てっちゃんのまったり通信

まことに恐縮ですが、ネットビジネス系のコメントは削除させていただきます。ご了承ください。

メジャーの風

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メジャーのユニフォームを見ると

乾いた風を感じる。

シマ模様の天然芝、陽の当たるボールパーク。

バット同士が触れ合うときに立てる軽やかな音。

ボールがグラブに収まる瞬間の小気味良い音。

それらのイメージは何故か日中のものである。

なぜナイターではないのか。

それは分からない。そういうイメージなのだからしょうがないと言うしかない。

そして、そのイメージはたとえ場所がはるかメジャーの球場ではなく

日本の東京ドームであったとしても変わることはない。

「あーメジャーだ。」

屋内のはずなのにギラギラと太陽が照っているように感じる。

そのユニフォームのある風景は心をはるかに海の向こうへ連れて行く。

ならば実際に海を渡ればいいのではないかという意見もあるが、

残念ながら私は飛行機がダメなのである。

もし、飛行機が大丈夫なのであれば、あの野茂か松井を本場のボールパークで

見ていただろうなぁ。

そして、特大のホットドックなぞを頬張ったのだろう。

しかし、今のところはメジャーの様子を伝える

テレビの画面を見て指をくわえて見ているしかない。

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数年に一度、メジャーの選抜チームが日本を訪れる。

その昔は単独のチームでの来日が常であったが、いつの頃からか

選抜チームでの来日が続いている。

チームまるごとというのは色々な権利等の問題が有るらしい。

メジャーの公式戦を日本で開催するとかであれば別だが

シーズンが終わった親善試合に参加する選手は限られているのだそうだ。

私がメジャーを意識して初めて生で見たのがボルチモア・オリオールズ

これが、強いことおびただしい。

小学生の私が仰ぎ見ていた日本人選手よりさらに、一回りも二回りもでかい。

その太い腕から繰り出される打球、もしくは投球は

この世のものとは思えない風を巻き起こして日本選手を襲うのだ。

それは、とてもかなわない。

そして、野球の迫力とは裏腹にその帽子に描かれていたマスコットの

親しみやすさは一発で私を虜にした。

今回は残念ながら同チームから選出された選手はいないので

あのユニフォームやマスコットを見ることは出来ない。

そして、オリオールズに続いてはトム・シーバーのいたニューヨーク・メッツ、

縦縞にスラリとした長身が格好良かった。

さらに、ピート・ローズのいたシンシナチ・レッズ。

長髪をなびかせながら宙を舞うヘッドスライディングは

それだけで入場料を払った価値が有るものだった。

ビッグレッドマシンと呼ばれた打線はありきたりな表現だが

迫力満点であった。

今、思えばすごい選手を日本で見ることが出来たのである。

さらに、さらにカンサスシティ・ロイヤルズとか青い竜巻とか呼ばれていたなぁ。

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その点から見ると今年のチームはオールスターチームとは銘打っているが

小粒であると言わざるを得ない。

シーズンオフにわざわざこんな片田舎で野球をやるなんて

よっぽど物好きな奴らだと思われているのだろう。

大昔はベーブ・ルースなど船で海を渡ってきてくれたものなのだが。

今は、本物を見たければアメリカ、カナダ本国へおいでください。

そんなところだろう。

しかし、それでも本場のユニフォームを見ることはそれだけで胸が躍る。

さらに、選手だけでなく審判団もメジャーはとにかく格好いい。

溜息を付きながら、やっぱり野球はアメリカのスポーツなんだなぁと

改めて感じるのである。

やっぱりね、様になっている。

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有名どころの選手はいないが、今回はそのユニフォーム鑑賞会と位置づける。

なればこそホームのユニフォームを拝みたいもの。

東京ドームでの3連戦は、ちょうど土曜日がその日に当たる。

チケットを入手するまで不知であったが、今回はあの国民栄誉賞の

松井秀喜がコーチとして参加するという。

以前その姿を拝めたのはメジャー2年目の松井がいた

ニューヨーク・ヤンキースがトーキョーで開幕戦を興行した時。

はい、もちろん、見に行きました。

「レディスアンドジェントルマン!

