太陽の国・日本とは『何かということ---』について、

・?現代を生きる日本人が見失った、美しい日本とは「何かということ」を考えています。

may,ブログ感じたままに

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]


*自然の法則とは、私たちと無関係に存在しているのでしょうか−−−?,

*自然は私たちと無関係に存在し得ないことを(量子論は---?、)示しているのですから。

・時間と空間にとどまった、目に見える現象から関係を見つけ出して行く。唯物論的な論理の枠組みによって世界を説明しょうとする行為自体に限界があるということに気がつかなければ−−−?

・この世界を生み出した創造力の背後にある原理と同じ原理が、人間の中に生きている。ということを理解することができないのだと思いますーーー。


宇宙と言う神秘的な働きの中にあって、


・宇宙の存在を在らしめている法則の中には、『一つの高度に美しい合理的秩序の表現者』とでも言うべき、「真理の体現者」。それ自体として存在する、ところの――[精神]の姿が現れている。と言う---、

その時の――、
・自然の法則に対する秩序ある調和の中に、自らを体現した存在の姿―ー{創造主}として、

宇宙の存在を表らしめられている。
*宇宙の一切のものは、すべて神の顕現あり、宇宙は神の国であり、神御自身である。

創造の場とでもいうべき――、
・宇宙の存在意識と結びついた――創造の原理によって、人は生かされている神の子としての、生命進化の道を進む――?。(感じたままに――http://blogs.yahoo.co.jp/tetueifukami/20915549.html
・生命の進化に応じた次元での学びの場が、宇宙の歴史にに関する因果関係の中で構築されているということなのかもしれません――。(http://oikaiwatachi.jp/guide.html

余談としてーーー
・モーゼが神の名を訪ねたとき?、
「『私は、ある。』という者である。」と、仰せられた。
と――、伝えられている。
その時のーー神の姿こそが、
「真理と共に在る――。」ところの、
「真理に目覚めた意識」として、
・宇宙の姿を創造された。
・「宇宙意識」
とでも言うべき、
・悟りの境地として存在する。ところの、
・仏教で教える――「如来の姿」なのです。)

 宇宙的愛と感情的な愛の違いは――?

私たちはキリスト意識(サナンダ様)の波動の世界からやってきました。皆さん方が感じているキリスト意識、人によっては抽象的で分からないという感じを持っているようです。
・確かに皆さん方の言葉や概念を調べた時、私たちを表現する適当な言葉がみつからないようです。私たちを表現する適当な日本語を探していくと、その人の仁、そして本質を認め、許し、いたわり、すべてを捧げる、こういった表現がみつけられてきます。

・元々、キリスト意識は神の現れの1つであり、神は皆さん方を神になるべく創り、そのために用意されていた波動でした。
・皆さん方が肉体的な形態をまとって成長し、進化し、人々との分かち合いの中で愛を身につけていく。いろんな愛を身に付け、生命を愛することを理解し、そして肉体をも超越するような素晴らしい段階になった時、このキリスト意識はその人にとても強い力となって現れてきます。

――他の人に身を尽くし捧げる、よく自己犠牲という言葉が使われます。
・自分を犠牲にして他人のために尽くす。自分を犠牲にするという表現をとった段階で不快感を持ち、自分が犠牲になっては元も子もなくなり、意味がなくなってしまう、そういう風に捉えられてしまいます。自己犠牲の愛、これは自分のエゴをなくすという意味であり、自分の存在をなくすという意味ではありません。

・自分のエゴをなくすという段階でほとんどの人が混乱し、自分自身がなくなってしまう、自分の存在すべてが否定されてしまうという感覚を持ってしまいます。自分のエゴをなくす、それが自己犠牲であり、また、その愛というのは、エゴからきた愛ではなく、相手に対する成長を願った愛、相手が少しでも愛に気付き、目覚め、愛のある人として生きていけるように自分も協力していく。

――愛の波動は、皆さん方が思っている以上に強いパワーを持っています。
・今の段階においては感情のエネルギーが強く感じられるために、どうしても感情をベースにしてエネルギー的な話をする人が多いようになってしまいます。しかし、愛のパワーを見つけ、愛にそれだけの強さがあることが分かると、感情のエネルギーを使わなくても愛だけで十分に強いパワーを発揮することができます。

