伊藤哲司の「日々一歩一歩」

茨城大学で社会心理学を担当している伊藤哲司のページです。日々の生活および研究活動で、見て聞いて身体で感じたことを綴っていきます。

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東北への旅(2)

イメージ 1  今回の東北への旅の2日目、福島駅前のホテルを出発し、東北自動車道を北上し、仙台南部道路などを通り、仙台空港近くにつくられつつある「千年希望の丘」に立ち寄りました。津波で破壊された瓦礫なども活用して丘を築き、防災をかねて植林をして後生に残そうというこのプロジェクト、6月に行われた植林のイベントには、今回同行している留学生の1人も参加したとのことです。最終的には海岸沿いに10キロぐらいにわたって築かれる予定のこの丘、まだ形になっているのはごく一部ですが、どなたが考えたのか、とても素敵なアイディアだと思いました。東日本大震災は、間違いなく歴史に残っていく大災害ですから、何らかの見えるかたちを残していくことは本当に大事だなと思います。
 次に立ち寄ったのは塩竃です。たまたま通りかかって見つけた仮設の「しおがま・みなと復興市場」で昼食をとり、近くの小さな酒屋で地酒の浦霞を1本買いました。年輩のご主人は、当時は古いお店だったここにいて、大きな揺れを感じて小さなお孫さんを連れて隣の3階建てのビルに逃げたのだそうです。しかし隣家の奥さんと娘さんが、家に服を取りにいってくるといって戻っていき、そのまま津波に飲まれしまったとのことでした。「いつもお世話になっているから、強く(行くなとは)言えなかったんだよね……」と、後悔するようにご主人。ようやくお店はどうにか再建できたものの、「津波で大きく生活が変えられてしまったよ」と話してくれました。
 日本三景の松島は、お盆休みで多くの人たちで賑わっていました。その観光街を通り抜け、東松島市に入り、奥松島の月浜にある民宿山根に入りました。茨大の学生ボランティアたちが以前に1泊したところで、勧められてそこに宿をとったのでした。愛想のよい女将さんがにこやかに迎えてくれて、とても感じのいい宿だということがすぐにわかりました。そして夜、連絡をとったこの地域の区長をつとめる小野さんが宿まで来てくれて、私たちに震災当時の話を聞かせてくれました。
 半農半漁でかつ旅館も経営されている小野さんは、ご自身の家は残ったものの、このあたりの集落の家々はほとんど津波で流されてしまったと教えてくれました。しかし浜の人たちは、大きな地震があったら津波が来ると知っていて、この集落では幸いなことに犠牲者はいなかったそうです。ここには「伊勢講」と呼ばれる共同たちの仕組みがあり、お互い助けあって生きてきたことが、津波来襲のときにも生きたようです。塩害や水をひけないなどの理由で米作りの再開ができないところが多いなど厳しい状況が続いているようですが、今年は何とか部分的に海開きをしたとのこと。月浜のこぢんまりとした砂浜には、人は多くはありませんでしたが、この暑さのもと海水浴を楽しむ人たちの姿がありました。
 思いがけない震災で、生活を変えられてしまった人たちは、それこそ夥しい数に上るのでしょう。それに比べたら、自分自身はほとんど被害を受けなかったに等しく、甘えたことを言っていたりしてはいけないなと思います。同行している留学生ら学生たちも、それぞれ何らかのことを感じていることでしょう。彼女らもまたそれを自分なりにどうにか消化して、自分の母国の家族や友人たちにも伝えてくれるだろうと思います。
 今宵、月浜の空には、きれいな月がぽっかり浮かんでいました。

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いとうてつじ
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