|
本宮大社
参道
一見 意外に映る 造形
近付いてみると 熊野のシンボル 八咫烏
短冊が 取り付けられているのは
88の南部鉄製 八咫烏風鈴
待てども 吹かない 風 あぁ残念
奥熊野の伝説
旧暦11月23日 山から月が
3つに分かれて 昇るという
三体月 の模様入
大社神門近くには 八咫烏の像 大きなのぼり
印象 異なる 神門の内 外
現在の社地内を 通る熊野古道
参道西側 本宮大社 移転以前の 旧参詣道
和み指数高い 先人たちが 往来した道
足裏から じんわり 霊験あらたか
|
和歌山walking
-
詳細
|
畏怖 感じる光景 ジオパーク
自然と時が生み出す 造形 とても かなわない
火山活動が活発だった 1500万年前
貫入したマグマが 冷え固まり 板状の石英斑岩に
次第に周りの 泥岩層が 侵食
岩脈だったものが 少しずつ 崩れ 今の光景になったのだそう
橋杭岩から 手前に 小さくなっている岩塊の形状からは
大津波の 痕跡が よみとれるという
紀伊半島自体が 隆起
過日 標高800mほどの 玉置神社参道で見た 説明板に
かつてここは 海だったと記されていたのが 蘇る
海岸に沿った 大辺路 海岸美 忘我のひととき
だけど まるでリズムのように
いくつも 目につく 津波の高さを記す 標識
少しの違いで その数字は 様々
それだけ 地形で 津波の大きさが 変わるということ
地殻変動は 太古に限ったことではないと 現実を突きつけられる
|
|
道標 休憩所としての 役割を果たした 熊野九十九王子には
含まれないけれど 南北朝期以降 熊野参詣や 西国巡礼の
宿場になった 高原の神社
1109年 藤原宗忠が 山中の水飲の狩屋で 宿泊した
1174年 藤原経房が 雨天のため 高原の小宅で 早めのランチ
1427年 足利義満の側室 北野殿が 石王兵衛の立派な家に宿泊・・
などの 記録が残っていると 説明板にあった
室町時代前期の様式を残す 春日造りの本殿
中辺路における 最古の神社建築
神社横の駐車場は 思わずここで一休みしたくなる 眺望
連なる山々の稜線の中に
過日 訪れた 果無集落の山脈も あり
地図で見ていた距離感が
リアルな 尺となって迫ってくるようです
|
|
上皇から庶民まで 詣でた 熊野 先人たちが 命懸けで目指した 魂宿る 大斎原
和泉式部も 藤原定家も 感涙したという 作家の心ゆさぶった地とは
如何なるところだったのでしょう
その空気を 確かめたい衝動が MAX
選んだ 紀伊路 中辺路からのアプローチ
三山を1日で回るには 地図上では 那智から北上して回るのが 効率的
だけど 迷いに迷って 向かった あえて効率的でない行程は
犠牲にした時間と 引き換えに 得られたモノの多さに
あとで 驚く
道中 いくつも立ち寄りたい 王子の位置を確認
一気に 地図が リアルに繋がりはじめた
いつも思うことだけれど 入念に調べて タイムスケジュール作っても
こういう散策は その縛りが ネックになることも多々で
感じる旅としての満足度は むしろ
その地に行かなければ 手に入らない フリーペーパーのような
地図・資料との出会いが
刺激的な発見に誘う 鍵になってくる
予期せぬ 自分の中の 化学反応との出会い
『無計画の 余白の部分』を残すことって 芸術の制作に限らず
散策も 共通していることなのだなぁ
3つの川の 合流地点というのは 何かあることが多い
熊野川 音無川 岩田川が 合流する 大きな中洲に建つ
収穫近い稲の 生々しい実りの香りが充満する路
日本一の 大鳥居 かつての聖地の跡
参詣者は 音無川の流れに入って 着物の裾を濡らして
詣でるのが しきたりだったそう
1889年の大洪水で 大部分を流失
自然には 抗えないと 聖地の移築を 決断するのは
大きなエネルギーが 必要だったことでしょう
当時の名残から 膨らませる想像の世界
今の本宮方向を 返り見る
|
|
明らかに 何かが 違う 奥の院への道
木々の 生命の鼓動が 聞こえてくるような・・・
人間が 自然と 融合していくような・・・
ただ 歩いているだけで 何とも言えない 清らかな空気に
五感が 研ぎ澄まされていくのを 感じる
昔の人って 今のような 交通手段が なかったのに
こういう場所を 確実に見つけて
神が 降りる聖地として 祀っているから 驚かされる
そして それが 何年も先の 現代でも 聖地として
受け継がれて 大切にされていることが 凄いと思う
静謐な 光景の 美しさ
新しい 建築物は 聖地に 不似合いだと 思っていたけれど
白亜だと 異なるから 不思議
聖なる 音が 梵鐘から 今にも 放たれるような 気分
ここに 籠もったら 心願成就できるのかな・・・ なーんて
凡人が 抱く 甘すぎる 夢
雪深いのは 大変だけれど ほどよい 雪は
不思議なほど 済んだ心持ちに してくれる
春を 目前に 冷気に 名残を感じる ひととき
自然の移ろいを 感じ 命の源泉となる自然と 対峙することの 愉しみは
生きていることを 強く実感する 瞬間でもある
|