・先ほど皆さん方がイエスの話を聞いていた時、そこに流れていた愛は皆さんにいろんな影響を与えていきました。一人ひとりそこから何かを感じていきました。それは感情的な愛ではありません。イエスそのものの持つ愛が皆さん方に流れていきました。皆さん方はそれを受け取り、それを感じて心で愛を実感しておりました。

・愛は感情を伴わなくても強いパワーを持っております。しかしもし、話をする段階で教えてやろうとか、得意になって話してやろうという気持ち、自分だけ分かっているという思いを持って話す時、愛は無くなってしまいます。本当に相手に伝えてみる、相手に教えてみる、そういう素直な気持ちで純粋に話している時、愛は素直に相手の心に響いていきます。

――感情を伴わない愛、多くの人にとって難しいという意見がありました。しかし感情が入るとどうしても見返り求めたり、それで良かったかどうかを心配したり、自分が嫌われなかったかどうか、いろんなことを思って反応を確かめてしまいます。もうその途端に愛ではないまったく別のエネルギーに変わってしまいます。

――感情を伴わない愛、それはちゃんと存在し、またパワーがあり、明確に理解できるものなのです。ここにいる多くの人も既にそういう愛を理解して使っている人はたくさんおります。ただ自分の意識の中でどこまでが感情で、どこまでが無償の愛なのかを理解していないために相手に対する思いをすべて感情として理解してしまう傾向があります。

自分の持っているエネルギーの使い方の中で感情を伴わない愛はいくらでも発揮されており、又実際に相手のために役立っているということ、その端的な例として、自分は何気ないごく普通の言葉として話したことが、相手にはとても参考になり、喜びを感じ、ありがたく思った、これは本人が理解していなくとも、立派な愛の表現になります。

・自分が何気ない言葉で相手が分かった、相手がヒントを得て、自分でいろんなことができるようになった。これもやはり愛の現れになります。自分は何もしていないと思うかもしれません。しかしインスピレーションや直感はハイヤーセルフやマスター、いろんな存在たちの思いを受け取って表現していることが多く、自分はそれだけそういう存在たちと純粋に繋がり、相手のために肉体を通して表現したという奉仕を行っております。これも立派な愛の現れです。

・皆さん方の家庭の中で親しい人、親子などの家庭において愛するという表現はやはり難しいかもしれません。親子という執着、兄弟という執着はいろんな面で顔をのぞかせるために、感情を伴わない愛というのはとても難しいかもしれません。しかし日本人は感情を伴わなくても十分に絆というレベルで繋がっております。

――時によっては、心を鬼にして子供に何かをさせたり、わざと強くなるように仕向けたり、いろんなことが行われております。中には親のエゴとして無理矢理いろんな習い事をさせたり、勉強を強いる人がいるかもしれません。でもその核の部分は、意外と愛である場合が多いのです。つまり核には愛があって、その人を成長させようという思いがありながらも、実際に行動に出る時に、感情的なものが回りを包み、エゴが動き、無理矢理いろんなものを強要させてしまう、いろんなことをさせてしまう、そういう状況に陥ってしまうのです。

・このように皆さん方の愛のある行為の核の部分には意外と神の愛、人間の愛が入っていて、それが表現を通る時、エゴが加わって、変化してしまう、こういう状況があります。したがって自分自身は、その種となっている本来の愛をいかにそのまま表現していくか、エゴや感情で膨らますことなく、いかに純粋なままで相手に対応していくか、これが大きな鍵になってくるでしょう。

――感情やエゴが入らないと満足できないという人がいます。相手に喜んでもらえないかもしれない、分かってくれない、自分は愛のつもりだけど相手が受け取ってくれない、こういう思いで何とかして感情で包み、感情を通して愛を広めようとする場合もあります。

