伊藤哲司の「日々一歩一歩」

茨城大学で社会心理学を担当している伊藤哲司のページです。日々の生活および研究活動で、見て聞いて身体で感じたことを綴っていきます。

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震災遺構をめぐって

イメージ 1  東日本大震災の「被災地」を、これまで何度か歩いてきて、いくつもの「震災遺構」を繰り返し訪れてきました。そしてそれらが徐々に解体されつつあることに、その地で被災をしたわけではない私も、何か喪失感というか、そんな何ともいえない感じを味わってきました。
 今夜放送されたNHKスペシャル「東日本大震災 震災遺構〜悲劇の教訓をどう伝えるか〜」を見て、考えさせられるところが多々ありました。
 宮城県気仙沼市鹿折地区に打ち上げられた巨大な第18共徳丸は、市長の強い保存の方針にもかかわらず、地元住民の悲痛な声を受けた船主の苦悩の末の意志もあり、解体されました。一方で、宮古市田老町のたろう観光ホテルは、持ち主が強く保存の意志を持ち、広島の原爆ドームの視察や被爆者への聞き取りなども経て、残されていく方向のようです。その原爆ドームの永久保存が決まったのが1966年(昭和41年)なってから、しかもそれを残すべきという当時の中学生などの運動があったことがきっかけのひとつだったと知りました。原爆投下が1945年(昭和20年)ですから、実に21年後のことであり、それまでやはり「取り壊してほしい」という意見も多くあったようです。
 宮城県女川町で津波によって横倒しになったビルの保存については、原爆ドーム保存のきっかけを知った地元中学生が動きを起こしているようです。一方で、宮城県釜石市の「釜石の悲劇」と言われた防災センターは、保存してほしいという遺族の声も根強くある中で、解体が決まったとのことです。そこで妊娠していた娘さんを亡くしたという遺族が番組では紹介されていたのですが、「そこに行けば娘に会える気がする」というご両親の気持ちやいかにと、こちらまでズンと重たくなってきます。
 それを見ると辛い思いを思いだすから取り壊してほしいという遺族の声は、もちろん無視できません。でも、いったん取り壊してしまえば、そのあとに仮に慰霊の場所をつくろうとも、当時の痕跡を残し、記憶をそこに留めることは大変困難なことになります。もちろん保存には莫大な費用もかかる。それならなかなか進まない復興支援に回したほうがいいというのももっともです。しかし何とか残すことができたなら、それは将来世代へのかけがえのない「財産」にもなると、やはり思うのです。当初取り壊しを求めていた人たちにとっても、またそれはいずれ長い時間の後に「財産」になっていくのではないかと。原爆ドームの事例が、そのことを例証していました。
 私自身は、タイ・プーケットでの津波、中国・四川省での地震、それぞれのあとの震災遺構も目にしています。宮城県石巻市の大川小学校の建物はどうなっていくのでしょうか。この問題、引き続き考えていきたいと思います。
 (写真は、2013年10月に私自身が撮影した宮城県南三陸町の防災対策庁舎。解体がいったん決まったものの、もう一度見直すというニュースが最近流れました。何とか残してほしい、せめて「保留」のままもう少し時間をかけて判断してほしいと願います。)

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いとうてつじ
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