ディスイズ ニューヨーク・・・・ヤンキース!!」

あの引っ張った場内アナウンスが忘れられない。

ジーターなんかも現役パリパリだったよなぁ。

あの時以来の松井のピンストライプである。

現在松井はヤンキースのマイナーチームを巡回しているという。

アメリカ本土でも滅多にユニフォームなどは着ないそうだ。

これだけでも一見の価値はある。

夏の甲子園でもその姿を生で見ることが出来たが

これは嬉しいビッグプレゼントだ。

たとえそれが一流選手を集められなかった客寄せだったにせよ

ジャパニーズニトッテハ、ウレシイモノダヨ!

コーチスボックスに立つ松井はさすがのオーラである。

ドジャースの前田健太も子供の頃見た松井、イチローに憧れたと言うし、

ソフトバンクの柳田に至っては「松井さんに握手してもらった」

と一ファンに成り下がっている。

あー現役の時にヤンキースタジアムでその姿を見たかった。

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とは言えやはり主役は選手である。

このチームの一番の売りはカージナルスのモリーナ。

同チーム一筋に16年扇の要として、その存在感を示している。

が、

しかし、

このユニフォームを見るとまず頭に浮かぶのが

アームストロング・オズマ!!

名門カージナルスが総力を上げて育て上げた野球ロボット!

言うまでもなくあの星飛雄馬のライバルである。

日本の野球を小馬鹿にしたようなオズマのポーズは憎らしいけど

惚れ惚れするほど格好良かった。

はぁ、なんて軽薄でミーハーなんだろう。

もう、上半身筋肉もりもりのモリーナ(言うと思った・・・)

オズマばりに日本の野球をあざ笑うような特大の一発を期待したが

結局、紳士のまま終わってしまった。

ひと目見た時に私が小さい時に見たあのメジャーリーガーに近い気がしたが

やはり

「本当の私を見たければ海を渡りなさい」

と言うことだろうか。

しかし、赤を基調としたバットと鳥をあしらったユニフォームが

段違いに似合っていたということは事実である。

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一発大きいのを・・・と言えば、来日してから気がついたのがこのソト。

