伊藤哲司の「日々一歩一歩」

茨城大学で社会心理学を担当している伊藤哲司のページです。日々の生活および研究活動で、見て聞いて身体で感じたことを綴っていきます。

日記

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 今朝、無事成田空港に全員で帰着しました。日中30度超のサイゴンから帰国してみれば、成田は氷点下の世界でした。それでも日差しがあり、水戸へ戻る途中、春らしい日差しのなか梅の花が可憐に咲いているのが見られて、ああ日本の風景も素晴らしいなと思いました。
 午後、大洗町へでかけ、大洗港で「その時」を迎えました。苫小牧と大洗を結ぶフェリーが、その時に会わせてボーッと汽笛を鳴らしました。あの日このフェリーは、沖合いにすぐ出て、汽笛を鳴らし続けていたといいます。あの日も今日のような、よく晴れた日でした。しばしその場で、かの震災の犠牲者たちに黙祷を捧げました。
 大洗町でフィールドワークをしている京大院生の台湾人・李さんと、大洗海の大学の高橋さんと、アウトレットのサザコーヒーで少し話をすることができました。正解のない防災ゲーム「クロスロード」の大洗バージョンをつくっている李さんには、その内容について意見を求められました。高橋さんからは、以前から彼が温めている「ひなん祭り」(避難行動を促す訓練を含んだお祭り)などの構想について、あらためて意見交換をしました。また何か始まっていきそうな予感がしました。
 かの震災から3年。この間に、私自身もいろいろと変化がありました。あの日、一緒に枕を並べて寝た小4の息子は、今は中1に。今夜は、あのときと同じように、久しぶりに枕を並べました。思春期に入っている彼は、もう単純には甘えてこなくなりました。それまた成長の証であり、3年という年月を感じるひとつのバロメーターでもあります。でも父もちょっとしつこい。息子の手をちょっと強引に握って、そのまま眠りにつきました。
 どうにかこうにか生き続けていれば、また明日がありますね。
イメージ 1  長いと思っていたベトナム語学研修の旅も今日が最終日。明日未明発の夜行便で帰国の途につきます。
 その最終日、ホーチミン市障害者・孤児職業訓練学校を訪問しました。学生たちと訪れたのは3年連続です。2006年にできたという学校の様子をあらためて見させてもらいました。自身が希望する職業訓練の無償で受けられるこのこの学校、当初はなかなか地方政府の理解が得られなかったという私立のものなのですが、現在は全国から入学者がいるとのこと。ベトナムの社会福祉の分野の遅れは、社会主義の理想とは矛盾すると思うのですが、少なくとも部分的には経済的な豊かさが実現しつつあるなか、これからさらに変わっていくでしょうか。注目しつつづけていきたいと思います。今日は、以前にも会ったことがあるヤンさんが、器用に足で絵を描いている姿に接することができました。
 午後はしばし自由時間。私はその間を利用して、ホーチミン市人文社会科学大学を訪問しました。日本語学科の部屋で、昨年11月にハノイでのシンポジウムでご一緒したルック先生とフオン先生に会うことができました。今後の研究面、さらには学生交流の面での協力について、きわめて前向きの話をすることができました。私自身がいま構想している本の出版企画があり、若手の文化人類学者で日本語も堪能なフオンさんには、執筆をお願いしました。それをきっかけに彼女とも関係を深められるといいなと思います。また茨城大学としても、ベトナム南部の人文社会学研究の中心であるこの大学との交流をこれから徐々に進めていけるなら、なおいいと強く思いました。
 夕方、水上人形劇を観劇、そしてサイゴン一高いビテクスコフィナンシャルタワーの展望台に上り、夜景のサイゴンを遙か高いところから眺めました。それは、とてもきらびやかな風景であり、かつベトナムの経済的な発展ぶりがうかがえる風景でした。もちろん、それはほんの一握りであり、その光に隠された影の部分にも、ちゃんと思いを馳せておかないといけないなと思います。そのような姿勢なしで、この風景を眺めてはいけないのではないかとすら思います。
 
イメージ 1  サイゴンでの一晩が明け、今朝は一番に元UPIカメラマンのクオンさんに会いに行きました。同行している学生も全員です。沢田教一さんを「師であり、兄であり、友である」と慕っているクオンさん、家の外で私たちを待っていてくれました。そしてすぐに部屋の中へ。話し始めていきなり沢田さんの話になり、5分足らずで涙ぐんでいました。学生たちにはまだピンとこなかったかもしれません。でもそれだけ何か熱い気持ちをもった人なのだということは、伝わったことでしょう。戦争時代の写真をたくさん見せてくれて、サイゴン解放の日のことなどを訥々と語ってくれました。
 クオンさんに会うだけでもサイゴンに来た価値があるというものです。普通はなかなかいきなりそんなふうにはできませんから。ハリウッドからも自分の人生を映画化したいというオファーがあるというクオンさんのことは、もっともっと知られていいと常々思います。反政府発言を展開しているわけではなく、しかし自伝にはどうしても体制批判が含まれるから出版はまだまだ難しいと。クオンさんのような人が自由に本を出したりできるようになったとき、ベトナムという国は、いい方向にジワリと動くような予感がします。同席した学生たちも、何かを感じ取ってくれたことでしょう。
 その後は戦争証跡博物館などをめぐり、夕方にはホーチミン市人文社会科学大学の学生も合流して、レタントン通りの餃子屋で賑やかに食事をしました。同大で教えている鈴木先生が連れてきてくれた学生や卒業生たちで、中には茨城大学の研究生になりたいという人も含まれています。学生たちは、フエに加えてここサイゴンでもまた学生たちに出会い言葉を交わすことができて、あちこちで楽しげな談笑の輪が広がっていました。
 こんな賑やかさが続くと、日本に戻ってからは「祭のあと」になってしまうかなぁ。それは学生たちにとってだけでなく、私自身にとっても。
 
