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「難民受入先進国があまりにもデタラメ過ぎる件」三本シリーズの1部2部に続く完結編より前に、ちょっとわき道にそれます。

日本でも、非イスラム社会をイスラムに適合した社会に無理やり変革することを目指す「誰でもジハド」の下準備をしている人たちがいるようです。

まずは以下の記事をご覧ください。

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イスラム教の女性が頭に巻くヒジャーブを理由に「アルバイト不採用」は違法? - 弁護士ドットコム

www.bengo4.com
イスラム教の女性が頭に巻くヒジャーブ(写真はイメージです) イスラム教の女性が髪の毛を隠すため、頭に巻くスカーフ ...

イスラム教の女性が頭に巻くヒジャーブを理由に「アルバイト不採用」は違法? 

イスラム教の女性が髪の毛を隠すため、頭に巻くスカーフ(アラビア語で「ヒジャーブ」、インドネシア語で「ジルバブ」)。イスラムの聖典でも定められているものだが、東京で暮らすイスラムの女性たちが、ヒジャーブを身につけているために、アルバイトとして雇ってもらえないという。

女性たちの窮状を訴えたのは、インドネシアの日本語通訳、ムハマド・スルヤさん。10日1日付の朝日新聞投書欄で、「物価の高い東京に大勢のイスラム教徒が暮らしている。生活費を稼ぐために、彼女たちはアルバイトを探すが、どこも雇ってくれない」「私の娘もアルバイト先を探したが、どこも雇ってもらえなかった。その理由はジルバブを被っているから」と投書した。

ヒジャーブを頭に巻いたイスラム教徒の女性の雇用をめぐっては、米国でも裁判が起きている。2008年に洋服ブランドの「アバクロンビー&フィッチ(アバクロ)」の営業職に応募した女性が、同じくイスラム教のヒジャーブを着用していたために、採用を拒否された。女性は差別に当たるとして訴訟を起こし、米連邦最高裁は2015年、女性の訴えを認める判決を下した。

厚労省によると、日本で働く外国人は108万3769人(2016年10月現在)となり、100万人を超えている。4年連続で過去最高を更新。多様な文化を背景に持つ外国人労働者は増えており、イスラム教徒の女性たちの問題は看過できない。ヒジャーブを理由に雇用を拒否することは、国内では差別にならないのだろうか。自身もムスリムである林純子弁護士に聞いた。

●ヒジャーブ着用は信教の自由で保護された基本的人権

宗教的な服装を理由に、雇用を拒否することは可能?

「採用の過程において考慮される要素は多いため、不採用となった場合にその理由が本当にヒジャーブなのかという判断は容易ではない、ということを最初に指摘しておきたいと思います。その上で、仮に不採用の理由がヒジャーブであることが明らかだという前提でお答えします。

米国では人種差別を禁止する法律(公民権法)があり、その中で宗教を理由に雇用を拒否することが明確に禁止されています。ご紹介いただいた事案でも、この法律に違反するという判断がされました。

しかし、日本には採用段階における差別を禁止する法律は存在しません。そのため、不法行為や公序良俗など私法の一般条項の解釈適用を通じて、平等権・信教の自由・職業選択の自由など憲法上の権利(基本的人権)を間接的に適用することになります(最大判昭和48年12月12日三菱樹脂事件判決)。

過去の判例を見ますと、雇用者に契約締結の自由(採用の自由)を認め、どのような者を雇用するかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由に決定することができるとする1973年の最高裁判例があります(同上)。しかし、雇用者の採用の自由も、応募者の基本的人権を侵してまで認められるわけではありません」

ヒジャーブを理由にした雇用拒否は、基本的人権の侵害に当たる?

「ヒジャーブが理由の採用拒否は、『イスラームという宗教であるからの不採用ではなく、ヒジャーブという日本社会では珍しい服装をしているからの不採用であり、その応募者がヒジャーブを着用しなければ採用するのであるから宗教に基づく差別には当たらない』と考える人もいるかもしれません。

しかし、本人が宗教的行為の実践としてヒジャーブを着用している以上、ヒジャーブ着用は信教の自由で保護された基本的人権であり、ヒジャーブを理由とする採用拒否は宗教に基づく差別に当たると考えるべきです」

差別に当たるとしたら、どのような法的な問題がある?

「1973年の最高裁判判例が出されたのち、日本は1979年に国際人権B規約(自由権規約)を批准しましたが、この規約は宗教も含めたあらゆる理由による差別を禁止するという内容を含んでいます(26条)。

また、これまでの間に、厚生労働省や各自治体は就職差別を含めた様々な差別に対する啓発活動を行なっており、あらゆる差別を行なってはならないという共通認識が一定程度社会に醸成されました。一般的な雇用状況を見ても、上記判例が出された当時は日本人のみの終身雇用が大多数だったのが、44年を経て労働者も働き方も多様化しています。

これらのことからすると、ヒジャーブが理由の採用拒否は、現在においては、憲法・自由権規約の趣旨に照らして社会的に許容しうる限度を超えており、宗教に基づく差別として違法といえると思います(ただし、冒頭で指摘したとおり、実際に不採用の理由がヒジャーブであるということを立証するのは相当困難です)。

なお、すでに雇用関係にある場合には、労働基本法上、雇用者は労働者の信条等を理由に差別的取扱いをすることは許されません(3条)ので、ヒジャーブを理由とする解雇はできません」

もしも、差別による就職拒否に遭ってしまったら?

「宗教に基づく差別ということでここまで回答してきましたが、日本人ムスリムも増加しているとはいえ、現在でも日本に在住するムスリムの圧倒的多数が外国人であることを考えると、実際はヒジャーブによる差別は外国人差別と密接に関連しているということを指摘しておきたいと思います。

一方で、就職差別はヒジャーブに限られたものではなく、部落、アイヌ、琉球・沖縄の人々、障害者、外国人、LGBTQ、女性など、あらゆるマイノリティに対して行われる可能性がある差別です。

公正な採用選考のための採用基準は『職務遂行上必要な適性・能力を持っているか』であり、適性・能力以外の事項を考慮すべきではありません。ヒジャーブによる採用拒否だけでなく、あらゆる差別的理由による採用拒否を許さないという姿勢を、社会で広く共有することが重要だと思います。

もし自分がヒジャーブや他の差別的理由による採用拒否にあった場合には、就職差別は一般的に証拠が残りにくく、争いにくいものですので容易ではないとは思いますが、採用拒否の理由がヒジャーブや差別的理由であったことを示すような証拠をできるだけ集めるようにしてください。その上で、地方自治体やハローワークの相談窓口、あるいは労働組合や支援団体などに連絡をしてください」

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回答した林弁護士。

ムスリムに対して「これってムスリム差別ですか?」って聞くって・・これってコント?(爆)絶対「差別だ」って答えるに決まってる!