DeNAにも同名の選手がいるが、ちょっと桁が違う。

東京ドームの天井にこの短期間に2回も打球を当て、

「天井に当たってもまだ伸びていましたねぇ。」と解説者に言わしめた。

ただかすったのではなく紛れもなくブチ当てたのである。

こんな打球が見たかった。

スタンドが歓声ではなく「おお〜」と溜息になる打球。

とにかくメジャーの選手にはブンブン振り回して

驚くような打球を放ってほしかった。

軽く日本のピッチャーにいなされるようでは見ている方としては

納得出来ないのである。

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そんな期待をよそに試合はジャパン優勢で終始した。

この日のメジャー打線は

「昨晩はパーティーで飲みすぎたのかい??」

と問いかけたくなるような有様。

日本の投手がそれだけ素晴らしかったと言えばそれまでかもしれない。

ま、やむを得ないか、実際オリンピックとかWBCなんかじゃ

日本を応援するんだし。

なんてことを思ったりもして自らを慰めた。

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今回はあまり侍ジャパンとやらには興味が沸かなかった。

メジャーを見に行ったにもかかわらず

試合が一方的で暇つぶしに売店を覗いても期待したメジャーグッズは

場内での販売は無く、侍ジャパンだらけで時々ジャイアンツという感じ。

試合の行方に悲観したのか前の列に座っていた陽気な外人グループも

試合半ばで早々に立ち去っていた。

もちろん私は試合途中で帰るなどという暴挙は犯さない。

サムライジャパンにはあまり興味が沸かないが

クローザーの2人、楽天の松井とDeNAの山崎。この2人の写真は撮りたかった。

ちょうどカメラマン席の前がガラ空き状態となっていたので

そこに陣取る。

おお、ここならばどんなにつまらない試合でも自分なら人に譲ったりはしないぞ。

というような極上な席。

写真というのはやっぱり立ち位置で決まってしまうことを思い知らされる。

9回に侍ジャパンの投手として指名されたのは楽天の松井。

甲子園で野球漫画で見るようなスライダーを見てから注目している投手である。

当時のロッテの監督の伊東さんがドラフト前に「松井!・松井!松井!」

と連呼したが、残念ながらロッテのユニフォームを着てくれることは無かった。

しかし、たとえ楽天に行ってもロッテ戦以外は応援している。

この日の私的なメジャーの目玉が松井コーチであり

ジャパンの目玉は松井投手であった。

両松井の撮影が出来てそれはそれで満足だったかな。

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実際に東京ドームに足を運んだのはGAME2。

つまり2試合目であったが、遅筆の弊ブログ、

この稿を起こしている現在、すでにこのシリーズは全試合を終了している。

結果は5勝1敗で侍ジャパンが圧倒的に勝ち越した。

メンバーを見ればさもありなんという結果ではあるが、

どんな状況であろうと負けず嫌いのかの国のことである。

この結果を受けて次回の日米野球では手に負えないようなパリパリの選手が

来日することを今から楽しみにしておきたい。

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コーチがメインじゃ情けないよね、やっぱり。

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想いは次の時代へ

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yahooニュースで新型ロマンスカーが発表された時。

あ〜来たなぁ。と思った。

で、いつ頃になるの?2018年春かぁ・・・・。

後日GSEと命名された新型ロマンスカー。

ため息はついたが、別にGSEを嫌いというわけではない。よく出来た車両だと思う。

しかし、来るものがあれば、去る者があるのが必定。

このGSEの配備とともにLSEは当然、サラリとさよなら運転でもして

すぐに置き換えられてしまうのだろうなと考えていた。

桜に間に合うかなぁ。そんなレベルで。

しかし、GSEの配備後、減便にはなったもののLSEは本線上から

その姿を消すということはなかった。

SEから培ったこの伝統色を少しでも長く、そして次の世代にも見せて

おきたいという小田急社長の配慮。

3月のGSE就航後も7月10日まで定期運行を継続。

そして、9月15日から始まった一連の臨時運行。

最期の客扱いとしては10月13日に「さよならツアー」が組まれた。

天候はやや不順であったがGSE配備後も

3つもの季節をLSEと共に過ごすことが出来た。

こんなに濃厚にお別れをさせてもらえた引退車両があっただろうか。。

ただただ、小田急電鉄には感謝しか無い。

しかも、そのどれもが心のこもった、どこかの誘致時の台詞ではないが

「お・も・て・な・し」という言葉がしっくりと来る内容だった。

想定以上に楽しくLSE引退という寂しさを忘れさせるようなひと時であった。

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しかし、どんなに楽しいひと時も終わりはやってくる。

舞台は小田急ファミリー鉄道展。

そこで本当にお別れに最期のフル編成の姿を披露。

例年は複数の編成が展示されるのであるが今回はLSEの独壇場である。

望めば一日中その姿を眺めていることも可能である。

「あ、お腹が空いた。」と昼食を食べに行って、ゆっくり帰ってきても

まだ、そこにLSEがいてくれるのである。

これは信じられないことだ。

惜別の思いで集まる趣味人たち。

最初は行くつもりではなかったのだが、やっぱり最期のお別れがしたくて。

という人もいた。

いても経っていられずに・・・

そんな言葉も聞こえてきた。

混むんでしょ、とか、走行中でなければ

などと口では言いながら次から次へと皆LSEに声をかけに訪れる。

これまで不思議にLSEの走る日は天候が崩れていたが

今回は2日間共にあっぱれ秋晴れというような晴天となる。

久しぶりの晴れやかなLSEの姿。

あらためてその美しさにただ見惚れた。

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この日はLSEの展示だけではなく引退記念グッズの発売もあるとのことで

