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こういう日のために活動を続けてきたんだよな、と思うときがあります。昨日はそれでした。風の器「牡丹と馬」終了しました。

チラシには彼らが聾唖であることは一切触れていません。当たり前です。そう書くことで生じるさまざまなバイアスは避けねばなりません。まず第一に彼らは一流の舞台人です。舞台で表現するときに、それ以外、なにが必要でしょうか?

私は、「聞こえる」観客のために音を出しているのではありません。同じ空間・時間に同じ願いを共有して精一杯仕事をしているだけで、いつもと変わりはありません。

音楽やダンスの流行りすたりや、誰誰の系統であるとか、有名か無名かとか、観客が多い少ないとか、間違いや迷い、それらに一切関係が無い。大変すがすがしい舞台でした。

持続すること、願うこと、待つこと、精一杯やること、集中すること、がどういうことだったのか、思い出させてくれました。聴く・聞くということは何なのか?伝わると言うことはどういうことなのか?多くの課題もいただきました。

朝9時に集合して、ゲネプロ、昼の部、夜の部 と3回、目一杯演奏しました。1回で1リットル以上の汗をかいたでしょう。身体もココロも試されました。昼の部が終了してカーテンコールの時、「あれっ、拍手が少ない。受け入れられなかったのか、私のせいなのか、でも精一杯やったのだからしかたない」と思ってふと目を上げると、聴衆は手話で万雷の拍手をしていたのです。そこには音はありません。

「耳は聞こえないけどコントラバスがいろいろにひけているのがわかった。また聞きたい」「聞こえませんでしたが、音楽があるということがつたわりました」「音が聞こえない人たちも、音が見えているのではないかと思った」「コントラバスが呼吸していた」などのアンケートをいただきました。

昨日を経験した後は、以前の自分ではありません。


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