もう、読んでいて途中で大笑いしてしまいました。

「ヒジャーブを理由に雇用を拒否することは、国内では差別にならないのだろうか。自身もムスリムである林純子弁護士に聞いた。」

→なんでムスリム差別問題をムスリムに聞くかなぁ。1000%、「差別だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」と答えるに決まってるじゃないですか。だって自分も当事者なんですから。これで法的に正確な回答が来るなんて考えるほうがどうかしています。

(案の定林弁護士は、持論を裏づけする判例を最後まで出すことができていません。仕方がないので国連憲章を使って、あやふやな形で牽強付会の結論を出しており、客観性もクソもありません。これは法律相談への回答ではなくプロパガンダ活動と言っていいでしょう。)

ありていの話、雇用主が不採用を決定しても、そもそも不採用通知書に理由なんか書きません。だから、厳密な話をすれば、「どこも雇ってもらえなかった。その理由はジルバブを被っているから」というのも、裏づけのないイイカゲンな話なのです。

いずれにせよ、この相談者がどうしても日本の雇用主に雇って欲しければ答えは単純です。

人材としての魅力を磨けばいいのです。

基本的な事実ですが、日本の雇用主は不当なムスリム差別や外国人差別などいっさいしていません。

むしろ逆に、解体工や建設作業員などを中心に、南アジア・中東系外国人労働者の雇用は急速に増加していると見受けられます。(また、筆者は、コンビニエンスストアでさえも、アラブまたは南アジア系と思われる肌の浅黒い青年が働いているのを見たこともあります。)

なお、ムスリムではありませんが、筆者の知り合いで、スーパーの惣菜加工場やパン屋で一生懸命働いているブラジル人ママさんやフィリピン人ママさんたちが何人もいます。彼女らも決して日本語はうまくありませんが、日本人にしてみれば肌の浅黒い外国人が何人であろうが見分けはつきませんから、インドネシア人であろうが、能力と態度が同等であれば、差別なんて起こりえないのです。

それでも、もしヒジャブを被ったムスリマが雇われないとしたら、そこには合理的な事情があるのです。

例えば、採用現場の様子を想像してみましょう。

あなたはスーパーの惣菜部長か、野菜加工工場の職長だとします。アルバイト2人の枠に応募者が3人来ました。

応募者A ブラジル人ママ:日本語やや難あり。人柄は明るい。一生懸命やりますと言っている。

応募者B フィリピン人ママ:日本語やや難あり。人柄は明るい。一生懸命やりますと言っている。

応募者C インドネシア人ママ:日本語やや難あり。人柄は明るい。一生懸命やりますと言っている。でも、ヒジャブだけは何があっても絶対外したくないとの希望。

あなたはこう考えるかも知れません。

「ウチは衛生規程上制帽着用が決められてるけど、ヒジャブはちょっとそれにひっかかりそうだな。でもコンプラ部門や品質管理部門に問い合わせるのも面倒だし・・・」

「かといって現場の独断で服装規程変えるのも後で問題になったとき困るしな・・・・ま、無難なとこでAさんとBさんで決まりか。」

これは差別でしょうか?いや、企業としての合理的な判断ではないでしょうか?

現場には現場の事情があるのです。それを、国連なんじゃらをタテに無理やり雇えといっても無理な話。経済的合理性がないのにもかかわらず会社全体の規程を変えろという話になりかねません。

だから、ムスリム女性も、もし仕事が欲しければ、雇用者にとって、他の応募者に比べ抜きん出た魅力となる要素、たとえば言語能力、資格、技能などを磨くべきです。

もしそれができないというなら他の、非ムスリム外国人女性たちと同じような服装でもって応募するしかないのです。

その努力をせずに、「差別だ!」というのは、差別を糾弾しているのではなく、「人材として雇うメリットがなかろうが、ヒジャブをかぶったムスリマを雇え!」と、特別待遇を強要しようとしているのです。

ムスリマ弁護士天下の暴論「アタシたちを雇わないのは基本的人権の侵害だ!」

それにしてもこの弁護士さんのおっしゃることは、企業の採用活動を知らないものすごい暴論です。

「ヒジャーブ着用は信教の自由で保護された基本的人権」

そのとおりです、そして日本では、ヒジャブを被ってはいけないという法律はありません。だから、ムスリマの信教の自由は完全に保護されています。

「ヒジャーブを理由とする採用拒否は宗教に基づく差別に当たる」

そして、ここで論理が著しく飛躍するのです。

まず第一に、誰を採用し、誰を採用しないかは、雇用主に判断する権限があります。

世の求職者たちの多くは、できるだけ雇用主に気に入られるように、と考えて、映りのいい写真を選んで履歴書を作成し、さえないキャリアでもよく見えるよう職歴書を書き、服装を整え、問答を入念に頭の中でリハーサルしてから面接に望みます。

普段やんちゃな格好をしていた大学生の若者たちでさえ、就職の前になるととたんに髪を黒く染めたりピアスを外したりするのはこのためです。茶髪にするのもピアスも基本的人権であるにもかかわらず、採用の可能性を少しでも増すためにあえてそうしているのです。

こんなの、就職活動した経験のある人たちの中では常識中の常識!です。(笑)

だから、そのような努力を頑なに拒みつつ、「不採用は差別だ」と喚くのは到底道理にかなわないことですし、それならば「この人にぜひ来て欲しい」と思わせるような、魅力を磨けばいいだけの話です。

しつこいようですが、(解体や建築の現場を中心に活躍の場が広がりつつあるムスリム男性たちと違って)現状ムスリマたちがなかなか就職できていないのだとしたら、その理由は「人材としての魅力がない」これに尽きます。

日本の雇用主たちは、切迫した人手不足と向き合いつつも、解雇がさほど簡単にはいかない現行の法制度を念頭に、「この人を雇ったらリスクがあるかどうか」「この人と今後ずっと職場で顔付き合わせるのはどういう感じか」といったことを長期的に考えながら採用活動をしているのです。

履歴書の要件も特段問題がない、真面目にやりますと言っている、でも顔が、服装がなんとなく気に入らないから不採用なんてよくあることでしょう?

