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いよいよ最終回 それを「挑戦」と言う。 そうやって自分のマイナスイメージを払拭することができる。 そしてメジャーへの挑戦を決意して理由ではこうおっしゃっていた。 (「恥さらしに行くのか」とさえ言われたらしい・・・) ・・・とそこへ「本物」のグローブとユニフォームが登場した。 (PL時代とピッツバーグ時代のグローブおよび、PL・巨人・ピッツバーグ時代のユニフォーム) ちなみにちょっと大柄のお兄さんには清原氏のサイン入り巨人ユニが着せられた(笑)。 ちなみに私は高校時代のグローブに生で触れた(買い替えがなかなかできずに長年使ったものらしい)。 これだけでも「やっぱり今日は見に来てよかった」と思ったのであった。 ・今までで一番嬉しかったことは? 高校卒業後23年目にして念願の早稲田大学院に入ることができた。 ・今の奥様を選ばれた理由は? よく笑い飛ばせるなぁ・・・ ・好きな色は? なぜかこれを聞かれた女性は「あー」とうなずいていた・・・ ・これからの夢は?(長崎から来られた男性らしい) ブログでもアマチュア指導者の姿勢について苦言を呈されていたようです。 その後サインボール(18個)の抽選会が行われたが番号が全くかすりもせずハズレ(笑)。 そして社団法人大川青年会議所の副理事長が桑田氏へお礼の言葉を述べていたが、なぜか緊張してしまい 仕舞いには自分の団体を「大川社団法人・・・」と間違えてしまった。 「これも試練ですかね(笑)」は副理事長の弁。 ||||<#000000' style='bold;border: groove 5px #FFA500;color:white;font:60pt;width=300' 桑田さん これからの人生もがんばってください! ※講演は撮影厳禁だったので画像はお見せできません ご了承ください。
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NPB2009
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1番打者 痛烈な当たりだが・・・ショートライナー。 2番打者 大きな当たりでホームラン・・・と思いきやセンターフライ。 3・4・5番は続けて出塁させてしまい2死満塁。 6番打者 レフト方向へ場外ホームラン・・・と思いきや風に流されてファウル。 そして6番打者は今度は右中間へ・・・ライナーで結局0点。 次の回 7番打者 痛烈な・・・サードライナー。 8番打者 セカンドゴロにしとめる。 9番打者 いい当たりの・・・ピッチャーライナー。また抑える ちなみに巨人時代にも下腹部に強烈なライナーが来たんだっけ・・・ 重いバットを振ってのバッティングに向かう。当然球も速い。 相手は「アホや・・・」と思うほどのど真ん中のボールを投げてしまった。 打球は詰まってしまった・・・しかし追い風が吹いてくれてホームラン! ちなみに甲子園の通算ホームランは清原氏が1位、桑田氏が2位である。 甲子園で5度優勝し(1回出るだけでも大変なのに・・・)プロに入った。 しかしそんな選手ですら何百回もの挫折を経験したのである。 それはどんな超一流選手だってそうだ。 |
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会場から突然「八尾フレンズ!」(氏が所属していた少年チーム)という声が上がった。 「ホンマは八尾フレン『ド』」(なぜか単数形)なんやけどね」と桑田氏(笑)。 高校入学直前の清原との初対面秘話。 高校の先生からは「このコンビで優勝を目指して欲しい」と激励された。 清原を初めて見たときは・・・ 2人で練習をしてみたが「どうせどんくさいだけやろ」と思っていた桑田だったが・・・ 「おかしいやろ」と思いバットを見たがもちろん普通。守備もよかったらしい。 高校でも「オレは小さいんや」「勘違いしとったわ」「寮生活は辛い」 ある日母親を呼んでは、「辞めたい」と直談判をした。 レギュラーがすべてではない、ご飯20杯食べても清原君にはなれへん、 絶対諦めたらあかん、自分らしくやれ・・・などと説得され、桑田は徐々に気づき始めたのだ。 ここで先ほど話していた「裏の努力」が出るのである。 直接野球がうまくなるわけではない、毎日たった5分か10分くらい、でも大事なことなのだ。 大声での挨拶、トイレ掃除、グラウンドの草むしり・・・毎日欠かさずやった。 と、ここで・・・ あまりにも非常識な奴がいるもんだ(呆)。 ・・・ずいぶん長いシリーズだなぁ
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早速彼はPL学園→早稲田大学→巨人軍というエリート街道を夢見た しかし・・・ 中学に入ってようやく机に向かい出したという桑田少年。 ようやく勉強することの楽しさを知り、テストのあと先生にどうしてもということで順位をこっそり教えてもらった。 大して上がっていなかった(笑)。ちなみにこれもクイズになっていた。 それでも努力することの大切さを知った少年であった。 これは後ほどの話にも出てくるのである。 ちなみに桑田少年は「短期集中型」であり、毎日30分程度の勉強だったらしい。 その他クラスの先生や優秀な子に「どうしたらええん?」と聞いて回ったとか。 一方、中学時代の野球は地区大会で優勝を果たし、めきめきと頭角を現す。 自信満々の彼はPL学園へついに入学することとなり、そして・・・ 会場「清原!」 桑田「いやこれもクイズやけど(苦)」 次回はコンビ誕生の秘話を語りたい。
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これは、一体どういうことなのか。 氏は1968年4月1日生まれ。 日本では毎年なぜか4月2日から新しい学年として扱われる。 子供の一年のハンデは非常に大きく、勉強に全く付いていけなかったという。 答えは「0点」。クイズに正解した人に色紙が贈られた(笑)。 そんな桑田少年も運動には真剣だった。そして、小3の頃地元のソフトボールチームに入団する。 監督に実力を見出され、「Aチームで練習せい」と言われる。 Aチームは本来は6年生、Bチームは5年生、Cチームは、4・3年生が入るはずだったからすごい。 ・・・とはいうもののやはり上級生とやらなければならないのは大変である。 練習前に自転車で用具倉庫へ行きバット、ベース、ボール、ライン引きを持ちながらグラウンドへ運び、 それをすべてセットする。当然ながら終わったらすべて戻さなければならない。 少年は「うまくなるんやったらこれぐらいのことはせなあかん」と苦痛はなかったという。 しかし、時々監督が休んでしまうが、その時に悲劇は起こった。 (ちなみにこれもクイズで色紙がもらえた) 小学生にして社会の厳しさを思い知らされた桑田少年。 勉強もできず、グレてしまった彼の未来は・・・? つづく。
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