イメージ 1  フエ最終日は、ドラゴンボートでミンマン帝廟へ行きました。ベトナム人の学生たち8人も同行してくれて、なおかつ同じボートにカナダ人とベトナム人の夫妻も乗っていました。ベトナムとカナダを半年ずつ移動しながら生活しているとのこと。ホーチミン市のことを一貫して「サイゴン」と呼ぶことから、多くのベトナム人の外国人に対する言い方とは違うなと感じました。私が持ち込んだフエさんの日本酒「越の一」をボートの主のタンさんも一緒にチビチビ飲みながらのボートの旅は、なかなか楽しいものとなりました。同時に、自分も歳を重ねたときに、こんなふうにベトナムで過ごせたらいいなとも、ふと思いました。
 学生たちは学生たちで、さらに楽しく交流を重ねていた様子。タンさんの6人もいる子どもたちにも再会できて、それぞれ確実に成長していることがわかり、とても嬉しく思いました。もちろん私のことは、みなよくよく知ってくれています。本当に気のいい子どもたちの成長ぶり……、長年ベトナムに関わり続けてきたご褒美だなと思います。
 夕方、9泊した寄宿舎を出発。何人かのフエ外大の先生や学生たちが見送ってくれました。ちょっと名残惜しくその場を離れ、フエからサイゴンへと飛びました。大都会のサイゴンは別世界。学生たちはフエとは違う雰囲気に、また興味津々のようです。しかし少し疲れも溜まっているだろうということで、今夜は日本料理店で遅い夕食をとりました。サイゴンにあと2泊。それも終えたら、いよいよ帰国です。
イメージ 1  フエ滞在も残り2日。これまでのベトナム体験の成果を発表する時間を午前中に持ちました。一人ひとり話をしてもらったのですが、みな異口同音にベトナム人たちの距離の近さや、本音で気持ちよくつきあってくれる様などを語っていました。それらはそっくり、私がベトナムとつきあい続けてきた印象と重なります。私自身そんなことをずっと感じ続けて、かつて『ベトナム 不思議な魅力の人々』(北大路書房)という本を出したのでした。
 その拙著の最後に書いたことを、学生たちにも紹介しました。

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 本書を書きながら、私にとっての「ベトナム」を再体験することになった。これもまた私にとって、貴重な機会だった。
 あらためてしみじみと感じたのは、人と人とが出会い繋がっていくことの面白さ、それに豊かさと大切さだ。それが、ベトナムと関わり続けてきた私の、揺るぎようのない実感だ。
 ベトナムにしばらく滞在して日本に戻ってくると、「ああ、日本人って、こんな顔をしてたのか」と思うことがある。何かに感情を押し殺されたような疲れた表情・・・・ベトナムではあまり見ない顔である。
 ある年配の日本人男性と話をしたときに、彼は私がベトナムにときおり行っていることを知って、「でもベトナムは、日本に比べたらずいぶん遅れているんでしょうね」と言った。短い会話のなかで、十回ぐらい「遅れている」と彼は繰り返した。そういう感覚は、多くの日本人がいまだに共有しているのだろう。
 しかし「進んでいる」と思っている私たちの社会は、本当に「豊か」なのだろうか。
 サイゴンの調査でアインさんという男性通訳者が、小雨降るサイゴンで私をバイクの後に乗せながら、「日本人は過労死しそうで大変ですね。ベトナム人は自由なんですよ!」と流暢な日本語で叫んだ。妙な説得力があって、私は何も言えなかった。
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 もちろんすべてベトナムが良くて日本が悪いなんて言うつもりはないし、この本を書いてからずいぶん時間がたって、私のベトナムに対する見方も少しは変化があるのですが、でも基本的にはこの印象は変わっていません。
 さて、フエ外大でのプログラムをすべて終えて、午後はハイバーチュン高校の日本語クラスを訪ねました。白いアオザイ姿の女子生徒も多い華やいだかんじの教室で、まずは通常の日本語授業を見学。そのあと生徒が高校の紹介を日本語で、さらに茨大生たちが日本の震災のプレゼンをしました。小グループで少し話をしたあとは、近くのお店に移動し、フエ外大の学生も加わって総勢50人以上で賑やかに食事をしました。こんなことは私も初めてで、高校生たちも一生懸命日本語を話し交流をしてくれました。隣に座ったドイツ人観光客が「どんな集まりなんですか?」と驚いていました。
 フエ最後の夜の最後はカラオケ屋へ。まあ1回ぐらいこんな時間があってもいいでしょう。日本語の歌も少しあって、学生たちも解放された時間をベトナムの学生たちとさらに交わりながら楽しんでいる様子でした。すっかりみな、ベトナムにはまったようです。かつての私と同じように。

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