その最たるものが、大企業の受付嬢といった職種です。多くの場合あからさまに、本人の適性と能力とは全く関係のないところにおいて採用基準が「偏って」いるのが見てとれます。

これを「差別だからやめろ」というのはいくらなんでも無理スジです。受付嬢や社長秘書に「ハリセンボン枠」「森三中枠」(失礼!)を設けろという話になりかねません。

採用プロセスがあからさまにハラスメントとかプライバシー侵害をしていない限り、どのような面接結果であろうと、雇用主が持つニーズと、応募者が提示するものがかみ合わなかったのだととらえるしかありません。

いわば、それが、市場原理に則った経済活動の結果なのです。

だから、就職面接の時点で、「私はムスリマです。このヒジャブはいついかなるどんなときでも脱ぎませんからそのおつもりで」といった応募者が来たとき、

別段他にはない資格能力があるとかではない限り、

たとえ服装規程のない会社でも、面接官が「この人、なんか融通利かなそうだな。こっちの指示に反発したり、職場の中まで宗教を押し通しそうな雰囲気がする。」と思って採用を見合わせるかも知れません。

それは、総合的に他の候補者たちと比較してメリットとデメリットを勘案して判断しただけの話なのです。

それでも雇ってほしければ、資格でも何でも何か光るものを身につけるしかありません。それが現実というものです。

金を出すのは雇用主なのですから、雇用市場の状況に照らして個々の雇用主の判断で決めるべきなのです!

それなのに、この弁護士ときたら、国連なんじゃらをタテに、経済活動の自由をガン無視して、雇用主や人事担当者の内心の領域まで強制的にコントロールしようとしているわけです。

「差別をあおり、差別を糧に生きる」左翼渦巻く弁護士業界

「雇用者の採用の自由も、応募者の基本的人権を侵してまで認められるわけではありません」

これは、いろんな労働局のHPなんかでも、よく雇用主への呼びかけとして使われるフレーズですが、考えてみれば本当に不思議な理屈です。

「雇用者が、応募者を雇わなかったから基本的人権の侵害になった場合」というのがあるのでしょうか?

そりゃまあ、過去には出身地を無理に調べたうえで「どこどこ出身だから不採用」なんて不条理なこともあったのでしょう。

でも、現在の採用慣行では「聞いてはいけない項目」というのが決まっています。だから雇用主は提出された書類と入社試験の結果と面接の印象で決めるしかありません。

それなのに、応募者自身がわざわざ異質な服装で写真を提出し、面接に来ているのです。別に出身地や宗教を根堀り葉堀り聞かなくたって、自分から「私は他とは違います!」とヘンな自己アピールをしているのですから、面接官が「うーん?この人って一体?」となるのは当然のことです。

いっぽう、そもそもの話をすれば、人権の侵害は、一方が他方の生活に不当に干渉したり、当然に与えられるべき便宜を奪い去ったり、契約の成立等により関係の継続が期待されるのにそれを裏切るといったことでしか生じません。

そこへいくと、応募者と雇用者との関係は、雇用契約にさえまだ入っていない段階で、いわばたまたまとおりすがっただけの赤の他人です。

いったいそれでどうやって相手の基本的人権を侵害するんでしょうか?

それとも、人には、雇用主がどう思うかにかかわらず「当然に雇われる権利」などというものがあるのでしょうか?

ましてや、無理な質問をするわけでもなく、興信所を雇ってプライバシーを侵害するわけでもなく、ただ面接の結果静かに「今回のご応募につきましては、慎重に選考の結果、まことに残念ながら貴意に添えない結果となりました」と通知し、

たんなる「雇用関係の可能性に関する両者の話し合い」をお流れにすることの、どこが基本的人権の侵害なのでしょうか?

応募者にもまた、他の雇用者のところに行く自由があります。ヤな面接官にあたったと思ったら、席を蹴って退出し、別の募集に応募すればいいのです。そして上記で指摘したように、雇用主に「来て欲しい」と思わせるような資格を取ったり、あるいは話術を磨けばいいのです。

なのに、自分は他の応募者より秀でる努力もしないで「アタシを雇わないのは基本的人権の侵害だ!」なんて話がどこをどうすれば通用するのか、本当に理解に苦しみます。

さすがは左翼渦巻く弁護士業界としかいいようがありません!

この弁護士にそそのかされて、「私はヒジャブを理由とした差別で不採用になった!」と訴訟を起こすムスリマが次々出てきたらどうなるでしょうか。

多分、書類選考で写真を見ただけでパス、というケースがもっと増えるでしょう。社会一般で、「ムスリム→面倒くさい」、関わるだけでも大変だという認識が広まり、ムスリムへの風当たりはますます強くなるのではないでしょうか。

そう、そして、それこそがこういった活動家たちの狙いと見受けられるのです。

自分で火を起こし、自らが差別されるように仕向け、その次に「差別だ!」と声高に叫び、「差別解消」の名のもと、特別待遇を得るべく社会改革を要求する。

差別されるようなことをやりつつ、そのやっていることが無理やりにでも社会全体から受け入れられるまで活動を続けるのです。

この手法はどの差別業界でも共通といわれているようですが、在日ムスリムの世界でもどうやら「ムスリム利権」を画策する人たちがいるようですね。

最後に蛇足ですが一言。

「物価の高い東京に大勢のイスラム教徒が暮らしている。」

ならば、物価が安い、暮らしやすい国に一刻も早く帰るべきです。

彼らがそうしないのはなぜでしょうか?

