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 巷では読書は意味が無い、ただ量をこなしても意味が無いと言う方が居ます。
 それが年100冊以上読む方が言う分には説得力があると考えられます。
 しかし一方で本を全く読まない人達がそういうことを言っていたりします。
 なのでそういう読書に理解の無い方達を無視できるように、自分に言い聞かせてることを言語化しようと思いました。

 ちなみに読書に理解の無い方達への説得、反論ではありません。
 そういう方々にこちらの言い分を言い聞かせたところで、理解されるはずはありませんから。
 なので無視する方向で行きます。
 場合分けで3つほど書いてみました。
 ではどうぞ。

1、
読書しない人「本(特に自己啓発系)はキャリアポ○ノ。ただ興奮するだけで意味が無い」

自分「興奮するということは、気持ちが高ぶっている証拠。気持ちの高ぶらない読書ほど意味がないものはないよ?」

 キャリアポ○ノとは「キャリアポ○ノは人生の無駄だ」の著者・谷本真由美さんが作った言葉です。
 ポ○ノはいわゆる興奮させる意味合いで使われますから、本(特に自己啓発系)を読んで興奮することをキャリアポ○ノと呼んでいるわけです。
 ちなみに読書しない人はキャリアポ○ノという言葉は知らないでしょう。
 しかし大体似たようなことを言ってきたりしますから割と困ります。
 それではなぜ、たとえキャリアポ○ノであろうとも読書を止める理由にならないかを説明します。
 
・読書に感情はつきもの。感情の無い読書にこそ意味は無い。
・なぜなら読書の楽しみは感情が沸き上がることにこそあるから。
・加えて、感情が高ぶった読書ほど本の内容を覚えているものである。
・本の内容を覚えるということは、自分の中に知識を蓄える行為である。
・蓄えた知識はアイデアに繋がる。
・また興奮するだけの読書にも意味はある。
・なぜならそういう楽しい時間を本から頂けたから。
・それ以上に本から期待したいものでもあるのだろうか?
・少なくとも自分は本を楽しむ以上の期待はしない。
・よって読書を止めないのである。

2、
読書しない人「本を読んでも、出来る人間にはならない。根拠の無い自信がつくだけ」

自分「根拠の無い自信? 大いに結構。 自信の無い奴にこそ何が出来るの?」

 これもたまに聞きます。
 特に「自分のこともまともに出来てないのに、本を読んでも出来るわけないよね」という心無い言葉を言う人がいます。
 そういう人はぜひ無視して読書していきたいものです。
 と言うわけで、これも適当に説明してみます。

・本を読むだけでは何もできないのは事実である。
・しかし自信も無いと、何もできないのである。
・ちなみに自信というのは、本来行動をしていないと手に入らないものである。
・つまり本から手に入るものは偽物の自信である。
・偽物の自信は本物に比べて、効果の高さも持続する期間も劣化している。
・とはいえ自信には違いないので、自分の中の恐怖や迷いを一時的に抑える効果はある。
・なのでたとえ偽物でも効果はあるのである。
・その偽物の自信でも何かしらの行動を起こす起爆剤になるのであれば、その価値は高いと言える。
・よって読書を止めないのである。

3、
読書しない人「本を読んでも、行動(アウトプット)せずに満足だけしちゃ意味が無い」 
 
自分「満足? 読書なんて究極の自己満足よ? その娯楽を奪う権利があなたにあるの?」

 本をよく読みますっていうと、たまにそんなに読んでも行動に繋がってなかったら意味がないよねぇっていう人がいます。
 そういう人ってすごくスポーティでアクティブだったりして、すごく出来る人って感じがします。
 なので部屋に籠って読書してることをちょくちょく馬鹿にしてくるわけですが、こちらとしては大きなお世話といった感じです。
 なのでこういう人は無視して良い理由も書きます。