これは、時と場合によっては確かに認められる場合もあります。親が頑なに拒否をする、友人が常に否定的に接してくる、そういった時に愛だけでいろんなことをやろうとしても、やはり始めのうちは難しいでしょう。先ず感情的なものを使って、感情のレベルでお互いが許せる状態を創ったり、なごむ場を創る、これはこれでとても良い反応と言えます。

――ただいつまでもその感情のレベルで留まり、エゴを表現するままでいると、残念ながら本当の愛は発揮されないまま終わってしまい、結局愛があるという口実だけが常に残り、実際の言動は感情とエゴからの現場ばかりになってしまいます。やはりそういう感情やエネルギーを使って接する場合、あくまでも手段として近づいていき、最終的には愛のエネルギーの交換が必要であること、最終的には本当の愛を表現すること、それが必要であるということを理解しておいてください。


 旧来の波動を一度、手放す――。

・私たちは、キリスト意識の別の波動としてお話をいたします。皆さん方の心の中には、今平安があり、また何らかの喜びがあり、私たちと繋がりやすい状態にあります。今心を本当にオープンにし、受け入れる状態にし、神を心の中に具現化させるようにしていくと、私たちの波動が皆さん方に入りやすくなっていきます。期待したり、心配や不安を持たずにそのままハートで私たちを受け入れる練習をしてみてください。

・私たちは皆さん方の心に今しっかりと入り込み、そして繋がりを創り、皆さん方が愛に対して前向きに、積極的に取り組んでいけるように仕組みを創っております。自分の行動の1つひとつ、あえて愛であるという風に決める必要はありません。ただ相手を思い、相手がより良く成長する方向へと自分が動いていく、そういう意識を持つだけで、愛は流れていきます。

・一人ひとりの心には、キリスト意識の波動がしっかりと出来上がってきて、人のために尽くす、分かち合いの中でエネルギーを正しくやり取りする、こういう波動が出来上がってきております。キリスト意識は、皆さん方にとってとても重要な波動になります。皆さん方は今進化の大きな流れにあり、新たなる進化を迎えようとしています。

――そのためには今の自分の概念や思い込み、その他いろんなものを一旦手放す必要があります。
・今まで身につけてきた概念、習慣的なこと、社会での生きるためにいろんな身につけてきたものを一旦手放す必要があるのです。
・そして、これまでの生き方とは別の新たなる生き方を見つけ――新しい観点で生きていく、そのためにはキリスト意識の波動がとても大きな役割を演じていきます。

――これまでの波動を一旦手放し、そして新しいものを受け取っていく。
・これがとても大切になるのです。自分の持っている光、自分の持っているキリスト意識、それによって自分が大きく、大きく進化していく。
・このキリスト意識の波動をしばらく自分と一体化させたまま、ワークを続けてみてください。それでは少し休憩を取ります。ありがとうございました。

――多くの人がこの場においてキリスト意識とシェアをしてくださったことに感謝を申します。
・それぞれ自分の心にはしっかり愛する気持ちがある、神と一体となっている波動があることを決して忘れないで、これからも大切に生きていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。

―或る方からのメッセージを書き記したものです。

http://oikaiwatachi.jp/guide.html


・『親鸞』の求めたものに・・・、寄せられたコメントからーーー。(http://blogs.yahoo.co.jp/tetueifukami/12109301.html

*経典風の教えではなく?ーー、
・自らのうちに湧きでてくる思いが大切なのだと私自身思っています。
――心の安らぎをえる霊感こそが天の神様の思いであり、神の存在であり、神は愛の源であるということを信じることなのだと思っていますーー。
・自分の心をみくびらず、自然に流れ入る思いを大切にして下さい。
2009/10/3(土) 午後 8:50[ 親らん ]

■■自らのうちに湧きでてくる思い……、
・想いが陶酔の中から、陶酔の外へ。親鸞への陶酔は、厳しいでしょうね。
言い易いことばが、こころを律するに至るのは、至難。三島由紀夫はその死によって、言葉を汚し、陶酔の悲劇を、ヒトのこころに落としました。信じることが、陶酔ではおぼつかない、言い易き言葉と、言い難きことばが、ヒトつになりません。
お寄りの折りは、お気に召すまま、コメントは、まったく自由です……丈司ユマ
2009/11/18(水) 午前 3:14[ georgeyuma ]