すなわち、「母国よりも日本で割のいい仕事にありつきたいから」という意図を疑われてもしかたないでしょう。
イギリスで、また、またテロです。

不法入国者や難民にだれかれかまわず現金、宿泊施設、食事を与え、人権に最大限配慮する人権大国がいったいどうしてこうなるのでしょうか。

3日夜、バンに乗った三人の容疑者たちがロンドン橋で通行人に突っ込み、数人をはねたあと、Borough Market という場所に乗りつけ、それぞれが車を降りてナイフなどの武器を手に通行人たちを襲撃したもよう。

容疑者たちは三人とも駆けつけた警察に射殺されましたが、7名が死亡、48名が負傷するという惨事となりました。

そしてイスラム国が犯行声明を発表。


また、腹から背中までにかけて深い刺傷を負った23歳男性被害者の母親は、「息子がバーから出てきたとたん、彼(テロリスト)が走ってきて、『これは私の家族のため』『これはイスラムのため』と言って息子を刺した。」と証言。


以前のウェストミンスター橋の事件のときのように、警察は容疑者たちの氏名をなかなか公表してくれませんが、少なくともその一人について若干の素性がわかる情報が出てきています。


容疑者の一人は、パキスタンからの難民申請者を両親にもつ者と報じられています。(他のニュースと総合すると、どうやら幼い時にパキスタンから連れてこられたようです。)

このテロリストの以前の友人は、彼がYouTubeでAhmad Musa Jibrilというアメリカの過激派教師のビデオを見て過激化したとして、当局に通報したとのことです。しかし、過激化していく彼の思想の証拠にも関わらず当局はなんらの対応もしなかったとのこと。

近所に住むイタリア人の3児の母親は、2年前、この容疑者が公園で子供たちを「洗脳」していたのを発見、警察に通報したことがあるとのことです。

また、このテロ攻撃に関連して、警察は容疑者居住先の捜索で既に12人(女性4名を含む)を逮捕したとのこと。


「犯人は難民申請者(あるいはその子弟)」「当局は知っていた」というパターンの繰り返しということになりそうです・・・

6/6追記。
容疑者3人のうち2人の身元が発表されました。


Khuram Shazad Butt および Rachid Redouane。

Butt容疑者はパキスタン生まれのイギリス人。警察と諜報機関MI5は彼をよく知っていたが週末のテロ攻撃の計画についての情報は何もなかったとのこと。

ロンドン交通局で短期間働いたあと、ロンドン地下鉄で顧客対応係の研修生を6ヶ月経験。(←訂正します。ロンドン交通局で短期間就労。具体的には、ロンドン地下鉄の顧客対応係の研修生を6ヶ月やっていたとのことです。)

Redouane容疑者はRachid Elkhdarという名前も使っており、モロッコ人またはリビア人を自称していたとのこと。

3人目の容疑者も身元は判明していますが、まだ氏名は発表されていません。

6/6再追記
3人目の身元も発表されました。

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 【ロンドン共同】ロンドン警視庁は6日、ロンドン中心部で3日夜起きたテロの3人目の実行犯について、ロンドン東部在住のモロッコ系イタリア人、ユセフ・ザグバ容疑者(22)と明らかにし、顔写真を公表した。これで射殺された実行犯3人全員の身元が判明した。ザグバ容疑者は警察や情報局保安部(MI5)の捜査や監視の対象ではなかったとしている。

 イタリア紙コリエレ・デラ・セラ(電子版)によるとザグバ容疑者はロンドンの飲食店で働いていた。昨年3月、イタリア北部ボローニャの空港からトルコ経由でシリアへ渡航しようとしてイタリア当局に拘束された。

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Youssef Zaghbaの写真. これで3人が出そろいました。

欧米で宗教戦が始まる

テロ、テロ、またテロの欧州

もはやブログを書くことがテロに追いつきません。

4/3、ロシアのサンクトペテルブルグの地下鉄で爆破テロ、10人以上が死亡。キルギス出身の犯人はイスラム過激主義への傾倒が疑われる

4/7、スウェーデンのストックホルムで盗まれたトラックが群衆に突っ込み4人が死亡。ウズベキスタン人の犯人は、スウェーデン入国後ISへの参加のためシリア渡航を図っていた。難民申請を却下され、強制送還予定だったが姿をくらませた上での凶行。(←事件に至る経緯がベルリンテロと全くおなじ。他国の例から学習するという気がないのか?)


4/11、ドイツでは、サッカーチームのドルトムントの選手バスを狙った爆破テロ、選手一名が手首骨折の重傷、今シーズンは絶望との声も。その他警備のバイク警官も負傷。犯行現場には犯行声明と思われる手紙があり、ドイツによるIS空爆などにも言及。イスラム主義者と目される容疑者2人を当局が拘束。

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4/22追記:

ドルトムントの爆破はイスラム過激派テロではなく、ロシアとの二重国籍の人物による株価操作を狙った犯行だったようです。訂正いたします。


・・とはいっても、今度はパリで警官を狙った自動小銃テロが発生。

仕事もあるし、もう追っていくだけで精いっぱいです!

追記終わり

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ロンドンのウェストミンスターのテロ事件のとき、同様の未遂・軽傷事件がイタリアとベルギーでも1件づつあったと、ある読者さんにコメント欄でお知らせしたことがあり、後々調べて掲載しようと思っていたのですが、もう更新のノロい拙ブログではおちおちまとめさえできないようなペースで同様のテロが発生しています。

これが最終戦争なのではない

ところで、筆者は「よもぎねこの書かれるものを、ブログのみならず、Facebook投稿もよく拝見していますが、その中に

「これはテロの最終戦争ではありません。 今後はテロじゃなくて本物の宗教戦が始まります。」

との記述がありました。

・・・これに120%同感です。

テロリストはジハド推進の嚆矢に過ぎないのです。

ISやテロリストの数はムスリム全体にくらべれば「一握り」だ、というのは事実です。

でも、その「一握り」の下に、多数のムスリム群衆がおり、ありとあらゆる合法、非合法な手段を使ったジハドを実行して異教徒を屈服させるべく控えているのです。

そちらのほうにも、もっと注目すべきです。

学校では、ムスリム多数のクラスで非ムスリムの生徒や教師を苛める。一方で、ムスリム少数のクラスでは「被害者」面を過剰に強調し、「イスラモフォビア対策」のため非ムスリム生徒に「イスラムは平和」というプロパガンダを詰め込む(左側の界隈が強力にバックアップしているところがうかがわれ、嘆かわしい限りです。)

酷い場合は、児童に無理やり「シャハーダ(信仰告白)」を唱えさせるケースさえあります・・・(←パキスタンとかエジプトでなくって米国メリーランド州の学校の事例。)

街頭では道路を占拠して礼拝し、これでもかとばかり自らの土地であることを誇示するとともに「シャーリアパトロール」をうろつかせてイスラム法を執行する。


政治の世界では、イスラムへの一切の批判を非合法とする法律の成立をめざし奮闘努力。カナダでは、まだ拘束力はないものの「イスラモフォビア」的言動を禁ずる法律が可決されたほか、オーストラリアではムスリム女性国会議員がムスリムへの悪口を犯罪とする法律を提唱しています。

