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20世紀の大哲学者、サルトルの「実存主義」について解説されていました。
全4回のサブタイトルと感想は、以下のとおりです。
第1回 「実存は本質に先立つ」
モノは本質が実存に先立ちますが、人間の場合は実存が本質に先立つそうです。
サルトルは例としてペーパーナイフを上げていますが、ペーパーナイフはつくられる以前から紙を切るという本質が決定された上で実存します。
一方人間の場合は、生まれながらに学者であったり大工であったり、あるいは善人であったり悪人であったりするわけでなく、先ず実存し、その後で本人の選択により本質が決定されます。
「実存は本質に先立つ」というのは、従来(特に哲学者によって)繰り返されてきた「人間は○○である」というのをやめようという思想です。
性善説でも性悪説でもなく、先ず白紙の人間が存在するというこの考え方は、人間中心主義の極北に位置するといえるでしょう。
科学の世紀とも呼ばれる20世紀の時代に受け入れられたのは、納得できます。
あと、番組ではモノと人の対比だけで動物については触れられていませんでしたが、恐らく動物もモノと同じく本質が実存に先だっていると考えられます。
たとえば働きアリは、生まれながらに働きアリです。
生物学を真面目に研究されている方からは反論がありそうですが、恐らく人間中心主義のこの考え方では、人間と人間以外の区別が重要で、動物はモノと同じだと考えられることになるでしょう。
第2回 「人間は自由の刑に処せられている」
「私は孤独で自由だ。
しかし、自由はどこかしら死に似ている」
ということばが印象に残りました。
自由と孤独というのは親和性が高く、日本でも夏目漱石が『私の個人主義』の中でそのようなことを述べていたと思います。
第3回 「地獄とは他人のことだ」
鍵穴から部屋の中を覗いているときのように、他者に一方的に関わっているときは心は平穏です。
しかし、部屋を覗いている自分もまた、だれかに後ろから見られていると考えれば、途端に不安に苛まれます。
通常、他者とは関わり合う関係というのが自然ですが、サルトルはそれをあえて分けて、他者に関わることと、関わられることを個別に論じています。
偉人の肖像画に見つめられるときの不安感と、見つめ返したときの優越感といのは、何となくわかる気がします。
第4回 「希望の中で生きよ」
サルトルの言論・政治活動について焦点をあてた回でした。
第1回で自らの小説の中で否定していた独学者の安っぽいヒューマニズムを、意外にもサルトル自身が実践していたというのが印象に残りました。
「認識は悲観主義(ペシミズム)で、意志は楽観主義(オプティミズム)で」
というのは、人間として真っ当な態度だと思います。
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100分 de 名著
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太宰治の『斜陽』です。
全4回のサブタイトルと感想は以下のとおりです。
第1回 「母」という名の呪縛
主人公のかず子と、「最後の華族」である母の関係について解説されていました。
ごく単純化すると、主人公のかず子が戦後日本の新しい女性像、母が戦前の古い女性像の象徴だそうです。
第2回 かず子の「革命」
時代が大きく動く中で、かず子がとった行動について解説されていました。
「人間は、恋と革命のために生まれてきたのだ」
というNHKのテレビテキストにも載っているセリフは、多くの人の共感を呼ぶのではないでしょうか。
第3回 ぼくたちはみんな「だめんず」だ
かず子の弟である直治と、かず子の愛人になる上原に焦点をあてて解説されていました。
高校のときに読んだ覚えがありますが、そのとき印象に残った登場人物は、やはり直治でした。
なかなかのクズっぷりで、ほかの登場人物の印象が薄れるほどだったと思います。
直治が若いころの太宰の分身で、上原は作家としての太宰の分身だそうです。
第4回 「太宰治」の中にはすべてが入っている
第4回は、最近は太宰治といえばこの人という感じもしてきた、又吉直樹さんがゲストとして登場していました。
『斜陽』に限らず太宰治という作家について、トークを盛り上げていました。
又吉さんいわく、文学好きの間では、太宰のファンということは「1周回って好き」ということにしないとミーハーっぽくて恥ずかしいそうです。
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