混雑も極まるだろうなぁと推測された。

ゆえに久しぶりに暗いうちに自宅を出て始発で海老名に向かう。

こんなことをするのはどれ位ぶりだろう。

189系その他多くの列車の撮影行を思い出す。

よっぽどのことが無い限り、もう始発で撮影に行くことは無いだろう。

そう思った。

この数年数多くの車両を見送ってきた。

そして、そのトリが最も思い出深いLSEなのだ。

始発電車の中でひたすら惰眠を貪るのもいつものことだ。

さぁ、これからは何も気にせずに土曜の朝はゆっくりと寝坊ができるぞ

と思ったのはせめてもの強がりか。

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始発で出ても海老名には6時13分着である。と、遠い・・・・。

すでに車両基地の入り口には行列が出来ている。

およそファミリー展という冠にはふさわしくない面々がならぶ。

もちろん私もそのひとりであるが(苦笑)。

暇つぶしに数えながら最後尾に向かうと、おおよそ90番目であった。

午前6時過ぎに90名が・・・・。

もう、ほとんど病気である。


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ヘッドマークは「さがみ」

ちなみに2日目は「あしがら」である。

定番の「はこね」にしないあたりが通好みの渋さである。

1日目は新宿方も「さがみ」幕であったが2日目はこっそりと「スーパーはこね」(笑)

新宿方は日があたらないんだよねー。

私はもともと「はこね」が小田原までノンストップの世代なので

スーパーを入れられることにちょっと違和感があるが

一番の速達列車のこのヘッドマーク。

結構人気があるらしい。

それこそ順光の小田原方で掲示したら大騒ぎになるのは目に見えているので

これが正解かもしれない。

「さがみ」と「あしがら」かぁ。結構マニアックなチョイスに少しニンマリとした。

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真正面から見るとちょっと下膨れの愛嬌のある顔をしている。

しかし、すこし横にずれると流線型の鋭い顔を見ることができる。

すこし角度を変えただけでも色々な表情を見て取れるのも

この列車が愛されるゆえんである。

LSEの周りは込めてか少しでも近くで見られるようにと言う配慮か

立ち入りを制限するロープがキワキワまではられている。

しかし、そうすると、せっかくのフル編成なのに編成をいっぱいに入れて

撮ることが困難である。

どう撮っても常にどこかに人が入り込む。

人が入ったっていいじゃないかと思うかもしれないが

なるべく人が入らないように撮りたいというのは

この趣味の本能のようなものであるからして

限られたスペースにはこぼれんばかりの人だかりである。

まぁ、この状態では、端っから無理であることは承知の上だが

それでも何とかしようとするのはもはや性でしか無い。

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ひっきりなしに人が通ると言っても

ほんの時たまポッカリと穴が空いたように景色が開ける瞬間が有る。

LSEから少し離れた場所から、ずーっとカメラを構えてその瞬間を待つ。

やがて同じように考える趣味人たちが、ほぼ横一列に並んだりする(笑)。

眼の前で繰り広げられる家族の風景を並んで、じーーーっと見つめているのである。

冠がファミリーであるからにはお子様連れは邪険には出来ない。

引きつった笑いで「よかったね僕」と言いながら

心の中では「撮るものとったらさっさとどかんかい!」と思っているのである。

この作業はなかなか根がいった。

これならば長時間列車が通過するのを待っていたほうが楽かもしれない。

その一瞬の間が訪れるとバシャバシャバシャ・・・とシャッター音が響く。

「いやぁ、長かったですねぇ。あの親子なかなか粘りましたねぇ」

なんて笑いながらお互いの健闘を称え合うのである。

撮り鉄は・・・と世間ではよく言われているが

結構一般人の方には気を使ってんすよ。これでも(笑)。

長時間待ってやっと手にしたLSEの横顔。

やっぱり素敵だなぁと思った。

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早くから来たおかげで少々散財はしたが目的のグッズも手に入れた。
(LSE3Dオーナメント。これが格好良いのですわ。
誰だ!ただの文鎮だと言ったのは!!)