これらも、「ジハド」です。「ジハド」は、本来自動小銃も爆発物も不要で、イスラム教徒であれば誰でもできるのです。

イスラム改革を起こさせるためには

たまに、「イスラムには宗教改革が必要だ」ということを述べる方がいます。

これは重要なことです。しかし非ムスリムがイスラムの教えについて何か言ったところで、ムスリム自身が動くことはないでしょう。彼らにとって異教徒は(多くの場合)「唯一の正しい神を礼拝しない愚か者」に過ぎないのですから、馬耳東風そのものにしかなりません。

それよりもイスラムの問題点を公共の場でガンガン議論し、精神的に圧迫することが必要だと思います。

「平和の宗教」プロパガンダに沿った話はもうやめて、イスラムによる言論の自由の弾圧、女性抑圧、「勧善懲悪」に名を借りた暴力の問題などを広く議論すべきなのです。

当然、主にムスリムたちからは「それは被害妄想だ」「イスラモフォビアが〜」うんぬん聞こえてくるでしょうが、もはやそれに真剣に耳を貸す人たちは少数派になっていくでしょう。(左側の界隈は別ですが(爆))

左側の界隈はともかくとして、結局のところイスラムが脅威だと思っていても、怖いから、よくわからないから、とりあえず当面のところ波風立てず平和でいたいから、何も言わないだけ、という人が圧倒的に多いのではないかと思量します。

イスラムに問題点があるということを粘り強く主張しつづければ、それに内心だけでも賛同する人は増えていくのではないでしょうか。

幸いな事に日本は欧州や米国、オーストラリア、カナダほどのイスラム侵略はまだ受けていません。

そうならないうちに、できる限り議論を盛り上げるべきです。そうでなければ、イスラムを批判した途端「殺害予告」→怖くて撤回、あるいは本人は隠れざるをえなくなり二度と公の場に出られない、そんな事態になりかねません。(これがオランダ。)

そして、思い切って言いますが、今のうちにイスラムそのものをカルト指定一歩手前にする・・・というか、これは「明確に危険性を帯びた集団である」ことを政府が公に認識する必要があるのではないかと思います。

そこまでの圧力がなければ、イスラム教の内部から改革の機運は出てこないのではないか、と思うのです。

イスラム研究家の池内恵氏の資料によれば、かつてのインドやエジプトでは、イギリスとの軍事衝突でムスリムたちがことごとく敗北していく現実を前にして「ジハド回避論」が唱えられたことがあったということです。

近代ジハード論の系譜学(イスラムの歴史と神学に興味のある方にはお勧めです↑)

実質的に「私たちは実力による『ジハド』を捨てます」「礼拝とか巡礼などができればそれでいいです」と言い出す者たちがいたらしいのです。

これと同様に、

「イスラムは、聖典の中からジハドに関する部分を切り捨て、礼拝(それも勤務時間・授業時間外でね!)と慈善活動にのみ重きをおく儀礼宗教に変容しなければ、この国では生き残っていけないのでは?」

そんな深刻な危機感をムスリムたちに与える必要があるのでは、と真剣に思います。

イスラムはもともと、「恐怖に基づいた服従」が根本にあるものですから、それを西洋世俗社会に適応させるにあたって、「愛」「寛容」は意味をなさないものと考えます・・・!
3/24追記あり。犯人の身元が発表されました。詳細は投稿の中ほどにあります。

昨日イギリス・ロンドンの国会議事堂近くでテロ攻撃が発生し4人が死亡、40名ほどが負傷しました。

まず、ウェストミンスター橋に自動車が突っ込み通行人をはね、次いでその運転手は国会のフェンスに車を衝突させた後構内に入り込み警官1名を刺殺。犯人は他の警官に撃たれその後死亡しました。

当局は、イスラム過激主義の影響を受けたテロを疑っているとのこと。

犯人確保直後の画像です。


当初、犯人と目される人物として過激イスラム説教師Abu Izzadeen師の名前
が挙がりましたが、親族および弁護士によると、Izzadeen師は刑務所におり、今回のテロの犯人ではないとのこと。

当局は犯人の身元は把握していると言いつつもまだ公表していません。今回の事件に関連し既に6箇所で強制捜査が行われ数名が逮捕されており、メイ首相によれば容疑者は以前から警察と諜報機関に知られていた、というのに、実に奇妙です。詳報を待ちたいと思います。

3/24追記:

犯人はイギリス生まれの Khalid Masood、52歳 (本名 Adrian Elms)と発表されました。多くの犯罪歴を持つ人物ではありましたがそれにテロの実行は含まれておらず、当局の現行の捜査では対象となっていなかったとのこと。

「暴力的過激主義」の疑いがある、とされ、10年ほど前に一旦は捜査対象になりながら、脅威ではないとして結局は対象から外されたというのです。

ISIS (ISIL)は、今回の事件について「[対ISIS]連合のメンバー国の市民を狙うようにという呼びかけに応じたものだ」と発表しています。


追記終わり。

・・・ともあれ、時々、リベラルな思想を持っている人と話していると驚かされることがあります。

あるとき、「トランプのようにムスリム移民を制限したら、ますますテロを引き起こすから無意味だ」なんてひともいました。

なるほど、ムスリムを怒らせたらテロに走るから、でき~るだけ、でき~るだけ、怒らせないよう、刺激しないよう、そぉ〜っとそぉ〜っと扱ってあげないといけないんですね。

・・・ってちょっとまった!

イギリスって、世界でも有数なムスリム移民フレンドリーな先進国じゃなかった?

だって「ロンドン市長がムスリム」なんですよ?

そいで、各街区にムスリムが「自治区」を形成して「ここは俺たちの国だ」なんて言ってるんですよ?

しかも、「紛争と貧困にまみれた第三世界 (ってことはほとんどがムスリムマジョリティの国ね) から来たナンミンでぇ〜す」って言えば、不法入国者は誰でも、ホテルにタダで泊まれて、小遣い貰えて、リムジンで送り迎えしてもらえるんですよ?


自国民を文字通りの人身御供にして、これだけ身も心もムスリム様に尽くしてあげてるのに、なんでテロなんか起きるんでしょう?

