伊藤哲司の「日々一歩一歩」

茨城大学で社会心理学を担当している伊藤哲司のページです。日々の生活および研究活動で、見て聞いて身体で感じたことを綴っていきます。

日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
イメージ 1  ベトナム語入門の授業はすべて終わったのですが、今日午前中はベトナム文化に関する授業を学生たちは受けました。学問的に難し話ではなく、要するにベトナムの地理や社会の概要、それにベトナム料理や衣装の紹介などが主でした。しかし実際に生春巻きをつくってくれたり、女子学生にはアオザイを着せてくれたりして、学生たちには楽しい時間になったようです。昨日までのベトナム語の学習のときの緊張感からは解き放たれた学生たちの姿がありました。
 午後私は、3年生のクラスで「東日本大震災を経験して―「終わりなき対話」への誘い― 」というタイトルでの特別講義をさせてもらいました。学生たちは50人ぐらいいたでしょうか。日本語だけですべて理解するのはちょっときつかったようですが、パワーポイントのプレゼン資料はベトナム語併記版にしたので、それなりには理解ができたことでしょう。茨大生も2人参加。シリアスな問題を扱いつつ、できるだけ具体的に、できるだけわかりやすくを心がけました。けっこうエネルギーを使ったけど、やっただけあって反応はまずまずだったように思います。最後は全員でにこやかに記念写真を撮りました。
 同様の講義は、昨年末には台湾の静宜大学でも行いました。また韓国の忠北大学の学生たちが茨大に来たときにやったこともあります。各国の学生たちにこういう講義ができたことは、私にとっても大きな経験です。引き続き何かこうしたことも続けていければと思っています。
 夜はみんなでサーカス見物。久しぶりに見たベトナムサーカス。多くの子どもたちが食い入るように見つめている姿が、また印象に残りました。
イメージ 1  今朝は、ベトナムの「子どもの家」を支える会を学生たちの希望で訪問。ストリートチルドレンなどの子どもたちの自立支援をしてきたこの会を訪れるのは、私にとっては数年ぶりのことになりました。代表の小山道夫さん自身がおられて、直接案内していただくことができました。以前は学校が二部生で、いつ行っても子どもたちがいたようなのですが、現在は全日制になって、私たちが行ったときには、子どもたちの姿はほとんどありませんでした。それでも、20年にわたって支援を続けてこられた地道な活動の一端を知ることができました。
 今は路上で生活する子どもたちはほとんどおらず、ここに入ってくる子どもたちも、以前とは状況がだいぶ変わっているようです。とくに女の子とたちの大学進学率は高く、難関の医科大学進学者も出ているとか。また、学校の成績はふるわなかった粉が絵の才能を芸大の先生に見いだされて、その道に進んだという例もあると聞きました。
 支援づけにするということではもちろんなく、あくまで自立を促していく息の長い取り組みは、あらためて見習うべきところがあると感じます。社会主義国のベトナムとのつきあいも上手くはかりつつの取り組みは、よく頷ける話だなと思いました。学生たちも刺激を受けたことでしょう。短い時間でしたが、私もまた刺激を受けました。
 昼前に大学に戻って、学生たちは残りのベトナム語の授業を受け、午後にはテストが行われました。筆記と面接のテストがあり、学生たちは四苦八苦して取り組んでいました。この5日間で学べたベトナム語は僅かといえば僅かですが、その僅かからすべてのことは始まるわけですから、これまた貴重なことだと思います。
 夜、学生たちは自分たちで夕食をたべに外へ出かけていきました。最初は一緒にすべて行動していましたが、だいぶ慣れてきて自分たちで動けるようになってきました。最初はそれこそ「右も左もわからない」という感じだった学生たちも、自立できるようになりつつあります。安全のため単独行動はなしということにしているのですが、学生たちが自分で動いてくれると、私もまた楽です。
