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天孫族の源流 NO.36

徐福伝承
さて、本題の徐福伝承に戻ろう。
  
斉の凋落により、中国は秦による一強国時代となる。秦は、名将・白起を使って諸国に苛烈な攻撃を加え、紀元前260年には長平の戦いで趙に大勝し、45万もの将兵を一纏めに殺した。
  ま
た紀元前256年に東周を滅ぼす。そして紀元前247年に政が秦王に即位する。のちの始皇帝である。
  政は紀元前228年に趙、同225年に魏、同223年に楚、同222年に燕、そして同221年
に斉を滅ぼし天下を統一。ここに戦国時代は終わりを告げ、中国史上初めての統一王朝が誕生する。
 
秦始皇帝がその時代に、蓬莱神仙を求め徐福を派遣したことが事実であり、その求めた先が、我が国である可能性があるのなら、ここは今少し掘り下げて見ておく必要があろう。

イメージ 1

ところで、中国の正史第一に数えられる「史記」は、中国前漢・武帝の時代に司馬遷によって編纂された。伝説上の五帝の一人黄帝(BC2510〜)から、前漢の武帝(BC141〜)までが記されており、紀元前91年頃に成立した。既述の通りである。
この「史記」の " 秦始皇本紀第六 " と " 淮南衡山列傳第五十八 " の中に、蓬莱神仙を求めた「徐福」のことがかなり詳しく記されているのである。
  以下に示す。
 
史記 卷六 秦始皇本紀第六 始皇帝二十八年・・・前219年(抜粋1)
  齊人徐市(じょふつ)等上書して言う。「海中に三神山有り。名を蓬莱(ほう らい)、方丈(ほう
  じょう)、瀛洲(えいしゅう)と曰う。僊人(せんじん =仙人)之に居す。請う齋戒を得て、童男女
  と之を求めんことを」。
  是に於て徐市を遣わし、童男女數千人を發(つか)わして、海に入りて僊人を求む。
 
史記 卷六 秦始皇本紀第六 始皇帝三十五年・・・前212年(抜粋2)
  徐市ら費(つい)え以って巨萬を計るも終に藥を得ず。徒(た)だ姦利と相い 告ぐるを日に聞く。

  ※筆者補足 
(始皇帝は、仙薬を探し出すことが出来ずに、逃亡したという方士徐市らの噂
  日々耳にし、大いに怒ったものの、徐市を罰する事はせず、逆に始皇帝の施策に異を
唱える諸
  生(学者)ら460余人を、禁令を犯したとして咸陽で穴埋めにしたとのこと)
 
史記 卷六 秦始皇本紀第六 始皇帝三十七年・・・前210年(抜粋3)
  方士徐市(じょふつ)ら海に入りて神藥を求む。數歳得ず。費(つい)え多し 譴(けん=譴責)を
  恐れ、すなわち詐(いつわ)りて曰く、「蓬莱の藥得べし 然れども常に大いなる鮫魚の苦しめる
  所と爲す。故に至るを得ず。願わくば善射を請いて與(とも)に倶(とも)せんことを。見れば則ち
  連弩を以って之を射ん」
と。
 
  始皇夢に海神と戰う。人の状の如し。占夢(せんむ=夢占いの博士)に問う。博士曰く、「水神は
  見るべからず、以って大魚・蛟龍を以って候(こう=きざし)と爲す。今、上は祠(とうし=祈祷と
  祭祀)を備え謹しむ。
  而(しか)る に此の惡神有り。當(まさ)に除き去るべし。而らば善神致るべし」と。
  
すなわち海に入る者に巨魚を捕うる具を齎(あた)えしめ、而(しか)して自ら連弩を以って大魚
  の出ずるを
候(うかが)い之を射る。

  瑯邪(ろうや)より北の榮成山(えいせいざん)に至る。見ず。之罘(しふ)に至る。巨魚を見て、
  一魚を射殺す。
 
  
※筆者補足 (始皇帝はその後巡遊の途上、黄河を遡った川港の平原津で病に倒れ、七月丙
  寅に河北沙丘平臺で崩じた)
                                                                                                                                          史記 卷百一十八 淮南衡山列傳 第五十八・・・前120年頃(抜粋)
  又、徐福をして海に入りて神異の物を求めしむ。還りて偽りの辭を爲して曰く「臣、海中の大神
  を見る。言いて曰く、『汝は西皇の使いか』と。
  臣答えて曰く、『然り』。『汝は何をか求むる』。曰く、『願わくは延年益壽の藥を請わん』と。

  
神曰く『汝が秦王の禮薄し。觀ることを得れども取ることを得ず』。即ち臣を從えて東南蓬山に至
  り芝成の宮闕を見る。使者有り、銅色にして龍形、光り上り天を照らす。是に於いて臣再拜して
  問いて曰く、『宜しく何を資して以って獻ずべき』。海神曰く、
『令名の男子、若しくは振女と百工
  の事を以ちて即ち之を得ん』と。
 
  秦の皇帝大いに説(よろこ)びて、振男女三千人を遣わし、之に五穀の種種と百工とを資して行
  かしむ。徐福、平原廣澤を得たり。止まり王となりて來たらず。
是に於いて百姓悲痛し相い思い
  て、亂を爲さんと欲する者、十家にして六。
 
 

  ※筆者補足 (史記の淮南衡山列伝第五十八では徐市は徐福として登場する。漢の武帝の時
  代に、淮南王が武帝への反乱を企てようとした時、部下が徐福の話を引き合いに出
して諌めた
  という。

  以下はその話の中にある。

  
「(始皇帝は騙されて)男女3千人と、彼らのために五穀の種と各種の道具を付けて遣わ した。
  徐福は平原・広沢(未開の豊かな土地)を得て王となり、留まって帰らなかった」)


 以上、【古代史獺祭(こだいしだっさい)】より引用
 HPhttp://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/index.htm                          
                                           【次回につづく】

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