・読書は楽しいから読書するのである。
・言わば読書は娯楽の一種である。
・なので読書から知識を得る、行動に移す、というのは二の次である。
・また読書は他人に影響を与える行為ではない。
・読書は自分の中で処理する行為である。
・なので読書は自己満足の世界である。
・自己満足の世界に他人の評価は必要ない。
・なぜなら自分は既に満足しているのだから、今更他人の手などいらないのである。
・また読書の知識から行動に移せなくても気に病む必要は無い。
・なぜならそれは今の自分のレベルに合ってないか、アウトプットに失敗したということ。
・アウトプットに失敗したということが認識出来れば、次の手を打てばいい。
・そして次の手はまた読書から探しても良い。
・本は無限にある。
・自分に合った本は必ずある。
・よって読書を止めないのである。


 というわけで、本も読まないうちから読書を否定する人達を無視して、それでも読書を楽しもうという話でした。
 にしても、なぜ読書に意味が無い論は読書は必要論よりも目立つのでしょう?
 そこが最近気になります。


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 本には駄作があります。でも駄作だからといってバカには出来ない理由があります。その理由を大まかに3つ載せました。それではどうぞ。


1、駄作は記憶に残る

・良作の逆は駄作ではない。
・良作の逆は、記憶にならない本のことである。
・記憶に残らない本はそもそも認識されないので、そもそも存在しないことになる。
・駄作は記憶に残る。
・なぜ記憶に残るのか?
・それは駄作には大抵、自分の考えを否定するような場合と、考えが全く合わない場合があるから。
・全く合わないとは、こちらの読むリズムを崩されることである。
・リズムを崩されると、人は不快感を感じて記憶に残りやすくなる。
・その記憶は次に読む本の内容と照らし合わせる1つの視点として残る。
・それは読書を楽しませるスパイスになることがある。

2、駄作は反面教師的な部分がある

・自分の今の幸せにおいて、駄作はその真逆のことを言っていたりする。
・そのため読んでいるときは、不快だったりする。
・不快なときは、自分がなぜこんな本を読んでいるのか、疑問に感じたりする。
・でもそのことを自覚することによって、自分がどれだけ幸せな方向に向いてるのか分かるときがある。
・そのうち、そのことを教えてくれた駄作はもう1つの幸せの本であることを知り、感謝するようになる。
・感謝するようになると、駄作であっても、自分の行動の指針を決める1つの道しるべに出来ることが分かるようなり、さらに感謝するようになる。

3、駄作からもアウトプットは出来る

・駄作には自分の記憶に残させる程のパワーがある。
・なので駄作からも何かしら学んでいる。
・毎日うまくいかない日々に明け暮れて、打つ手が無いなと思った時、試しに駄作に載ってるやり方をやっ
てみることがある。
・大抵は駄作の方法もうまくいかない。
・しかしごくたまに駄作から学んだことが別の成果に導くことがある。
・駄作には自分とはまったく合わないアプローチ方法が乗っている訳だから、当然の結果である。
・さらに駄作の中のアプローチ方法は、自分の中でブレーキを掛けていた部分を取り去る場合もある。
・なので駄作によってそのブレーキが外されて、行動の幅が広がることがある。
・よって駄作もバカに出来ないことがある。
・駄作を読んでいて「本当かよ? いや俺にはあわねぇわ」とか思うことはあっても、真正面からバカにしないことが大事になってくる
・結果、駄作を読むことは決して無駄ではないと考えるようになる。


 ということで、駄作をバカにできない理由でした。もし駄作や不快な本に出会っても、それもまた幸運な出会いと考えましょう。駄作もまたあなたの読書を豊かにする隠し味になります。


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 成功はしていませんが、自分はなんとか行動に移せました。
 ただ、そこに至るまでに自分も読書にハマり、行動出来ない時期がありました。
 その自分なりに感じた大まか理由を3つほど書き、中身を小さくメモしたものを載せました。
 それではどうぞ。

『読書でハマる理由』

1、完璧主義に陥る

・読書は知識の宝庫で、世界の全てが書かれてるかのような錯覚に陥る。
・全て知れば、戦略も立てられて、うまくいく道筋が見えるような考えが浮かぶ。
・ところが本の内容は全て過去の内容である。
・なので常に未来に向かう今は本の中身よりも全然変化していたりする。
・しかし完璧主義なあなたは、未来の内容まで本から知ろうとてるので、いつまでも戦略を立てられない。
・しかも完璧主義ゆえに、いつまでたっても行動出来ない自分が許せなくなり、そんなことなら行動しなくて良いやと諦めて、行動を止めてしまう。