LSEの撮影も人混みをかき分けながらそれなりには撮れた。

もう、何もすることがないはずなのに気がつくと

車両展示コーナーに舞い戻っている。

未練タラタラの情けない男のように彼女の周りを徘徊する。

結局2日目の閉幕まで立ち去ることができなかった。

スタッフがロープを使って絞り出すように

我々趣味人を出口へと追い立てる。

追い立てられながら私は何度も何度も振り返った。

こんなに多くの別れの機会を与えられてもまだ足りない。

ただ、寂しさが募るだけだ。

折からの夕日に照らされてLSEはさらに輝きを増していた。

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「ねぇ、僕もLSE乗りたい〜乗りたいよう」

「そうだね、お父さんもそう思う。でももう乗れないんだよ」

子供の手を握ってLSEを見上げながらお父さんがつぶやく。

お母さんはLSEの前に子供を立たせて記念撮影に余念がない。

この子の記憶のほんの片隅にでも残っていてほしい。

こんなに美しい特急列車があったことを。

そして、そして・・・・

「想いは次の時代へ」

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※みんなの憧れLSEの展望席

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さようならLSE・・・・

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LSEさよならツアー

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ロマンスカーが新宿の特急ホームに入線する。

ビルの下のトンネルのような区間をくぐり抜けて

それはホームへとたどり着く。

私は小田急を日常使いするエリアに居住してはいなかったので

小田急の利用は旅行など特別な場合に限られていた。

すなわち、この区間をくぐって出発するということは

私にとってこれから起こるであろう

非日常的な時間を予感させる特別なものだった。

さかのぼって小田急ロマンスカー50周年の時の話。

当時はLSEもワインレッドの新色に塗装され、

それまで続いていたロマンスカーの伝統カラーが途絶えていた時期だった。。

それが、50周年を記念し

再びオレンジ、グレー、ホワイトのカラーが復刻させる旨小田急が発表した。

新塗装に興味を示していなかった私にとって何よりの朗報。

何をおいてもあの夢の区間に進入してくるロマンスカーを捉えようと考えた。

(※復刻色と銘打ち一年限定であったこの塗装は結局最期まで維持されることとなる。
この頃は東北新幹線のK47編成をはじめリバイバルブームだったと言える)

