2月03日(土曜)天候 晴れ 気温一時曇り 気温 12/0度 降水確率 10%
今日は午前中は穏やかないい天気です
今日は又節分の日
2月3日は節分。節分は立春の前日をさし、古くは立春を1年の始まりとしたため、 大晦日と同じように考えられていました。この日に丸かぶりをすると、その年は幸運が めぐってくると言い伝えられています。 ※「丸かぶり」とは、関西弁で丸かじりのこと※ のりまきのことを、関西では巻ずし、 関東ではのり巻と呼びます. トップに戻る. 恵方(え ほう)とは十干(じっかん)により、その年の幸運を招く方角のこと。歳徳神(としとくしん)の つかさどる方角とされています。恵方は毎年変わり、2018年は南南東の方角になります
余談が長くなりました(*´∀`*)
先日安芸の伊尾木洞へ行った後の行動です(;´Д`)
1月29日 AM 11:45
童謡 鯉のぼり
皆さん この曲今までに何度かは歌われた事あると思います
弘田龍太郎歌碑. 写真. 弘田龍太郎(1892〜1952). 大正・昭和期の作曲家弘田龍太郎 は、明治25(1892)年6月30日安芸郡土居村西木戸(現在の安芸市土居)に生まれる。 3歳の時に父の転任により千葉へ。その後、三重の中学校を卒業し、東京音楽学校(現 東京芸術大学)に入学する。 卒業と同時に、同校の助手を勤めますが、大正6(1917)年 、作曲部の新設にあわせて再入学。 その後、講師を経て、助教授となる。 本格的な作曲 活動は大正6(1917)年頃から。 童謡「浜千鳥」「雀の学校」「春よ
安芸は瓦の生産でも有名でこのように余った瓦を塀に使ったりしたようです
安芸市のシンボル「野良時計」. 家ごとに時計のなかった明治の中頃、土地の旧家で 地主であった畠中源馬氏が自分で時計組み立ての技術を身につけ、歯車から分銅まで 手づくりで作り上げた時計台
まだこのような蔵も残ってます
二宮尊徳
二宮尊徳、にのみや・たかのり、にのみや・そんとく。日本の農政家、思想家。幼名の「 二宮金次郎」の名で知られている。江戸時代、相模国(のちの神奈川県)に農民の子 として生まれる。5歳のとき大災害で一家の田畑を失う。14歳のとき父を、16歳のとき母 を失う。伯父の二宮万兵衛の家に身を寄せ、努力の末20歳で生家の再興に成功。 その後、小田原で武家奉公人としても働き、小田原藩家老服部家の財政再建を頼まれ、 成功させる。旗本宇津家の下野国(のちの栃木県)桜町領を任され、農業経営を行い 成功させる。
あちこちの学校や文学館などでこの銅像見られますね!
子供のこのような水道のポンプ使ったことありませんか?
私は使いました

叱られて 叱られて
あの子は町まで お使いに
この子は坊やを ねんねしな
夕べさみしい 村はずれ
コンときつねが なきゃせぬか
叱られて 叱られて
口には出さねど 眼になみだ
二人のお里は あの山を
越えてあなたの 花のむら
ほんに花見は いつのこと
何だか自分の小さい頃の事のように思います(´;ω;`)
登録有形文化財(建造物)
敷地の東南隅に建つ桁行3間,梁行2間規模の東西棟,切妻造,桟瓦葺2階建土蔵で,北面中央西寄りに入口を設ける。当地方特有の土佐漆喰塗壁に水切瓦を三段付け,東・南・西の三面に回す。敷地南辺のレンガ塀とともに特色ある背面景観をつくりだしている。
土居廓中・武家屋敷. 土居廓中. 安芸城跡. akijo03 安芸城跡は、市街地から約2㎞ほど 入った土居にあります。安芸城跡は安芸氏代々の居城跡で、ここに初めて城が築かれ たのは鎌倉時代の延慶元年(1308年)頃で、戦国時代末期まで安芸氏はここに居住し ていました。しかし、四国統一の軍を進める長宗我元親との合戦に敗れ、当時城主の 安芸国虎は自殺し、家臣は四散しました。 城は、東北に安芸川があり高さ50mほどの 小さな丘に築城され城内の広さは1.8ha程度
槍も二本置いてましたが槍の先の金属は太平洋戦争時没収されたようです

マンホールの蓋
石塀のブロック
ここが安芸城址です
禄十二年(1569)七月、安芸城は圧倒的な長宗我部軍に包囲された。敵に背後をつかれ、不覚をとりながらも安芸勢は城を打って出ては奮戦、籠城二十四日に及んだが、ついに城の東安芸川の対岸の岡より火矢を放たれ、城は炎上した。この間敵に内通するものあり。機をみて城の井戸に毒を投じ、長宗我部の陣に走った。為に城内の兵ら倒れる者多数、士気は著しく衰え、覚悟を決めた城主安芸国虎は、残された全将兵と領民の助命を条件に、自らは菩提寺である浄貞寺に入り自決した。以来、この毒井戸は、安芸落城を早めた原因の一つとして、今に語り伝えられている
岩崎弥太郎
もう説明は不要ですね!(*´∀`*)
弥太郎の曾祖父、弥次右衛門が建てた家で、当時の中農の標準的な家。土蔵の鬼瓦には、岩崎家の門「三階菱」がついている
ぱっと見て此れなんだと思いますか?
弥太郎はこれを日本国家とみなして何時も思いにふけってたようです
ここが我々凡人とは違います(*´∀`*)

三菱家の紋が付いてます
お昼は皆さんとホテルでちりめん丼を頂きました
とてもヘルシーな感じで美味しかったです
合計17名の研修の旅でした