2、知識が自身を押しつぶしてくる

・読書で知識の吸収が一段落して、よし行けそうだと思って少し行動を起こそうと考えたとする。
・でも今まで何1つ行動を起こさなかった人にとって、行動を起こすということ自体がすごく大変な作業である。
・加えて知識を溜めこんだおかげで、やらなければならない(と、思いこんでいる)行動の数が瞬時に分かってしまう。
・すると、その行動量が余りに膨大に見えてしまうので、怖気づいて簡単に行動出来なくなる。
・「それでも1歩踏み出せれば」と思うかもしれないが、一歩踏み出したところで、すぐにうまくいかないことを自覚し、落ち込む。
・うまくいかないと、自分が間違ったことをしてると考えてしまう。
・そこでまた自分がやらなければならない(と、思いこんでいる)行動の数を見直すことになり、更に落ち込むことになる。
・結果、知識が自身を押しつぶし、行動を阻害する。

3、知識が自分を支えると考えている

・知識が自分を動かす原動力と考えている。
・実際は自分が行動するのに必要なのは、強い意思か低い意思でも始められることを探すことである。
・でも知識全能説を信じている自分は、知識さえあれば動けると信じている。
・でも知識はあくまで自分の行動の先を示す程度のものでしかなく、自分の背中を押す力は無い。
・なので知識によって自信満々の目と表情を浮かべてるのに、まったく足が動かないといったことが起きる。
・しかも本人はその自覚が無く、なぜ行動出来ないのか自問自答し始める。
・さらに知識は脳内でも陳腐化を始めるので、だんだんと知識から得た自信が失われていく。
・そのうち自信満々の目と表情に力が無くなり、気分が落ち込むようになり、行動しようとする気持ちも失われる。


 以上です。
 次は、そこから抜け出した大まかな方法(自分なりの)を3つ書きます。

『読書のハマりから抜け出す方法』

1、知識を全て捨てる

・知識を付ければ付けるほど、自分を責める材料が増えていく。
・自分を責めると、人は動かなくなる。
・その理由は、人は心で行動をするから。
・自分を責めるということは、心を傷つけるということ。
・体中が傷ついた人が自ら立ちあがって歩くことが出来るだろうか?
・人によっては、立ち上がるどころか手足1つ動かせないだろう。
・心も一緒である。傷ついた心では人は動かない。
・なので、まずは自分を責める材料である知識を全て捨てる。

2、全てを許す。

・傷ついた心を癒すものは何か?
・成功、報酬、応援や感謝の言葉ect……
・色々あるかとは思うけど、大抵の物は既に行動してる人しか手に入らないものばかり。
・でもひとつくらいは行動していない自分の心を癒すものがある。
・それは自分の人生で嫌だったこと、後悔したことを全部許すこと。
・心を傷つけたのが自分であるなら、癒すことが出来るのも自分。
・そして同時に自分に心無い行動や言葉を投げかけた人々も許す。
・その理由は、心無い人達によって傷ついた心は、実は彼らからの行動や言葉に対して、自分の受け取り方が心を傷つける方向に向いたから。
・その傷ついたと感じてしまったことを無くせば、元々心無い行動や言葉を投げかけられたという事実が無くなり、心についた傷は無かったことになる。
・なので心無い人達のことを許し、そもそもそんな人達は居なかったことにしたことにすれば、心は癒される。

3、今の自分をすべて認める

・行動していない人は、基本何も持っていない。
・でもなかなかそれを認めるのは簡単でもない。
・それは自分のプライドをぶち壊す行為だから。
・でもそれを認めることが出来ると、あとは行動すれば良いことが分かるようになる。
・なぜなら、何も持っていないということは、それ以上に失う物が無いということだから。
・そしてそこから、行動して自分に何かを少しづつ足していけばいいということが見えてくる。
・あとはやりたいことを見つけて、自分にできることから取り組めば、少しづつだけど行動できるようになる。


 以上です。これってよく見ると、行動出来ない理由と行動を促すやり方は真逆のやり方です。
 知識に執着することによって行動出来ないのに対して、行動するのに知識はまったく必要としていません。
 とりあえずこれが自分を行動に移せるようになった経緯です。
 もし自分も行動したいと言う方は、一度頭の中を空っぽにして自分を認めてみてはいかがでしょうか?


