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当時2歳だった娘も9ヶ月ハノイに住み、ベトナムの保育園にも通いました。まもなくベトナム語も子どもなりに話すようになり、ホーおじさんの歌をうたって踊るようになりました。そして3歳になって帰国をしたのでした。娘は多くのハノイの友人たちに愛され、可愛がられました。帰国後に著した『ハノイの路地のエスノグラフィー:関わりながら識る異文化の生活世界』(ナカニシヤ出版)は、その娘の記録でもあります。娘の存在が、私の路地でのフィールドワークを豊かなものにしてくれました。もっといえば、娘がいなければあの本もなかったかもしれません。 朝起きて、重たい鉄のシャッターを開けると、斜向かいにメンさんの雑貨屋が見えます。娘は「バック・メン・オーイ!(メンおばさーん!)」と声をあげ、メンさんも「アカネ・オーイ!」と応じてくれるのが常でした。私たちのハノイでの朝は、そんなふうに始まっていたのでした。あれから16年近くの年月がたちましたが、今でもあのときの状況は、ありありと思い浮かべることができます。 それは私自身がフィールドワーク、ないしは質的研究を行う原点ともなるものでした。なにせそれまで、フィールドワークの方法論は本で読んで知ってはいたものの、本格的に実践に移してみたことはなかったのですから。当時私は34歳で、講師から助教授になりたての頃でした。学生に戻った気分でおこなったベトナム語の語学学校への通学も楽しかったし、ハノイアムステルダム高校の校長に請われて3ヶ月ほどボランティアで日本語授業をしたのも楽しかった。今でもそのときの教え子のひとりとは繋がっています。 2001年生まれの息子は、もちろんそのときはまだいませんでしたが、私と一緒に幾度かここに来ています。メンさんもきっと、娘と息子との繋がりを特別なものと感じてくれているに違いありません。大学に入る前にここを再び訪ねることができて、娘も満足そうな顔をしていました。 今日は、東北アジア研究所日本研究センターのランさんらも合流してくれて、一緒に近所のブンチャー(焼肉つけ麺)の店に行きました。店の主人は私のことを何となく覚えてくれているようでした。家の近所のソイ(おこわご飯)屋のおばさんは、もっとよく覚えてくれていて、子どもたちの再訪を喜び、写真を一緒にと話すと、わざわざ髪を結わえ直したほどでした。 次の機会はいつでしょう。娘や息子は、いつか1人でもここへ来ることになるのかな。帰っていける場所のひとつとして、これからも縁ある人たちとの関係も大事にしていきたいと思います。 |

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