 私のほうは、今回ベトナム語の授業を担当してくれた一人であるランさんらと夕食に出かけました。4月から研究生になるランさん、それにすでに研究生であるニャーさん、昨日も夕食につきあってくれたフオンさんと山羊鍋を囲みながらしばし談笑。毎日こんなふうに食事をしているのは、贅沢な状況だなと思います。
 フエ滞在も8日まで。徐々に終わりが見えてきました。
(写真は「子どもの家」のなかの刺繍教室を案内してくれる小山さん(左端))
イメージ 1  ベトナム語入門の授業が続くなか、私はフエ外大学長を表敬訪問。昨年協定を結び、今回のこのベトナム語研修プログラムができたことへのお礼を述べ、今後の協力関係について、短い時間でしたが意見交換をすることができました。学長は、日本言語文化学科の先生たちがまだ非常に若く、修士号をもっていない人が多いので、そこを育てていく必要性があることについて語りました。私も、学生に対してだけでなく、そのような点での協力もできればと考えていると応じました。現学長の任期はあと2〜3年のようですが、昨年の協定締結は郵送ですませてしまっており、今回直接話ができたことはよかったなと思います。いくつもある国外の大学とのやりとりのなかで、茨城大学をしっかり認識してもらえたかなとも思いました。
 夕方、何人かのベトナム人学生たちも来てくれて、みんなで山羊鍋を食べにいこうと話し、昨年行ったことがある店まで行ったのですが、残念ながらその店は、すでに閉まってしまっていました。そこで、フエ外大卒業生のフオンさんの案内で、鶏肉餅米ご飯(Ga bo xoi)の美味しいお店に案内してもらい、賑やかにテーブルを囲むことになりました。山羊鍋が食べられなかったのは残念ですが、鶏肉餅米ご飯は初めて。店の対応もよくて、佳い時間をすごすことができました。
 フオンさんは、現役時代に交流会で知り合い、その後茨城キリスト教大学に留学に来て日本でも会っていたのですが、今回再会できて嬉しく思いました。いったん薄くなったように思えた縁が、またこうして復活してくるのが何とも嬉しい。またさらに今後に繋がっていきそうな予感がします。
 ベトナム語で縁は「duyen(ズエン)」。縁の国だなとつくづく思います。
イメージ 1  週が明けて、ベトナム語入門の授業が再開されました。学生たちはみなとても真剣に受講しているのですが、やはり声調を含むベトナム語の発音にとても苦労している様子です。先生に続いて発音したときは、それらしくできるのですが、もう一度言い直してみると、何とも声調が上手くいかなかったりします。ベトナム人にとっては苦もなく聞き分け言い分けられることができないということは、すでに音の認識からして違っているということでしょう。音の聞き取りも、そして発音もまた、社会文化的につくられていくものなのだと実感します。
 午後の復習の時間は、また私が担当し、私なりにジェスチャー付きで声調を強調し、学生たちには練習を重ねてもらいました。それでもなかなかできないのが、私ももどかしいし、それ以上に当の学生自身がもどかしいことでしょう。でもベトナム語を学ぶということはこういうことだということを理解するだけでも、何も知らなかったときに比べたら、大きな進歩です。今回の限られた時間での授業で「習得」することはとても困難ですが、若い学生たちがもしベトナムで学び続けたならば、私より遙かに上手にベトナム語会話ができるようになっていくに違いありません。なにせ私自身、ベトナム語の勉強を始めたとき、すでに34歳だったのですから。
 ベトナム語の授業の後、午前中の授業を担当してくれたランさんのいつもの授業を見学させてもらいました。日本言語文化学科3年生向けの授業で、かなり難しい日本語の類似語の言い分けについての授業でした。ランさんは、基本的に日本語で授業を進めます。はっきりとよく通る声で、学生たちの反応をよく受け止めながらの授業進行は、堂々としていてなかなかのものでした。交流会に出席していた学生も混じっていて、彼ら彼女らがこんなふうに日本語を学んでいるんだなということもよくわかりました。
