伊藤哲司の「日々一歩一歩」

茨城大学で社会心理学を担当している伊藤哲司のページです。日々の生活および研究活動で、見て聞いて身体で感じたことを綴っていきます。

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福島・宮城の旅(1)

イメージ 1  昨日、小学校を卒業した息子、それにゼミの留学生2人とともに、昨日のうちに福島までやってきました。東日本大震災から2年が経過し、この時期に少しあらためて「被災地」を巡っておきたいと考えたのでした。留学生たちは、この4月から大学院生。2人とも震災関連のフィールドワークをしたいと考えており、その足がかりを得るための旅でもあります。
 夕べは、福島駅前のホテル泊まり。今朝はそこから出発して、まず仙台に移動。さらにそこから海伝いに石巻市へと向かいました。途中立ち寄った七ヶ浜町で、13メートルぐらいあったという大津波ですっかり家々がなくなってしまった海沿いで釣具店を再開していた福来進さんという方に出会いました。そのあたりは、地震でいったん高台に逃げたものの、その後の津波を十分予測できず、家々に戻ってしまった人たちが相当数いたとのこと。そうした人たちが70人ぐらいここで亡くなったとのことでした。ほとんどすべての住宅が引き波でさらわれ「瓦礫も残らなかった」というそのあたりは、町の復興計画で防災林に変わるそうです。魚を釣っても風評被害で人にわけてあげられなくなったという彼は、ウミネコにいつもように餌をやりながら、「津波は天災だから仕方ない。でも原発だけは許せねぇ」と呟きました。
 再びここの住むことは叶わないようですが、商売はここで続けるつもりのようです。この大津波でも流されなかったすぐ近所の七ヶ浜松(通称「昇竜松」)の存在を教えてくれました。原発事故による風評被害がどうなっていくのかわかりませんが、そこを乗り越えてこの地で生きていこうとする福来さんの気持ちが私たちにも伝わってきました。海で生きてきた人たちは、どんなに海が暴れたとしても、やはり海がないと生きていけないと感じているのでしょう。ときに猛威をふるう海と、これからもどうにか折り合いをつけながらやっていくのでしょう。今後この地域がどうなっていくのか、またここに戻ってこられたらなと思いました。
 その後、石巻市街を通り、さらに女川港へと抜けました。その途中、JR石巻線の浦宿駅は3月16日に復旧したばかりで、新設された小さなホームにディーゼル車が入ってくるところに立ち会うことができました。しかしこの先にはまだ進めません。女川側で線路が新しい線路が途切れ、その向こうには赤く錆びた線路が続いてはいます。しかし女川駅はすっかり流され、更地になっていました。今は代替バスが運行中。列車を降りた人たちは、女川行きのバスへと乗り込んでいきました。女川まで列車が通るのに、あとどのくらいの時間がかかるのでしょうか。
 ときおりふと思うのですが、あの大地震は、地球からすれば、ちょっと身震いをしてみたというぐらいかなと。人間たちは大地震・大津波と大騒ぎをするけれど、地球は「ちょっとブルッとしてみただけだよ」というぐらいに言うのかな。たとえ1000年に一度のことであったとしても、地球に住まわせてもらっている以上は、地球に文句を言うわけにもいかず、背くわけにもいかず。私たちのほうが謙虚でいなくてはいけないんだなと感じます。

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いとうてつじ
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