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 読書してアウトプットはしてます。でも読む前からアウトプットを意識して本を読んだりはしません。
 というか読書はただ楽しいから読む価値があるわけで、なんで最初っから変な意識混ぜて読まなければいけないのか。意味が分かりません。

 というわけで、なんで読書にアウトプットを意識するのが意味不明なのか、3つほど考えてみました。

1、本は読むまで中身は分からない

 すごい当たり前のことですが、本の中身は読むまで分かりません。
 目次見れば予想できないことは無いんですが、やっぱり実際読んでみてからじゃないと分からないですね。
 特に自分なんかは、本の内容と言うより本を書いた人の思考や生き方を読みとりたいほうなので、中身はあまり重要視してなかったりします。
 加えて、本の中身からアウトプットを意識するときって、本の一部を読んでいて「あ、やってみようかな? 使えそうかな?」とか思った時くらいです。
  むしろ意識せずに自然とアウトプットしてます。
 既に何かしら作業をやってる人からすれば、たぶんこんな感じで読んでるんじゃないかなと。
 アウトプットなんて先に来るんじゃなくて、後から意識が来るものです。
 なのでアウトプットを先に意識して読む必要は無いです。

2、アウトプットって言うほど具体的じゃない

 アウトプットって意識したから出るわけじゃないです。むしろ無意識の時のが出たりします。
 特にアイデアとかになると、読書を終えてお風呂に入ってリラックスしてたら、さっきまで読んでた本を思い返してるうちにふとアイデアが浮かんだりします。
 しかもそのアイデアはさっきまで読んでた本にかする程度の物だったりします。
 つまり、いつアウトプットされるか分からないものに期待して、アウトプットを意識しても無駄なときがあります。
 
3、アウトプットを意識することが楽しくない

 アウトプット自体はすごく楽しいです。
 でもアウトプットを意識して本を読むのは楽しくないです。
 読書は楽しいから続くのであって、つまらないものは絶対続きません。
 しかもアウトプットを意識すると「これは使える」「これは使えない」みたいなことを機械的に判断し始めます。
 そうするともはや本を読んでると言うよりは、ひよこのオスメスを判断してるかのような気分になります。
 またアウトプットを意識して本を読んでも、本から何1つアウトプット出来なかった場合、自分の駄目さ加減を責めそうですごく嫌な気持ちになります。
 そんな気持ちの為に本を読みたいとは思いませんし、それが継続すると、やがて読書を止めてしまうでしょう。
 

 というわけでアウトプットを意識して本を読むのは苦しいだけです。何か目的を持つにしても、まずは本を読んでみる程度の気持ちで始めた方が、いいんじゃないでしょうか?
 と、そんなことを昨日考えていました。いったい何について怒ってんだろう? 読書のことになるとどうも怒りが沸いてくることがあります。不思議です。


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 昨日から、本を読んでも無駄系の記事書いてますが、現在なぜかそういうことに対する怒りが沸いています。時折自分が分かりません。でもとりあえず書き進めてみます。


 お金持ちや成功者の本の中には、読書量を普通の人達より増やせということが書かれています。自分はあまり意識して読んでいるわけではないですが、割と本は読んでる方です。なので、そのお金持ち達の言葉に自然と従ってる訳ですが。

 時折、聞こえてくるのが自己啓発系の本はただ読んでも意味が無いという言葉です。年間50〜100冊くらい読むと、そのうち2,3割は自己啓発本になります。それくらい自己啓発系の本は日本では主流なんですが。
 ちなみに読んでも意味が無いという人達のスタンスは大まかに分けて2つです。本当に読むのが無駄と思っている人達と、一部の本しか読む意味が無いと言っている人達です。
 