しかし、その時は想像もしていなかったハイビームをもろに浴びて

夢のトンネルを抜ける復刻色LSEの姿を捉えることは叶わなかった。

その当時手にしていたセミ一眼のデジカメでは対応ができなかったのである。

そして、時が流れLSEが新宿駅に進入するのも最期になるこの日。

10数年トラウマとなり避け続けた特急ホーム端から念願のシーンを狙うこととした。

正真正銘の最期のチャンスである。

「最期なんだからロービームにしてくれないかな。」

などとチキンなことも考えたが

そんな思いをモノともせず、LSEはあの日と同じようにハイビームでの進入。

時を経て撮影した最期のLSE。

最期にしてあの日イメージした通りのものがやっと撮影できたような気がする。

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新宿駅特急ホームのLSE。

「ここにはコレを置いておけ!」と言われそうな

定番の存在感である。

同じ構図で何度撮影しても、ついシャッターを切ってしまう。

ヘッドマークが一連のツアーのような

「特別団体専用」でもなくただの「臨時」であることはちょっと寂しいが

やはり、目にも焼き付けておきたくなるシーンであることは間違いない。

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LSEの最期の客扱い。

それに乗車して別れを告げる。

ずっと前からそう決めていた。

乗車することだけで満願成就、丸儲け状態である。

沿線からの撮影ができないことへの悔いも

今回は不思議に感じられなかった。

眼の前を一瞬にして走り抜けていく姿も鮮烈で格好良いのであるが

この日は始発駅から最期まで長い時間をかけてLSEを感じていたいと思った。

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「この列車の中でプロポーズされました。」

そんなエピソードが車内放送で流れてくる。

記念乗車証と同時に配られた質問用紙には

「質問というよりこれまでの思い出であるものが多いですね。

全部読ませていただきました。目頭が熱くなりますねー」

流石はラストラン記念列車だけのことはある。

本来的には車内放送で質問に答えるコーナーという企画であったらしいが

DJよろしく若い車掌、運転手がこの列車にまつわる色々な話を

紡いでいく。

運転手がロマンスカーキャンセル特急券に並んで眼の前で打ち切りとなり

「ムッとしますよねー」とやったのには笑った。

件のプロポーズ乗客にはマイクサイドまで来てもらい

「ずっと一緒にいます」と言わせ乗客の拍手をさそう。

「子供の頃初めて乗ったロマンスカーがLSE。

運転士の資格試験もLSEで、しかも、この7004編成、

そしてこの編成の最期に運転手として乗務、この列車との縁を感じますね」

と感動を呼んだりする。

乗客と職員による車内だけのミニ放送局が成立し車内は大いに盛り上がった。

「今、情報が入りました!この先左側で○?幼稚園の園児がお別れに手をふっています。」

さぞ大人数かと思いきや3〜4人の寂しいもの。

それでも多くの乗客は「園児だ、園児だ」と笑いながら手を振り返す。

そして・・・・

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「海老名の職員がお見送りです。海老名と聞いてピンと来られる方も多いのでは

そう、SE車も格納庫の扉を開けてお見送りします!!」

大先輩の初代ロマンスカーがお見送り職員のとなりで顔を出している。

これはかなりのサプライズプレゼント。

私も含め多くの趣味人がほんの僅かではあるが後輩を見送る大先輩の姿を

カメラに収めることができたのではないだろうか。

そんな遠足のような雰囲気を載せて列車は進む。

小田原まで退避なしで進むのであっという間に小田原到着。

小田原では退避線に入り50分位の待機。

無論、すぐに折り返すよりも

少しでもLSEの車内を味わっていたい乗客諸氏にはありがたいことである。

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この列車のアテンダントさんは歴代の制服で乗務と告知されていた。

某ドラマで有名になった日東紅茶の制服も良いが

私のお気に入りは森永のアテンダントが着用する肩章付きのものである。

流石にお菓子メーカーの制服だけあって帽子も可愛らしい。

この日この制服を写真に収めることが私にとって重要なミッションの一つであった。

もちろんこのような企画の列車であるのでお願いすれば

笑顔でカメラに収まってくれる。

ピントがかなり甘い写真になってしまったのも森永の魔力か(笑)

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記念乗車証を貰って、お弁当を食べて、

そうそう、車内でプレゼント抽選会などがあった。

景品などは欲しくもなかったが運転席を見学できる権利。

これは当たりたかったなぁ。

当然のようにくじ運の無い私に当たるはずもなく
(号車ごとに行われた抽選は2/3程の乗客がお土産を手にした(泣)。)

件のDJ列車の企画もあり楽しい時間が流れていった。

そう、楽しい時間というのは例外なくあっという間である。

小田原から折り返したLSEは程なく終着の秦野に到着する。

秦野の駅では名残を惜しむようにLSEを撮影する人

アテンダントさんも笑顔で趣味人の注文に答えている。

そんな秦野駅の喧騒を背に
(この後6名のアテンダントさんが勢揃いして撮影会のようなものが
あったらしい。これは惜しいことしたと後刻後悔しきりであった。)