■■[ georgeyuma ]さんコメント有り難うございます。
*自らのうちに湧きでてくる思い―――。
・生理学的にいえば、心か、頭か、そのどちらからか出てくる徳性のことを言っているのです。
・頭から出てきた徳性(自我の愛)に裏ずけされた感情というものではなく。
・人間の行動が受けている因果的な拘束を認識し得る意識によって裏ずけされた感情から出てくる徳性のことを述べているのです。

――別な言い方をすれば、(・運命的なものとして現れてきた因果的な拘束を受け入れることのできる、義務観念に裏ずけされた、くもりのない思惟とでもいうべき――真我の目覚め  http://blogs.yahoo.co.jp/tetueifukami/20915549.htmlのことを言っているのです。)
・自我でもなく、無我でもなく、無私でもなく、・自然のあるがままの姿で、仏の手に身を委ねたとき−−−に、湧きでてくる思い。真我の目覚めとして・・・?、

■■又――、
・三島由紀夫については、同じ時代を生きたものとして、彼の死の意味について考査することは、私の人生における重要なテーマなのです。
と、いうのはーーー、
・三島氏が嫌っていたと言われる「人間失格」(生まれて、すいません――。)で有名な「太宰治」は――道徳的要綱によって存在せしめねば成らぬと教える。ところの、神は死んだと言う――その崩壊する価値と共に死ぬこと、
・あるいは――神の存在は信じていなかったとしても、その崩壊する価値のために自らを犠牲にすることを選んだ思想家であった?。
――しかし、その思想はニーチェや、ドストエフスキーにくらべてはるかに思想的に浅いものであった。

*太宰治と違って、三島由紀夫は――「輪廻転生」の世界観(・生まれ変わり=「それは、過去からの流れを背負った行為的責任に対する罪の証であり、現在の苦に関する命題を生起せしめている。」と教える。) ところの――、
・運命的なものとして現れている――因果的な拘束を受けている。人間の存在が、どう在らねばならないのか?、それを問いつずけてきた思想家であった。(「三島由紀夫」は――「輪廻転生」の書として有名な「豊饒の海」四部作を遺して旅立った。)
――彼の、死の意味について考えることは、私の人生において避けて通ることのできない問題なのです。
2010/3/8(月) 午前 4:20[ 親らん ]

.
『愛は地球を救うてほんとなのーー?、』


・博愛、友愛、愛欲、愛国、自我の愛----、というかたちで顕わされる『愛』について考える時――。

・『愛』という思いは何処から湧き出てくるのでしょうか?、


――例えば、(赤子の手をヒネルという言葉がありますが---,)
私たちは親の愛によって育てられて来た様に、『愛』があるからこそ生命は存在するのかもしれないという思いがしてくるのです。

・もしも、そうだとすれば――この世界を生み出した宇宙創造の背後にある。生命原理の源は『愛』なのかもしれませんーー?。

『イエス・キリスト』(サナンダ様)が、2000年前に愛と無抵抗の教えを説かれたように---。


・生命の本源に対する最終的な理念と結びついた。ところの――
・宇宙の法則の中には、一つの高度に美しい合理的秩序の表現者とでもいうべき、(=真理の体現者。それ自体として存在する,)――精神の姿が顕われているという。

その時の・自然の法則に対する秩序ある調和の中に、自らを体現した存在として――宇宙を創造された。

・宇宙意識とでもいうべき――、
・宇宙の存在意識と結びついた『真実の愛』を源とする――創造の原理によって、人は生かされている神の子としての、生命進化の道を進む――?。
・生命の進化に応じた次元での学びの場が、宇宙の歴史に関する因果関係の中で構築されているということなのかもしれません?――。

・(仏教的に云えば、「如来の本願力」とでもいうべき働きかけ---?,)
それを、そのように知る時――初めて人は救われるということなのかも知れませんね---。
                           (ぐとく・親鸞)

時の旅人よりーーー(感じたままにです***。)
http://atm159.blogspot.com/

全1ページ

[1]


.
親らん
親らん
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事