だれか教えて!
キズル・カーン氏「迫害に対して声を挙げよ」

中日新聞というのを見ていたらおったまげました。

米国次期大統領トランプ氏の選挙キャンペーンの途上でトランプ氏との確執を演じて有名になった、戦没ムスリム米軍将校の父親キズル・カーン氏。以前拙稿「穏健派ムスリム 」とは一体何者なのか(8)」で取り上げさせてもらったことがあります。

そのカーン氏がこの中日新聞でインタビューを受けていたのです。

その内容。

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「米国第一」を掲げるトランプ氏が米大統領に就任する二〇一七年、世界の先行きは見えない。人びとの不安が排除や分断の動きを強める恐れもある。不安の解決に必要なのは社会の包容力だ。苦しむ人びとを包み込み、苦境から脱出させる社会へ。包容社会を目指す人びとに聞く。

    ◇

 私はイスラム教徒の米国人で、息子(米陸軍大尉)はイラクで戦死した。トランプ氏が出馬表明した一五年、「全てのイスラム教徒の身元調査をする」と述べ、宗教や移民に差別的な発言をするのに対し「憲法違反だ」とメディアにコメントした。それが注目されて、一六年夏の米民主党大会に招かれ、演説で「トランプよ、憲法を読んだことがあるか」と突きつけた。合衆国憲法は宗教や人種による差別を禁じ、国民全員の平等を約束している。

 今年、トランプ大統領の四年の任期が始まる。とても懸念している。だが、われわれには声を上げる力がある。

 いま、イスラム教徒や移民らの子どもたちが学校で悩んでいる。「僕らは捨てられるのではないか」と。その心配を表にも出せないでいる。だからこそ、言葉にしてあげなければいけない。「大丈夫だ」と。「そんな不平等な扱いはさせない」と言って抱き締めるのだ。

 私たちは恐怖を利用する人々に対して、「それは違う、憲法違反だ」と語り続けなければいけない。

 私は党大会を機に各国での講演が増えたが、英国でもイタリアでもフランスでも「恐れ」が燃え盛っていると感じる。移民への恐れ、経済格差への恐れ。何も知らないことへの恐れ。いまは恐れの時代だ。

 この恐怖を利用し、巧みに操って商売や自身の成功に結びつけようとする動きが各国である。中道的な思想は追いやられ、人々は幅広い結び付きよりも拒絶を選び、極端に右傾化している。人々を結ぶ橋よりも、壁をつくる方が好まれてしまうのはこのためだ。だが現代の私たちは、世界で相互に依存しあい、助け合いながら生きている。壁ではなく、両岸から互いに橋を渡し合わないといけない。

    ◇

 私は学生時代、パキスタンの大学で法律を学び、欧米各国の憲法を読み比べた。中でも米合衆国憲法の修正第一四条には心から感動した。民主主義とは何か、民主主義は何を人々にもたらすのかが書いてある。

 私が米国に移り住もうと考えたのは、このようにすばらしい憲法を持つ国だからだ。私はいつも胸ポケットに合衆国憲法の冊子を持ち歩き、会話した人々に冊子を配っている。党大会でも、トランプ氏が憲法を読んだことがないのなら喜んで貸そうと話した。

 私がなぜ憲法を、市民権を定めた修正第一四条を愛しているか。その答えは、実際に条文を読み上げることでお伝えしたい。

 『合衆国で生まれ、または合衆国に帰化し、かつ合衆国の管轄に服する者は、合衆国の市民である』

 『いかなる州も、法の適正な手続きなしに、何人の生命、自由または財産を奪ってはならない。いかなる州も、合衆国市民に対し平等な保護を否定してはならない』

 私は欧米各国の憲法を読んだが、どこの国もここまでは書いていない。市民の平等と尊厳を認め、かつそれを守ろうとする強い意志の表れだ。もしわれわれが不当な扱いを受けたら、オバマ大統領を訴えることもできる。私が声を上げることを、誰も止める権利はないのだ。

 その米国で、トランプ氏が大統領に選ばれた。私が各地で講演すると必ず、「彼の思想を受け入れることはできない。どう対処すればいいのか」と聞かれる。

 答えは二つだ。一つは声を上げること。私は自分が信じる憲法の大切さと、よって立つ信条に基づいて、発言を続ける。声を上げなければ自分たちが望まぬ方向に物事が動いてしまう。

 二つ目は、声を組織化し、抗議をすること。デモに参加するのもいい。権力者に対してデモは非常に効果的だ。米国であれば、ホワイトハウス前で抗議活動をするのもいい。声と抗議。私も実践していく。それは非常に効果的で、市民社会にとって必要だ。

 いま、米国や欧州で燃え盛る移民への恐怖、経済格差への恐怖は、振り子のように右へ右へと向かっている。中道の時代は終わり、極端な移民排斥を訴え、多文化主義を否定する「オルト・ライト(alternative rightの略=オルタナ右翼)」運動が巻き起こっている。

 だが、このような極端な思想はいずれ失敗に終わる。世界は相互に依存しているからだ。私たちは昔よりも互いに密接になっている。生活でも貿易でも、あらゆる場で世界とつながっている。このような世界で、壁をつくってはならない。

 無言と中立は、迫害者を助けるだけだ。そして沈黙は苦痛を招く。何を信じるのか、自分のよって立つ考えを話すことが大切なのだ。沈黙ではなく、みなさんも声を上げてほしい。

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息子さんを亡くされたのは気の毒ですが・・・・でもあるときは合衆国憲法を振りかざし別のときにはイスラム法を振りかざすのはどうなんでしょう。

なにしろ、メディアが伝えるところによると、カーン氏は以前、「イスラムにおいて『人権』とは夫が妻を殴る権利を含む」としたイスラム学者の意見を賞賛しているのです。

さらに、自身がサウジアラビア留学中に書いた論文で「イスラム法の不変の基本的規則はシャーリアに定められたものだけである。」「他の全ての法的作業は常にシャーリアの下位に置かれなければならない。」「コーランは、そこから合法性の概念そのもの、そしてあらゆる法的義務が派生する、絶対的権威である」などと主張しています。

これらを勘案すると、上記のインタビューは呆れるを通り越して笑うしかありません。

カーン氏の信念がこれらの執筆の時点から変っていないならば、カーン氏にとって「正義」や「人権」とは、コーランが規定するそれであって西洋諸国が規定するものとは全く違います。

後で説明しますが、イスラムを批判する者を弾圧し、異教徒を屈服させ税を払わせ、公共の場での宗教の実践をやめさせ、全てにおいてムスリムに従いムスリムに譲歩するようにさせる、というのがイスラム的な「正義」です。

これは言ってみれば、アメリカの自由を破壊したいと最も願う勢力の一人が、そのアメリカの自由を利用して、自由を破壊する勢力から自分の国の自由を守ろうとするアメリカ人たちを名指しして「お前たちはアメリカの自由を奪っている」と攻撃しているのです。

カーン氏が絶賛するシャーリア法は、オルト・ライトなどよりはるかに危険なものです。それは極端な非ムスリム排斥・差別を訴え、世俗社会のもとにおける複数の宗教の共存を否定するからです。

ちなみに、氏の故郷パキスタンでムスリムによる異教徒への迫害に向かって「声を上げた」人たちはどうなっているか?イスラムを「侮辱」したというかどで告発され、悪くすると有罪判決を受けます。いや、裁判を受けられた人はまだ幸運だったのかも知れません。多くは、そのまま群集にリンチされ命を落します。

カーン氏はそういった現状について何か意見はないのでしょうか?