 若手ながらしっかり先生の仕事をしているランさん、実は4月から茨城大学の学部研究生になることが決まっており、私のゼミ生の一人になります。日本でどんな学びをし展開をしてくれるか、とても楽しみです。
 夕方、町中に繰り出しました。そして、もう全員で一緒に夕食ということにはせず、2人以上で行動するということを条件に、自由に好きなところで夕食をとってもらいました。ベトナム・フエの雰囲気にもずいぶん慣れてきて、学生たちも自力で行動できるようになりつつあります。明日の夜は、門限だけ決めてフリーにしてもいいかなと思います。
 夜8時に再集合し、それで寄宿舎に戻る人は戻り、残った人は、私にとって旧知のミーちゃんの家を訪ねていきました。ドラゴンボートで暮らしていた6人きょうだいの2番目がミーちゃんで、もう10年以上のつきあいになります。拙著『ベトナム 不思議な魅力の人々』にも登場します。昨年ようやく家が完成したとのこと。今回初めて訪ねていくことができました。すごく新しくて立派な作りにびっくり。ミーちゃんの彼氏にも初めて会えたのですが、彼が若き建築士で設計を担ったのだと知りました。私と同い年のお父さんであるタンさんがビールを一ケース買ってきて、歓談しながら楽しい時間を過ごすことができました。同席した学生たちには、私がどんなふうにベトナム人たちとつきあってきたかの一端を知ってもらうこともできたようです。
 タンさんがもっているドラゴンボート、今回のフエ滞在の最終日(8日)に乗せてもらうことになりました。フエ滞在のいい締めくくりになりそうです。
 (写真は、ミーちゃんとその妹。新居の入口で)
イメージ 1  夕べはダナンのホテルに1泊。そして今日は、ここへ来た目的である「わさび日本留学センター」を、そこで働くレナさんの案内で見学させてもらいました。日本留学を目指す若者が、日本語の特訓を受けるだけでなく、日本のビジネスマナーなども学ぶところ。潜在的にはそういうベトナムの若者は少なくないと思うのですが、人集めに少し苦労しているところがあるようでした。留学の具体的な手続きのサポートを受けるのにかかる費用は、ベトナム人にとって小さくはありません。それでも経済力も上がってきているなか、ここをステップにして日本を目指す若者がたくさん出てくるといいなと思います。私は、現地在住の日本人にもっと協力してもらえるような仕組みを考えてはどうかと、そんなアイディアを話してきました。
 そのあとは、チャム族の博物館を見学したり、ダナンの町中やビーチを少しめぐりました。町の真ん中を流れるハン川にいくつも大きな橋がかかっているのですが、そのうちのひとつが、1年ほど前に完成したドラゴン橋。なんでも世界一長い龍なのだとか。確かに近くで見るととても迫力がありました(写真は、その龍をバックにしたフオンさんとタムさん)。週末の夜9時には本当に火を噴くそうで、残念ながらそれは見られませんでしたが、ライトアップされた姿もなかなかの偉容でした。
 ここダナンは、よく知られているとおり、ベトナム戦争当時はアメリカの海兵隊が最初に上陸したところです。町中にいる限りいまはそんなことは感じられませんが、激戦地のひとつでありました。近くには日本とも関係が深いホイアンの町があったりして、あらためてそのあたりをあらためて巡ってみたい気にもなりました。1992年初めてベトナムの旅をしたときに、アメリカ軍による虐殺事件(1968年)があったというソンミ村へも、ダナンから行ってみたことを思い出します。
 夕方、フエに戻り、学生たちと再び合流。ホームステイから戻ってきた学生たちは、ちょっと一皮むけたような表情をしていました。ホームステイ先で、ずいぶんよくしてもらったようです。社会主義国のベトナムでは、個人の家に外国人が泊まるというのは、あらかじめ当局への届け出が必要で手続きが面倒のようなのですが、フエ外大と協定を結んだことで、そこまでのことをしてもらうことができました。有り難いことです。
 今回の私たちの滞在を通して、フエ外大と茨大の関係が、さらに一歩深まっていきそうです。

.
いとうてつじ
いとうてつじ
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事