、一気に有名になります。

一方、映画では著作権法に関する認識の「正しさ」のためか、ユーチューブにテレビ番組がアップロードされるという描写はありませんでした。

代わりに映画の中のユーチューブが果たした役割は、無数のユーチューバーがヒトラーの番組についての肯定的なコメントを述べる動画をアップロードしたり、MADを作成したりという程度です。

ただこれは、著作権法に関する認識は正しくても、現実世界に関する認識は正しくないように思われます。

背景は推測できますが、明らかにリアリティが失われてしまい、上映中にこの点が何となくひっかかって作品に集中できない時間がありました。


全体としては非常に面白く、また、アメリカの大統領選でトランプ氏が共和党の候補になったり、イギリスが国民投票でEU離脱を決議したりという、今この時代の世相に非常にマッチしていると思います。
クレヨンしんちゃんの映画です。

自宅で視聴しました。


初期のクレしん映画を手掛けた本郷みつる監督が、再度復帰して手掛けた作品です。

特に『ヘンダーランド』との共通点が多いと感じました。


・良い異世界と悪い異世界が登場し、悪い異世界がしんのすけたちの世界を侵略してくる

・異世界と日常世界の往復

・良い異世界から来た少女がしんのすけを助けてくれる

・最終決戦を前に、その少女が戦線から離脱する

・敵の幹部の中に、お色気系のお姉さんがいる

・ラスボスが2人組


見ていて気づいたのはこれぐらいですが、明らかに監督自身の作品を意図的になぞっています。

『ヘンダーランド』はファンの間での評価が高いようで、好意的に見れば観客のノスタルジーを引き出すための演出、意地悪な見方をすれば2匹目のドジョウを狙ったとも考えられます。

ただ、この作品の評価自体は低く、結果的には『ヘンダーランド』の劣化版とも言われているようです。

特にギャグが少ないのは致命的で、見ていてクレしん映画でこの話をやる必要があるのかと疑問に思うほどでした。

しかし個人的には、ストーリー自体は普通に楽しむことができるレベルのものだったと思います。

確かに『ヘンダーランド』に比べると、特に敵キャラの魅力という点で圧倒的に負けています。

『ヘンダーランド』のラスボス、マカオとジョマは一度見たら顔も名前も絶対忘れられませんが、今回のラスボスは1週間もすれば印象が薄れてしまいそうです。

また、幹部のメンツを見ても、チョキリーヌ・ベスタは根強い人気がありそうですし、スノーマン・パーは個人的にクレしん映画史上最優秀幹部だと思います。

ただ、これはあくまで『ヘンダーランド』と比較したときの評価であって、この映画単体で見たときにそこまでつまらないわけではありませんでした。

特にしんのすけが夜の世界に初めて飛び出したシーンでは、初めて夜の街を歩いたときの感覚は、異世界を歩くのと似ているのかもしれないと気づかされ、非常に興味深かったです。

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