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第64回 日本民藝協会全国大会が富山県南砺市城端で行われ参加してきました。
【民芸の現代的意義を問う】 をコンセプトに
富山県知事 石井隆一氏
立教大大学院教授 内山 節氏 <基調講演>
多摩美術大学教授 中沢 新一氏 <基調講演>
人物 [編集]
父は市議会議員、共産党員で在野の民俗学者でもある中沢厚。中沢家は曾祖父の徳兵衛が甲府・日下部教会を中心にキリスト教の布教を行いつつ民俗研究を行った山中共古とともに受洗し、自身も民俗研究も行っている。祖父の中沢毅一は徳兵衛とともに受洗した飯島信明の娘を妻とし、同様にキリスト教徒で一高教授を務めた生物学者。叔父にあたる中沢護人は共産党員で活動する一方で民俗研究も行い、父の厚らは護人の影響で共産党員となっている[1]。
略歴 [編集]東京大学大学院人文科学研究科へ入学後、ネパールに渡りチベット仏教のニンマ(古)派の修行を経験[2]。帰国後、ネパールでの経験を元に1983年『チベットのモーツァルト』(せりか書房)を発表し、いわゆるチベット『死者の書』を紹介した(『三万年の死の教え―チベット『死者の書』の世界』角川書店)[3]。『チベットのモーツァルト』は、同年浅田彰が出した『構造と力−記号論を超えて−』と並んで注目され、ニュー・アカデミズムブームの一翼を担った。
1988年(昭和63)、当時東京大学教養学部教授の職にあった西部邁により、同学部社会科学科助教授に推薦されるも教授会で異例の否決となった。西部は教授会に抗議して辞任。いわゆる東大駒場騒動、中沢事件などと報道されて話題となった。
オウム真理教に宗教学の立場から取り組み、教団を擁護する立場で発言をしていたが[4]、地下鉄サリン事件が同教団の組織的犯行であることが発覚するとメディアから批判を受け、地下鉄サリン事件についてのコメントについても批判を受けた[5]。島田裕巳[6]、苫米地英人[7]などが中沢を批判する著作を発表している。
略年譜 [編集] 柳宗悦研究家 イ・スンヒョン氏
となみ民藝協会長 太田 浩史氏
司会 ジャーナリスト 千秋 健氏
の方々のシンポジュウムも行われ、
<無限の可能性ある運動>という見出しで北日本新聞にその模様が2面にわたる紙面で紹介された。
日本民芸館
兵庫県民藝協会
余談でありますが、庄川の夜高祭りを見る事が出来ました。
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民藝
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