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その後、東北電力の女川原発のPRセンターに立ち寄りました。現在は開いていないかと思っていったのですが、通常どおり開いていて、なかの展示を無料で見ることができました。私たちがいるあいだ他には訪問者は見かけませんでしたが、フロントのお姉さんは、平日で30人ぐらいの訪問者があると言っていました。展示内容は、もちろん原発の必要性と原子力の安全な管理についてのものが中心で、震災のときもいかに安全に停止させることができたかということが強調されていました。ひとつ新たに知ったのは、通常は立ち入りが制限されている原発敷地内にある体育館も、震災後には避難所になっていたということでした。 原発については、詰まるところ、科学の力で原子力をコントロールできると考えるか、コントロールしきれないと考えるかのいずれかだろうと思います。震災前、私は自分の態度を明確にしたことがなかったのですが、どちらかといえば前者に少し傾いていたかもしれません。しかし今ではやはりどう考えてもそうは思えない。それに、これだけの事故を起こしてその余波がまだまだ続くというのに、日本社会が原発再稼働に動いていくとしたら、私たちはいったい何をこの震災で学んだのだろうと思わないではいられません。政権が自民党中心に戻り、経済が上向きになったことはいちおう良しとしても、原発安全神話のほうこうへと再び戻っていくとしたら、やはりそれには強烈に「No」と言わねばならないと思うのです。 石巻市と南三陸町では、いくつかの被災した小学校に立ち寄りました。多くの子どもたちが亡くなった大川小学校にほど近い石巻市立雄勝小学校。ここも校舎はほぼ壊滅的で、職員室も教室も2階まで津波によって中身がくりぬかれたようになっていました。職員室と思われる部屋にある教室には、3月11日のことがチョークで記されたままでした。あの津波のなかで文字は残ったということでしょう。ここの子どもたちは、全員が裏山に逃れて無事だったということを、ここを訪問した後にネットの情報で知りました。少し救われた気がしました。 しかし学校を奪われた子どもたちの心境やいかにと思います。もちろん家族も失っていればなおさらのこと。しかし命があれば、まだどこかで希望を抱けるときがくる。私自身はそれだけの大変な境遇にはありませんが、そのことを自分自身も見届けていきたいと思っています。 今回実際に、いくつか希望の見える光景にも出会いました。そのひとつが、南三陸町の伊里前幸福商店街。そこでは、もともと商店街を形成していた方々が仮設の店舗で商店街を再建していました。津波で家々がなくなってしまっている風景のなか、登りがいくつも立っていました。運営組合の長を務める高橋武一さんは、ここは観光客向けというより地物と人々向けの商店街で、将来は職住分離で住居は高台に移しつつ、商店などは元の場所に復活させるつもりだと教えてくれました。こうした仮設の商店街は、気仙沼などいくつものところで始まっています。そのどれもが希望の光景だと思います。 南三陸町で骨組みだけ残っている防災対策庁舎、気仙沼の内陸へ打ち上げられたままの第十八共徳丸。それらもあらためて見上げました。撤去するかそのまま残すかで、地元の意見も分かれていると聞きます。たしかに、それを見る度に辛くてたまらないという方もいることでしょう。外部の人間ゆえに何も言えませんが、個人的にはやはりこれを残して、あの津波で人々が感じた「怯え」を残してほしいと、そんなふうに思います。私たちは、あんがい肝心なことまで忘れてしまう動物ですから。 |

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