ともあれ、氏の愛する合衆国憲法は「宗教や人種による差別を禁じ」ているそうです。

そうですか、それならば、イスラム教徒の特別待遇と、非ムスリムへの強烈な差別を規定するシャーリア法は米国において徹底的に禁止されなければなりません。(実際に、そのような法制への努力も今いくつかの州でなされているようですから、筆者にとっては楽しみなことです。)

カーン氏が米国憲法を愛しているというなら、シャーリア法への憧れは今後綺麗さっぱり捨て去らなければなりません。

それだけではなく、イスラムやコーラン、預言者ムハンマドへの痛烈な侮辱も、言論の自由の一部として甘んじて受けられるようでなければ合衆国憲法を愛しているとは到底いえないでしょう。

二枚舌はすぐバレますよ、お父さん

折りしも、昨年夏CNNのインタビューでカーン氏は「シャーリア法などというものは存在しない」と嘯いていたようです。


筆者は本気で思いますが、誰かカーン氏に対して、氏の手になる論文のコピーをつきつけたうえでこれらについて今はどう思っているかインタビューしてほしいものです。

今はネットの時代ですから、ちょうどトランプ氏の過去の発言が全て精査されたように、カーン氏の過去に書いたものも全て精査できるからです。

以下のものをよく読めば、カーン氏の言う「合衆国憲法への愛」がどういうものなのか、よくわかるというものです。

まずはそのカーン氏が書いた「Human Rights in Islam」というセミナーで基調演説をしたイスラム学者・Brohi博士への賛辞を訳してみました。

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世界的注目の中心にある人権に対する見解は、学者たちの間に人権の歴史的発展を探求する必要を作り出した。ムスリム世界は、この歴史的発展に貢献してきた。International Commission of Juristsおよびクウェート大学、そしてクウェートのアラブ弁護士連盟により組織されたこの時宜を得たセミナーは、イスラムにおける人権についてムスリムと非ムスリムによってたびたび尋ねられる質問の多くに答えてくれる。法学者は、人権の最も重要な目的である正義を代表するため、セミナーにおける法学者の参加は重要である。またこのセミナーは、International Commission of Juristsがアフリカ、アジア、および他のムスリムが人口の中で多くを占める地域で行ってきた人権に関する努力の範囲を検証する。

イスラムにおける人権は、二つの部により構成される。第一部は、このセミナーにおける目的、狙い、結論および勧告を説明。セミナーの目的は、特定の国における人権の状況に触れたり、ムスリムと西洋世界の対話を誘発するものではない。むしろ、本セミナーはムスリムにとって重要な人権の問題について討論するためのフォーラムである。International Commission of Juristsの事務総長であるNiall MacDermotは、ムスリムと西洋人の間にある、人権の概念に対するアプローチの違いについてコメントしている。彼は、「多くの結論や原則は同じだが、これらは違う経路を辿っている。経済的、社会的、および文化的権利と、古典的市民権・参政権の間の西洋的な二分法はあなたたち[ムスリム]には存在しない。」イスラムにおける人権は、人間は地において神を代表しているという前提に基づいている。「全ての人権は、単一の全体の一部であって、私達が同胞である男女に対して持つ義務を含み、あるいはおそらくそこから派生している。全ての人間は、神への奉仕に専心するコミュニティの中に、そしてそれを通してなされる各人の自己実現と達成という概念のもと連帯している。」

第二部は、セミナーの開講にあたっての演説と提示された論文の概要を含んでいる。この本には、セミナーのハイライトしか含まれていない。さらに詳細な学習のためには、アラビア語でかかれ、ほどなく他の言語にも翻訳されるであろうセミナー報告書完全版を読むことができる。イスラムにおける人権で提示された結論と勧告は、ムスリム諸国およびムスリム少数派のいる国々においては特に興味の対象となり、関連性がある。セミナーの結論の一つは、「とても残念なことに、現代のイスラムの実践は真のイスラムの原則の多くの側面に合致しているとは言えない、ということである。さらに、ある政治システムとイスラム法の矛盾を前にして、その政治システムを正当化しようと試みることでイスラムを乱用するのは間違っている。」このセミナーは勧告の部分においてこれらの国々を「イスラム諸国」と呼んではいるが、これらの国々の政治的、社会的、および経済的構造を見、またイスラムがイスラム国家に要求する事項を認知すれば、誰でも、これらの国々全てが「イスラム国家」として知られるには不足していることを見出す。もっと適切に言うなら、これらは「ムスリム諸国」と呼ばれるべきである。「イスラム国家」と「ムスリム国家」はムスリム学者の間で大きな不一致を起こす用語であり、イスラム学者たちやムスリム諸国でイスラムが実践されていると考える者達の思考の中に起きる混乱の原因となりうるものである。

パキスタンの前司法・宗教担当相であったDr. A.K. Brohiの基調演説は、この本の太鼓判と言うべきものである。この演説はイスラムにおける「正しい」と「正義」の概念を、キリスト教・ユダヤ教的概念との対比において説明することに成功している。Brohi博士は、いかなる種類の権利に対して保証が付与されるにも先立って、道徳価値体系の確立を説得的に論じている。彼の論点を描くために、彼は「抽象的な概念としての人権など存在しない。人の人権について意味のある議論をする前にまず、我々はある社会的小宇宙の中に彼を置き、彼をある経済・政治的および社会文化的条件という背景を通して見なければならない。」と言っている。イスラムが人類のために成した貢献についてさらにコメントし、Brohi博士は「しかし、この悪魔的な時代においては、実に多くの対抗始動勢力がその頭をもたげ、悪の勢力と戦おうとする試み、我々証人が生命のハーモニーと戦争状態にあると見られていることが、シニカルな反応を呼び起こしている・・・これを背景に、イスラムが1400年前に成した貢献は、人間が人間の価値を損ずることがないようにとの天与の配剤の表れと見ることができる。」と述べる。

