さんま「やっとゴールしたわ」
K.HAZAMA「な〜にがじゃ!?」
さんま「アースマラソンや」
K.HAZAMA「だ〜れがじゃ!?」
さんま「アンタやないかい!」
寛平、走った4万キロ!ついにゴール アースマラソン
サンケイスポーツ 1月21日(金)19時44分配信
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「アースマラソン」ゴールの大阪城音楽堂に到着し、ファンの歓声に応える間寛平=大阪城野外音楽堂(写真:サンケイスポーツ)
マラソンとヨットで地球を1周する「アースマラソン」に挑戦していたタレント、間寛平(61)が、21日夜、大阪市中央区の大阪城音楽堂でついにゴールした。寛平は「ありがとう!ただいま帰って来ました!俺は本当に幸せモンや!アーメマー!」と叫び、集まったファンらと喜びを分かち合った。出発から2年1カ月余り、4万1000キロ超に及んだ壮大な旅が、ついにフィナーレを迎えた。
【写真で見る】ゴールの瞬間、妻の光代さんと抱き合った寛平
寛平は、2008年12月17日に同市の「なんばグランド花月」をスタート。吉本興業など3社で作るアースマラソン製作委員会によると、そのルートは日本を含め世界18カ国に及び、ほぼ半分が陸路、残る半分が海路だった。
ゴールまでの道のりは平坦ではなかった。10年1月、トルコで前立腺がんが見つかったことを公表。同年4月にはマラソンを一時中断して放射線治療を受け、約2カ月後にトルクメニスタンからマラソンを再開した。寛平自身「がんは治った。完璧じゃないけど、数値はよくなった」というものの、「他の人に『やれ』といったら、その人が亡くなる可能性がある」と振り返るほど過酷な挑戦だった。
寛平は沿道に大勢集まったファンの一人一人と握手やハイタッチをし、『寛平コール』に包まれながらゴールした。
「日本が素晴らしい国だと知った」 会見一問一答
2011.1.21 23:33 (1/2ページ)
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ゴールして喜びを爆発させる間寛平さん=21日午後、大阪城野外音楽堂(安部光翁撮影)
−−改めてゴールした感想を
寛平 「まさか2年余りでゴールできるとは思わなかった。仲間が迎えてくれて幸せでした」
→寛平さんアースマラソン主な足取り
−−ゴールした瞬間は何を思ったか
寛平 「もうこれで明日から走らなくていいと思った」
−−一番辛かったことは
寛平 「やはり病気のこと。自分が前立腺がんと知った時は辛かった」
−−走るのをやめようと思わなかったか
寛平 「やめようとは思わなかった。スタッフら周りから何度も励ましの言葉をもらい、支えとなった。やはりみなさんの応援が一番力になったと思う」
−−2年ぶりに日本に帰ってきたが
寛平 「日本が素晴らしい国だと知った。こんな幸せの国に住んでいて、ぜいたくをしていたのかなと思った」
−−日本に戻り、一番おいしかった食べ物は
寛平 「何もかもがおいしかった。特に卵かけご飯。めちゃくちゃうまかった」
−−奥さんの手料理で食べたいものは
寛平 「朝食はいつもアジの開きと決まっているが、女房はうまいアジの開きを見つけるのが本当にうまい」
−−一番の思い出は
寛平 「いっぱいある。つらいこともあるが。みんな優しかった。米国ではインディアンの人が家まで招待してくれて、おばあさんの手料理を食べさせてくれた。米国ではいろいろと差し入れをしてもらって走っていた」
−−振り返ってみて2年間は長かったか
寛平 「走っている時は長いと感じた。絶対ゴールできると確信できたのは中国・西安を過ぎたあたり。けがには注意していた。疲労骨折したらあかんし、アキレス腱を切ったら半年は走れなくなるので負担をかけないようにしていた」
−−体調の方は
寛平 「絶好調です。調子悪いとはいえないでしょう(笑)」
→寛平さんアースマラソン主な足取り
−−長期休暇はとれそうか
寛平 「がんばって恩返しをしないといけないが、吉本興業は休みくれないかな。明日も夜から5時間ライブする。とりあえずやらなかん」
−−ゴールした時、奥さんからはどんな言葉をかけられたか
寛平 「ようがんばったな、と。迷惑をかけたが、もっとおもしろいことをして恩返しをしてともいわれた」
−−この次は何かに挑戦するか
寛平 「今回は地球を横回りしたが、縦回りしてくれないかといわれたら堪忍してほしい。そんなことをしたら地球が怒る。それでも3月5日にサイパンマラソンの10キロを走るつもり」
−−歌を作って応援してくれた忌野清志郎さん(平成21年死去)には何と
寛平 「清志郎さん、『無事帰ってきました』とすぐ報告したい。見守ってくれていたと思う
」
−ファンの人にメッセージを
寛平 「応援してくれたアースマラソンのファンのみなさん、無事ゴールすることができました。ありがとうございました」
改めましておめでとうございます
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