私は、対向ホームに来た新宿方面の列車に飛び乗った。

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「列車が通過します。」

坂の上に今まで乗車していたLSEのヘッドライトが見える。

表示幕は「回送」ではなく「臨時」のままだ。

多くの趣味人がカメラを抱えて待ち構えているその中

LSEは鶴巻温泉駅のカーブを足早に通り過ぎていく

何事もなかったかのように見えるいつもの風情。

しかし、運転台の助手席にはあふれるほどの惜別の花束が見える。

ああ・・・本当に終わりなんだ。

この花束を見た時にラストランが現実であったことにいまさらのように気がつく。

連接台車特有のリズムそのままに軽やかに人々の夢を運び続けたLSE。

今後は博物館でその余生を送るとも聞いている。

しかし、「やはり野に置け・・」の台詞ではないが

流線形のその姿とともに本線上を走る姿が美しかった。

家族と、友人と、恋人と、

私の人生を彩ったと言っても過言ではないこの列車。

特別な急行列車であったことは間違いない。

「最期まで気をつけて。ありがとう。」

こんな陳腐な言葉で過ぎ去っていくテールランプを見送った。

やけに目に染みるバーミリオンレッドだった。

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LSE名残の秋を往く

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これからどんどん寒さへと向かう秋という季節。

先日スーパーに「クリスマスケーキの予約開始」とのポスターを見かけた。

さすがに、前倒しすぎの感は否めないが、どんどん過去を追いやるように

ただ、時間は過ぎていく。

馬車馬のように前のめりに走る時間の中で過去の遺産とも言える

ロマンスカーが季節の風を切り裂きながら走る。

刈り入れ間近の稲の穂が金色に輝き。かろうじて残された実りの秋の痕跡は

さながら最期を迎えたLSEに向け花道のように風にそよいだ。

時の流れを止められない私はただ、

この季節を征くLSEをせめて記録に止めようとシャッターを切り続けた。

あいにくの曇天ではあったが、オレンジ、グレー、ホワイトの伝統色。

多分小田急では最期になるであろうその勇姿を金色の花道で記録に留めることができた。

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「ああ、かぶられる!」

かぶられるとは撮影しようとしている列車の手前の路線に

別の電車が入り込んでくることである。

もちろんかぶられた場合、電車で視界が塞がれ目的の列車の姿は撮影できない。

この「かぶる」という現象に泣かされたことがある経験を持たない趣味人は

おそらく、皆無なのではないか。

何時間も待機した苦労が一瞬にして無駄になってしまう瞬間である。

この時、直線の向こうにLSEを認めた。

と同時に対向の線路にかすかな響きが感じられた。

すでに撮影体勢に入っているので振り向くことはできない。

あとはすれ違いのタイミングがずれてくれるのを祈るだけである。

LSEが近づいてくる。後方から対向の列車の気配を感じる。

LSEの到着よりやや早く対向の列車の姿でファインダーが塞がれた。

真っ赤なボディ。

「マジか!GSEだ!」

LSEの通過より少し先行して私の前を通り過ぎたGSE。

引退を直前にこの2大スターが間もなく路線上で並ぶ。

鉄道に興味のない方はそれがどうした。と思われるかもしれないが

これは趣味人にとっては非情にプレミアムなことである。

しかし、すでにアングルを決めていた私の数十メートル先で

その光景は繰り広げられ、プレミアムな光景をただ眺めるしかなかった。

直線狙いで陣取っていた数名の趣味人たちがその幸運にありついた。

どこかのコマーシャルではないが

「早く言ってよ〜」

と私は、苦々しくつぶやくいた。

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それでも私の構えた画角の角にひっかかるように写った両雄の姿を