Khizr Muazzam Khan

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で、このカーン氏が賞賛するBrohi博士の基調演説の内容もちゃんとネットで読めます。


とても長いのでこちらは訳しませんが、ようは、正義とか人権とかいった概念はすべて神(当然彼らの場合アラー。間違っても他の何かではありませんのでご注意を。)から出てくる、という内容です。

そして、イスラムの特徴は「正義を実践し不正に抗うところにある」とも。

ただ、手短に言えば、彼らが正義やら何やら言う場合には、それはアラーがムハンマドを通して人類にお与えたもうたコーランに定められる正義です。

それは我々が考えるようなものとは全く違います。この根本的食い違いに気づかないと、「イスラムは正義や人権を重んずるのだ」と言われて「ほお素晴らしい宗教ですね」という幸せだが致命的な?勘違いをするひとを永遠に量産し続けることになります。

その一例をBrohi博士の演説から引用しましょう。

「お前はお前の妻たちに対し権利を持ち彼らはお前に対し権利を持つ。お前は、彼らがお前の寝床を汚すことのないようにし、また公然と思いやりに欠けた振る舞いをすることのないようにする権利を持つ。もし彼らがそうしたら、神はお前が彼らを別の部屋に入れ、彼らを打つことをお許しになる、ただし、酷くない程度に。彼らがもしこれらのことをやめたなら、彼らは、彼らの物品や衣類を親切さとともに受ける権利を持つ。」

(p53:強調筆者。)

ちなみにこれは「預言者ムハンマドの生涯」からの引用。(コーランにもそっくりな節があります。)

伝記や聖典にあるとおり、「妻が従わないならこれを『打つ』」のがイスラム的には「正義」であり、人権なのです。我々の考える正義とは全く似ても似つかないものです。

これを賞賛するカーン氏が同じ口で合衆国憲法を愛しているからアメリカに移住したと言うのはなんともバカバカしいほどの二枚舌です。

しかも、「シャーリアなど存在しない」と嘯く当のカーン氏自身もシャーリアに関するゴリッパな論文をお書きになっているのです。

カーン氏が「そんなものはない」とのたもうた「シャーリア」という言葉はこの論文の第3ページに早速出てきます。しかも4回も。しかも4回目は「The Shari'ah Explained」なんてタイトルになってます。(その後に続くページでも計3回出てきます。)

ははは、お父さんってば、シャーリアを詳しく説明できるほどの専門家だったのに、アメリカに渡ったとたん都合よく健忘症にかかったんでしょうかね。いや、インタビュアーが来た瞬間かな?

ともあれ、以前拙稿でも触れましたが、イスラムにおいて「平等」などとうたっているのはあくまで「ムスリム同士の平等」であって、ムスリムと非ムスリムの間の平等という概念はありません。

ですので、イスラム法において非ムスリムにはムスリムと同じレベルにおける人としての権利は認められていません

カーン氏の論文にあるとおり、預言者ムハンマドはコーランを完成させ(とはいっても文書にまとめたのは後代の人たちですが)、後継者アブバクルおよびウマルはそれぞれ、コーランおよびスンナ(慣行)を注意深くたどり、また自分の先代がどのような裁きを下したかを参考にイスラム共同体の政治および司法を執り行いました。

ムハンマドは、異教徒を武力で屈服させ収穫の50%を上納させたり、戦闘で降伏した異教徒の男性全員の首を刎ね女性たちを性奴隷にしたりする慣行を確立しました。(「屈服させ納税させる」「首を刎ねよ」「性奴隷」はちゃんとコーランにも出てきます。)

そして、ウマルは支配地域を統治するために、「ウマル憲章」において、新しい教会を建ててはならない、異教徒は公共の場で宗教を実践してはならない、異教徒はムスリム女性と恋愛したり結婚してはならない、異教徒は常にムスリムに席を譲る、といったこまごまとした規定を樹立。

さらに歴代の学者たちが「異教徒がジズヤ税を納める時は四つんばいになって平手打ちをうけ、それをムスリムが見物する」といった定めを立てた時代もありました。

そして、これらのイスラム法をまとめた10-11世紀ごろの「統治の諸規則」(The Ordinances of Government)という本には、異教徒はコーランを貶してはいけない、イスラムを一切批判してはならない、ムスリム女性に近づいてはいけない、ムスリムが不快になるもの、たとえば十字架やワインなど、を見せてはならない、馬に乗ってはいけない、などの定めもきちんと整理され分類されるようになりました。

さらに後世で14世紀ごろの本「リライアンス・オブ・トラベラー」によれば、イスラムについて禁じられたことを言ったりムスリム女性と恋仲になるなどの禁忌事項を破った異教徒は死刑か奴隷にすることができると記しています。

イスラムの聖典コーランおよび慣行に立脚した意味での「法」や「正義」はこういう内容です。

そして、もっと重要なことに、こういった規定は今でも世界各地のムスリムの心の中に生きているのです。

だから、ムスリムが多数派の社会では異教徒が少しでもイスラムを批判すると凄まじい規模の抗議や暴動が起き、「コーランを侮辱した」といってはリンチ殺人が発生し、ムスリム女性と異教徒男性が恋仲になると女性か、男性か、あるいはその両方に危害が加えられ、それどころか西洋社会にわざわざ移民したムスリムたちが「十字架がそこらにあると気分が害される」と文句をつけるのです。

カーン氏が「コーランは、そこから合法性の概念そのもの、そしてあらゆる法的義務が派生する、絶対的権威である」とお書きになっているとおり、コーランに反してはどんな「正義」も「人権」も存在し得ないのです。イスラム的には。

中日新聞はなんともおめでたいものです。来るべきトランプ政権のもと迫害におびえる?ムスリムや少数派を「声をあげよ」と勇気付けるカーン氏を人権擁護のヒーローとして取り上げたつもりなのでしょうが・・・。

コーランこそがムスリムにも、そして非ムスリムにも適用される絶対的な正義であると考えるカーン氏が合衆国憲法のいう「自由」を愛しているとしたらその理由はひとつしかありません。

それは、自由のある国では、「コーランこそが絶対正義であるという思想をムスリム非ムスリム含む全ての人に強要するべきである」というファシスト的イデオロギーを持つこともまた「自由」だと強弁できるからです。

彼らが「自由」を愛するのはそれが理由なのです。他人の自由を奪うための「自由」が欲しいだけなのです。

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