 本当に読むのが無駄と思っている人達は、昨日も言った通りほとんどの人が名書に出会ったことが無い人達です。
 そして一部の本しか読む意味が無いと言っている人達は、たぶん割かし本を読んでいる人達です。

 それで一部の本しか読む意味が無いと言っている人達に言いたいのは、なぜこれから本を読む人達や今現在本を読んでいる人達に対して、「本(特に自己啓発本)を読んでもほとんど意味が無い、良書以外読む価値がない」とか言うのでしょうか。

 本には良いものと悪いものがあります。自分にとって力になったもの、無駄だったものというように、本にも良し悪しがあるわけですが、その判断って読んだ本人が下すわけで、そういう人達も結局はそこに帰結してるだけじゃないですかと言ってやりたいところです。すごく大きなお世話な感じがします。

 というわけで、自分的に本は良いものも悪いものも読んだ方がいい理由というのを3つ考えました。

 1、本はそれなりに量を読まないと、良し悪しが分からない

 本には良いものと悪いものがあります。もちろん読むなら良いものの方が良いです。でもその本を読んだ時に良いものだって分かるにはどうしたら良いのでしょうか? 答えは簡単、とにかくいろんな本を読むことです。
 ロバートキヨサキ著の「金持ち父さん、貧乏父さん」の中に出てくる登場人物の1人が、良いものが良いものだと知るためには悪いものも知ることでありその逆もまたしかり、といったことを言っていました。
 つまり、本の良し悪しを判断するにはそれなりの量に触れる必要があるように思えます。

 2、自分にとっての名書は人それぞれ

 誰が自分の名書を決めるのでしょうか? それは自分自身です。
 すごく売れている本だから、今人気の作家だから、と言う理由で本を買ったところで、すごく面白い本なのでしょうか? すこし本を読んでいれば違うことだっていうのは分かると思います。つまるところ手に取った本が名書であるかは読んでみないと分からないということです。

 本って思った以上にリズムや感覚で読んでいますから、たとえ無名の本でもすごく読みやすくて心が軽くなったり、感動したらそれは割かし良い本です。自分にとって名書になりうつ可能性があります。
 逆に例え世間一般で良い本と言われていても、リズムや感覚が合わないと読んでるだけですごく苦痛になります。そして苦痛の中読んだところで、名書かと言われても、自分は駄作だったとしか言わないでしょう。

 3、本を読むことは人の出会いと似ている

 2の理由と重なる部分ではありますが、本を読むことは人の出会いと似てます。
 本の中には、種類やジャンルを問わず、その本の著者の思考が書かれています。つまり、その本の著者の思考を理解することから始まります。このとき読んでる側は、その思考と合うか合わないかという問いを何回か本に問われます。しかも本は著者に直接会うよりも、深い部分を見ることになるため、その問いをより深い部分(無意識)に問われます。
 このとき読んでる最中に「あ、この人の考えは合わないな」と思ったら、その後読み進めても、自分にとって大体駄作です。

 でも駄作だから、読む価値が無かったかって言われたら違うと思っています。もう一度言いますが、本を読むって人と出会うことにとても似ているんです。初めての人と会うときって、その人と縁があるかどうか、自分にとって良い影響を貰えそうな人なのかを自然と判断していると思います。
 そのとき縁があればそれはそれで良しだし、縁が無かったところで無駄と思いますか? 普通は思わないはずです。むしろ縁が無いことが分かってよかったと思うはずです。これは本にも同じことが言えます。
 自分の読んだ本が自分にとって駄作だったとして、それが駄作だって分かったこと、自分の人生においてマイナスの思考をした本であったことが分かっただけでも、十分に収穫だと自分は思います。また今後もそういう本に出会ったときにも、読み進めるかどうかを判断できるようになるし、全部読んでみても改めて合わないといことが認識できるので、読んで損は無いわけです。



 というわけで、結論として良書以外読む価値がないとか言っている人には気をつけましょう。彼らはこちらの自己判断機能を停止させ、自分のいいなりを作ろうとしてきます。というかこちらの足を引っ張る可能性がありますので注意しましょう。


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