精一杯のトリミングで再現してみる。

広角の画面の片隅なのでその姿は歪んでいる。

幸運な数名の趣味人の背中が見える。

LSEが私の前を通過して撮影を終えた私はすぐさま

その趣味人たちへと駆け寄った。

「ビックプレゼントでしたね〜。撮れましたか!」

思わずそう叫んでいた。

「いやぁ、微妙ですね〜」

と答える方。しかし、モニターを覗くその口元は明らかに緩んでいる。

そりゃ、そうでしょうね(苦笑)。

すぐ駆け寄ることができる距離での新旧特急列車の離合。

撮影はできなかったがその目で見れただけでも幸福だと思わなければ。

この時の私の撮影した写真は本稿2枚目のものである。

秋のススキを横目に走りすぎるLSE。

のがした魚の大きさに少しあ然としたが、秋という季節とのコラボが

この日のテーマであったのだから、自身のイメージ通りの写真を

あの一瞬の驚きとショックの中で撮影できたことに満足している。

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戦い済んで日が暮れて。

帰り道に海老名で途中下車して車庫入りしたLSEの姿を眺める。

宇宙船がドッグ入りしたかのような姿はまるでSF映画の一コマを見る思いである。

ラストランまでの臨時運用はあと2回を残すのみとなった。

次回運用は所用(岡田の引退試合(苦笑))でこの地を訪れることはできない。

そして、ラストランチケットを運良く入手できた私は、

この日が線路端では最期の撮影機会になった。

寒い日も暑い日も、照る日も雨の日もだた、LSEを待ち続けた日々。

次はラストラン当日、思い出多き新宿で・・・と

LSEに別れを告げ、海老名を後にした。


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撮影日:2018年10月6日

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福浦和也、袖を通す

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「20勝を10年続けないと200勝にはなれない。

200本安打を10年続けないと2000本案兄はなれない。

一流とは一流であり続けることなんだなぁ。」

こんなコピーのコマーシャルがあった。

背景では砂浜で長嶋茂雄が守備のシャドーをしている姿が映し出され

最後に「昭和名球会」と銘打たれたと記憶している。

資生堂とのコラボだったことはネットで調べて初めてわかった。

男性化粧品のコマーシャルだったのだろうが肝心の企業名が記憶にないことは

コマーシャルとしては失敗だったのかもしれない。

一流であり続ける。

妙な説得力の有るこのコピーはよく覚えている。

その当時と比べて現在は20勝も200安打も至難の業である。

20勝投手などこの25年で5名しかいないらしい。

その分選手寿命は延びているので

10勝を20年。100安打を20年と読み替えたほうが良いかもしれない。

一口で20年というがそれだけ第一線でいるということは確かに一流の証である。

そして福浦和也が一流であり続けたことの証のブレザーに袖を通す日がやってきた。

私が意識してからでも(私が意識してなんとかなるというものではないが(笑))

3年以上の月日が経過している。

他選手の2000本は達成したというニュースを聞いて

「おお!」と思う程度であったが福浦のそれはごく一部の期間でも願いを込めて

ともに歩んできたという気持ちにさせられる。

長かったなぁ〜。

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胸に輝く名球会のエンプレム。

福浦も「重みを感じた」と語っている。

名球会ブレザー姿の福浦を見るに

ようやくたどり着いたんだなぁという気持ちが新たになる。

本来的には連盟表彰の方が重いものであるが

2000本、200勝はやはりこのブレザーである。

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このブレザーの授与には名球会会員が派遣され

ブレザーに袖を通させる役目を果たす。

一体誰が来るのだろうか。

これも注目していた点だった。

予想では同じロッテの有藤あたりか。2000本当日も解説であったし。

う〜ん村田兆治あたりが現れれば盛り上がるんだけどなぁ。

しかし、ブレザーを持って現れたのは予想に反して巨人の柴田勲。

今は名球会の副理事を務めているらしい。

赤い手袋で塁間を走り抜ける颯爽とした姿を覚えているが

しばらくぶりで見た彼の姿は

人の良い仕立て屋のおじさんのように見えた。

「福浦さんいかがですか・・・・。うん、よくお似合いですよ。」

そんな感じ。

ま、これはこれで福浦が引き立ってよかったのではないか。

やっぱり選手は現役が華だなぁと感じた一瞬でもあった。

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なんとなくホッコリしたのは

習志野市民栄誉賞。

習志野市長自らの登場で福浦の経歴を読み上げる。

習志野市立○☓小学校、習志野市立△□中学校、市立習志野高校。

そして、千葉ロッテマリーンズ。

スタンドからおお〜とため息が漏れる。そうか、本当に習志野一筋。

リアルフランチャイズ・プレイヤーである。

名球会に入るほどの選手では過去東京の王と名古屋の岩瀬しかいない。

3人目の男である。

習志野市役所にもカウントダウンの福メーターが設置されていたとのことである。

待ちに待った2000本。

改めて、福浦和也選手、千葉ロッテファンの皆様

本当におめでとう。

長かったね〜(笑)。

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