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どうもどうも手塚漫画ファンの皆様、お待たせしました。
手塚治虫 アシスタント編10 永島慎二氏
です。
通称 ダンさんと呼ばれていました。
ダンさんは昭和27年に「 さんしょのピリちゃん」でデビュー、のち「ひまわりキッド」
「三日月童子」「謎の白仮面」などを単行本発表しています。
この頃でしょうか、トキワ荘に出入りするようになり、、手塚先生の面識を得て、アシスタントとなり、のち独立して石川球太、杉村 篤氏たちと むさしのまんがプロダクション(ダルマプロ)を結成する。
ダルマプロを結成したものの、倒産寸前で手塚先生に借金にいっています。
そして昭和34年ダルマプロは多額の借金を抱え倒産にいたっています。
そののち、辰巳ヨシヒロ、さいとうたかを氏と交際し、さいとうプロダクションに入社し、作風が劇画調に変わっています。
昭和36年より描かれている漫画家残酷物語は出世作となっています。
この漫画家残酷物語からフーテンになるのですが、大川瀬さんがブログで紹介されていますので、トラックバックしてますので、そちらもご覧ください。
昭和39年虫プロ入社し、演出をされています。また手塚先生が忙しいので代筆もされています。
えーーーー長々と書きましたがさっそく
漫画の紹介をしていきます。
まずは・・・・・丹下左膳です。
前編は手塚先生が描かれていますが、
後編は永島氏が代筆しています。
えーーーー、ヤフオクからパクったので、こちらは、
後半は所持していないので、ご勘弁を。
次に ぼくの手塚治虫先生(少年サンデー増刊)というタイトルで永島氏が描かれているので、アップします。
今回は永島氏パート1です。次回はパート2で
また連載誌を探します。
では次回をお楽しみに・・・・・・・・・・
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「ぼくの手塚治虫先生」、私、読んでます!
手塚先生への尊敬の念がよく伝わって、素晴らしい作品だなと思いました。
永島慎二さんは、私が子供の頃は、マンガ少年に「少年期たち」を連載されていて、乾いたペーソスに、ちょっぴり涙ぐんだりしたものでした♪
2013/8/18(日) 午後 6:50
ユリアさん、こんばんわ。
コメントありがとうございます。
今ふーさんのマンガ少年は屋根裏に閉まってあって出すことが
できません。
少年期を連載していますか。
永島氏は劇画ですが、内容はけっこう好きなんです。
こんどパート2にて、代筆作品を紹介します。
ぜひご覧いただき、コメント頂ければ幸いです。
2013/8/18(日) 午後 7:10 [ ふーさん ]
フェイスブックにて、”いいね”を頂きありがとうございます。
これからもいい内容のブログを書いていきますので、
今後とも応援宜しくお願いします。
2013/8/18(日) 午後 7:13 [ ふーさん ]
ダンさん、好きですよ。
現在進行形の漫画は本人の生き方自体が
波乱でなければネタに詰まり描けなくなります。
意図とはしないカリスマ漫画の教祖に
持ち上げられての葛藤もあったようです。
後年の原作付き漫画は生活の為に
描いてるのが見え見えでした。
オット、爺さんの戯言ですよ〜。
余計な一言でした、大御所先生から
また嫌われる。ごめんなさ〜い。
2013/8/18(日) 午後 8:51 [ アトムの部屋 ]
アトムさん、こんばんわ。
COMやガロ時代に独特の画風で青年漫画の教祖となったようです。
それと最後の方は、半隠居生活だったようで、将棋の駒つくりを趣味にしていたようです。
ふーさんの隠居はどうなるのか、いやいや隠居なんて・・・・・
まだまだ・・・早いと言われそう!!!
もう少しがんばってみるか!!!
2013/8/18(日) 午後 9:39 [ ふーさん ]
永島慎二はトキワ荘には訪れていないように思います。訪れた話がどこにも出てこないのです。つげ義春は赤塚不二夫と付き合いがありましたから、この二人が混同されているように思うのですが。
講談社の手塚治虫全集第68巻の手塚治虫のあとがきによると、この「乾雲混竜の巻」はちょうど手塚が中国かぜ(当時の俗称)にかかり発熱し、永島慎二と鈴木光明の二人に主線をかいてもらった、しいていえば表紙と二色分だけが自分の作品と書いています。
2013/8/20(火) 午後 6:53 [ 大川瀬萬画倶楽部 ]
大川瀬さん、こんばんわ。
そうでしたか、それはすみません。
なんせ、ウィキぺディアとフーテンのみで書きましたので、
もう少し、全集の方も見ればよかったです。
どうも、ご指導ありがとうございます。
2013/8/20(火) 午後 7:08 [ ふーさん ]
scarecrowさん
”ナイス”を頂きありがとうございます。
これからも応援宜しくお願いします。
2014/5/12(月) 午前 0:44 [ ふーさん ]