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留学生のみんなには、こういう時期に日本に留学しているということで、ぜひ被災した地域の状況も実際にこの目で見て何かを感じてほしいと思いました。そうしたことが、帰国後の留学生たちにも何らかの大きな経験になっていくのではないかということを期待しています。 今回、震災後はじめて、富岡町に足を踏み入れました。いわきから国道6号線を北上し以前は入れなかった楢葉町をさらに北上し、JR常磐線の富岡駅に行ってみると、駅舎が津波で破壊され、震災のあの日まで上野−仙台間のスーパーひたちも走っていたレールは、夏草にすっかり覆われて見えなくなっていました。福島第一原発から南へ10キロほど、すぐ南側には福島第二原発を望むことができます。富岡町役場にも行ってみたのですが、役場の建物はまことに立派で、併設されている富岡町文化交流センター「学びの森」には「原子力発電施設等立地地域、長期発展対策交付金施設」との表示がありました。なるほどそういうことであったかと、原発行政の一部を垣間見た気がしました。町の多くが居住制限区域に指定されている富岡町ですが、県内外で避難生活を送る町の人々の思いが胸に突き刺さってきます。 原発誘致は、結果的には大きな代償を払うことになってしまいました。しかし、このあたりの自治体が原発に原発誘致をしたこと自体を、単純に批判することもできないようにも思います。自分が当時の町長だったらどうしたかと想像してみるに、やはり同じ決断をした可能性もあると思うが故です。雇用もでき交付金がはいってくるというのが町の振興に必要なことだと思ったのも無理ないようにも感じます。 しかし今はこの現実。さてどうしていけばいいのか。茨大の卒業生の出身地である田村市都路にも立ち寄り、小さなお店を切り盛りするおばちゃんに話を聞いたところ、今この時期はお盆だから子どもたちも戻ってきているけど、いま住んでいるのは年長者ばかり、子どもたちの声が聞こえないのは寂しいねと教えてくれました。表情はにこやかでしたが、やはり生活が大きく変わってしまったということがその表情からうかがえました。一時閉鎖された小学校が再開するのは、来年度の見込みだとか。それも全員が戻ってくるわけでもないのでしょう。手持ちの線量計は、十分安全な値を示していたのですが、ただそれだけでは若い人たちはなかなか戻ってこないようです。 福島の現実は、今の日本社会の現状の縮図とも言えるのかもしれません。これからも決して福島を忘れずに、ときにその現場に身を置きつつ、重大な関心を抱き続けていきたいと思います。 |

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