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歴史秘話ヒストリア

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二・二六事件のときの岡田総理の脱出劇に焦点をあてた回でした。

展開が非常にスリリングで面白く、映画化しても良さそうな内容です。

(二・二六事件を題材にした映画は多数あるようなので、その中にはこの脱出劇を描いたものも含まれると思われます)

特に、女中たちが岡田総理を押入れの中に匿っていることが発覚した後のシーンは見ものでした。

総理官邸を占拠している将校たちに押入れを捜索されないように、女中たちが怯えてその前から動けないふりをしたというのは、素晴らしい機転だと思いました。

事件発生から30時間あまり、この押入れに総理は閉じ込められていたことになりますが、水分や食事をどのように供給していたのかも気になります。


また、脱出中に見張りに呼び止められた際に、小坂曹長が

「急病人だ。死体を見て気分が悪くなった」

と言い繕った機転の良さも、本当に感心するばかりです。

しかし見張りなら、入った人間の容姿は念入りにチェックして覚えておかなくてはいけない気もしますが(笑)

ただこの見張りのおかげで、岡田総理は無事に脱出することができたようです。
武田信玄の後継者、武田勝頼に焦点をあてた回でした。

大河ドラマ『真田丸』では第2話で武田家が滅亡し、退場してしまったので、少し機を逸してしまった感じがします。

年明け1回目の真田丸の回の次に、今回のテーマが放送されていれば、タイムリーにドラマとリンクさせられたのに残念です。


しかし内容は非常に興味深く、勝頼を冷静に評価できていたように感じました。

冒頭では三方ヶ原の戦いでの活躍を紹介し、武将として決して劣っていたわけではなく、むしろ勇猛であったことが印象に残りました。

また、四方に敵をつくってしまった信玄と異なり、北条家との同盟を一度は成功させて窮地を脱したという点で、外交手腕も高く評価できると思います。

ただ、信玄の後継ぎとしては、陣代という不安定な立場に任命されたため、求心力が低下してしまったことが武田家滅亡への大きな分かれ道になってしまいました。

そしてそこに至る原因としては、そもそも勝頼が側室の子どもで、しかもその側室が元は武田家の敵対勢力であった諏訪家の女性であったことが、大きく影響しているようでした。

そういえばこの側室、すなわち勝頼の母をモデルにした、諏訪市のゆるキャラもいるそうです。


あと、よく目にする武田勝頼の肖像画が、妻の北条夫人と息子の信勝と一緒に描かれたものだというのは、初めて知りました。
去年1年間の歴史ニュースをまとめた特別回でした。

重大ニュースランキングの1位は、淡路島から出土した銅鐸に関するものでしたが、銅鐸が釣り鐘のように使用されていたというのは驚きでした。

この発見が学会で支持を集めれば、銅鐸の用途が不明という教科書の記述が変わるかもしれません。


2位の玉音放送の原盤公開については、確かに聞き比べると、原盤の方が昭和天皇の声が鮮明にわかります。

ほかには、視聴者投票で人気が高かったという武蔵の発見も、個人的にはニュースで見て印象に残っていました。
江戸時代末期の発明家、田中久重に焦点をあてた回でした。

この方の名前を聞いたのは初めてでしたが、東芝の前身をつくった人物だそうです。


番組では、弓を射るからくり人形や、筆で文字を書く人形などに驚かされましたが、印象に残ったのは、江戸時代の町人が、そうした見世物を楽しむ余裕がある人々だったということです。

食料や生活必需品の生産・分配に直接かかわらない仕事でも、十分に生活していけるどころか大きな富を築くことができるというのは、江戸時代の生産力がそれだけ高かったということだと思います。

そしてそのような時代に、しかも自身の才能と親和性が高い職人として生まれた田中久重は、かなり幸運な人物だったと感じました。


あと、田中久重が幼少期にいじめられていたという冒頭のエピソードは、非常に牧歌的でしたが、現代の子どもで久重のような才能に恵まれていない子どもの中には、そこで詰んでしまう子どもも多いのだろうなと思いました。

本筋と関係ないですが。


国立科学博物館には東京に行ったときに一度行きましたが、そのときは特設展示しか見なかったので、万年時計は見ていなかったと思います。

次行ったときは、是非見てみたいです。
戦国時代の医師、曲直瀬道三に焦点をあてた回でした。

この方の名前は初めて聞きましたが、医聖として有名な方のようです。


番組では、道三の師匠である田代三喜や、弟子となる全宗との関係を中心に解説されていました。

田代三喜も道三と同様に医聖と称される名医のようで、患者1人1人の症状に合わせて生薬の調合方法を変えることで、効果的な治療を行っていたそうです。

当時の医術にまじないの範疇を超えないものがまだまだあったことや、ほかの医師が中国から伝わった教本どおりに調合するだけだったことに比べて、画期的な治療法だったといえます。

特に検査機器のない時代に、患者の脈を見るだけで適切な診断を下していたというのは大いに驚きました。

今の医学部生が聞いたらおとぎ話のように思うでしょうが、もしこれが本当なら、天才とマニュアルの関係について考える1つの材料になると思います。

現代の医学部生の勉強量は、30年前と比べても数倍になっているという話を聞いたことがありますが、大半の医学部生や医者よりも、道三の診断の方が適切かもしれません。

少なくとも、私が腹痛のときに行って、ろくに診察もせずに

「今この病気が若い人の間で流行ってるからこれの可能性が高い。

 とりあえずこの薬を飲んで、効かなかったらまた来て」

と言われたあの病院の医者よりは、道三の方が信用できます(笑)


弟子の全宗との関係では、医者としての本分を全うするか、よりたくさんの人間を救うために政治にかかわるかという葛藤が浮き彫りになっていました。

道三は1人の医者として、目の前の患者に向き合うことに集中すべきだと考えていました。

一方、全宗はより多くの人々を救うため、豊臣秀吉に接近して診療所の建設に成功します。

この2つの考え方は、どちらが正しいということはなく、社会全体で見れば両方のタイプの人間が必要なのだと思います。

ちなみに全宗は比叡山延暦寺の僧だったのですが、信長の焼き打ちにあって寺を追い出され、道三の弟子になったという経緯があります。

番組によれば、後に道三と2人で信長にも謁見していたそうですが、そのときの様子については何も触れられていませんでした。

全宗が信長のことをどう思っていたのか、気になるところです。


あとは道三が毛利元就の治療にあたったというエピソードもありましたが、ここは少し違和感がありました。

戦国大名の代表格とも言える毛利元就が、平和主義者のように描かれていたからです。

現代でこそ平和主義の価値観が隅々まで広まっていますが、戦国時代のしかも大名がこのような思想をもっていたとは俄かには信じられません。

現代の価値観が、ほかの時代にも通用すると考えるべきではないと思います。

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